第92話「彼らはわかっていない」

 サンドラが話し合いの再開を宣言すると、室内から浮き足だった雰囲気が消え、静寂に包まれた。

 俺の登場、マノンの裏切り、明らかに話に取り合う気のないサンドラ。そういったものを見て色々と思うところありそうなセドリックがどうにか感情を飲み込んだ様子で口を開く。


「こちらからは多くの要望があるわけじゃない。開拓したての領地に手を貸そうという話だ。幸い、ここには有力な家の者も多い。優秀な人材を用意できるし、支援もできるぞ」


 セドリックの周りにいる者達もそれを聞いて自信たっぷりに頷く。


「支援ね……。何度も言うけれど、今のところ必要としていないのよ」


「そんなことはないだろう。今後の発展のためにいくらでも必要なはずだぞ。なんなら帝都の大商会に話を通すことだってできる」


「今のところは必要ないわ。それだけの生産量がないもの」


「ならば。開拓をすればいいだろう? 人も金も用意はできる」


「あまり急に人が増えても対処しきれないわ。まだ二年目だし、急に人が流入するのには慎重にしたいの」


「サンドラ、お前が俺達を警戒するのはわかる。だが、利益のある提案を感情だけで拒否するのは領主としてどうなんだ?」


 切り口を変えて言ってきた。領主としての責任感に訴える方針らしい。


「利益ね……。あまり聖竜領で大開拓は控えた方がいいと思っているのだけれど。クロード様からもそれとなく言われたわ」


「…………」


 第二副帝の名にその場の面々が表情を変えた。最上位の権力者の意向と聞けば黙るしかないだろう。

 これで話が終わるかと思ったが、セドリックは変わらず余裕のある態度を崩さずに口を開いた。


「サンドラ、お前はエヴェリーナ家の人間だ。本家の意向ならば断れないだろう? 父上から指示を出してもらうこともできる」


 それを聞いてサンドラは目を伏せた。

 一番言われたくなかった事だ。

 出ていったとはいえ、サンドラはエヴェリーナ家の者であることに間違いは無い。当主である父親の意向を無下にするのは難しい。

 この一言に効果があったとみたのだろう、セドリックと周りの者が嫌な笑みを浮かべた。連中の狙いは明らかだ。これで何人か息のかかった者を送り込んで、聖竜領から利益をかすめ取るつもりだ。


 対して俺達はそれを明確に拒絶したい。聖竜領は順調とはいえまだ二年目。安定するまでは信頼できる者で固めたいというのが正直なところなのだ。


「セドリック兄様……。お父様も同じ考えなの?」


 沈んだ声のサンドラに、セドリックが声に自信を込めて答える。


「エヴェリーナ家のためだ。当然だろう。必要とあらば、領主を別の者にすげかえることもできる」


 それはサンドラにとって決定的な言葉だった。

 何故なら、彼女から全てを奪うと言っているに等しい。たとえ実現不可能であっても、その意志があるだけで決意させるに十分な一言だ。


「そう……。それは困るから、わたしはエヴェリーナ家から出ていくことにするわ」


「……は?」

 

 室内の空気が変わった。というか、完全に固まった。

 隣にいるマノンと対面のセドリック達は呆然としている。


「サンドラ、聞こえなかったようだぞ。もう一度言ったらどうだ?」


 俺が助言するとサンドラは頷く。


「わたし、サンドラ・エヴェリーナはエヴェリーナの姓を捨てることにするわ」


「……な、そんなことができるわけないだろう! 自分が何を言っているかわかっているのか!?」


「残念ながら。お義兄様よりはわかっているわ。既にクロード様に話は通してあるの。……冬の間からね」


「…………っ」


 エヴェリーナの姓をすて、別の家として独立する。これはサンドラが切り札として用意していた策だ。

 一年という短い期間ながら、サンドラには実績がある。魔境と呼ばれた地域で畑と森を切り開き、魔法草を初めとした希少な品を発見した。

 それら全て、エヴェリーナ家の力を借りずにやった、自力によるものだ。

 この事実と功績はとても大きく、クロードとスルホが後見となれば、独立できるほどである。

 もしこのような状況になった時、いつでも切れる手札として冬の間から準備していたわけだが、まさか本当に使うことになるとは思わなかった。


「わたしの新しい姓はエクセリオ。サンドラ・エクセリオと名乗ることになるわ」


「エクセリオ…………。くそっ、そういうことか」


 エクセリオというのはサンドラの亡くなった母の姓だ。サンドラの母の代で途絶えていたそうだが、娘が聖竜領で再興する形になるのである。

 言ってみればこれも策の一部だ。母の家を再興するという大義名分も得ることができる。

 

 サンドラの発言の効果は抜群で、セドリック始めとした若手貴族の面々は絶句していた。

 まさか、サンドラが家を出るとは思っていなかったらしい。

 

 彼らはわかっていない、そのくらいの覚悟がなければたった十人で魔境と呼ばれた地にやって来はしないということに。


「サンドラ・エクセリオ。聖竜の眷属として、今後も協力を約束しよう」


「ありがとう、賢者アルマス。エクセリオ家の後見は第二副帝とクアリア領主よ。今のところ、エヴェリーナ家の援助は必要ない。これまでも援助はなかったから、必要ないの」


 冷たい声音で、はっきりとサンドラは宣言する。


「…………ぐ、しかし、そんなことが……」


 どうにか反論しようとするセドリックだが、言葉が出ない。義兄という優位な立場を失えばそんなものだ。


「諦めろ、セドリック・エヴェリーナ。サンドラは覚悟を決めているんだ」


「覚悟……だと」


「家を出て自分の力で生きていく覚悟だ。一年以上前から彼女はそうしている。自分の力で仲間を集め、自分の力で領地を切り開き、自分の力で苦境を切り抜ける。家を捨てる覚悟の一つくらい、とうの昔にできている」


「……………くそっ!」


 自分の言葉くらいでサンドラを動かせないことをようやく理解したのか、セドリックは思い切り机を叩いた。

 室内が再び静かになる。

 セドリックに周りにいる若手貴族から冷たい視線が注がれる。彼の評価は地に落ちたことだろう。あの分だと、簡単にサンドラから譲歩を引き出せるくらいのことは言っていただろう。


「話はこれまでだな……」 


 さて、退席するかと思ったその時だった。

 勢いよく、部屋の扉を開いて入ってくる者がいた。


「やあ! 若者が楽しく話し合いをしているみたいだから混ざりに来たよ!」


 いやに陽気な第二副帝クロードが部屋に乗り込んできた。傍らのヴァレリーは、なんだか苦悩に満ちた顔をしているが、きっといつものことだ。


「サンドラのエクセリオ家承認に手続きが整ってね、証書を届けに来たんだけれど…………」


 手に持っていた紙を持って意気揚々と語るクロードだが、室内の様子に状況を把握したようだった。

 多分、助けに来てくれたんだろうなとは思う。


「クロード、ちょうど今、その話をし終えたところだ」


「……うん、理解したよ。まあ、そういうことだ。君達、あんまり強引な手段をとっちゃいけないよ?」


 どうにか場を取り繕おうとしたのだろう。クロードは苦し紛れにそんなことを言った。

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