第77話「たしかにすぐにトゥルーズの顔色が良くなった。十分な効果だ」

 慌ただしい日々が続く中、聖竜領に新たな住民がやってきた。

 領主の屋敷の前にやってきたのは素朴な服装に身を包んだ十人の男女。大人は若い夫婦が六人、残りの四人は子供だ。全員、サンドラよりも小さい。

 クアリアの街から聖竜領に移住することになった三件の農家である。新しい畑の準備が進んだことと、引っ越しの準備が完了したことでついにやってきたのである。


 ゴーレムで効率化しているとはいえ、農業は手数が多いほどいい。特に今年は大分畑を広げたので彼らはとても大きな戦力になってくれるはずだ。


「ようこそ聖竜領へ。待っていたわ」


 後ろにマイアを伴ったサンドラが笑みを浮かべて歓迎する。

 それを見た子供達は落ち着き無く身じろぎし、大人達は緊張していた。

 事前にクアリアでよく言われていたのだろう、サンドラを子供と侮るものはいないように見えた。


「あなた達にはここに来るまでに見えた畑を三軒で共同で管理して貰おうと思うの。ちょっと広く作りすぎたから、領地所有の農地もあるんだけれど。作物からの収入は税の分を引いた後、ちゃんと買い取るわ」


 その言葉に大人達がざわめいた。


「あ、あの畑を? 開墾からするつもりだったんですが……」


「もちろん、それもしてもらうわ。みんなにはゴーレムの使い方も覚えてもらわないとね」


「……あれ、使い方を教えてくれるんですか?」


「小さなものならね。そのうちわかるから言っておくけれど、この領地、まだ牛がいないのよ」


 農地を耕すために牛や馬といった家畜がいるのは珍しいことじゃない。むしろ土地が広いなら必須といってもいい。

 だが、聖竜領にはそういうのはまだいない。領主の屋敷で飼育している鶏だけだ。

 先のことはともかく、彼らにゴーレムの扱いを覚えてもらうのは必須とも言える。なにせ今は、農夫でもないメイドまで畑に出ているのだから。


「あの、質問してもいいべか?」


 小さな子供を抱いた女性の一人がおずおずと手を上げた。

 サンドラは頷いて続きを促す。


「この村はもともと魔境って言われてただ。すげぇ大きな竜がいるって噂があるだべ」


「事実よ。ここは名前の通り創世の六大竜、聖竜様に護られた土地だから。こっちのアルマスは聖竜様の眷属。人間に見えるけど竜なのよ」


 一斉に俺に視線が集中した。恐れと疑念の眼差しだ。まあ、俺は一見人間にしかみえないから仕方ない。


「アルマスだ。聖竜様の眷属をしている。基本的には人間の魔法士を同じと思っていいぞ」


「魔法士様だったべか。そうだ、ここに来るまでの山を平坦にしたのは?」


「それは聖竜様の力だ」


「獣が寄ってこない魔法のポプリをここで作ったってほんとですか?」


「それは俺が作った。特別なハーブでな」


 子供の質問だったので務めて笑顔で答えた。なんか怯えられたが。ショックだ。


「氷結山脈の魔物も怖れて近づかないという噂は……?」


「それは近づくやつを俺が全部始末していたからだ」


「前にウイルド領の兵隊を撃退したっていうのを聞いたのですが。あと、その時女剣士を手込めにしたと……」


「前半は事実だ。彼らには痛い目にあってもらった。後半は全然違う。彼女はここで修行をしている」


 おかしい、俺が質問に答える度に農家達と心の距離が離れていく。親しみやすい笑顔を浮かべているというのに。


「あー……。あまり警戒しないでいいぞ。普通に暮らせる場所だから。危険はない」


「そう。危険はないの。ここは去年まで魔境と呼ばれていたけれど、今は人外魔境とは程遠いわ。まだ作り始めたばかりの田舎の村よ。だから安心して」


「スルホ様からもそう言われているから平気だと思ってるだよ」


 サンドラがフォローに入ると、子供を抱いた女性が穏やかな笑みを浮かべながらそう答えてくれた。

 よし、何とかなったか。


「とりあえず屋敷に荷物を置いてからにしましょう。休んで農地を見て貰って、建築中の家のことを説明して……。あ、そうそう」


 指示を出しつつぶつぶつとこれからのことを確認したサンドラは思い出したように振り返って言う。


「近いうちに大きな竜をこの上を飛ぶようになると思うけど、あまり気にしないでね」

 

 その言葉に新しい領民達の顔が一気に引きつった。


○○○


「というわけで、新しく来た農家達はここを人外魔境だと思っていたわけだ」


「……ふふ。そういえば、私たちもここに来る前はそう思ってた」


 屋敷の食堂にて昼間来た農家達の話をするとトゥルーズは楽しそうに微笑んだ。

 昼食を終えて一時間ほどたった頃、休憩している彼女を様子を見に来たのである。


「しかし大丈夫か? 疲労がたまっているように見えるが」


「……ちょっと。いや大分疲れてるかも」


 春になってからのトゥルーズはこれまで以上に多忙だ。領外から今までにないくらいに人がやってきた関係で調理をする機会が一気に増えた。

 彼女は開店したての宿屋兼酒場の営業にも協力しているため、屋敷の厨房で料理をする傍ら、酒場の様子も見にいかなければならない。

 

 いつもなら表情に変化が少ない彼女も、今は流石に疲労の色を浮かべている。


「君が倒れでもしたら心配だ。ユーグにでも頼んで元気の出る薬を調合してもらおう」


「………それはちょっと恐い。たまにロイ先生の工房から奇声が聞こえる」


 物凄く警戒されているな、ロイ先生とユーグの薬は。信頼性を高める必要がある。


「では、俺のハーブを使うとしよう。家に保管されているからそれを……」


 魔法草は効果が強すぎて難しいが、ハーブティーなら安心だ。少し多めにトゥルーズのところに置いておくとしよう。彼女に何かあったら俺の生活水準が著しく影響を受ける。

 そんなことを考えているとサンドラが部屋に入ってきた。


「休憩中に失礼するわ。トゥルーズ、良いものを持ってきたの。あら、アルマスもいたのね」


「トゥルーズの体調が心配でな。たまに見るだけでもここと宿屋で忙しそうだ」


「なんだ。アルマスも気にしてたならこれを用意することもなかったかも」


 サンドラが手に持っているのはガラス製の大きな容器だ。

 中は琥珀色の液体が満ちている。


「みんな疲れてるだろうから、ハリアから貰った竜の水で水出しハーブティーを作ってみたの。ハーブは眷属印じゃなくて普通のだから、大丈夫よ」


「……もらいます。いますぐに」


 そういうなり調理中並の速度でトゥルーズが動き出し、素早くカップを三つ用意した。

 サンドラが手ずからそこにハーブティーを注ぐ。


「……いただきます。…………ふぅ」


 カップを手に取り一気に中身を飲み干された。


「…………ん。元気になってきた。すごく効く」


 たしかにすぐにトゥルーズの顔色が良くなった。十分な効果だ。


「良ければ置いていくわ。沢山作ったの。みんな、疲れてるから」


「…………ありがとうございます」


 軽く会釈をしながらトゥルーズはガラスの容器を受け取った。

 俺とサンドラも一緒にハーブティーに手を付ける。


「何か要望があればいってちょうだい。一気に新しいことを始めたから色々あると思うし」


「…………パン焼き窯と職人をください」


 トゥルーズは即答した。


「窯ならここと宿屋にあるだろう?」


「………この屋敷も宿屋も窯が小さい。あれは自分達の分だけを作るためのもの。もっと大きい窯と専門の職人がいる。……人間が増えたから」


 その言葉でようやく理解できた。

 これまで聖竜領の人口の半分はエルフだった。彼らは食事の量が多くないし、自給自足している。

 だが、ここに来て人間が増えた。作業にやってきた職人以外でもだ。


「……これまでは小さな窯とクアリアからの買い付けでどうにかなったけど、そろそろ限界。あと、これから小麦がとれるから村の分くらい自力で作れないと」


「ごめんなさい。そこまで気が回らなかったわ。そうだ、粉引き小屋も作らないと……」


 サンドラが癖毛をいじりながら思考に耽り始める。


「……パン職人は熟練じゃなくてもいいです。私が指導できるから。とにかく人が必要」


「わかった。スルホかクロード様に相談してみる。やっぱり人手もなんとかして、せめて交代で休息をとれるようにしないと…………」


 サンドラも本人も休憩に来たつもりだったろうに、完全に仕事をする姿勢になってしまった。

 彼女にも休息が必要だ。昨年、無理をしすぎて倒れている。


「サンドラ、強引にでもいいから休息をとったほうがいいぞ。戦場で無理に行軍すると酷い目にあうものだ。作業が少しくらい遅くなっても良いだろう?」


「…………アルマスの言う通りね。忙しくなるとつい頑張ってしまうのよね。わたしも、みんなも」


 癖毛をいじるのをやめたサンドラは自嘲気味な笑みを浮かべながらそう言った。


 この翌日、作業日程を少し余裕を持つように変更する打ち合わせが行われ、領内で作業する人々が交代で休む態勢が急速に整えられたのだった。

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