第42話「その言葉は口調こそ静かだが、怒りが籠もっていた」

 実家からの馬車を見て立ち尽くすサンドラとリーラ。

 動かないので仕方なく共に馬車を眺めていると、降りてくる人影があった。

 

 この田舎にふさわしくない、ひらひらした派手な赤い服を着た茶色の髪をした女性だ。

 背が高くすらったとすた見た目に、きつい目つきをした彼女は、ゆっくりと地面に降り立つと、周囲をキョロキョロと眺め回した。

 それから、面倒くさそうに腰に手をやって俺達の方を眺めると、こちらに向かってきた。


「久しぶりね、サンドラ。……よくもまあ、こんな何もないところに住めるわね」


 何も無いところで悪かったな。そう言いたかったが、俺は思いとどまった。

 彼女と会話すべきはサンドラだ。馬鹿にされたことで俺はサンドラへ最大限の助力をすることを決意したが、それをするのは今じゃない。


「デジレ姉様。なぜ聖竜領にいらっしゃったのですか?」


 とても丁寧に。それこそこれまで見たことがない、ぞっとするような冷たい声でサンドラが応じた。


「あなたに用件があって来たの。それともなに、私が来ちゃいけなかったわけ? 迷惑だとでも?」


「用件次第ですね」


「なっ…………」


 サンドラの発言が予想外だったのだろう、デジレと呼ばれた女性は目を剥いて驚いた。

 まさか、歓迎されるとでも思っていたのか?


「まあいいでしょう。お話は聞きましょう。あとは内容次第です」


「サンドラ、貴方ね……」


 明らかに気分を害したデジレが何か言おうとしたが、サンドラが手を前に出して制した。


「今のわたしはこの聖竜領の領主です。帝都にいた時と同じだと思ってもらったら困ります」


「………いいわ。面白いじゃない」


 そういうと、前に出て案内を始めたリーラに従って、デジレは歩き出した。

 これは一波乱あるな。

 そう思いながら、歩いていると、馬車の前で硬直しているマイアに気づいた。

 彼女の顔は恐怖に引きつっていた。


「どうしたんだ、マイア。そんな顔をして」


「…………お爺さま」


「はい?」


 マイアの視線の先、馬車からは老人が出てくるところだった。

 大分歳がいっているだろうに、衰えも油断も感じさせない厳めしい老人だ。

 腰には長剣を佩いている。どことなく、先日俺がへし折ったマイアの剣と似た印象があった。


「あれは、私のお爺さまにして師匠、帝国五剣の一人。ロジェ・マクリミックです」


 帝国五剣。なるほど、これはまた大物が来たな。そしてまさか、祖父とは。


「久しぶりじゃな。マイア……」


「は、はい。おじい……師匠こそ、ご壮健なようで」


「負けたようじゃの」


「…………!?」


 その一言と一瞥で、マイアが全身を硬直させた。よく見ると顔に嫌な感じの汗まで浮かんでいる。


「話は後じゃ、今はあちらのエヴェリーナの嬢ちゃん達の護衛じゃからな」


 そう言って、ロジェは屋敷の方を見た。


「マイア。お前も同席した方がいいだろう。一緒に行くぞ」


「は、はい……」


 俺が促して、ようやくマイアが歩き出した。

 その様子を見ていたロジェが俺に向かって言う。


「若いの、名前はなんという?」


「アルマスだ。それと、俺は若くない。貴方より年上だろう」


「ほう。ここに来るまでに噂で聞いた、聖竜領にいるという賢者じゃな」


「その通りだ。何か問題でも?」


 そう言うと、ロジェは敵意に満ちた目で俺を見て言った。


「許さぬ」


 なんか滅茶苦茶怒っていた。

 思い当たることはあるが、それは後回しにして貰おう。


「貴方が言ったように、先にサンドラ達だ」


 そう言って、屋敷に向かって歩き出す。

 マイアもロジェも大人しくついてくるようだ。

 

 これは一波乱ですまない気がするな。


『のう、アルマス。お主は噂になっとるようじゃが、ワシはどうなんじゃろうな?』


 微妙に拗ね気味に、話しかけてきた聖竜様はいつも通りだった。


○○○


 デジレ達は執務室に案内された。リーラがお茶を用意し、室内がハーブティーの良い香りで満たされる。貴人向けにリーラが調合した、特別な葉の匂いだ。

 サンドラとデジレが席に座り、後の者は後ろに立って話し合いを見守るという構図で、話し合いは始まった。


「ふぅん。なるほどね、たしかにあのハーブティーだわ」


「聖竜領のハーブティーが帝都にまでもう届いているのですね。思ったよりも早い」


「当たり前じゃない。帝都は帝国の中心、流行り物はすぐに入ってくる。おかげでここの事を知ることができたわ。上手くやっているみたいじゃない」


 自分のことでもないのに自慢気、さらに高慢な笑みを浮かべながらデジレはサンドラに言い放つ。


「調べたのですね……」


 そういえば、さっきから俺を睨んでいるロジェも色々と知っているようだった。

 ここに来る前に調査済みということか。


「率直な意見を言うわ。サンドラ、帝都に帰ってきて私の下で働きなさい」


「は……?」


 唐突な申し出に、サンドラらしからぬ間抜けな返事が出た。


「つまり、貴方は私の下で働くべきなのよ。こんな田舎で、こんな田舎くさい連中と、こんな田舎を盛り立てている。こんなところで働かせるのは惜しいわ」


『酷い言われようじゃのう』


『まあ、田舎なのは事実ですが。聖竜領はともかく、ここで暮らす人まで馬鹿にされるのは面白くありませんね』


 聖竜領はまだまだ田舎だ。それは否定できない。だが、ここに住む人々を馬鹿にすることは許されない。俺の友人達を侮辱したのだから。


『そうじゃのう。必要ならサンドラに手を貸すが良い』


『そうします。ただ、リーラの方が先に動きそうなんですが』


 俺の視線の先にいる戦闘メイドは、両手をエプロンの前に置いていて、いつもの鉄面皮に見える。

 冷静沈着に見える彼女だが、どうやらかなり感情的になっているようだ。

 必死に殺気を抑えているのがわかる。サンドラに何かあればすぐにでも動くだろう。


「わたしに帝都に戻ってデジレ姉様の下で働けと……? 今更?」


「そうよ。貴方だってこんなところにいたくはないでしょう」


 自信満々、胸を張ってデジレは戸惑うサンドラに言う。それは確認でも何でもない、自分の思い通りに全て事が進むことを確信している、傲慢な物言いだった。


「…………ふぅ」


 少し考えて、ため息を一つついてから、サンドラは口を開いた。


「お断りします」


「…………っ」


 それは、はっきりと、決然とした断言だった。

 サンドラの目はとても強い拒絶の意志を現し、目の前に義姉にその言葉の意味をこれ以上ないくらい雄弁に伝えた。


「な、なんでよ……。戻れるのよ、帝都に。私達の家に」


「わたし達の家……ですか。そこから追い出そうとした癖に、良く言いますね」


 13歳とは思えない、普段のサンドラからは想像もできないくらい冷たい口調で言う。

 姉と呼ぶ目の前の人間に従うつもりなど微塵もない。

 それは、あまり有能でなさそうなデジレにも伝わったらしかった。


「…………な、それは」


「知らないとは言わせませんよ。わたしを遠ざけたのは貴方達でしょう。それを今更戻るなんて、おおかた帝都の社交界に居場所がなくなりかけて困ったのでしょう」


 図星だったのだろう。デジレはあからさまに狼狽え、気色ばんで声を張り上げる。


「うるさいわね! ちょっと前まで子犬みたいに私達の後にくっついて来てた癖に、望み通りにしてやろうっていうのよ。馬鹿にしてるの!?」


「……馬鹿にしてるのは貴方よ。デジレ・エヴェリーナ」


 その言葉は口調こそ静かだが、怒りが籠もっていた。


「わたしはこの聖竜領の領主として果たす役目がある。領民に対する責任もある。彼らを連れてきたのはわたしよ。それを全て捨てて帝都に戻れるとでも? 遊びでここに来てるわけじゃないの」


 その語りにデジレは驚愕に目を見開き、圧倒される。

 彼女には想像もつかなかったのだろう。サンドラの領主としての成長も、責任感も。

 そして何より、自分が攻撃されることも。


「帝都のあの家はもうわたしのいるべき場所じゃない。この聖竜領が、わたしの生きる場所よ。馬鹿にするのも大概にしなさい」


「うっ……くっ……まだ子供の癖に……」


「わたしはここの領主よ。子供であることが許されるような場所で暮らしているわけじゃない」


 デジレはサンドラがここまで強く出ることを想定していなかったのだろう。

 前に聞いた話では、サンドラはどうにか新しい家族と仲良くしようと振る舞っていたという。不器用ながらも、何とか取り入ろうと立ち回っていたのだ。


 だが、今この時において、サンドラがデジレ相手に媚びへつらう必要などない。

 何も無い聖竜領に来てからの数々の経験が、サンドラを強くした。帝都に居た頃の家族には想像もつかないほど。


「この……母親と同じで弁ばかり上手く……」


「そこまでよ。それ以上のことを言って、わたしの母様を侮辱したら、リーラが許さない。わたしが止めても、リーラが貴方を害するわ」


 見れば、リーラがエプロンの内側に両手を入れていた。あの中には投げナイフがある。すぐにでも投げる姿勢だ。


「こ、こっちには帝国五剣のロジェがいるのよ。リーラでもそんなことは……」


 狼狽えながらも振る舞うデジレは、苦し紛れに隣のロジェを見る。

 しかし、当の帝国五剣の反応は冷ややかだった。


「そういつはどうかのう。そこのメイド、儂がいても必ずお嬢ちゃんを殺す覚悟みたいじゃぞ。儂が間に入ることも覚悟の上でな。命がけの人間を止めるのは、この儂でも難しいかもしれんな」


「そっ……んな……」


 ロジェのゆったりとした、しかし不思議と説得力を感じる発言を聞いて、デジレの顔から血の気が引いた。


 ようやく、自分の立場を理解したようだ。さながら、魔物の巣の中に放り込まれた生肉のような状況にいるということに。


「悪いことは言わん。お嬢ちゃんじゃ、この領主は動かせん。大人しく帝都に帰ることじゃ。今なら見逃してくれるじゃろう。なあ?」


 ロジェの問いかけに、サンドラは無言で首を縦に振った。


「そんな、貴方は私を助けるためについて来たんでしょう!?」


 ヒステリックに叫ぶデジレ、それに対するロジェの返答はあっさりしたものだった。


「なに言ってるんじゃ。儂がここに来たのは別件じゃ。お嬢ちゃんなどついでじゃよ。最低限の護衛くらいはするがの」


 お前になど大した価値はない。そう言っているのに相応しい物言いだ。容赦ない。


「あっ……あっ……」


 帝国五剣の協力を得て、聖竜領からサンドラを連れ帰る。その計画の最初の段階から躓いていたことに、デジレはここでようやく気づいたようだった。


 思い通りにならなすぎて混乱しているのだろう、デジレは目の端から涙を流しながら訴える。


「わ……私は……どうして、どうすれば……」


 サンドラはハーブティーを一口飲んでから、冷たく答える。


「帝都ではなく、どこかの田舎の人の良い領主にでも嫁いで暮らすことです。それが、デジレ姉様にとって最良でしょう。これが、わたしの妹としての最後の助言です」


 お前は帝都にいる価値すらない。暗にそう言われたことは理解できたのか、デジレはそれを聞いてがっくりと肩を落とした。


「…………どうして」


 消え入りそうな声で肩を震えて泣く彼女に同情する者は、この部屋にはいない。全て、彼女が招いた出来事だ。


「さて、こちらの話は一段落したようじゃな。では、儂の用件を片づけさせて貰おう」


 デジレに一瞥をくれてから、ロジェは俺に向かってこれ以上ない強い目で睨み付けてきた。 

 俺、そこまでされるようなことしただろうか?

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