第9話「薄暗い森の中で見たときは一瞬廃墟に見えた。俺の家だが」
残念ながら、鹿はその日のうちに食べられなかった。
何でも解体した後に水にさらして血抜きをする必要があるらしい。
美味しく食べるためなら仕方ない。
そんなわけで、俺はとりあえず、自宅に戻った。
実に2日ぶりの自宅だ。
久しぶりの外泊、久しぶりの人間、久しぶりの人間らしい生活。
おかげで、粗末な掘っ立て小屋を見た瞬間の精神的ダメージが大きかった。
日暮れに屋敷を出て、薄暗い森の中で見たときは一瞬廃墟に見えた。俺の家だが。
「俺、よくここに436年も住んでたな」
ろくに家具も無く、枯れ草を敷いただけの床に座り、じっと天井を見る。
建物は聖竜様の力で保護されているおかげで傷んではいないが、それだけだ。
小屋の外にある庭とも言えない畑と、この小屋が今の俺の全財産と言ってもいいだろう。
将来、アイノが目覚めた時、この小屋を見たら驚いた上に失望するだろう。
どうにかして、まともな住居を手に入れなければならない。
そのためにはサンドラ達に定住してもらい、それなりの生活をして貰う必要がある。
金も必要だ。人間社会と関わるなら金は必須。
サンドラ達の課題である金策は、同時に俺の課題でもあるわけだ。
「よし、明日はでかけるか」
一つの結論を得た俺は一言呟くと、すぐに眠った。
やることがないのである。
○○○
翌日、日の出と共に俺は行動を開始した。
眷属としての高い身体能力と、魔力感知能力を生かし、聖竜の森の中を駆け回るのだ。
魔力が集中している場所には人間社会で高い価値を持つ物が生まれやすい。
森の中でも特に魔力の濃い場所を俺は次々と発見する。
魔力だまりとも言える静謐な泉。
駄目だ。水は綺麗で美味いけど、それ以外に特別なものがない。
以前、魔物が住み着いていた洞窟。
鉱物などは見た感じ無し。魔物の残骸なども無し。
森の中でも最も古い領域。
木とか色々加工すれば使えそうだが、聖竜様の領域の入り口なので駄目。
他にも動物たちが集まりやすい場所や、俺が昔派手に地形をいじった場所も行ってみたが、これだ、と思える物は無かった。
森の中を風のように駆け抜けた挙げ句、途方にくれた俺は、北の氷結山脈の近くまで来ていた。
手近な山に登り、聖竜の森を見下ろす。
サンドラ達の屋敷がある草原から川を挟んで広がる大森林。
壮大で見応えのある景色だが、これを金に変えるのは難しそうだ。
『何やら悩んでおるようじゃのう』
「ずっと見てたんですか、聖竜様。金策について考えてたんですよ」
頭の中に響いた声に答える。今日は周りに人がいないので声も出す。
『金策か。思ったより本気で考えとるようじゃの。サンドラ達はそこまで急ぎではなかったようにも見えたんじゃが』
「彼らに定住して貰って、俺の生活水準をあげるためです。必要なことです」
『なんかお主、人間味が出てきたのう。ワシの命令を粛々とこなす眷属じゃったのに』
「アイノを助けてくれる聖竜様の命令は聞きますとも。そのためなら俺はどうなってもいい」
『……相変わらずのシスコンじゃ。いや、肉親を大切にするのは良いことじゃがの』
「そうでしょう。俺は今、アイノが目覚めた後のことを考える段階に来たことに喜びを感じています」
シスコンという単語は無視して、俺は妹が目覚めた時のことに思いを馳せる。
スローライフ、長い時間をかけて目覚めたアイノにはゆったりした生活が必要だ。
そこで英気を養い、新たな人生を始める出発点とするのである。
俺の活動の目的は全てそこにあるといっていい。
「問題はアイノの目覚める時期がわからないことですけどね」
『それに関しては、順調じゃと言っておこう』
少し前、具体的には50年くらい前から、聖竜様の言うアイノの状態は「順調」になっていた。
その前までは世界中の竜脈の世話を優先していたため、アイノの容態は変わらなかったのだが、最近になって状況に進展が見られる。
『ワシがやっているのはぐちゃぐちゃに絡まった糸を丁寧に解きほぐしておるようなものでな。竜の時間の尺度になってしまうので、時間がかかってしまうのは勘弁しておくれ』
「聖竜様が謝る必要はありません。俺は感謝しかありませんから」
サンドラをあっさり受け入れたように、聖竜様は人、いや竜がいい。
たまにこうして俺に謝罪の言葉すら口にする。
これがなければ、400年以上もここで眷属として働くことはなかっただろう。
「さて……。今度は東、海まで行ってみますか」
森の西側は大体探してしまった。後は東だ。向こうは海があるが、断崖絶壁ばかり。収穫があるかはちょっと怪しい。
『アルマスよ。的外れかもしれんが、一つ助言がある。落ちついてお前の家の周りをよく見てみるんじゃ』
「家の周りを?」
『お主は一つ目標が決まると一直線じゃが、それ故に視界が狭まることがある。気を付けよ』
「わ、わかりました」
突然の助言めいた言葉に驚いて、それ以上は答えられない。あんまりこういうことを言われたことがなかったので。
とはいえ、聖竜様の言葉だ、素直に従おう。
俺は素早く下山すると、真っ直ぐ家に向かった。
○○○
「そうか……そうだったんだ……」
自宅に戻った俺は、すぐさま聖竜様の言わんとしたことを理解した。
大事なものは、すぐそばにあった。
小屋の横に作られた、小さな畑。
そこで育てているのは、野菜では無く、数々のハーブだ。
食事の味付けに薬草代わり、薬草香として使える物まで種類は様々。
ここで採れるハーブは多様で、珍しい物も多い。
何より、この場合は産地が重要だ。
聖竜の森は世界有数の魔力が濃い地域である。
そこで育った植物は、少なくない影響を受ける。
つまり、ここで俺が育てたハーブは通常ではありえない効果を発揮するはずだ。
竜である俺にとってはただのお茶だが、人にとっては抜群の効能があるだろう。
「それと、これだな……」
俺は畑の奥で別に設けてある一画に目を向けた。
そこに生えているのは魔法草と呼ばれる希少かつ有用な植物だ。
適切な手順で加工すれば様々なポーションの原料となる。
この森でとれた魔法草はちょっと見られないくらい魔力が強い。
人の社会でかなりの価値を持つはずだ。
「まったく、なんで気づかなかったんだか……」
文明と隔絶されすぎていて、頭の切れまで鈍ってしまったらしい。
こんなのはサンドラから金策の話が出た時に気づくべきだったというのに。
ともあれ、これが有効な手段か相談しなければ。
「ありがとうございます。聖竜様」
『なに、ワシも結構楽しんでおるんじゃよ』
感謝の言葉を口にしたら、律儀な上司の返事が頭の中に響いたのだった。
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