第5話「俺は大切なことを見落とすところだった」

 屋敷の中は思った以上に綺麗だった。

 うっすら埃が積もっているが、家具などにあからさまに壊れた箇所は見た目にはない。

 玄関の向こうには地味だが堅実な造りのホールがあり、そこから一階二階の各部屋に行けるようになっていた。


「これは……一月前まで誰かが住んでいたような状態ですね……」


「念のために言っておくが、この辺りは最低400年以上人は住んでいないぞ」


 サンドラの隣にいるメイド服を着た女性の呟きに対して言う。


「すると、これは聖竜の力ということね。流石というか、凄まじいと言うべきか……」


 サンドラが驚いていた。俺だって驚きたい。こんないい家があるなんて聞いてない。


「とはいえ、掃除は必要です。全員で屋敷内を確認して掃除を始めましょう」


 メイドがてきぱきと指示を出すと、全員が屋敷内に散っていった。。

 横のサンドラも腕まくりなどをし始める。

 それを見たメイドが咎めた。


「お嬢様は掃除はいいです。アルマス様のおもてなしをしてください」


「な、リーラ! それはないわ! 私だってそのくらい手伝いたい!」


「無理です。そもそもお嬢様は「面倒くさい」といって掃除をしたことなどないでしょう。率直に言って邪魔です」


「ぐっ……」


 何も言い返せないサンドラ。図星か。というか主人に対して容赦ないメイドだな。


「最近のメイドは主人に対して強気なんだな」


「……リーラは特別なの。私の教育係も兼ねているから。私だって必要があれば手伝いくらいするというのに……」


 ぶつぶつと言いながら袖を戻すサンドラ。とりあえず、指示には従うらしい。


「なるほど。教育係か。リーラ、でいいのかな?」


「これは失礼しました。私はお嬢様の護衛兼教育係兼世話係の戦闘メイド、リーラと申します。アルマス様、私達を迎え入れてくれまして、心より感謝いたします」


 両手を懐の前に起き、静かに頭を下げるリーラ。

 その所作はきっちり仕込まれていて無駄が無く、優雅ですらある。

 しかし、


「戦闘メイドって何だ?」


 聞き慣れない言葉だ。

 

「主人の護衛と身の回りの世話をする特殊なメイドです。発祥は『嵐の時代』にまで遡る、由緒正しい職業でございます」


「そ、そうなのか。凄いな」


 自信満々に胸を張って断言された。

 その『嵐の時代』を生きていた俺が知らない職業なんだが、あまり突っ込むと面倒そうだからやめておこう。


 とはいえ、リーラの身のこなしは確かに戦う者のそれだ。

 立ち位置や動きに無駄がないし、背筋も伸びて動きもきびきび。

 耳の辺りまでの黒髪と丸っこい眉に女性らしい体型、そんな見た目で目つきに険が混じっているのだけが異様である。


「私達は屋敷の掃除をする間、大切なゲストであるアルマス様はお嬢様とご歓談して頂ければと思うのですが」


「俺もなんなら掃除も手伝うくらいのつもりだったんだが」


「流石にそれは悪い……。うん、リーラの言うとおりね。掃除くらいは自分達でやろう。それで、私は領主としてアルマスと話すべきね。ごめん、リーラ。少し冷静でなかったみたい」


 サンドラの言葉を聞くと、リーラはにっこりと笑った。


「流石ですお嬢様。では、掃除の前にお二人のお茶の用意をいたしましょう。テーブルと椅子を探してきますね」


 それは彼女の剣呑な目つきが嘘のような笑顔だった。


「お茶……お茶か……あ、待ってくれ!」


 屋敷の奥へと歩き出したリーラを呼び止める。

 俺は大切なことを見落とすところだった。


「何かございましたか?」


「お茶を用意するなら、食べ物も頼む。パンとかでいいから……お願いします」


「? ……承知しました」


 俺の心からの懇願に、リーラは怪訝な顔をしながら了承してくれた。


○○○


 リーラは非常に有能で、屋敷内からテーブルと椅子を見つけるとすぐに設置し、そのままお茶の準備をしてくれた。


 今、俺は屋敷の庭で椅子に座り、草が青々と茂る丘を見下ろしている。

 目の前には紅茶の入ったカップを前にしたサンドラ。彼女の短い金色の髪も、風に揺れている。

 

 そして俺の目の前にはチーズの乗ったパンが置かれていた。

 保存性を重視し、二度焼きした固いパンだ。チーズには火が通され、とろりとしている。


 率直に言って、美味そうだ。


「パ、パンだ……」


 436年ぶりに目にする人らしい食事に、思わず涙が零れる。ああ、俺、感動してる……。食べ物を見て泣くなんて初めてだ。


「ア、アルマス。どうしたんの、泣くなんて?」


「パンを目にするのも食べるのも、436年ぶりだ……」


「よん……」


 ちくしょう、涙で前が見えねぇからサンドラがどんな顔をしてるかわからねぇ。


「……大変な思いをしていたのね。私はいいから、久しぶりの食事を味わって」


 サンドラの声は優しかった。同情されてしまった。いや、まあいい。

 

「じゃあ、遠慮なく頂きます!」


 俺は涙をぬぐい、パンを掴み、最初の一口をかみつく。

 人間ではなくなった俺の顎も歯も衰えてはいない。堅いパンと蕩けるようなチーズが口の中に入ってくる。

 もう思い出からも消えかけていたパンの匂いが口から鼻に抜けていく。

 そしてチーズだ。たまらなく濃厚な味わいが俺の味覚を刺激する。


「うっ……ぐっ……ぐすっ……」


 気がつけば、泣きながら完食していた。

 ああ、食事ができるって素晴らしい。


「ごちそうさまでした……。食事ができるって素晴らしいことだな」


「どうやら、貴方は私の想像以上に過酷な生活をしてきたようね」


「まあな。聖竜様の眷属としての生活は楽じゃない」


 半分くらいは俺の生活能力が低いことが原因だけどな。


「パンならまだあるので、持ってこさせるけど?」


「……いや、いい。これで十分だ」


 そもそもこのパンはサンドラ達の大事な食料だ。食事をしなくても何とかなる俺は遠慮すべきだろう。


 しかし、やっぱり食事は大切だ。精神を豊かにしてくれる。身を持ってしった。

 よし、頑張ってこの子達にはここに居着いて貰おう。


「取り乱してすまなかったな。さて、このお礼に俺は何をすればいいだろうか?」


「お礼なんて、この屋敷の代金ですら私達は払いきれないくらいだし……。うん、でも、一つお願いしたいことがあるかな」


「俺に手伝えそうなことか?」


 この屋敷はあくまで聖竜様からの贈り物だ。俺は何もしてない。パンのお礼に個人的に何かしたい気分だった。


「私と一緒に散歩をして、この辺りのことを教えてちょうだい」


 サンドラの要望は、実に領主らしいものだった。

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