最終話 八重の語り

 私が最後にその墓を訪れたのは、村を発つ日の朝であった。

 老爺といつものように貝殻を拾い集め、美しいものだけを選って二人で岬へと訪れた。墓の前には、たくさんの貝殻が積み上げられ、周囲にも風で散らばっている。先に私が貝殻を供え、次に老爺が貝殻を一つ一つ、ゆっくりと置いていく。楽しかった思い出を嚙み締めるように、一つずつ頭の中で反芻しながら、貝殻とともに捧げていく。いつもなら、老爺はこのまま私を振り返って、無数の皺で満面の笑みを描き、ありがとう、そう子どものようにはにかんで、終わるはずだ。

 私は、老爺の背に向かって呼びかけた。

 ――坊、貴女様なのですね。

 振り返った老爺の顔は困惑していた。いつものように、何を言っているのか分からないとばかりに、とぼけた顔をしていた。私は構わず続けた。

 ――貴女を守るために、童子たちは、そして足の悪い海女は、嘘の噂を流したのですね。あの老爺は、比丘尼様と暮らしていた、と。

 私はね、ずっと、貴女を探していたのですよ。貴女を求めて長く世を流離い、ようやくこの村に辿りついた。

 貴女の伝説は各地に、旅の足跡のように残されております。それを巡り巡って、私はこの村へと誘われた。この地こそ、伝説の始まりの地。そしてこの村で、全ての比丘尼達は途絶えている。ここは、彼女達の旅路の果て、伝説の終わりの地でもある。

 何を怪訝な顔をなさる。無邪気な顔で、何も知らぬ童のような顔をなさってはいらっしゃるが、聞えておるのでしょう。

 私はね、この村に貴女様がいると、そのような噂を耳にして訪れた。いざ来てみると、確かに噂の源となった女が以前この村に流れ着き、棲み付いていたことは分かりましたが、既にその姿を消しておりました。私は村中の者たちに聞いて回りました。民話調査の学者であるなどと嘘を吐いて。

 件の女が、本物の八百比丘尼であったのか、それとも虚妄の類であったのか、その正体を確かめようとしました。彼女は何処に消えてしまったのか、その行方を突き止めようとしたのです。しかし、杳として知れなかった。その正体も、行方も。村の者たちから話を聞くうちに、出口のない迷宮に彷徨いこんだような気になりましたな。みな、その女について話すことが、全く異なるのです。

 この村の者達はみな、嘘をついている。その女について、それぞれが己の都合のよいように、自分勝手な嘘を。

 それが貴女様の真実を、その姿を隠し、歪め、その存在を失わせてしまっておりました。

 しかし、私は彼らの騙りを見抜き、嘘を暴くことで、真実を見出した。

 不老不死となり、八百年を生きてきたのは、貴女なのですね。

 八百比丘尼様、わたしは貴女を探して、ここに辿りついたのです。

 それにしても、一夜にして老いてしまうとは、まるで、御伽噺ではありませぬか。玉手箱でもお開けになられましたか。

 はて、眠っていらっしゃるのですか。それでは、起こして差し上げましょう。

 その名を呼んで差し上げましょう。八百年の長きにわたり、貴女様が名乗り続けた名。歴史の陰に埋もれ、忘れ去られた名。貴女様が失ってしまった名を。私が唄って差し上げましょう。白比丘尼の一族に唄い継がれる子守唄を。

 私が名を含めた子守唄を唄い始めると、凪いでいた岬に風が吹き始めた。

 風は、老爺の顔を長い真っ白な髪で隠した。その髪が老いさらばえた手でかきあげられたとき、老爺の顔は一変していた。私は文字通り、言葉を失った。その顔を言葉にすることなどできはしない。夥しい皺がわくわくと蠕動し、その一本一本が蠢いていた。喜怒哀楽のあらゆる表情とも判別の付かない、いや、あらゆる表情が一斉に顕現した顔であった。

 老爺はゆらゆらと背を伸ばすと、先ほどの子どもじみた喋り方とは異なる、洞窟の奥底から微かに漏れ出すような呻き声を発した。

 なぜ、私を起こそうとする、旅のお方。

 甘やかな童子の夢を見ておったというのに。

 この八重に、いったい何の用があるのというのじゃ。

 その目を覗き込もうとして、私はひるみ、目を逸らした。

 私としては珍しいことであった。目を覗きむことこそが、我が語りの極意の一つ。これまで無数の目を覗き込んできた私が、思わず目を逸らしてしまうほどの深い闇が、そこに感じられた。いつもは相手の目を見ることで魂ごと呑み込んできた私が、呑まれてしまう、そう感じたのである。唇の震えを意識しながら、私は神錆びた声を聴いた。

 そう、我は八百比丘尼よ。八百年を越えて世を彷徨ってきた尼僧よ。

 言わずとも分かっておる。そなたの目的などな。愚かなことよ。振り払っても振り払っても、いつの世も同じ目的で我を探し求めるものたちがおる。

 不老不死の霊薬を、探しておるのだろう。

 何、違うと申すか。不老不死の霊薬など求めていない、と。では何用じゃ。何のために私を探し出し、目覚めさせたというのだ。答え次第によっては、呪詛の叫びでそなたを生涯を苦しめてやろう、心して答えるが良い。

 なんと、人魚、じゃと。

 そなた、人魚を探し求めておるというのか。

 私は話した。これまで世を流離いながら、人魚の欠片を集めてきたことを。各地に散らばる数多の人魚の噂、言い伝え、民話の類から、人魚に纏わる品々、絵画骨董から木乃伊までを探し求めて旅をしてきたことを。

 して、人魚を探し出して、どうするつもりじゃ。我のように、人魚の心臓を食らえば、不老不死になることができる。やはり不老不死の神薬が欲しいのではないか。それとも他の霊薬…血か、肉か、骨か――。

 私は答える。

 欲しいものはそのようなものではない、知りたいのはそのようなことではない、と。

 違うと申すか。では、何が欲しい、何が知りたいのじゃ。

 私は問うた。

 人魚は何処に行けばあえる、何処に棲んでいるのか。私は、ただ、人魚に会いたいのだ。八百比丘尼様、貴女様は人魚を食らって永遠の命を手にしたのであろう。貴女様は、人魚と出会い、その目で見たのであろう。そしてその命を奪ったのであろう。人魚の血は万病を治し、その心臓は不老不死をもたらす、その伝説を信じ、人魚を殺めたのであろう。

 老婆は答えた。

 そう、確かに我は食らった。永遠の命をもたらす神薬を。永遠の苦しみを、悲しみをもたらす神の薬を。それは、人魚の心臓。半身を鱗で覆われた、生きた人魚の心の臓。それこそが、我を永遠を生きる化生へと転生させたのじゃ。

 では、確かに…。

 ああ、無論じゃ。人魚は確かにこの世におる。だが、そなたが会うことは決してできぬわい。

 …なぜ?

 なぜ? そなたは知っておるはず。人魚に纏わる、無数の伝説を集めてきたのであろう。それらの逸話を、集めてきたのだろう。

 では言おう。それなのに、実際に人魚を見たことのあるものは、いなかったであろう。伝説を辿っても、本当に人魚を捕えたものはいなかった、或いは嘘であっただろう。人魚の欠片はあっても、その似姿を象ったものはあっても、生きた人魚そのものには、未だ辿り着けずにおるのだろう。

 私は頷く。

 なぜか、分かるか。

 私は首を振る。

 人魚はの、生まれながらにして、その五体を切り裂かれ、引き裂かれておるのよ。人魚とはそもそも、八つ裂きのままでこの世に産み落とされたのよ。何と悲しい、何と不憫な生き物よ。

 そなたは知っておるであろう。人魚とは、その全身、あらゆる部位に、霊性を宿し、霊験を秘めている。人魚の心臓とは不老不死の神薬。だがそれは、欠片でしかない。その肝臓は万病に効く霊薬として、血は痛みを忘れさせる秘薬として、鱗も、髪も、内臓も、爪も、肉も、骨も、眼も、涙も、それら全てが、何らかの奇跡を起こすことのできるもの。

 人魚の破片には数多の伝説が纏わり、実しやかに語り継がれている。しかし…

 人魚の声だけは、誰も聴いたことがない。

 その言葉に、耳を傾けたものはいない。

 人魚の悲しみは、語られることはない。痛みは語られることはない。悲憤も、憤怒も、語られることはない。人の無数の願いを叶え、祈りのままに、欲望のままに、姿を変えたというのに、欲望に引き裂かれて死んだ人魚の心は、言葉は、悲鳴は、願いは、誰にも届きはしない。

 人魚は見つけたときには、既に殺されてしまっておる。語られるときには、すでにバラバラにされておる。生まれたときには、既に死んでしまっておるのじゃよ。

 そなたが人魚にあえることは、永遠にない。その声を、その言葉を聴こうとせぬからよ。それでも、もし人魚に会おうと思うのならば、我と同じようになるしかない。我が人魚の心臓を食らい、人魚となったように、我が心臓を食らい、永久に生きる不老不死のものとなるしかない。

 どうじゃ、食らってみるか。

 そう、私は確かに人魚を、その心臓を食らった。そして不老不死となって、世を流離ってきた。これまで、幾たびも、幾たびも死んできた、殺されてきた、無残な死、非業の死、無念の死、後悔の死、あらゆる死を体験しては、また蘇ってきた。殺されても、殺されても、私は死ねぬのよ。また新たな体で、名で、場所で、時代で、蘇ってしまうのじゃ。

 挙句の果てがこの体よ。

 八百比丘尼はそういうと、その身に纏った襤褸を脱ぎ捨てた。

 みやれ、この体を。おぬしに分かるか。我が体は、もはや骨一本、血の一滴、髪も、爪も、肉の一欠けらさえ残されておらぬ。四肢は切り裂かれ、臓物は食らい尽くされ、眼球は抉り出され、血も骨も奪われ、しゃぶりつくされてしもうた。残っているのは、全身を覆う、無数の傷跡、焼かれ、切られ、殴られ、腐れ、あらゆる死をもたらした傷跡と鱗のような瘡だけが、体中を隈なく覆いつくしておる。癒えることのない痛みだけが、我が魂を覆い尽くしている。

 それでも、我は死ぬことができぬのよ。永遠に死に続けねばならぬのよ。

 その傷跡の奥に、魂の座する、唯一つ、誰も私から奪えなかった心の臓だけが脈打っているのじゃ。これまでも多くの人間が、神薬を求めて私を訪ねてきた。だが、この体を見て、不老不死を望むものなどおらぬわ。

 ――そう、人魚を食らいて不老不死になった我は、人魚と間違われて、殺され続けてきたのじゃ。殺されるたびに傷つけられ、血を吸われ、肉を抉られてきた。絶えることのない傷跡と、後から後から剥がされる瘡が、鱗のように体中を覆っていった。

 今では、その傷跡と痛みだけで、我が体は象られておる。

 食らってみるか。我が体に唯一残された、傷跡の奥底で疼くように脈打つ心臓を。痛みに引き攣れ、寒さに凍り付き、灼熱に焦がされ続ける、この心の臓――心のみ。これを食らえば、永遠の命を得ることができる。だが、この我が体こそが、永遠の命の末路よ。それでも、食らってみるか―。


 私が襤褸を脱ぎ棄てた老婆の裸身に見たのは、肉でも骨でもなかった。それはおびただしい傷跡であった。焼け焦げた跡、切り裂かれた傷、潰された痕跡…生々しい無数の傷跡だけが全身を覆いつくし、引き攣れ、わくわくと蠕動しながら老婆の体を象っていたのを、私は確かに見たのだ。

 

 ――ふふ、震えておるのか。我が体を見て。

 永遠、そう永遠か。誰もがそれを求めよる。だがの、人が人を食らって生きる世こそ、抜け出すことのできぬ永遠の輪廻の形をしておるのよ。

 だから、もう、我を起こすな。我は眠りたいのだ。死ねぬのなら、眠るしかあるまい。眠っている間、私は夢を見ている。童子になった夢よ。童子が集めてくれた夢よ。

 私はただ、心地よい夢を見続けていたいのだ。夢の中で甘やかな記憶だけを反芻しながら、眠り続けていたいのだ。波と砂の音だけが、子守歌となって永遠をかき消してくれる。波打ち際で、夢みる童子に返り、貝殻と共に美しい思い出だけを拾い集めながら生きていきたいのだ。夢の中で童子が貝殻と共に捧げてくれる美しい夢を見続けることだけが、私の願い。

 だから、もう、私を起こすな。我が名を、忘れよ。

 ああ、少し話しすぎた。

 もう、表に出てくることはあるまい。誰かに名を、呼ばれぬ限りな。

 ほれ、風の向きが変わって、聞えてきたようじゃ。

 さあ、もう去るがよい。そなたが求めているものの破片は、人魚の心臓は、見つかったであろう。だが、そのようなものを求めてどうする。各地に散らばった人魚の破片、其の伝説を集めて何とする。出来上がるのは、一体の、物言わぬ聖なる非業の骸だけ――。

 …そうか、それこそが、そなたの願いか。

 ならば行くがよい。それがそなたの業であるというなら、旅を続けるがよい。

 この私でも、その旅の結末がどのようなものになるかは分からぬ。

 旅のお方。どうやらそなたは、人魚の持つ毒にやられてしまっておるようじゃ。さらに長い旅になる。先達としての忠告じゃ。

 くれぐれも、輪廻の輪に取り込まれてしまわぬようにするのじゃな…。 

 ほれ、聞こえてきたであろう。童子どもがやってきおる。我がために、教えてやった唄を唄ってくれるであろう。その唄を聴きながら、わしはまた眠りに付くことにしよう…。


 遠くから風に乗って、微かに童子たちの声が聞こえてきた。唄を唄っていた。八百年と唄われ続けてきた童歌。数多の言葉を乗せて歌い継がれてきた子守唄。その唄声が近づいてくるのを聞きながら、私はそっとその場を後にした。

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八百比丘尼の引攣れ 八咫朗 @8ta

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