第八話 比丘尼の語り

 吾子よ。

 私は長い旅をしてきた。途方もなく、長い旅を。千年にも及ぶ旅を。その果てに、私は今、立っている。私の旅も、ついに終わろうとしている。

 産まず女である私が孕んだ、愛しき吾子よ。旅が終わる前に、語って聞かせたい話がある。それは、私の旅の遍歴。私はかつてそなたを失い、忘れた。忘れたことさえ忘れてしまい、旅をしてきた。しかし旅する中で、私はそなたを探すようになった。失ってしまった、忘れてしまったそなたを。

 そしてついに、私は見つけた。そなたは、私の内に、腹の中におったのだ。かつて忘れ、失い、探し続けたそなたを、旅路の果てでようやく孕んだのだ。

 そなたをこの世に産み落とす前に、私が暗渠に飲まれてしまう前に、話しておきたいのだ。我が非業の一族のことを。そしてそなたを宿した母の想いを。

 私は物心が付いた頃には、既に白比丘尼の一族として世を旅しておった。幾つぐらいのころであったのか。もっとも古い記憶は、三つか四つの頃であったろう。先達の白比丘尼の御付きとして手を引かれ、時に背負われて旅をしていたことを覚えている。だが、いつから白比丘尼の一族にいるのか、自分が何処で生まれたのか、母や父は誰なのか、それらの記憶は一切なかった。先達に幾ら聞いても、教えてはくれなんだ。

 一族の女たちは入れ替わりはありながら、常時、数十人に及ぶ。女たちは各地に散って世を流離い、苦しむ女たちを救い、その生の語りを聞き集めていた。一族の女たちは皆、私に優しかった。一族に幼子は私だけであり、みなからは姫などと呼ばれて可愛がられておった。

 長じて一族を率いるようになってからも、みなよく尽くしてくれた。

 一族の女はみな産まず女であり、私はそんな中にあって、たった一人の童女であったので、やはり吾子のようで愛しかったのであろうな。

 その頃、私は八重という名を名乗っておった。いや、私だけではない。白比丘尼の一族の女たちは皆、八重の名を名乗ることになっておった。一族に入るときには過去の名を捨て、その名を受け継ぐことが掟として定められておったのよ。

 その名はな、白比丘尼の初代様の名よ。

 なぜか、か。それはの、名を一にすることで、一族の過去も、記憶も一つにするためよ。私たちは互いに語り合い、耳を傾け合い、経験を交わして語り部として修練を積むことを課せられておった。女たちを救い出すためには、説法や念仏などよりも、血の通った経験こそが意味を成すとされておったからよ。

 ただ、一人で世を渡っているときはそれぞれが八重を名乗ればよいが、一族同士が集まる場、年に一度の法会のときなどでは同じ名では困る。そこで一族の女たちは、内内で通用する渾名それぞれ定めておった。八重を名乗る前の名ではない。一族に入ってから付けられた新たな名よ。それもまた、一族に入るときに付ける事になっていた。全ての語りを受け継ぐ、一族を率いる長だけが、法会では八重の名を許されることになっていた。

 私は御付きとして旅をしていたが、先達は五年から十年ほどで入れ替わっておった。私は幼い頃から姫と呼ばれ、一族の女たちの間を回りながら、各地を巡った。長じて八重の名を継いで一人で旅をできるようになるまでは、先達を師として白比丘尼になる修練を積みながらの旅路であった。

 修練は厳しかったが、先達達はみな本当に、私のことを考えてくれていた。おそらく幼い頃から、みなは私を一族の長にすることを決めておったのだろう。だから私を姫と呼び、幼い時分の我侭にも答え、時には身を挺して尽くしてくれたのだろう。

 その頃は、一族の中でのことしか知らず、また幼かったこともあって、何の疑問も持たずに過ごしておった。無論、自分の奇妙な出自や、一族の掟の意味、己に科せられた定めなどにも思いを巡らせることはなかった。

 だが、長じてくるにつれ、色々なことを考えるようになる。一族の女として生きていれば、旅から旅へ、人から人への日々。世間のことに関しては、普通のものたちよりも遥かに詳しくなる。先達の御付きとして女たちの涙ながらの語りを聞くような暮らしをしていれば、人というものの業もよく見えるようになってくる。白比丘尼とは、互いに語り継ぐことを生業とする一族。数多の世を渡り、語って聞かせ、また聞かされるうちに、次第に己自身や一族そのものに対しても考えるようになる。一族とは何か、私とは何者であるのか、とな。

 よくよく考えれば、なぜ己が一族にいるのか、ということからして不思議であった。他の一族の女たちに比べても、不思議なことばかりであった。

 なぜ私は特別扱いされるのか。

 なぜ私は幼い頃より一族を束ねる定めを背負わせているのか。

 いや、そもそもなぜ私一人だけが、幼い頃より一族に入れられていたのか。

 数多のことを語り聞かせてくれる一族の女たちが、これだけは誰も何も教えてくれようとはせん。

 まず、一族の女は産まず女でなければならぬという固い掟があるにも拘らず、幼い私が一人だけ一族にいるのがおかしい。そうであろう。白比丘尼の一族とは、そもそもにして非業の定めを背負ったものたち。世で子を為せぬ産まず女だと蔑まれ、疎まれ、離縁された女たちを、各地を旅した白比丘尼が見つけ、そして一族として加えていくことになっておった。産まず女であるかどうかが分かるには、一度は嫁がねばならぬ。少なくとも、年端もいかない幼い時分で、産まず女かどうかなど分かるはずがない。そう考えてみれば、一族に他に幼子がいないのは当然のこと。

 他の白比丘尼はみな、子を産めぬ女でなければならなかった。

 それなのになぜ私だけ、子を産めぬかどうかも分からぬ年端もいかぬ頃から、一族におるのだ。私は白比丘尼という異端の一族の中でも、たった一人の異端であった。幼くして一族の長となることをを定められた、異端の姫であった。

 そのような疑問を抱き始めた頃、私はこのように考えていた。

 自らを産まず女だと思っていた一族の女が、子ができにくい体であっただけで、産まず女ではなかった。その女が子を孕み、産み落としたのだろう。そして掟に背いたため、私を残して一族を追われたのではないか、と。 

 だが後に、それは違うことが分かった。なぜなら、産まず女とされて一族に加わった女が子を孕んでしまう事は稀にあったからだ。夫と暮らしていたときには何年経とうと子を孕まなかった女が、一族に入って白比丘尼として世を流離ううちに、どういうわけか孕んでしまうのだ。白比丘尼は確かに男と肌を合わせることも多い。お役目の一つでもあるが、こればかりは神仏の思し召しだから仕方が無い。或いは原因は女ではなく、男にあることもあるのだからな。

 そんな場合、一族の掟では決まっていた。

 子ども共々一族を追放、とな。

 掟は厳格であった。私はそうして、幼い子供らと一族を抜けていく女たちを何人もみることになった。仲のよかったものも多い。

 ただ言うておくが、追放といっても、それは祝福されたものであった。女たちは一族におるうちに、世を渡る生業を身に付けることができる。子ができたなら、子の父親と生きていくも良し、生業によって稼ぎながら世を渡り、新しい夫を探すも良し、それは思うままであった。抜けるときの掟は唯一つ、一族としての過去を忘れること。子を産むのは母の命を危うくする一大事。一族の者たちはみな、期せずして孕んだ女が、無事に子を産むまで親身になって世話をし、産婆としての技を注いで見届けた。子が生まれると、ともに泣いて喜んだ。そうして身辺が落ち着くまでは、しっかりと面倒をみてやっていたのだ。金などの負担も、すべて一族で負っていた。

 祝福のまま、できる限りの心付けとともに、安心して親子を送り出してやることが、一族にとっての追放であった。

 一族の女が私を産み落としたのであれば、一緒に追放されているはず。そうでないことは、母が一族の庇護の下で私を産み落とした後、死んでしまったからではないか――一時期は、そう考えておった。だから私は母を知らず、他のもののように、一族に加わる前の名がなかったのではないか、とな。

 だからその当時は、己が子を孕んだら、一族を追放されてしまうのではないか、そう思っておった。

 だがそれでは、私を一族の長とすべく育てている意味がなくなってしまう。どうにも釈然としない思いを抱きながら、私は己を納得させて過ごしておったのだ。

 そもそも、なぜ一族のものは産まず女でなければならないのか。それは最も固い掟。その掟の理由を、先達に尋ねたことがある。その理由はこのようなものであった。

 まず一つは、産まず女は子が産めぬという非業を背負っているため、女たちの哀しみや苦しみをわかってやれる、ということ。白比丘尼の役割は、子を産めぬ女たちに生業を授け、世間での経験を積ませて生きていく力を養わせる、というものであること。それらが理由であった。だが、もう一つ、白比丘尼一族の特異な生業が関係した理由があった。 

 子を産めぬということは、己の中にどうしても埋めることのできないぽっかりとした洞があるということ。その洞を放っておけば、己の内にある虚ろな闇へと己自身を引きずり込み、飲み込んでしまう危険がある。だが白比丘尼としての修練を積めば、その暗渠の洞に、無数の人々の過去や想い、記憶、生の語りを入れることができ、他者の魂を降ろすこともできる、というのだ。

 それは普通の女ではできない。産まず女にしかできない、天に授けられたお役目なのだという。 

 それを聞かされたとき、私は幼いなりに、何となく言うていることの意味がわかった。白比丘尼としての修練を積みながら、私ははっきりと自覚するようになっておった。己の内、奥底にある深遠なる暗渠を。

 おかしいであろう。自分が産まず女であるかも分からぬというのに、私は己の内に、産まず女が持つという洞を自覚しておったのだから。

 そのことを話すと他の白比丘尼は喜び、天から授かった次代のお役目様じゃ、定めじゃ何じゃというて騒いでおった。私はそんな声を聞きながら、これで産まず女でなければどうするつもりなのだ、追放するのか、そんなことを思っておった。

 だがの、私は産まず女であったのよ。本当に紛れも無く。といっても男と交わったからそれが分かったのではない。嘘ではない。私はどうもそのような気持ちが分からなかった。男と肌を合わせたいというような想いが、他の女たちより弱かった。むしろ、男と交わるなど、気持ちの悪いほどであった。だから閨ごとの技は覚えさせられたものの、男相手にそれを行うのは好きではなかった。技の修練のため、一族の女たちに体を弄ばれるのは心地よかったがな。

 ではなぜ、産まず女であることが分かったのか。それは簡単。月のものがいくら待っても来なかったからよ。十五になっても、十八になっても、一向に月のものが訪れることはなかった。そればかりか、乳房も他の女子のようにさほど大きくはならなかった。舞の修練のため、柔らかくしなやかな筋肉の付いた体は誰よりも美しく強靭で、他の白比丘尼たちはうっとりとして眺めておったがな。乳房だけは小さいままであった。まるで子を孕めぬという白比丘尼の法を象徴するかのように。

 自分はどうやら本当に産まず女らしい、そう悟ったときは、さすがに驚いた。

 だが、旅をするうちに、受け入れるようになっておった。

 ――そういった宿命の元に生まれたのだろう、と。

 かつての疑問など忘れ、いつしかそう納得するようになっていった。

 月のものの件もそうだが、己が生まれついての白比丘尼の一族である、そう思えるようなことが、いや、そうとしか思えぬことが私には多くあったのだ。

 幼い頃より先達らに付き従い、修練を積みながら世を渡ってきた私は確かに生粋の白比丘尼といってもいい存在であった。

 私の声は誰よりも美しく、筋肉はしなやかであり、歌舞で叶うものはいなかった。だが、それだけではない。私は白比丘尼としての天賦の才に恵まれていたのだ。

 私はの、己というものに、いつもどこか違和感があった。

 己が己ではないような、己が己以外の何者かであるような、そんな奇妙で虚ろな思いが、常に己の内にあった。先に話したように、己の奥底に、埋めることのできぬ暗渠がぽっかりとあることを、物心が付いた頃には意識しておった。

 白比丘尼の一族の極意とは、その暗渠に無数の継承されてきた生を、星のよう散りばめていくこと。そうして自在に取り出すことのできる技を身につけること。

 長じるにつれ、私はその洞の存在をますます鮮明に捕らえられるようになった。他の白比丘尼よりも遥かに広く、深く、その洞を扱えるようになっていった。やがてその暗渠は無限の深さを、広がりを持つようになった。

 私はその暗渠に、あらゆる記憶を自在に散りばめることができた。語られたことを幾らでも覚えておくことができた。

 そうして私は、一族に受け継がれてきた長い長い無数の語りを、誰よりも膨大に引き継いでいったのだ。かつての白比丘尼達の記憶を束ねるほどに。

 霊降ろしもそうであった。うろになってしまえば、誰の魂でも容易に降ろすことができた。己を器にして魂を降ろすには、自分という衣を脱ぎ去り、暗渠の深くに潜っていかなければならない。霊降ろしとはいっても、霊は天から降ってくるものではない。その声も、想いも、天から降ってきたりはせぬ。それは己の内なる暗渠、その底知れぬ奥底から泡のように湧き上がってくる。恐らくはその暗渠の先が、冥界へ繋がっておるのであろう。一族の言い伝えでは、その暗渠の奥底は、他の白比丘尼たちの暗渠とも繋がっているのだという。互いに語り聞かせることで、暗渠をつなげる事ができるのだと。冥府の先に自らが降りていくのは禁忌とされている。ひとたび降りれば、冥界に引きずり込まれ、もう二度と戻ってこれぬ、と。だが私、誰よりも深く、その暗渠に潜っていくことができたのだ。

 その才は、恐らくは、私が幼い頃より一族のものとして生きてきたことも関係していると思われた。他のもの達はみな、一族に加わるまでの過去を持ち、名を持っている。自らのことを語りつくし、一族に加わることで、名も過去も一度捨て去ってしまう。だが、捨てたといってもそうそう忘れることはできまい。例え忘れたとしても、魂を象る器として、それまでの生は己に刻み込まれている。だが私にはそれがなかった。名も、過去も、一族に生まれてからのものだ。そう考えてみると、他のものたちに比べて、暗渠が深く広いのも当然であろう。幼少より白比丘尼としての修練を積み、様々な生を語り、また生を語られ、幾多の魂を降ろしてきた。都合のよいように、己の器の形を変えながら、魂を象ってきた。

 それができたのは、己がそもそも空っぽの暗渠のようなものだったからじゃ。

 そうした定めを受け入れてからは、白比丘尼の末裔として自らを律するようになった。長じてからは、他のものと同じように、八重として旅をするようになり、やがて一族を束ねる御役目を継いだ。旅をする中で、数多の女たちの生と交わった。一族に入り、抜けていったものたちも数知れない。旅先で出会う女たちの悲しみに耳を傾け、慰め、諭し、教え、新たに送り出してやる。一族に連れてこられたときには一切の自信を失い、己が生きていく価値も、生きている意味もないと思い込んでいるものも多かった。そんな女たちが、一族を抜けるときには、悲しみ分け合ったものたちとして涙を流して感謝し、別れを惜しみ、それでも精一杯の笑顔を向けて、振り返り振り返りしながら旅立つのだ。無論、不安だからではない。別れることが辛いのよ。忘れなければならぬことが悲しいのよ。

 それでも見送る側も、見送られる側も、それはやはり幸福な瞬間であった。

 そう、旅は辛かったが、だからこそ楽しいことも多かった。

 だが、私が長となって他の白比丘尼を束ね、旅を続けるうちに、一族に奇妙なことが起こり始めたのだ。

 少しずつ、一族の者たちが行方知れずになっていくのよ。

 少数ながらも、人が入れ替わりながら、数百年もの間、連綿と続いてきた白比丘尼の一族。確かに旅先で一族のものが死んだり、行方不明になったり、抜け出したりすることもないではなかった。だが、ある頃から、旅先で消息を絶ち、行方不明になるもの数が急激に増え始めたのだ。

 一年に一度の法会の度に、数人の白比丘尼が姿を消していくのじゃ。足取りを辿るために使わしたものも、いつのまにか消息が途絶えてしまう。しかも年々、その行方不明者の数は増すばかり。何が起こっているのかわからぬまま、一族の女たちは怯えながら旅をするようになった。

 わずか数年の間に、かつては三十人を超えていた白比丘尼の一族が、十数人にまで減っておった。

 私は恐ろしくなり、原因を究明しようとした。残った一族の者たちを、消息不明の者たちの足取りを辿らせるために各地に散らばらせた。

 しかし次の年であった。決められていた場所に法会のために訪れたのは、この私だけであった。

 何と、十人もの白比丘尼が、一斉に姿を消したのだ。


 一人になった私は愕然とし、途方にくれた。どうしていいのか分からず、しばらくは泣き暮らしておった。だが更なる悲しい運命が私を待っていた。

 私は病を得たのだ。たった一人の白比丘尼となって程なくして。

 それは、語りを集める一族の長である私が得た業病。

 己が誰であるのか、見失ってしまう病。

 病に気付いたのは、ちょっとした違和感からであった。一瞬、自分が八重という名であることを忘れていたのよ。すぐに思い出したが、そのときは、物忘れのひどいものであるとしか考えなかった。だが、そういったことが、次第に増えていくのだ。さっきまで話していたことを思い出せない、自分が何処に向かっていたのか分からなくなる、人の名前どころか、自分の名もすぐに出てこなくなってしまう、慌てて自分の名を思い出そうとすると、何と自分が白比丘尼の一族であることも一瞬忘れてしまっている。数秒後に思い出して、愕然とするのだ。一体、私は何処まで忘れてしまうというのか、と。

 そんなときの恐怖、そして恐怖の後の虚無感は生半可なものではなかった。自分という存在が分からなくなるのだからな。

 症状そのものは、年を経た老人達が罹るような呆けに近い。しかし私はまだまだ若く、三十を越えたばかりの頃であった。

 だから思ったのだよ。

 これは業病である、と。この病には、恐らくは一族の生業が深く関係している、と。無数の魂を降ろし、他者になりきる。数多の生を我が物として己の内に宿し、女たちに説法する。そうする中で、ときどき私は、自分が誰であるか分からなくなることがあった。己の魂、人格を取り戻すのに、時間がかかってしまうのだ。そのときは、深く暗渠にもぐり過ぎたためであろうと思い、気にも留めなかったが、それが病の予兆であったのだ。

 もしかすると、行方不明になったものたちも、この奇妙な病に罹ったのではないか、そんなことも考えた。自分が白比丘尼の一族であることを忘れてしまい、そのまま戻ってこれなくなったのではないか、とな。

 それが正しいかどうかは分からぬが、このままではまずいことだけは分かる。少しずつ、自分を一瞬見失う頻度は増えていたし、その時間も一瞬と呼ぶには長くなってきていた。

 とにかく病を治さねばならない。病根を探し出し、薬草によってか、手業によってか、この病に歯止めをかけなければならない。だが、その術の見当も付かなかった。

 考えた末、私は一つの仮定をした。この病の原因の一端は、一族の生業にあること。また、これまで一族のものの誰も、このような病に罹ったことがないことから、恐らくは白比丘尼としての、自らの突出した才が関係していること。

 他の白比丘尼と己との違い、己にだけ突出した才をもたらしたであろうその差異。それは、自分が白比丘尼以前の己の過去の根源を知らぬことにこそある、と。

 先に語ったように、他のものたちは一族になる前の過去と名前がある。しかし私には、一族としての過去しかない。姫という呼び名の他には、八重という名しかない。そのことが、一族きっての暗渠の深さと広がりを持つ才覚の源であり、同時に病の要因でもあるのではないか、とな。

 私は一度、白比丘尼としての御役目を封印し、当て所のない旅に出た。それは自分がいつ何処で生まれ、何と名づけられ、いつ一族に加わったのか、秘められた過去を探し、失った名を取り戻す旅であった。

 八重という名を隠し、白比丘尼と名乗ることをやめたのには、各地で行方不明になった一族たちのことを考えた結果でもあった。これだけ急激に一族の者たちがいなくなるということは、白比丘尼を一族として狙っている者たちがいるのではないか、そう考えたからだ。また各地を旅する白比丘尼が一斉に姿を消していることから、我らを狙う者達もまた、百人規模の確かな一味、或いは一族として存在するはず。その見えざる追手から逃れようとしたのだ。

 私はただの旅の比丘尼として、世を流離うようになった。いや、流離うのではない。探していたのだ、私は。先達たちに語られたことから、一族の遍歴を辿ることはできる。私が最初に記憶している先達、先代の長の足取りも、時を遡って追うことができる。その地を巡れば、己の根源、己が生まれて一族に加わるまでの過去に、辿り着くことができるのではないか。

 かつて一度は、運命の元に生まれたのだと納得した。自分にそう言い聞かせ、抱いた疑問を考えぬようにした。やがては疑問に思ったことさえ忘れていた。

 だが、これが運命だというなら、最後の末裔となり、しかも業病に侵されて野垂れ死ぬのが運命であるというなら、そんなものは運命などとは認めぬ。

 そう、私は白比丘尼の一族にしてその最後の長、運命に抗う女たちを支え、語り伝えてきた一族の末裔なのだ。その私が、運命なんぞという得体の知れぬものに屈してたまるものか。

 なぜ私は、一族で唯一人の童女であったのか。

 なぜ、幼い頃より一族を束ねる定めを背負わされていたのか。

 なぜ、生まれついての産まず女だと分かっていたのか。

 なぜ、一族の者たちも、先代の長も、我が出自を黙して語ろうとしなかったのか。

 私は何処で生まれ、何と名づけられ、いつ一族に加わったのか。

 私はようやく、気付きながら知らぬ振りをしていた己の運命と向き合うことを、決意したのだ。


 名を取り戻す旅を続ける間も、ゆっくりと病は私を蝕んでいった。足取りを辿り、私は各地を巡った。八重という名を隠し、白比丘尼であることも隠し、一介の旅の尼僧として。そしてついに、この村に行き着いたのだ。

 この村に辿り着いたときには、既に八重という名は殆ど忘れていた。白比丘尼であることも微かに覚えている程度で、満月の夜に正気に戻るとき以外は、既に私は私ではなくなっていた。ただ、己の失った名と、過去を探している、という目的だけが鮮明に頭の中に渦巻いていた。

 かつて私が美しい記憶を、生を星のようにちりばめていた暗渠は、すべての星を飲み込み、記憶を奪い、ただただ真っ暗な深遠を覗かせていた。

 自分が誰であるか分からなくなるという激しい恐怖が常に私を苛み、さらに、新たな症状が私を苦しめておった。それは、誰であるか分からぬ己が、それまで語り聴かされてきた他人の魂に支配されてしまう、ということ。そう、魂が虚ろになってしまったため、その空っぽの器をそれまで憑依させてきた魂や、受け継いできた女たちの過去に乗っ取られてしまうのだ。それはいつ何時起こるかわからぬうえ、誰になるのかも予測できない。暗渠の奥底から、泡のように記憶が浮かび上がってきて、その記憶に纏わる人格に憑依されてしまう。

 それもしばらくするとまた新たな泡が浮かび上がってきて、さっきのことなど忘れてしまったかのように、別の名を名乗るのだ。しばらくすると、また異なる泡がぶくぶくと浮かんで、弾けてしまう。

 弾ける記憶は、決まって辛い、悲しい、苦しい、悪夢のようなものが殆どであった。その記憶の泡が表層まで浮かび上がり、大きく弾けることが切っ掛けとなって、我が魂も名も過去も、突然入れ替わってしまうのだ。そんなことが数週間に一度は繰り返されるようになっていた。

 そう、泡のように浮かび上がっては弾ける、無数の悲しみ、痛み、苦しみ、憎悪の記憶、そして名前。自分が誰であるか分からず、いつ誰になってしまうのかも分からぬ不安。突如巻き起こる感情の爆発。それらが私を苦しめていた。

 だが、この村を訪れたとき、私はこの洞窟に誘われるようにして辿り着いた。この洞窟から、女の泣き声、悲鳴、話し声のような音が風に乗って流れてくるのが聴こえたからだ。私はその声を手繰り、この洞窟へと迷い込んだのだ。

 この洞窟の中で、私は微かな安らぎを得た。

 女の泣き声が、なぜ私に安らぎを与えたのか、分からぬであろう。

 それはの、洞窟の中から聴こえてくる女の声が、まるで私に話しかけているように聴こえたからよ。他人の話に耳を傾けているとき、そのときだけは、自分が自分以外の何者でもないことが実感できた。たとえ自分が誰であるか分からずとも、今、話を聴いている確かな自分が存在するのだからな。

 洞窟の中にいると、あちらこちらから無数の声が流れてくる。幾つもの風の流れ、反響する声、洞窟が奥深く、しかも複雑に入り組んでいることが分かった。洞窟の中の反響音、それに耳を傾けていると、私の夥しい記憶の中で、ただの音が声になる、声が言葉になる、言葉が語りになり、かつて聴いていた話となって形を結び、私に誰かが語りかけているような気になるのだ。その話に耳を傾けている間だけは、ともに泣き、笑い、怒り、諭し、宥め、励ましてやることで、自分が白比丘尼であったことを思い出すことができた。それもまた、一族の業であったのだろうが。

 この洞窟で一息ついた私は、病を隠しつつ、この村のものたちと交流した。身分を隠したままだが、一介の旅の比丘尼として、女たちの苦しみを聞いて助言を与えてやった。かといって、病が治ったわけではない。進行を緩めることはできたものの、ゆっくりとではあるが、私を蝕んでいることに変わりはなかった。不安が消え去ったわけでもなく、過去の忌まわしい記憶に怯える日々も変わりはしない。もはや手がかりは途切れ、己の過去など影も形も見つからぬ。後はゆっくりと己を失い、暗渠に飲まれ、気が狂うて野垂れ死ぬだけであろう、そう覚悟を決めていた。


 吾子よ、そなたの存在に気付いたのは、その頃であった。

 この洞窟と社に棲み付くようになり、日がな波の音、風の音を聞き、潮の香りを嗅いでいるうちに、どこか記憶の片隅が鮮明になっていく。記憶の奥底で小さな光が瞬き、表面に微かな漣が立てられているのがわかった。私は恐れていた暗渠に、その光を頼りに潜り、そこで気付いたのだ。

 己の内に、いつからか幼いそなたを孕んでいることに。

 私はそなたが誰かわからなかった。名も覚えていなかった。いつ何処で語り聞かされた生なのかも全く分からなかった。

 そなたの存在に気付いた私は、そなたを気にかけ、探し、様子を見るようになった。そして分かったのは、そなたが私と同じように、悪い夢に怯えている、ということ。ぶくぶくと浮かび上がってくる悪夢、他人の記憶を怖がり、隠れている、ということ。そして私が苦しんでいると、その泡のあおりを受けて、私と同様に泣き叫んでいるのだ。かつては自分のことで手一杯で、私の影で泣き叫ぶそなたに気付かなかった。しかし気付いてから、私はそなたをあやしてやるようになった。悪夢を見ないように唄を歌い、記憶の片隅から、美しい思い出、記憶を拾い上げては、話してやるのだ。そうしてやると、そなたは輝かんばかりの笑顔を私に向けてくれた。

 全てをあきらめかけ、絶望した私にとって、そなたはまさしく光であった。広大無辺の暗渠の中で見つけた、一粒の光であった。そなたがいれば、暗渠の中で自分の場所が分かった。自分を見失いそうなとき、暗渠の奥底に落ちていきそうなときは、そなたという光を探した。そうすることで、何とか己を保つことができた。そなたという光が消えぬように、悪夢から守り、もっと輝きを増すように、美しい記憶を、素晴らしい過去を、掛け替えの無い思い出を語り、受け継いできた祈りを、想いを話してやった。

 そうすることで私は、私を飲み込もうとする暗渠の淵で、ぎりぎり踏みとどまることができた。しかしそれも時間の問題であった。病は手が付けられないところまで進行していった。私がいなくなれば、そなたを守るものはいなくなる。何とかそなたを救うことができないか、そなただけでも救えぬか、私はそのようなことを考え始めた。 

 そなたの名も、そなたが誰であるかも分からぬ。それでも、私は旅の果てに、己のうちに、確かにそなたを孕んだのだ。子を孕めぬ白比丘尼の一族、その長として生きてきた私が、一族の仲間を失って最後の一人となり、全ての語りを背負い込んだ後に、そなたを孕むことができた。

 あきらめることができようはずがない。絶望など許されるはずがない。

 そなたは我ら一族の悲願。子を産むことなく、それでも運命に抗いながら強く生きていった、われら白比丘尼の一族の、最後の吾子。そなたを見捨てて消えていくわけにはいかぬ。暗渠に飲み込まれてしまうわけにはいかぬ。

 そして私はようやく思い至ったのよ。

 そなたを救える、たった一つの方法。

 真の八百比丘尼となることに。

 分からぬか、その意味が。ふふ、あの薬売りと同じじゃな。

 そう、あの薬売り、我が言葉の意味が分からずに、笑っておった。真の八百比丘尼とは何か、あのものでも分からなかったであろう。

 皮肉なことよ。吾子よ、そなたの名を思い出したのは、あの憎き薬売りが切っ掛けであったのよ。

 あの得体の知れぬ、言い知れぬ雰囲気を持ったあの薬売り。初めて会ったときから、私は何かを感じておった。言葉にできる類のものではないが、不穏なおぞましい風が私の暗渠の表面を撫で、漣を立てるのだ。そしてその漣は、わが暗渠の奥底に響いていくのだ。

 やつこそが、白比丘尼の一族を破滅へと追いやったもの。そして私に運命を押し付けた張本人よ。

 一族のものたちが悉く行方知れずになり、私を残して滅びた白比丘尼の一族。かつて私には、その原因が分からなかった。しかし名を隠し、白比丘尼であることさえ隠して旅をするうちに気付いたのだ。白比丘尼が姿を消したのは、八百比丘尼の伝説と、徐福の末裔という一族が関係していることに。

 八百比丘尼とは、齢八百年を越えて生きるという不老不死の尼僧のこと。旅の中で姿を消したものたちの足取りを辿って分かったのは、女たちが消息を絶ってしまう場所、そのことごとくが、八百比丘尼の伝説の色濃く残る地である、ということ。

 それまで辿っていた足取りが、そこらでぷっつりと途切れてしまう。しかし、その近辺を訪ね歩いても、誰も知らぬというのだから、おかしいとは思っておった。さらに記憶を辿り、無数の伝承や語りを思い出すなかで、八百比丘尼伝説の背後に、私は彼奴らの影を見たのだ。

 八百比丘尼ことは私も知っておったが、彼奴等の存在には長く気付かなかった。それも当然。彼奴らは一族の名を隠し、素性を隠し、世の影で密かに暗躍するものたちであったのだから。

 だが、私が受け継いできた無数の伝承、伝説、民話、噂の中で、微かに同じ香りを残す者たちがいた。それも取るに足らぬ小さな噂話としてしか登場しないものたち。しかしその話は、世の各地に散らばっている。彼奴等の残り香は、どういうわけか、八百比丘尼伝説の広がっている地に残されているのだ。

 八百比丘尼の伝説を切っ掛けにして、一族の女たちは姿を消していた。その影に蠢くのは、徐福の末裔と呼ばれる一族。

 私は正気のときに、一族の伝承、その記憶を手繰った。無数に散らばった徐福の末裔に纏わる噂を、八百比丘尼の伝説に関する話を。そうして辿り着いたのだ。ある、一つの結論に。

 徐福の末裔とは、八百比丘尼の伝説を、意図を持って広めた者たち。

 彼奴らは各地で八百比丘尼の伝説を広め、そうして売り捌いておったのだ。

 人魚の霊薬と呼ばれる秘薬を。

 私を訪ねてきた、あの薬売り。あのものが八百比丘尼の話を持ち出し、不老不死になる人魚の霊薬を探しているという話を語ったとき、私は確信した。その薬売りが、徐福の末裔である、ということに。

 「――おぬし、ただの薬売りではなかろう」

 そう、私は問うた。

 やつは身じろぎもせず、笑みを絶やすこともなかった。私は続けた。

 「私の知る、数多の伝承の中に、奇妙な符号で語られる一族がおる。小さな、本当に小さな噂話。それが私の中には無数に集められておる。彼奴等は世の影に潜み、暗躍して幾つもの時代を渡り歩く一族。

 おぬし――徐福の末裔、じゃな。

 殺しにきたのか、他の白比丘尼たちを殺したように。

 おぬしは恐れておるのだろう。全ての小さな噂を、口承を、民話を集めることで、一枚の絵図が描かれるのを、恐れておるのだろう。

 徐福の末裔という、殆ど逸話にも残らぬ、残さぬように暗躍していた影が、我ら一族の語りによって、その存在を、その目的を、その真の姿を、世に晒されるのを恐れているのだろう。

 だから我らが白比丘尼の一族を、殺したのであろう。

 しかし世に隠れ、流離う我らを良くぞ見つけ出し、殺せたものよ。どうやったのじゃ。

 そうか、あの噂か。あの噂はおぬしたち自身が広めたもの。その噂によって、白比丘尼を殺させたのか。何とおぞましい。何と惨いことを。おぬしも、おぬしの噂によって踊らされたやつらも」

 そこまで話すと、ようやく薬売りは口を開いた。なにやら楽しげに。こういうたのだ。

 「――殺しなどせぬ。お主が先ほどいうた、八百比丘尼への転生、それが気になって、殺す気にならぬわい。いったいそれはどういう意味なのだ」

 しかし私は教えなかった。一族を破滅に追いやったやつらに、言う気になれなかった。

 あのものに分かるはずがない。最初からその薬売りに不穏な空気を感じていた私は、そなたを孕んだことを話していなかった。それを知らぬあのものに、私が八百比丘尼になろうという、その真意が分かろうはずもない。

 私が答える気はないことを伝えると、あのものは命をとるでもなく、問いかけに答えるでもなく、笑いながら私の前を去り、そのまま村から姿を消した。

 殺されてもおかしくはなかった。いや、もしも私が真の八百比丘尼への転生の話をしなければ、殺されておったであろうな。私こそが、彼奴等が殺し尽くした白比丘尼の最後の一人なのだからな。あの一族は、人を殺めることなど何とも思わぬ奴らよ。殺されなかったのは、私の言葉の意味をはかりかね、その答えを知りたかったからであろう。

 薬売りは笑みを浮かべたまま去った。 

 彼奴が去った後も、私はなぜか、その声が気になって仕方がなかった。

 私の心を、いや、魂をざわつかせる、ざらりとした声。

 そしてついに、私は気付いた、いや思い出したのだよ。

 村の童子たちが、薬売りを真似て唄う唄。村を回って己の来訪を知らせる売り口上を思い出した時に。

 ――あの、あの薬売りの声、話し方、どこかで耳にしたような気がする。そう、あの薬売りの、村を回るときに張り上げる売り口上、私の記憶の奥底の、何かを刺激する。

 そう、私もかつて、あの薬売りを真似て――

 失われた記憶を刺激され、何かを思い出しそうになった。漣のように繰り返される、あの声。そう、私は昔、幼い頃、あの声を聞いたはず。確かに、この耳で。私自身が。白比丘尼の一族になる前に…。

 何かを思い出しそうだ。そう、確か、私はあの声で、呼ばれたはずだ。名を。何だった、私の名は。幼き頃の、幸せであった頃の名。その名は…

 ――やいち。

 ああ、そうだ。

 私はそう呼ばれたのだ。あの、薬売りに。そう、呼ばれていたのだ。母に。やいち、やいち坊と。

 私は滂沱していた。

 そう、私は思い出したのだ。己の過去を。私は三つほどの幼子であった。母と暮らしていた。美しく優しい母と。しかし、母は病で死に、その後、大陸から来た商人に引き取られた。奇妙な薬を飲まされ、暗示をかけられ、そして、おぞましい呪をうけた。私は、切断されたのだ。性器を。そして性器を切断された衝撃と暗示によって、私は名を奪われ、過去を失った。そうして売り飛ばされたのだ。白比丘尼の一族の女に。

 子を孕まぬ女児として。

 そう、私は男だったのだ。

 吾子よ、私は思い出したぞ、そなたの名を。母の名を。そう、そなたの名は、やいち。皆に祝福を受けて生まれた。私は、母に愛されていた。

 吾子よ、そなたは、私であったのだな。幼き頃の。

 そなたは三つでいとしい母を失い、性を奪われ、名を失って、泣き続けてきた。呼び続けてきたのだな。母を。私の中で。

 ならば私は、そなたの母になろう。一族の末裔として、産まず女の悲願を遂げよう。  

 愛しい吾子よ。私はこれまで長い旅をしてきた。無数の者たちの生を背負い、自らのものとして。数多の死者の魂をこの身に降ろし、宿してきた。私という御するものを失った暗渠には、無数の名が、過去が蠢いている。悪い夢となって日々、私とそなたを苦しめている。それらの語り紡がれてきた命の持つ過去は、その時は、千年を悠に越える。

 私は病にかかり、己がうろになるようになってから今まで、その無数の生に、名に、魂に脅かされていた。この体を乗っ取られることを恐れていた。気を抜けば、すぐに蠢き犇きあう魂が我が器に殺到していた。そんなとき、私は必死に入り口を狭め、無数の魂を拒もうとしてきた。

 これまで何とか、我が魂を暗渠の淵に繋ぎとめてきた。それも限界に近い。病によって、白比丘尼としての我が魂が、いよいよ暗渠に飲まれようとしているのが分かる。おそらくそのまま、私は暗渠に飲まれ、消えてしまうであろう。

 しかし、それでは、そなたは救われぬ。ひしめき合う怨念、憎悪、怒り、悲しみ…蠢きあう魂は私を狂女へと変え、そなたは悪夢によって押しつぶされてしまうであろう。

 ならば我が魂が暗渠に飲まれる瞬間、私は全てを背負って落ちていこう。これまで拒んできたすべての魂を、我が記憶とし、我が過去とし、一つの魂となって、暗渠へと落ちていこう。

 八百比丘尼に転生するということ、それは、すべての記憶を、過去を、魂を受け入れ、我が物として生まれ変わるということ。

 その瞬間、私は八百年を越えて生きる、伝説の八百比丘尼として、この世に降臨する。八百比丘尼となって私は暗渠の奥底へと飲まれよう。転生と共に、冥府へと落ちていこう。

 私は八百比丘尼となることで、そなたを悪夢から救おう。全てを背負って、暗渠に飲まれよう。そうすることで、私は、光となるそなたを産み落とすのだ。我が魂と引き換えに。


 吾子よ、やいちよ。私はもうそなたに会うことはできぬ。しかし残そう。美しき記憶を。これまで出会った女たちは皆、真っ暗闇の中で、誰もが己を支えるために、小さなしかし確かに光輝く記憶を持っていた。絶望していた女たちもその記憶に気付かせることで、その命を、生を救われてきた。それらを、そなたのために残そう。どす黒い感情やおぞましい記憶だけを道連れに、私は暗渠に落ちよう。さすればそなたはもう、悪夢に苛まされることがない。自分が誰であるのか分からず、怯えることもない。ただただ美しい記憶を、思い出を、祈りを、すべての己のものとして反芻しながら、生きていける。

 いとしいわが子よ。終わりのときは近い。

 冥府へ落ちていくなかで八百比丘尼として転生した瞬間、無数の女たちの魂の苦しみ、痛み、憎悪、怒り、悲しみ…あらゆる怨念が、負の情念が、怒涛のごとくに私に流れ込み、切り裂き、破裂させ、我が魂は跡形もなく霧散するであろう。

 我が転生の断末魔を、この村のものたちに聞かせるのは忍びない。この洞窟の奥深くで、私は八百比丘尼になろう。そして暗渠の深遠へと落ちていこう。我が八百比丘尼の呪われた断末魔を、そなたは祝福の産声に変えるのだ。女たちの泣き声の渦巻くこの忌まわしき洞窟を、未来への祈りに満ちた産道として、この世に生まれなおすのだ。

 そのとき、私はもうこの世にはおらぬ。だが墓を残しておいた。そこにくれば、私に会える。もう探す必要もない。そこで我が名を呼べばいい。我はいつもそなたのそばにおる。そして祈りを捧げている。

 そう、私は八百比丘尼として死のう。しかし白比丘尼の末裔として、母の名を残そう。墓碑に記そう。そなたの母の名を。

 私がなろうする、母の名を。

 そなたのおかげで、私は安らぎの中で暗渠に飲まれることができる。あれほど恐ろしかった暗渠に、自ら望んで身を投じることができる。

 残されたそなたのことは、懇意の童子や海女に頼んでおいた。そなたを残して逝かねばならぬ私を、どうか許しておくれ。かわりに、星のように美しい記憶だけを残していくから、勘弁しておくれ。

 さようなら、いとしき我が子よ。

 悪い夢など見ない、安らかな眠りを、そなたに――

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