第七話 薬売りの語り

 比丘尼の墓にお供え物を置いていったものがいる――そう童子が話してくれたのは、出先からの帰り道であった。私を待っていた童子から話を聞くと、誰も近づかなくなって久しい比丘尼の墓に、誰かが供えたと思われる花と枝があったというのだ。童子は坊にも尋ねたものの、相変わらずこちらの言葉を理解していないようで、誰が訪れたか、それが誰であったのかも分からなかった。童子が話すには、坊がかつて花や枝を供えたことなどなく、自分の知る限りは初めてだという。偶然、風に乗って落ちてきたのではないかと聞くと、貝殻の小山に深々と突き刺さっていたことから、確かに供えられたものだというのだ。

 私は供えたのは自分ではないことを説明し、ではいったい誰であろうと村人達に思いを巡らせたが、見当がつかなかった。ところが、私が一旦網元の屋敷に帰ってみると、それと思しき人物が直ぐに判明した。網元から、各地を巡回している一人の薬売りが、半年振りに村に訪れているのを聞かされたのである。

 薬売りは私が出かけている間に村を訪れ、網元に来訪の挨拶をすると、仕入れてきた薬を売り歩きに出たのだという。私は乞食婆の話を聞いてから、件の比丘尼について何かを知っているのではないかと考えていた。そろそろやってくる時期だと聞いていたので、できれば逗留中に会えないものかと思っていた。これ幸いと屋敷から出かけると、その足取りを追って辿りついたのは、おなき洞の前であった。荷物を背負った薬売りは、おなき洞の前で膝をつき、暗渠に向かって拝むような仕草をしていた。

 背後から近づいた私に気付くと、薬売りは振り返り、貴方様が逗留中の学者様でございましょう、そういってにこやかに挨拶をした。浅黒い肌に人懐こそうな笑顔をした壮年の男であった。

 薬売りは網元に挨拶をした折に、私のことを耳にしていた。互いに軽い挨拶を交わすと、件のことについて、薬売りのほうから話を振ってきた。

 「八百比丘尼の言い伝えを辿って、この村に行き着いた、と。そうお伺いしております」

 私は頷き、件の比丘尼のことを調べているのだが、会った事は無いかと尋ねた。

 「知っております。村を訪れた際に、お会いしたこともある。しかし、あの尼僧様は不老不死の八百比丘尼などではない。あきらめるのですな」

 知っていることを教えて欲しいというと、私は何も存じません、この村のものでは無いので、そう断られた。

 と、私はその男の手に、花の付いた枝を持っているのに気付いた。 

 私の視線と表情に気づいたのか「この枝が何か?」そう問われた。

 「あの墓の枝は、あなたが供えたものでございましょう」

 その言葉に、薬売りの表情が強張ったのを、私は見た。この薬売りは、やはり何かを知っている。そして隠している、そう思った。 

 ――ああ、あなた様はあの墓のことををご存知なのですね。

 薬売りはわざとらしく驚いたような表情を見せると、少し考え込むような仕草をしてから話を切り出した。まず私が集めた話し、知っていることを聞かせて欲しい、と。それを聞かせてもらわねば、自分の知っていることを話すかどうかは決められない、と。

 私はそれまで村のものたちから集めた話を纏め、かいつまんで話した。一通り聞き終えた薬売りはため息を大きく吐いた。

 「あの墓に花と枝を備えたのは、確かにこの私です。あの方が安らかに眠られることを祈って、お供えしたのです。私はあの場所で、初めて比丘尼様にお会いしたのです」

 薬売りはおなき洞に向き直ると、手に持った枝を洞窟の前に供えて、再び拝んだ。また私の前に向き直ると、「よろしい、ではお話して差し上げましょう」そう独り言のように呟いた。それから一度大きく天を仰ぐと、言葉を選びながらゆっくりと語り始めた。

 ――あのお方は八百比丘尼でもなければ、嘘八百の詐欺師でも、逃げてきた梅毒病みの遊女でもない。もちろん怨霊や海神の使いでもない。

 私はあのお方から直接お話を伺ったのです。嘘偽りではない、比丘尼様の真実を。だが、それを村人たちに明かすつもりはない、村長にも秘密にしております。なぜなら、比丘尼様ご自身に頼まれたからです。

 この村の者たちには、話してくれるな、あの者たちが我に抱いた夢想こそが、彼らにとっての真実なのだからな、と。 

 だが、あの尊い比丘尼様が村で語られる噂のような人間だと思われるのは、あまりに哀れ…。聞けば、あなたはおえらい学者様なのだという。各地の民話や伝承を集めて語り継ぐ旅の途中なのだという。私が比丘尼様から聞かされたのは、それこそ語り継がなければならない、歴史の影に隠れた、ある奇妙な一族の話。その一族の末裔であるあの方の、流浪の旅路。

 学者様、どうかこの村のものたちには他言無用ということで、聞いていただきたい。そして、時に埋もれてはいけない歴史として、いつか書き残していただきたいのです。

 お願いできますか…


 私が初めてあの比丘尼様と出会ったのは、比丘尼様が村に来て程なくしてからの頃のこと。まだおかしな噂はたっておらず、尊い旅の比丘尼様だと村の人々からは慕われておりました。ただ、一部のものたちが、あの方は八百比丘尼様ではないかといい始めたのもその頃でした。人魚を食らって不老不死となり、齢八百を越えるという八百比丘尼。その伝説を知っていた私は、噂を耳にした後、自ら比丘尼様の元を訪れました。しかし、何処にもいらっしゃらなかった。洞窟の外から呼んでも、声は返ってこなかった。聞けば、時々ふらっといなくなってしまわれるそうでした。滞在期間も限られているため、あきらめて出立しようとしたとき、ふと思い立ってあの墓の岬へと立ち寄ったのです。ええ、あの断崖の岬は、先代の父から教わった、村のものでさえ知らぬ秘密の場所。

 見晴らしがよく、心地よい風が吹く場所なのです。父はあの場所を、更に先代から教わったといっておりました。その先代は、今は廃れた巫女から教わったそうです。古い話ですが、巫女が海神様に密かに祈りを捧げる場所であったようです。

 そこで比丘尼様に合った私は、お話をした後に、直接尋ねたのですよ。比丘尼様は伝説の八百比丘尼でございませんか、と。聞いてみると、笑って答えましたな。

 ――私はそのようなものではない。ただの旅の比丘尼よ、と。

 ですが比丘尼様は、その後に、奇妙な言葉を続けたのです。

 「だがの、恐らくではあるが、その名を騙って旅をしていたことは、ある」

 比丘尼様は遠い目をされながら、そう奇妙な答えを返されたのです。

 私が詳しく聞こうとしても、忘れてしまって覚えていないの一点張りで、教えてはくださいませんでしたな。忘れてしまったなどと、冗談か、下手な嘘かと思いましたが、どうやら本当のようなのです。

 そう、あのお方は、過去を忘れてしまっているようでした。

 比丘尼様は言うたのです。

 「病によって、我は己の名を忘れてしまった、失くしてしまったのじゃ。その名を取り戻すために、私は旅をしてきたのじゃ。長い長い旅を――」

 聞けば、旅の比丘尼として各地を巡るうちに、奇妙な病にかかってしまったというのです。その病は、自分が何者かわからなくなり、名を失い、過去を忘れてしまうという。年を経た老人がなるような病ですが、比丘尼様はまだまだお若く、美しかった。とても信じられませんでしたな。私がそう言うと、比丘尼様は、「老人の病とは違うのじゃ、これは病というより、業病」そう話されました。そして再び、悲しそうに海の向こうに目をやると、

 ――いや、これは我が一族にかけられた呪のようなものであろう。

 そう口にされたのです。

 私はお伺いしました。我が一族とは一体なんでございましょうか、と。しかし、比丘尼様が私の問いに、答えることはありませんでした。

 「はてさて、我が一族とはなんだったかのう。自分で口にしていながら忘れてしまった」そう言うて煙に巻くのです。

 あのお方は不思議な方でしたな。旅慣れて世間のことに詳しいだけではなかった。歴史や学問などにも精通しているのか、様々な知識を持っておりました。まず、薬草などの知識が並大抵のものではなかった。薬売りを生業として親から受け継いだ私が驚かされるほどです。薬草学に関しては色々ご教示していただきました。私も職業柄詳しいほうではあります。先達から知識と販路を受け継ぎ、世を巡って新たな薬草などを仕入れ、時に自ら煎じ、新たな販路を切り開きながら旅をしているのですから、当然といえば当然。だが私が自負する薬草の知識からして、私を凌ぐのです。見目麗しく、まだ二十歳も半ばにしか見えない年若い尼僧であるにも拘らず。

 他の分野では私では及びも付かない、途方も無い知識を備えておりました。それに、百年、二百年昔の出来事を、まるでその目で昨日見たかのように話されたりすることもよくありました。過去を忘れたといっても、記憶は斑のように残されているようで、土地の名前やその地の風土、由来、過去から今に至るまでの出来事や移り変わりに関しても実に詳しかった。自分の名も分からず、過去もあやふやだというのに、まさしく博学博識。もしや本当にこの方は八百比丘尼なのではないかと思うこともしばしばでした。

 次に訪れたのは半年ほど後のことでした。比丘尼様が教えてくださったことは嘘ではなく、私は各地で新たな薬草を見つけ、仕入れ、評判もよく、大変な忙しさでした。お礼を言おうと、また、新たな教えを請うために、勇んでこの村を訪れたのですが、ご存知のように既に悪い噂が広まっておりましたな。もはや村人たちの中で、あのお方に近づくものはいなくなっておりました。 

 村で不穏な話を聞いた私は、にわかにはそれを信じることができませんで、実際にお会いしてみました。噂が流れたのも納得しましたな。驚いたことに、私のことをすっかり忘れておったのです。お可哀想に、恐らく以前話された呪いの業病が急激に悪化してしまったのでしょう。

 私が村のものたちに聞いた話では、以前は自分の名を忘れてしまったと話されていた比丘尼様が、ある頃から無数の名を騙るようになったのというのです。

 名だけではない、語る名によって、自分の生まれも、年齢も、仕事も、来歴も変えてしまわれる。時によって人格そのものが、別人になってしまわれるのです。ですから話されることは全く支離滅裂で、村人たちが戸惑い、妙な噂を流すのは確かに仕方がないでしょう。あれだけ穏やかであった気性が、予測がつかぬほど激しくなり、突然奇声をあげることもあれば、延々と泣き続けることある。意味不明なことを叫んで殴りかかろうとすることもあったようです。かと思えば、うろのようになって、呆けて何も聞かず、何も話さず、ただぼんやりと一日中空を眺めていることも増えていったそうです。

 再訪した私が再びお会いした時には、呆けたような表情で子どものように笑いながら、砂浜に何やら文字のようなものを書いては、消えていくのを見て一人戯れておりました。私が誰かも分かっておらぬというのに、拾った貝殻を私に見せて、綺麗だろ、そう言って恥ずかしそうに、嬉しそうに差し出すのです。話し方はまるで幼子のようでした。何だか涙が出ましたな。まだ若く、美しく、聡明なお方であったのに。

 一族の業病だと話されていたが、どのような一族なのか。初めてお会いした時に聞けなかったのが残念でありました。なにせあの若さで、薬草学、地誌、歴史などにあれほど詳しいなど、そう考えられることではない。比丘尼様の言う一族という存在が、境界を越えて博学であることに関係しているのは間違いないからです。

 そのときには、こう思いましたな。もう一族のことを話されることはないだろうし、新たな薬草の知識も教授いただくこともできぬだろう、と。どんなに話しかけても、あのお方が望んだ答えを返してくれることはなかった。だから私は一度は諦めました。そして比丘尼様が正気に戻るまではと伸ばしていた逗留を切り上げることに致しました。次の日には村を発つことにしたのです。

 翌日には村を発とうというその夜のことです。ふと夜半に目覚めると、珍しい凪の夜でした。普段は女の泣き声のような音がおなき洞からいつまでも聞こえてくるのに、風がやんでいるせいか、聞えないのです。そんなことは私が村を訪れるようになってからも初めてでした。何かに背中を押されるように部屋を出ると、屋敷の外へと向かいました。夜空には大きな満月がかかり、村全体をいつもとは異なる静けさが覆っているようでした。明日発つのだと思うと、いつも聞こえてくる声を探すような気持ちになって、いや、誰かに呼ばれているような気がして、私は海辺へと向かっていました。

 波は静かに月明かりを揺らしておりました。浜辺には比丘尼様がおりました。立ち姿、その後ろ姿で、すぐに分かりましたな。それが比丘尼様である、ということではございません。その佇まいで、正気に戻っている、というのが分かったのです。いやそればかりではない。初めてお会いした正気のときとも明らかに異なる雰囲気を放っておりました。満月の下、海辺を眺めるその姿は凛としていて、寒気がするほど美しかった。近づいていく私に気づき、向けられたその顔を見て、私は呆然として、見蕩れました。昼間の呆けたような幼子の顔とは違う、以前あったときの優しそうな顔とも違う。顔立ちは同じまま、そこには全く別人のような表情を浮かべておりました。

 鍛え上げられた鋼のように強く、上質な真白い絹のような柔らかさをも兼ね備えた表情、未来と過去を見据え、今を鮮やかに映して揺らぐことのないまなざし。

 例えていうなら――まさしく菩薩。

 「お久しぶりです」

 そう話しかける私に、比丘尼様ははっきりと言いました。

 「半年振りか、昼間は迷惑をかけたの」

 比丘尼様はおっしゃいました。

 ――病が進み、もはや自分というものを保てる時間が殆どなくなってきた、私が正気に返ることができるのは、どういうわけか決まって満月の晩、しかも風の凪いだ日と決まっておる。他の日は、私は記憶の海からぶくぶくと泡のように浮かび上がってくる無数の生と名に我が魂を侵されてしまう。自分が誰であるかわからぬどころか、数多の魂にこの体をのっとられてしまうのだ。

 正気に戻ることのできる時間はますます短くなり、己に戻るまでの期間はどんどん長くなっている。そのうち、私の魂は虚無へと飲み込まれてしまうであろう。ああ間違いない。確かな予感がしておる。だが、そうなる前におぬしに話しておきたいのだ。我が奇妙な一族のことを。そして、語り継いでもらいたいのだ。

 聞いてもらえるか?

 頷く私に、比丘尼様は言いました。 

 ――我は白比丘尼。世を流離い、苦しむ女や子どもたちの声を拾い上げ、悲しみや苦しみに耳を傾け、慰め、労わり、ともに泣き、その慟哭も憎悪も、己のものとして吸い上げては浄化する業を負った一族。鍛え上げられた記憶と語りの術を備え、一族で互いにあまたの生を語り合い、伝え合い、次代の一族へと継承していく、語り継ぐことを生業とする語り部。語り継いだ無数の他者の生を己の内に宿し、悲劇を繰り返さぬために人々へと語り伝えていく御役目。降霊の器をその内に備え、語られた者たちの魂を自らの体に降ろすことのできる巫女――我はその末裔…。

 その凪の夜、比丘尼様はご自身の過去のことを話してくださったのです。

 それは、白比丘尼という一族のことでした。


 ――そう、我ら白比丘尼の一族とは、古来、流浪の舞い巫女の系譜に連なるものであった。それが一人の尼僧が数名の巫女を引き連れて系譜から別れ、白比丘尼の一族と名を変えたのだ。尼僧である彼女たちの目的は、世で苦しむ女たちを救うことであった。尼僧として世を流離いながら、その地で苦しむ女たちに会い、話を聞き、ともに泣き、苦しみ、怒り、憎悪し、そして仏法の教えをもとにして教えを説く。尼僧たちにとって大切なのは、説法そのものではなく、苦しむ女たちの話をただただ親身になって耳を傾けてやる、ということであった。

 世の中に、苦しみを誰にも言えず、抱え込んでしまっている女たちが如何に多いことか。相談もできず、分かち合うこともできない、言葉にすることも、思いを吐き出すこともできず、ただただ一人で苦しみぬいている女たちが、如何に多いことか。

 普段は黙って心を殺し、表情も変えずにいる女たちが、一度旅の尼僧に心を開けばたちまち饒舌になり、本人も驚くほどの悲しみを、苦しみを、思いを語り始める。息子への思い、夫への憤り、姑への憎悪を。村の中で、親族の中で、家の中で、女たちは逃げ出すこともできずにがんじがらめになっている。そうしてその檻の中で虐げられ、蔑まれ、疎まれている。それらの有象無象の怨念を吐き出し、語り出すのだ。形にすることもできなかった真っ黒いどす黒い澱が、みるみるこみ上げ、あるものは咽び泣き、あるものは喚きちらし、抱え込んでいた思いを尽きることがないと思われるほどに吐き続ける。だが、終わることの無いと思われる話も、いつかは終わる。そうして、一度吐き出してしまうことで、女たちはあることに気付く。話す前に比べ、心が軽く、楽になっていることに。吐き出した後、涙でぐしゃぐしゃになった顔で誰もが言うのだ。自分がこのように泣けるとは、話せるとは思っていなかった、と。気持ちが楽になった、と。多くのものは自らのことを語り聞かせる心地よさ、開放感に酔いしれ、自らの出生から童子の頃のこと、両親のことまで思い出を語り続ける。そうして、みな、自分でも気付かなかった想いに気づき、忘れていた過去を思い出し、見ないふりをしていた傷を知り、押し殺していた感情を意識することになる。それらを話して初めて、己の心のありよう、苦しみや喜びの根源を知ることができるようになる。己のことを存分に語り終えた後で、ようやくいかなる心もちで生きていけばいいか、考えられるようになるのだ。

 ただただ頷いて聞いてやるだけ、これだけで救われる者たちが女たちの中に如何に多いことか。そして、誰にも話すことができなかったために、救わられることなく苦しみのうちにのた打ち回って死んでいくものたちは、救われる者たちの比ではない。

 白比丘尼の一族は、まず女たちの声に耳を傾ける。そしてともに泣き、笑い、憎み、女たちになりきることで、その澱を己のうちに吸い上げてやる。そうして共感し、次に説法によって正しき心の構えを授け、その澱を浄化してやるのだ。我らは旅をしながら無数の声を聞き、他者の過去を追体験するという経験を積んでいく。女たちの苦しみを取り除くための、多様な心の構えを学んでいくのだ。他者の経験を持って、他者の心の構えを説き、苦しみを和らげ、対処法を授け、新たな辛い日々に立ち向かっていけるように勇気付けてやる。立ち向かっていけるだけの、揺らぐことの無い確かな心構えを授ける。それこそが白比丘尼の生業。

 そしてもう一つ、白比丘尼の一族は、命を口承によって受け継いでいくというお役目を持っていた。

 一族のものたちは、無数の一人語りを聞いていく中で、各地で悲しみを吸い上げ、それを記憶するのだ。そして他の一族ものたちと集ったときに、互いに語り合い、覚えあい、己のものとするのだ。数多の女たちの過去を、記憶を、魂の形を、己のうちに積み上げていくのだ。再び過ちを犯さぬため、過去を語り継いでいく。そして語られた経験を説法として昇華させ、道理を説くために、男や女たちに話し聞かせるのだ。

 女たちは一族に入ると修練をつまされ、驚くべき記憶力を有するようになる。百年前の女の語りも、まるで自分がさっき聞かされたかのごとくに自在に思い出して語り聞かせることができた。また、この生業の延長として、巫女としての霊降ろしにも精通し、数多の霊をその身に降ろし、死者と対話させることで、苦しむ女たちに正しい道筋を示し、苦しみから解き放ってやることも生業にしていた。一族は普段は白比丘尼としての身分を隠して世を流離うため、別の生業として按摩や針、薬売り、煎薬、産婆などの技や知識にも長けていた。一族の者たちは皆、何らかの技を身につけさせられていた。

 白比丘尼の一族は、時に比丘尼として、時に流れの女職人として、数多の女たち魂を救い、その生を己の経験として語り継ぎながら、数百年という時を流離ってきたのだ。

 そんな白比丘尼の一族には、幾つかの大きな掟があった。最も大きな掟は、白比丘尼は子を産めぬ女でなければならぬ、というものであった。

 そう、白比丘尼の一族とは、そもそもにして非業の定めを背負っているものたちであったのだ。

 世で産まず女だと蔑まれ、迫害され、離縁された女たちを、各地を旅した白比丘尼が見つけ、そして一族として加えていく。そのようにして、白比丘尼の一族は世代を継承しておったのだ。

 なぜ産まず女でなければならぬか。それには確かな理由があった。子を産めぬということは、己の中にぽっかりと洞があるということ。その洞に、無数の人々の思いや記憶を入れることができ、そこに魂を降ろすことができるからだ。それが白比丘尼の掟の一つであった。

 他にも掟は幾つもあった。ある程度の齢を越えたら、一族を抜けねばならなかった。白比丘尼の一族の生業は業の深いもの。長く続けることはできぬ。それに何より、一族の思いが別にあったからだ。

 子を産めぬ女を一族に引き入れ、世を渡らせ、語りを受け継がせ、そうしながら様々な生業の技を身に付けさせる。さすれば女たちは旅の中で、己だけではなく苦しんできたものたちに出会い、慰め、力づけ、苦しみを、悲しみを浄化し、説法によって進むべき道を示す。そうするうちに、己自身の傷も癒え、心は鍛えられ、新たな旅立ちを迎える力が養われる。あるものは煎薬技術を、あるものは按摩を、あるものは閨ごとの術を、あるものは降霊の技を、あるものは産婆を、あるものは舞を、あるものは縫い物を、そうして一通りを習い、自らが得意とすることを伸ばし、進むべき道として選び取ったら、一族を抜けて生きていくのだ。

 そう、一族とは、世の女たちの誰にも吐露できぬ苦しみを受け止める受け皿であると同時に、子を産めずに絶望する女を一族へと拾い上げ、生きていく技を授け、希望の光を与え、進むべき道を指し示すことを目的としていたのだ。一族を抜けるときは次代の白比丘尼に全ての語りを受け継がせる。その後は、かつて名乗っていた名に戻ってもよかったし、新たな名を自らでつけてもよかった。白比丘尼に加わった当初は、己に何の価値も、生きていく意味も見出せなかった女たちが、生業を手にして世の人々から必要とされ、時に崇められ、時にかつての自分のごとくに苦しむ女たちに救いの手を差し伸べてやる。一族を抜けるときには皆、たいていのことは笑い飛ばせるぐらいにたくましく、したたかになっているのだ。

 また掟では、一族を抜けたものは、一族であったことは口にしてはならないことになっておった。白比丘尼の一族とは、いわば流浪の巫女であり、同時に体を差し出す遊女でもあるからだ。抜けるときには一族であったことはきっぱり忘れ、語り継がせたことも、その後、他のものに語り聞かせてはいけないことになっていた。

 なぜか分かるか。そうしなければ、過去に引きずられてしまい、新しい生へと踏み出せないからだ。白比丘尼の一族とは、新たな命を紡ぎだすことの出来ぬ非業の女たちが、己の新たな生き様を、強かな心の構えを見出すための受け皿であったのよ――。


 あの比丘尼様はそうした奇妙な宿命を背負った一族のものとして、世を流離ってこられた。無数の女たちの生を知り、世に明るく、史や学に長けているのも当然。語り継がれることで、数多の生を体験し、魂を下ろすことで他人になりきることができたのですから。

 しかし旅の最中、比丘尼様は病に罹ってしまわれたのです。それは実に奇妙な病。恐らく、一族の中でもずば抜けた才が原因であったのでしょう。若くして無数の魂を降ろし、数多の生を我が物として宿す中で、ときおり、自分が誰であるのかわからなくなる、ということが起こり始めたのです。己が白比丘尼であることも忘れ、自分という存在が何者であるか分からなくなる病。それが訪れるときの恐怖、訪れた後の虚無感は、苦しみに長けた比丘尼様でさえ慄くほどであったそうです。。

 病を治そうとしたものの、その術が分からなかったそうです。時が経つにつれ、少しずつその病の頻度は増し、虚ろな時も長くなっていく。このままでは、やがて暗渠に飲み込まれて還ってこれなくなる…そう思った比丘尼様は、病の原因が一族の生業にあること、そして、自分が己の過去の根源を知らぬからであると考えたそうです。他のものたちはみな、過去を捨てて白比丘尼になるが、それでも本当に忘れることはできない。御魂を象る器として、その過去は確かに刻み込まれている。それが己にはないことが病の原因ではないか、そう考えたのですな。

 ええ、あの比丘尼様だけは、他の者達とは違って幼い頃から一族に付き従っておったそうです。他の者達が産まず女として捨てられ、一族に拾われるのは早くても十五、六。しかしあの比丘尼様だけは、どういうわけか、物心が付いたときには、一族で唯一の童女として、先達に付き従って世を流離っていたのですな。母親のことも、父親のことも覚えていなかった。いや覚えていなかったのか、知らなかったのか、それすら分からないというのです。つまり、幼い頃の記憶がすっぽりと抜け落ちているのですな。

 そこで比丘尼様は一族の元を離れ、白比丘尼のお役目を一度離れて、当て所のない旅に出たのです。それは失われた己を取り戻すための旅、白比丘尼としての名ではなく、失われた名を取り戻す旅であったと言われました。比丘尼様が幾つのときにどういう経緯で一族にやってきたのか。それを知るものは、もはや一族にはいなかったのですな。ただ幼かった比丘尼様を連れて旅をしていた一族の女の旅をしていた場所は分かっていたのです。その女が語った語りも、受け継がれていた。比丘尼様については何も語られていなかったそうですがね。

 その旅の経路を辿って、一族を離れた比丘尼様は旅をしたのです。そしてたどり着いたのが、この村だったのですよ。なぜこの村に留まっていたのかは分かりませぬ。この村で何があったのかも、比丘尼さまの出自の秘密も、私は知りませぬ。あのお方はそのようなことはお話になられなかった。

 それに旅の間も病はゆっくりと進行し、確実に心と記憶を蝕んでいた。この村にたどり着いたときには、比丘尼様は全ての名を忘れ、ただの旅の比丘尼となって、真実の名を取り戻すという目的だけを頼りに旅をするようになっておったそうです。

 いや比丘尼様ご自身が、珍しく正気の取り戻したとき、自らそのようにお話ししてくださったのですよ。嘘などつきはしません。そのような嘘を吐いて、私にいったい何の得がありましょう。

 どうですかな。お分かりになられましたか、この村で広まった噂の原因が。白比丘尼という一族、その生業。そして比丘尼様を襲った奇妙な病。それが、すべての噂の根源。

 嘘八百比丘尼だと言われたのは、数多の女たちの生を我がことのように思い込んでいたため。

 逃げてきた遊女だと噂されたのは、白比丘尼の巫女として白粉を塗り、男達を喜ばせる技を身につけていたため。

 梅毒のによって狂ってしまったと思われたのは、自分が誰か分からなくなり、そのことで錯乱してしまったため。

 怨霊だと思われたのは、生業の中で己の内に溜め込んできた女たちの恨み辛みが、泡のように記憶から噴き出して言動に表れてしまうため。

 不老不死の八百比丘尼だといわれたのは、語り部の一族として数多の叡智を身につけ、無数の魂を宿してきたため。 

 それが分からぬもの達が、先ほど貴方様から聞いたように、勝手に己の妄想を押し付け、比丘尼様を穢し、貶め、傷つけたのでしょう。この村では、比丘尼様は鏡であったのですな。覗き込むものたちの醜い欲望を映し出す鏡であった。村人達が鏡に見ておったのは、醜く歪んだ己自身であったのでしょうよ。

 だが、私も偉そうなことは言えないのです。私も比丘尼様にどうしてもお聞きしたかったのですから。

 八百比丘尼とは何者か、ということを。

 まさか、本当に八百比丘尼様だと思っていたわけではございません。

 私が知りたかったのは、なぜ八百比丘尼などという伝説が広まったのか、奇跡の霊薬とは何だったのか、でございます。

 私は薬売り。様々な薬を扱うため、その知識を大切にしております。薬草の知識は、各地の民話や伝承の中にある。大切に受け継がれてきたものが殆どでございます。私が知りたかったのは、不老不死となった切っ掛けとなる、奇跡の霊薬。人魚の肉について知りたかったのです。

 繰り返しますが、八百比丘尼や不老不死の霊薬などを信じているわけではない。だが、そのような伝説が各地に残っている以上は、そこに何らかの事象があったことは間違いが無い。不老不死などとは言わずとも、歴史に埋もれた秘薬があったのではないか、白比丘尼様の一族は、それを知っているのではないか、そう思ったのです。

 薬草の知識に驚くほど長けていた比丘尼様は、その知識を一族から受け継いだと話されておりました。そして八百比丘尼とは、土地によっては白比丘尼とも言うのです。その真っ白の娘のような肌から。

 八百比丘尼とはいったい何か、不老不死の霊薬とされる人魚の正体とは、いったい何だったのか。私は薬売りとして、それを解き明かしたかったのです。

 私はお尋ねしました。比丘尼様が身の上を話してくださった、満月の凪の夜に――


 八百比丘尼…か。ああ知っておる。人魚の肉を食べ、不老不死となり、齢八百歳を越えて生きる比丘尼のことであろう。

 そうか、お前は薬売りじゃったな。おぬしも探しておるのか、あれを。

 不老不死を得ることのできる、人魚の霊薬というものを。全く愚かなことよ。おぬしも噂に踊らされておるではないか。

 私はもちろん、八百比丘尼などではない。だが、その名を利用し騙ったことはある。というよりも、八百比丘尼とはそもそも我ら白比丘尼に端を発して広まった伝説よ。

 掟として、白比丘尼は皆、旅先では名を名乗らず、白比丘尼とだけ名乗っておった。考えてみるがよい。皆が一族の名を受け継ぎながら、数百年にわたって旅をしてきたのだ。語り継ぐものであったため、同じ語り、無数の語りを自在に操ることができた。先に話したように、ある程度の齢を過ぎると抜けねばならん。だから、皆さほど変わらぬ若い世代じゃ。また私らの一族は、巫女として薄く白粉を塗って旅をしておった。その白粉は、貝殻を細かく砕いたものよ。顔を白くした同じ一族の名を持つ近しい年齢の尼僧が、各地で数百年前の出来事を昨日のように語り、数多の人生を、経験を、過去を話して聞かせる。驚くほどに世の様々なことにも長けている。噂にもなろう。その噂が各地で囁かれるようになる。十年、二十年が経っても、一族の中で入れ替わりはあるものの、世俗に向けては名も、年齢も、白塗りも変わらぬ。どうかな。それらの特異な条件の全てが、数百年を生きる八百比丘尼であると信じさせるに、好都合の要素であろう。

 そう、八百比丘尼伝説とは、私ら白比丘尼の一族が意図的に各地で広めた噂なのじゃよ。

 なぜか? そのほうが都合がよかったからじゃよ。数多の生を知っているのも、数百年前のことを己が経験したように語るのにも、理屈が通った。自らを伝説の八百比丘尼だと思わせることで崇められ、説法などの効果も高まった。道理を説いたり、諭すのにも効果は覿面であった。

 もうお分かりか、八百比丘尼とは、数百年を流離う私ら白比丘尼の一族を器として、この世に降臨した幻なのじゃよ。

 そして人魚の霊薬とは、八百比丘尼を信じさせるため我ら一族が生み出した作り話。私が煎薬に長けていることは知っておろう。その薬を各地で処方する際に、人魚の名を使ったのじゃよ。只の名と侮るなかれ、人魚の名を冠することによって、薬の効果は何倍にも高まるものなのじゃよ。つまり、人魚の霊薬も、八百比丘尼も、この世の何処にも存在せぬ。私ら白比丘尼と現世で苦しむ者達が生み出した虚妄の産物なのじゃよ。

 だがの、わたしは最近、こう考えるようになった。

 私は、本物の八百比丘尼になれるのではないか、とな。

 意味が分からぬであろう。まあよい、聞いていけ。

 私には、予感がある。もうすぐ、自分が完全なる暗渠に飲み込まれてしまうことがわかっておる。予感と呼ぶには鮮明に過ぎるほどにはっきりと。それは運命と言っていいほどに確かなもの。

 その前に…私が私でなくなる前に、墓を作っておこうと思うておる。これまで私は、白比丘尼の一族として生きてきた。無数の白比丘尼たちの語りを受け継ぎながら、世を流離って来た。そうして、今残っておるのは私だけ。わたしこそが、白比丘尼の一族、最後の一人。すべての語りを受け継いだ末裔。もはや、語りを受け継がせるものなどおらぬ。だが、これも時の流れよ。

 私が私でなくなってしまえば、もはやどうなるのかは皆目見当が付かぬ。このまま病が進めば、ただの狂女に成り果てて、野垂れ死ぬことは免れぬであろう。そうなる前に、私は己を葬り、自ら供養してやりたいのだ。私は数多の生を背負っている。彼女らの魂とともに供養してやらねば、一族の末裔として、死んでも死に切れぬ。

 洞窟の女の声など届かぬ、心地よい風の吹く場所。空と海に臨んだ見晴らしのいい場所。誰にも知られることなくそっと眠りにつける場所。おぬしに最初に会ったあの場所よ。だから誰にも言わないでくれぬか、あの秘密の場所の存在を。旅かけるそなたが偶然見つけたあの美しき岬を、村人たちは知らぬ。

 墓を作り終えたら、後は病によって暗渠に飲み込まれるのを待つだけとなる。だが、それで終わるわけには行かぬ。わたしは最後まで抗ってやろうと思うている。それが数多の女たちの光となり、導き手となってきた己の宿命。たとえどんなに小さな光でも、天地もない暗渠の中では、それは確かな標となる。いや、暗渠が深く広いほどに、光はより輝き、確かさを増すであろう。

 私も長い旅路の中で、ようやく見つけることが出来たのじゃよ。名を失い、その名を探して世を彷徨ったその果てで、私はついに遠くに瞬く光を見出したのじゃ。私にとってその光への道標こそが、お主が先ほど問うた八百比丘尼という幻への化生よ。

 ああ、八百比丘尼などこの世には存在せぬ。

 だがの、私はこう考えているのよ。

 私は八百比丘尼に生まれ変われるのではないか、とな。

 そう、八百比丘尼に転生しようと思うているのだよ。いや、私は正気じゃ、うろなどきておらぬ。狂うてなどおらぬ。

 ふふ、そうであろうな。

 教えはせぬ。私が真の八百比丘尼へ転生することができるかは、まだ分からぬのでな。

 満月によって正気を取り戻すことができるのも、あと数度あるかないか。お主が次に訪れるとき、もはや私は八百比丘尼へとなっているやもしれぬな。

 それがどのような結末をもたらすか、それは私にも分からぬ。

 さあ、薬売りよ、もう月が沈む。一族のことは話した。行くがよい。そして闇に消えた一族の話を語り継ぐがよい。約束したぞ。


 ――次に訪れたときには、既に比丘尼様はおりませんでした。あったのは岬の墓と、そこをうろつく老爺の墓守だけでした。その老爺には初めて会いましたが、聞けば比丘尼様がいなくなる数ヶ月前から一緒に暮らして世話しておった頭のおかしい乞食であるといいます。比丘尼様の最後を知りたかった私が何を問うても、意味が分かっておらぬようですし、次に訪れたときには私を見ると逃げるようになっておりました。墓にお供えを供えると、遠くから嬉しそうにしわくちゃな無邪気な笑顔を向けはしますが、近づこうとすると、一目散に逃げてしまうのです。

 墓ですか? はて、私が見つけたときには、掘り返された後はございませんでした。乞食が埋めなおしたのでしょうか。

 いえ、掘り返してなどおりませぬ。いったい何のために、そのようなことを…。

 あのお供え物ですか。椿の花と枝ですよ。白比丘尼の一族は、己を八百比丘尼だと思い込ませるために、申し合わせて椿の枝を持って旅をしていたのです。一族の女たちは一様にそれを持って旅をしていた。さぞや印象的であったことだと思います。

 椿は冬でも枯れることなく、花びらが散ることもない。死ぬときは雌しべだけを残して、美しいまま花ごとぽとりと落ちる。

 それが、あの美しい比丘尼様には相応しいように気がしたのです。

 そうですな。八百比丘尼様の最後を知っているものがいるとすれば、恐らくはあの老爺だけでございましょう。墓に埋まっているかどうかなど私には分かりませぬ。比丘尼様の話を聞いては、とても掘り返そうとは思いませぬ。どうか安らかに眠ってもらいたい。そう思って村を訪れるたびに、椿をお供えしておるのですよ。

 ただ私には、比丘尼様が私に話された、最後の言葉の意味がどうしても分からぬのです。八百比丘尼に転生する――そう比丘尼様は言うておりました。狂ってはいなかったと思います。いや、あの凛とした表情、間違いなく正気を取り戻した状態で話されたことだった。

 あの方が何処へ行ってしまったのか、本当にあの墓に眠っているのか、それともどこぞで野たれ死んでしまったのか、或いは、真の八百比丘尼へと生まれ変わったのか…

 いくら考えても、私には分からないのです。

 ただふと、我ながらおかしなことを想像してしまうことがあるのです。

 本当は、あの方は実はそもそも本物の八百比丘尼だったのではないか、と。

 白比丘尼の一族を率いて八百年を生きてきた、不老不死の比丘尼であったのではないか、と。姿は変わらずとも、長く生きるうちに、老婆のように頭だけが呆けてしまったのではないか。人は七十年も生きれば呆けてしまい、頭はやがて赤子のように戻ってしまいます。あの老爺のように。あの方は八百年の旅の果てに、自らが八百比丘尼であったことも忘れてしまって、ただただ流離っていたのではないだろうか、と。

 ふふ、私もおかしな妄想を抱くようになってしまったものです。

 旅のお方。もう八百比丘尼などという愚かな伝説を辿るのはやめることですな。ここが伝説の果て、終わりの地。すべての語りは暗渠に飲み込まれ、もはや誰にも真実など分かりはしないでしょう。

 願わくば、あのお方が穢されることなく、安らかに眠りについていればいい。もはや何人であってもその眠りを妨げてはならない。

 さて、私ももう、この地を去ることにしましょう。凪の間に、冷たい風が吹き付ける前に。この村を訪れるたびに私を苛む、耳障りな女の悲鳴が聞こえてくる前に。

 ほら、風が吹いてきた。また洞窟から女の泣き声が…

 おや、おかしいですね。いつもは悲鳴や啜り泣きにしか聞こえないはずの音が、今日は唄うように聞こえてくる。きっと、洞窟の中で岩壁が崩れでもしたのでしょう。聞けばあの洞窟は、数多の女たちの命を飲み込んできた呪われた洞窟。入り込めば二度と抜け出せぬ、冥府に通じる複雑な迷宮になっているそうで。冥府へもいけずに彷徨う魂が泣き叫んでいるのだとも聞きました。

 死しても死しても死なない、不老不死の八百比丘尼。生きることに飽き、死ねぬことに慟哭し、冥府へ通じる道へと入っていったのかもしれませぬ。

 それにしても、まったく業の深いことですな。人というものは。

 そういえば、尋ねるのを忘れておりました。なぜ八百比丘尼を追っておるのですか。民話を集めるためだけではないでしょう。貴方様は、ただの学者様では、ありますまい。乞食婆も言うておりましたぞ。あの猫のごとき足音は、隠密や忍びの類である、と…。

 ほう、何と、目的は、八百比丘尼ではない。それではなぜ――

 はあ、そういうことですか。聞いてみなければ分からないものですね。てっきり貴方様も不老不死の霊薬でも捜し求めているのかと訝っておりました。そうですか、あなたが捜し求めているのは…。

 旅のお方。貴方様の旅はまだ終わらぬようですな。浅ましき業に囚われてしまわぬよう、お気をつけ下さい。

 旅していれば、またいずれお会いできるやもしれません。

 そのときを楽しみにしております。貴方様が探し求めているものに、果たして辿り着けるのか。出会うことができるのか…いつか、その話が聞かせてもらえることを。

 そのときには、私も、私自身の話をして差し上げましょう。

 さようなら、旅のお方。数十年後か、数百年後か、いつか…巡り合う時まで。

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