第六話 童子の語り

 墓の存在を知った私は、比丘尼が姿を消す前からともに暮らしていたという老爺を探した。しかし比丘尼が寝起きをしていたという社や洞窟付近には見当たらず、更に遠い砂浜に、それらしき老人を見つけた。長く白髪を垂らしている老人が、童子の着るような襤褸を纏っていた。近くに一人の童子がおり、二人で砂浜の上で何かを探しながら歩いているように見えた。近づこうとすると、私の姿を遠めに気づいた途端に逃げ去り、それを追いかけて行った童子ともども姿を消してしまった。後を追ったが見つからず、村を探し回ったものの、どこにいってしまったのか、一向に姿を見せなかった。

 「坊は大人を怖がっているから、つかまらないよ」

 童子に話しかけられたのは、昼も過ぎ砂浜に座り込んでいるときであった。

 「あんたが比丘尼様の話を聞こうと村中を回っている人?」

 見れば十歳ぐらいの日に焼けた少年であり、声には微かに刺々しさがあった。

 童子に名を尋ね、坊とは誰のことを指すのかを問うと、私が探している老爺のことであるという。なぜ坊と呼ぶかと聞くと、

 「呆けちまって、頭が子供の頃に戻ってるのさ。会って話を聞こうとしたって無駄さ。自分が誰かもあまり分かってないし、もう言葉が殆ど分かんなくなってる。それに、大人を怖がってるから、近づこうとするとすぐに逃げるし、捕まえたって何も喋りやしないよ」

 そう説明した童子は、私の素性を確かめると、姿をじろじろと眺めた。

 「お偉い学者様には、まるで見えないや、野良作業のかっこのまま旅してるみたいだ」

 そういって、胡散臭そうな眼差しを向けた。

 「比丘尼様のことを聞きたいんだろう。おいらも時々遊んでもらった。大人から隠れてこっそりだけど。だからおいらが知っていることなら話してやってもいい。だからあんまり坊を追い回さないでくれよ。あんたに追っかけられていることに気づいて、どっかで怯えながら逃げ隠れてるよ」

 聞けば、妙な噂が広まってより、比丘尼には誰も近づかなくなり、子供たちも、親からあの女に近づけば悪い病気がうつる、そういって接触することを禁じられていた。しかしこの童子は親の目を盗んで、比丘尼と会っていたのだという。人目を避けてのことではあったが、姿を消す少し前まで親交があったというのだ。

 「比丘尼様について、村で流れている嫌な噂、あれはぜんぶ嘘さ」

 童子はそう切り出した。

 彼によれば、淫売だとか、詐欺師だとか、梅毒だとか、怨霊だとかの噂はすべて村人たちの妄想なのだという。そしてまた、八百比丘尼だというのも真っ赤な嘘なのだ、と。

 以下はこの童子から聞いた話である。


 あの人は優しい旅の尼僧様だった。ときどき砂浜で会うと、色々なことを教えてくれた。おいら学がないから文字も書けねえ。だからこの村を出たってなにもできねえ。そういうと、砂浜に一文字一文字、字を書いて教えてくれた。文字だけじゃなくて、唄をうたって教えてくれた。おいらが子守唄も知らないって言ったからだ。御伽噺も知らないっていったら、今度は色々なお話を聞かせてくれるようになった。ただの話じゃねえ。この村の連中が知らないような、いろいろな世界の話だった。この海の向こうの話や、この空の果ての話、遠い王国の話や、この国の昔の歴史の話、それまで旅をしてきた、色々な土地での出来事や、不思議な話、その地に伝わる伝説とか、歴史の話とか、聞いているだけでわくわくするような話を、いつもたくさん聞かせてくれた。教えてくれた文字をおいらが覚えたか確かめながら、新しい文字や言葉や意味を教えながら、物語を話してくれた。この世のことを教えてくれた。

 確かに、比丘尼様は変わった所があった。というより、少しずつおかしくなっていったみたいだった。最初はただの旅の尼だって自分のことを話してた。ただ名が分からないって、名を失くしてしまったっていうんだ。それを探すために旅をしてるって。

 名を失くすなんておいらにはよく分からなかった。忘れてしまったの? そういうと、それさえも分からない、忘れたのか、落っことしたのか、奪われたのか、それとも、そもそも名など無かったのかも知れない。そういって悲しそうに笑うんだ。

 名前なんて何だって、自分は変わりゃしないだろう。だから言ったんだ。それなら自分で付ければいいじゃないか、好きな名前を、何ならおいらがつけてあげようかって。そしたら比丘尼様は大笑いした。

 「そうか、それは面白い。さすがに考え付かなかった。坊よ、あなたなら、私に名を何と付ける」

 言われておいらは戸惑った。名前なんて何でもいいだろって言い出したのは自分なのに、何て名前にしようと考えると、なんだかすぐに出てこないんだ。

 困ってもごもご口を動かしてたら、

 「まあよい。そのうちいい名を思いついたら、教えておくれ。もしかしたらその名が、私の失くしてしまった名かもしれない」

 そういって頭を撫でてくれた。

 頭を撫でられたのなんて初めてで、なんだかくすぐったかったな。

 ああ、どうおかしくなっていったかって?

 最初の頃は、自分の名を失くしてしまったっていってだけで、色々なお話を聞かせてくれた。話が上手くて、夢中になって聞いてた。続きが気になって眠れなかったこともある。

 比丘尼様は話をしているとき、自分が話の登場人物になりきってしまうようになったんだ。そうして日によって、時間によって違う名を名乗るようになった。自分の名を忘れてしまったって言ってた比丘尼様が、今度は色んな名を名乗るようになったんだ。

 それだけじゃねえ。いつも優しくって落ち着いていた比丘尼様が、別人みたいに感情的になってしまうこともあった。悲しいことや辛いことを思い出してしまって、泣いていることもよくあった。

 しばらくして正気に戻ると、比丘尼様はこう説明した。

 「きっと、成仏できずに彷徨っている魂がわたしに乗り移ったのだろう。魂をおっことして自分の名を忘れてしまったせいか、今の体は空っぽの入れ物のようなもの。この体を他の魂が狙っておるのよ。まったく困ったこと。さっさと名を取り戻さねば、本当に魂ごと乗っ取られてしまう。自分を失ったまま、帰って来られなくなってしまう」

 そう言うと、比丘尼様は唄を歌いながら、砂に文字を書き始めたんだ。おいらに教えるでもなく、語ってきかせるでもなく、砂に文字を書きながら、砂浜を歩いていくんだ。

 何をしているの? おいらが尋ねると、こう答えたんだ。

 「嫌なこと、辛い思い出、悲しい思い出は砂に書いてしまうのさ。しばらくすれば、波や風にさらわれて消えていくだろう。それとともに、痛みや悲しみ、苦しみを洗い流してしまうのさ」

 「そんなことやったって、文字が消えるだけで、忘れることはねえだろう。意味がないじゃないか」

 「そんなことはない。それに、これはただ忘れるためにやっているのではないのよ。言葉というもの、文字というものは実に面白いものだからね。魂が宿ることもある。念仏を唱えることもできれば、呪いをかけたりすることもできる。まず、言葉にする。辛かった過去を、思いを、祈りを、言葉にすることで形ができる。過去を言葉によって形にするやりかたは、人によって違う。どう形にするかがまずは大切なこと。それからその形を文字に置き換えて記す。一文字一文字に、一言一言に祈りを込めて記すことで、形はより鮮明に象られていく。最初に頭の中で思い描いていただけの形とは、ずいぶんと変わってくる。まったく別の形になることもある。仏像を彫るのと同様で、頭の中でぼんやりと想像していたものが、象るにつれて違った側面を見せ、新たな輪郭の像が象られていく。

 そして最後に、砂浜に記したそれらの文字が消えていくのを、確かに見る、ということ。じつはこれが、一見して何の意味もないように思えて、最も大切なこと。例えば、筆で紙に記してしまうと、言葉は残る。燃やされたりはあるだろうが。勝手には消えることはない。消えることなく刻まれた言葉は、じつは人を縛る力を持っている。自分でも気付かぬうちに、その言葉自体が呪いの楔となって人を縛り、動けなくしたり、操ったりすることもある。たとえ、自分がその言葉を記したこと忘れてしまったとしても、頭の中に刻まれて、その道筋が傷跡のように残ってしまうのだ。だから、記した文字がしっかりと消えてしまったのを見届けることによって、自分を言葉の呪から解き放つことができる。

 それに何よりも、これはただ忘れるためにやっているのではない。掛け替えのない痛みや悲しみまで忘れてしまっては、もはや人間ではなくなってしまうからね。痛みや悲しみ、苦しみを洗い流してしまうというのは、忘れてしまう、ということではないのだよ。さあ見てごらん、私が砂に文字を記した後を。いいことが分かるから」

 おいらが促されて砂浜を眺めてみると、少しずつ波にさらわれて文字が消えていっていた。訳が分からなくて比丘尼様をみると、おいらを見て笑ってる。

 いいことって何さ。さっぱり分からないや。

 「おやおや、本当かい。よく見てごらん。文字が消えたあとの砂浜を」

 まだ、おいらには意味が分からなかった。

 すると比丘尼様は自分が書いて消えてしまった砂浜まで戻ると、屈んで何かを拾い始めたんだ。そしておいらの前まで来ると、手のひらを開いてそれを差し出した。綺麗だろう。これが宝物さ。

 何かと思ったら、それはただの貝殻だった。そこら中に散らばってる貝殻さ。おいらは呆れて、いよいよ比丘尼様はおかしくなっていると思った。それが分かったんだろう。比丘尼様は優しく笑っていったんだ。

 「これは記憶の欠片さ。言葉にして、文字にした記憶、過去の結晶。それが波と風によって削られ、洗い流される一方で、波風が残してくのがこの貝殻たちなんだよ。ぼろぼろで形を成していないものもあれば、破片もある。綺麗な一個の形のままのものもある。でも、どれも美しいだろう、綺麗だろう。私が文字を砂浜に記すのは、これらの破片を拾い上げるためなのだよ。

 ただ全てを忘れるのではない。そんなことできるはずがないし、してはいけない。

 例え全ての『過去』を忘れてしまったとしても、全てを忘れることができたとしても、『今』に辿りついた自分の心、魂というものは、忘れてしまった過去によって削られ、磨かれ、傷つき、象られてしまったもの。

 痛みや悲しみ、苦しみを洗い流すということは、時の波風に晒すことによって、これらの宝石のような欠片を見つけ出すこと。そうして己の魂を磨き、削り、飾ることで、『今』を確かな明日へと繋げていけるのだよ。

 お前にもあるだろう。辛いことや、悲しいこと、苦しいことが。うれしいことや楽しいこと、面白いことが。文字を覚えたならば、それを砂に書いてみればいい。意味があるかどうか、そのうちに分かるときが来るやもしれない」

 難しくて、そのときおいらにはあんまり分からなかった。

 文字を習うようになってから、ただ文字を砂に書くのは退屈だから、比丘尼様が教えてくれた唄や句や、御伽噺を思い出しながら書くようにしていった。そして殆どすべての字を覚えた頃、比丘尼様が言っていたことを思い出してみた。そして自分のことを書くようにしたんだ。最初は上手くできなかった。自分のことといっても、名前を書いただけで、何を書いていいのか、どう書いていいのか分からないんだ。あれだけ唄や御伽噺は書けるようになったのに。いざ自分のことを書こうとすると、何も書けなくなっちまう。ふと、自分はからっぽなんじゃないかって思うようになった。あせって自分の名前だけを何回も何回も書いてしまっていることもあった。そのうちに、その名前が本当に自分の名前なのかよく分からなくなってきた。自分には違う名前があるんじゃないか、なんて。我ながらおかしなことだと分かってるのに、そんなことばかり考えてしまうんだ。

 ある日、比丘尼様がこう助言してくれた。

 「怖がる必要はない。書いたそばから、文字は消えてしまうよ。思いのままに書いていけばいい。唄を歌うように、御伽噺を語るように、お前のことを書いてしまえばいい。美しい貝殻が見つかるまでは時間はかかるだろう。でも、書き続けていれば、いつかきっと、美しい形の貝殻が見つかるだろう。それまで書き続けるといい。お前にとってどのような形の貝殻が美しいのか、どんな破片が宝物となるのか。私はそれを楽しみにしているよ」

 それからおいらは何でも砂に書くようになった。そして消えていくのをみるようになった。時々、貝殻が残っていることもあるけど、あまりいい形じゃない。でも気にせずに、どんどん書き続けた。

 比丘尼様が変な噂を立てられ、村の連中から相手にされなくなっても、おいらは時々通った。そして色々な話を聞かせてもらった。一緒に文字を練習して、貝殻を拾った。比丘尼様は貝殻を拾って気に入ると、持って帰っていた。気に入らないと海に戻していた。そのときは、

「また色々な場所を漂って、美しい形に磨かれて戻ってきなさい。それか、白い砂になって浜辺の一部になるのもいい。風に乗り、波に乗り、世界中に散らばっていってもいい。すべてあなたの思うがままよ」

 そういってまた海に送り帰してあげてた。。

 それから、おいらも比丘尼様をまねるようにしたよ。

 おいらが初めて美しい貝殻を拾ったのは、比丘尼様がいなくなる少し前だった。その貝殻は比丘尼様にあげたよ。とても喜んでくれた。おいらも嬉しかったな。なんだか文字を教えてくれた恩返しができたような気がして。でも比丘尼様の恩はそんなものじゃないけど。

 何を砂に書いたかって? それは言えねえ。比丘尼様とおいらの二人だけの秘密だもの。

 それからしばらくすると、いつのまにか比丘尼様は村からいなくなってた。いつも何処にいるか分からないから、洞窟に籠ってるのか、会おうとして会えないこともよくあった。だから、二、三日会えなくても別に不思議じゃなかった。一週間ぐらいして、やっと村からいなくなったことに気付いたんだ。 

 ああ、あの坊だろ? あの坊はさ、比丘尼様が姿を消す二ヶ月くらい前にこの浜辺にたどり着いたんだ。遠めだから分からなかったと思うけど、皺くちゃのおじいさ。逃げる仕草はまるで子供みたいだっただろ。だからおいらは坊と呼ぶようにしてる。比丘尼様もそう呼んでた。

 呆けちまって、自分を子供だと思ってる。自分の名も分かっていないみたいだ。自分のことを坊っていうし、比丘尼様もそう呼んでたから、おいらもそうしてる。他の村で捨てられたのか、勝手に出てきたのか分からないけど、腹を空かせてこの浜辺にたどり着いたのを、比丘尼様がお供え物の食べ物を分けて世話してやってたんだ。そのうち、比丘尼様を母親だと思い込んだ。比丘尼様も邪険にしないで、母親の振りをしてやってた。ああ、三人で一緒に文字を書いたり、貝殻を拾ったり、唄を歌ったりして遊んだよ。坊は本当に心が子供に戻っているみたいだ。小さな子供の相手をしているのと一緒だ。笑ったり泣いたり怒ったりしてる。まあ、髪は伸び放題でぼさぼさだし、皺くちゃすぎてよくわからないけど。

 二人で一緒に暮らしていたから、比丘尼様がいなくなった後にすぐに聞いたんだ。比丘尼様は何処にいったのって。そうしたら、分からないって泣いていた。お母様がいなくなってしまったって。仕方がないから、その後はおいらが世話してやってるんだ。といっても、坊は洞窟の祠のお供え物を盗み食いして、社に寝泊りしているから、たまに遊び相手になってやってるのさ。おいらだけじゃないよ。他の子供たちも、こっそり親に隠れて遊んでくれてる。おいらが頼んだ。村の連中は、流れてきた乞食だと思って相手にしていない。以前はいじめるやつもいたけど、今はいない。おいらが見張ってるし、いじめていたやつには仕返しをしてやった。坊が逃げるのは、大人にいじめられるんじゃないかって怖がっているからさ。

 なぜそこまでするのかって。だって比丘尼様に頼まれたんだ。いなくなる少し前に。もしも私がいなくなっても、坊の遊び相手をして欲しいって。いじめるやつらから守ってやって欲しいって。比丘尼様には返しきれない恩があるしな。約束しちまったんだ。可哀想な坊を守ってあげるって。

 ああ、比丘尼様の名前を付けてやったのかって?

 色々考えてみたんだけど、どうしてもぴったりとくる名前が思いつかなかったんだ。そのうち自分のことを書くことで頭がいっぱいになってた。気がつくと、比丘尼様は何処かにいなくなっていた。

 何処に?

 きっとまた旅に出たんだと思う。そして、おいらみたいに文字もしらない子供に、色々なことを教えているんだと思う。


 童子はそこまで話すと、会話を終えようとした。しかし私は、彼の語ったことで、いくつか気になる点に気づいていた。まず、彼は、老爺は大人にいじめられることを怖がる、と話したのだ。ということは、過去に大人にいじめられた可能性が高い、ということである。さらに、少年が老爺と親しくしているのならば、乞食婆が告げた、老爺が守っている比丘尼の墓の存在も知っているはずである。それを言わないのは、こちらが墓の存在に気づいていないと思って、隠そうとしているのであろう。

 私が童子に、乞食婆から墓のことを聞いたことを話すと、案の定、表情が変わった。しまったという風な顔で舌打ちをすると、こう呟いたのだ。

 「あのくそ婆、あれだけ言うなっていったのに」

 童子は素直に墓の存在を認め、なぜ隠そうとしたのかを説明した。

 おいらも墓のことは知ってる。それを隠そうとしたのは、さっき話した比丘尼様との約束のため――あの坊を守るためさ。あの坊が、あまりに可哀想だからさ。

 私がその言葉の真意を尋ねようとすると、童子は遮るように激しい口調で疑問をぶつけてきた。

 「どうしてそんなに比丘尼様の最後が知りたいのさ。村を出て何処かへ旅立ったでいいだろう。これ以上、何のために、なにが知りたいのさ。

 私はいらだつ童子を説得した。自分が八百比丘尼の伝説、民話を辿ってここにたどり着いたこと。村の者たちが話を聞いたが、みな言うことが異なっていることを。

 童子はじっと私の目を見ると、一つ大きなため息をついた。そして私に約束させた。あの坊をけっして苛めないこと。墓の場所を教えても、誰にもその存在も場所も明かさないこと。そして墓を決して暴いてはならない、ということを。そしてもう一つ、意外なことを約束させられた。

 「おいらも墓の場所は知っている。でもあそこは、坊が比丘尼様のために守っている大切な場所なんだ。坊の許しがなければ案内するわけにはいかない」

 童子が私に約束させたのは、あの坊と呼ばれる老爺と一緒に遊んでやる、というものだった。

 私が快諾すると、童子はその場で待つようにいった。そしてしばらくすると、何と坊と呼ばれる老爺を連れてきたのである。

 「実は、おいらが隠れているように言ったんだ」

 坊と呼ばれる老爺は、童子の影に隠れていて、あからさまに怯えているのが見て取れた。真っ白な髪が顔を覆っていたが、驚くほどに無数のしわが刻まれているのだけは分かった。

 童子に言われるまま、まず私は唄を教わり、それからその唄にあわせて文字を砂浜に書いていった。それから波によって消えるのを待った。しばらくすると、貝殻が残されていないかを確かめ、拾いながら歩いた。やがて三人ともに散らばって貝殻を集めだし、一時間が過ぎた。老爺はこちらをちらちら伺い、びくびくと警戒を解くことはなかったが、次第に貝殻集めに夢中になっていった。

 そんな遊びに連日付き合い、三日が過ぎた。童子が比丘尼に教わったという唄は数多くあり、なかなか興味深いもので、大きな収穫であった。

 坊が私を認めてくれたのは四日目のことであった。集めた貝殻を差し出すと、おずおずと受け取り皺くちゃの顔をゆがめて、嬉しそうに微笑んだのだ。その表情は、皺だらけの老爺であるのに、天真爛漫な幼児の笑顔であった。

 老爺がこちらを振り返り振り返り、何処かへ行こうとしていた。

 「いきなよ。あんたは許されたんだ。墓に案内してくれるよ」

 老爺を先頭にして童子に挟まれ、一時間ほども歩いた。道もない林をかき分けて抜け出すと、そこには断崖に望む小さな岬が開けていた。素晴らしい眺望の場所であった。

 岬の突端にあるそれは、一見して墓だとは思えなかった。確かに卒塔婆のようなものが一本、砂の上に突き刺さっていた。その下に散乱して積み重なっているのは、たくさんの貝殻であった。大きいものから小さいもの、形あるものから小さな破片まで、無数の貝殻が、粗末な木の板の卒塔婆を中心にして散りばめられていた。

 「これが…比丘尼の墓ですか?」

 「ああ、卒塔婆の文字はもうかすれてしまって読めねえけどな」

 「やはり、亡くなってしまわれているのですね。でもいったいどうして…」

 「いや、比丘尼様が亡くなったかどうか、本当においらは知らないんだ」

 「なぜです。これは墓なのでしょう」 

 「ああ、でも、誰がいつ立てたのか、誰も知らないんだ」

 「そんな、まさか…」

 「いや、本当さ。ただ、坊はこれを自分の母親の墓だと思ってる。だから間違いない。だからこうして、美しい貝殻を拾ってはお供えにやってくるのさ。もしかすると、坊が立てたのかもしれない。でも坊に聞いても、話してくれないから、何も分からないんだ。でも確かなことが一つだけある。

 ――ここには、いまはもう、比丘尼様の死体は埋まっていないんだ。

 なぜそれが分かるかって。掘り起こして確かめたからさ。おいらじゃないよ。墓を掘り起こしたのは、ここに墓があることを知った、村の大人たちさ。

 おいら言っただろう。坊は大人を怖がるって。それには理由があるんだ。比丘尼様がいなくなってから、ここに墓があることを知った村人が、何人も掘り返しに来たんだ。誰が最初に坊が守ってるこの墓に気づいたのか、それは分からない。おいらも知らなかったことだからね。でも、泣きじゃくる坊に連れてこられて初めてここにきたとき、既に墓は掘り起こされてた。最初は、きっと村の誰かが比丘尼様の死体を掘り起こして盗んでいったのだと思った。

 坊に聞いても、何も分からなかった。坊は泣きながら、必死に周囲に散らばった貝殻を集めていた。そしてそれを穴に投げ込むと、ぼろぼろの手で埋めなおしていくんだ。

 おいらはそれを手伝ってやった。ここが本当に比丘尼様の墓なのか、誰がこの墓を掘ったのか、いや、そもそもどうして死んじゃったのか。掘り起こしたのは誰なのか、死体はどこにいったのか。何も分からないまま、おいらも泣きながら墓を埋めたよ。悲しかったな。おいら、比丘尼様は村を発って、ほかの村でおいらのような文字の読めない子供にまたいろいろな話を聞かせてくれてるって思っていたから。

 でも、悲しいのはそれで終わらなかった。

 おいらはこの墓のことを秘密にして、他の誰にも言わなかった。他の子供たちにも内緒にしてた。坊も、案内してくれるのはおいらだけだった。でもどういうわけか噂は漏れ出していくんだ。それも一気にじゃない。一人、一人と誰かがこっそりと順番にこの場所と墓の存在を教えているみたいに。

 そう、村人が何人もこの場所にやってきた。こっそりと、人目につかないように。順番に。ある時、おいらはそれを隠れてみていた。最初は一緒に隠れていたけれど、坊は我慢ができなくて、すぐに飛び出した。

 村の連中は、止めようとする坊を殴った。

 おいらもすぐに出て行って、村の連中を止めようとした。そこにはもう何も埋まってないって叫んだ。でも、信用してもらえなかった。

 連中は、おいらたちを暴れないように縛ってから墓を掘り起こした。何も出てくるはずがない。貝殻だけさ。そんなこと、埋め戻したおいらは知っている。

 みんな口々に勝手なことを言って、おいらと坊を問い詰めた。

 誰が殺した。誰が埋めた。

 あの比丘尼の死骸はどこにいった。

 女たちが寄進したお布施は何処に隠した。

 男どもが貢いだ金品は何処へやった。

 我より先に誰が掘り起こしに来た。

 そこには何が埋まっておった。

 そやつらは墓を暴いて何を持ち去った。

 坊に言葉が通じないと分かると容赦なく殴りつけた。男も、女も。ああ、おいらもしこたま殴られたよ。そんなことが何度もあった。

 あいつら、何も見つからないことが分かると、震えて泣いている坊とおいらに、決まってこういうんだ。自分達が墓を掘り起こしたことをいうな、この墓のことも漏らすなって、皆、強く脅してから帰っていくんだ。

 墓が掘り起こされるたびに、坊と二人で埋めなおしてやった。また貝殻を拾って集めて、埋め戻してやるんだ。体中が痛かったし、辛かった。村の連中が憎くて仕方がなかった。

 結局、おいらには何も分からなかった。比丘尼様の行方も、この墓が誰がたてたものなのかも。死体が本当にあったのかも、おいらは知らないんだ。最初に見つけたとき、掘り起こされた墓は凄く深かった。まるで死体がないか、確かようとしたみたいに。

 しばらくすると、この墓を訪れる連中もいなくなった。村の大人たちはもうみんな知っているのかもしれないし、知っているのは、噂を流された一部の人間だけかもしれない。でも、村では表立ってこの墓のことを言うものはいない。みんな知らん振りをしているみたいだ。

 ようやく落ち着いてきたところなんだ。見てよ。こんなにたくさん貝殻が積み重なっているだろう。これはおいらと坊で集めたものなんだ。あいつらが何度も掘り返しても、持っていくやつはいなかった。村の連中にとってはごみさ。でもおいら達にとっては宝物なんだ。

 だから、もう坊を悲しませるのはやめてくれよ。

 比丘尼様に何があったのか、何処に行ってしまったのかは分からないけど。

 もう約束を破るわけにはいかない。坊を守ってあげなくちゃならない。

 だからお願いだよ。坊だってきっと、もうそんなに長くはない。そのときまで一緒に遊んであげなくちゃ。だからそっとしておいて欲しいんだ。頼むよ」

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