第五話 乞食婆の語り

序 

 私が盲目の老婆に話しかけられたのは、夜半、一人で満月の明かりを頼りに散歩しているときであった。

 網元の屋敷を出てすぐに、二つの気配に気付いていた。誰かが、私が屋敷を出るのを待って闇夜に潜んでいたのだろう。それも一人ではない。いつどこで話しかけてくるだろうとしばらく散策していたが、声をかけるどころか、どこまでもひたひたと付いてくるばかりで、距離を縮めるようなところもない。

 こちらが立ち止まれば、気配もぴたりと動くのをやめていた。監視されているだけなのだろうかと思い、あちらこちらと所在無く村を巡るうちに、月は雲に隠れ、辺りは闇に包まれていった。それでも私は構わずに歩き続けた。すると、気配の一つが途絶えた。それでも残った気配の一人は私と一定の距離を保ったまま追ってきている。そして私はあることに気付いた。

 私は鍛錬をしているため夜目が利くが、常人ならば道どころか前後も分からない闇夜だ。だから月が薄雲に隠れると同時に、気配が一つ消えたのだ。そんな中、一定の距離を保って私を追ってくる、もう一つの気配の所有者は、常人ではない。

 どうしたものかと往生していると、気配が近づいてくるのが分かった。迷うことなく、まっすぐに己のいる方へと近づいてくるのだ。

 暗闇の中、微かな月明かりの元に姿を現せたのは、粗末ななりをした一人の老婆であった。

 「――旅のお方、比丘尼様のことをお知りになりたいのであろう」

 老婆はぼさぼさの白髪を顔の前面に垂らしおり、その表情が分からなかった。

 この暗闇の中で、よくぞ自分に辿りついたものだ、そう言うと、

 「そのようなこと、わしには雑作もない。暗闇も何も関係ありゃせんわい。盲目なのじゃからな。盲の乞食として、何年も村を物乞いしながら歩いておるため、この村の地理は知り尽くしておるし、躓くことなどまずないでな。それに、盲てしまってから、人の気配には人一倍敏感になっておる」

 見ると、髪の間から覗く目は、真っ白であった。そこには虚空や闇夜さえも映していなかった。さらに老婆はいった。

 「お前様も実は気付いておったであろう。網元の屋敷を出てからすぐに、わしが後を付けていることに。旅の学者様、か。そう噂が風に乗ってきてはいたが…嘘、じゃな。お前様、只者ではあるまい。

 何とかお前様の足音を辿ってここまでやってきたが、砂の上を歩く足音が村のものたちは別物じゃ。殆ど聞こえてはきやせん。まるで猫のごとくではないか。そのような足音を出すものは、隠密稼業のものか、玄人の盗人ぐらいよ」

 私は乞食婆の話を聞きながら、網元の言葉を思い出していた。村を訪れて二日目に、網元からこの乞食婆については聞かされていた。

 ――頭が狂ってありもせぬ妄想を吐き散らす乞食婆がおる。あの女の言うことは信じぬがよい。

 そして網元はこうも言ったのだ。

 「八百比丘尼などという噂を広めたのは、おそらくあの乞食婆であろう」

 詳しく聞くと、その乞食はかつて村で罪を犯し、村での協議の末、罰として洞窟の中の牢獄に閉じ込められたのだという。辛うじて生き残り、三日後に洞窟から出されたものの、死への恐怖で頭はおかしくなり、塩水か暗闇やられたのか盲目になっていた。それからは乞食となって家々を回って暮らしているという。網元は顔を顰めて続けた。

 「ところが村を回りながら集めているのは飯の残りだけでなく、家の中での会話などにもこっそりを耳を傾けて収集しておる。それを噂話として流したり、ありえもせん妄想を紛れ込ませたりして、村の者達を混乱させよる。だから今では、あの乞食婆の話すことなど、誰も信じようとはせぬ。話し合いで与えた罰から運よく生き残ったため、村から追い出すようなことはせぬが、村中から疎まれておる存在」

 網元はそう話したが、どのような罪を犯したのかに関しては、幾ら問うても明かそうとはしなかった。私はそれでも八百比丘尼説を広めたであろう女として話を聞いてみたいと思っていた。しかし乞食婆は人の目を気にしてか、私の前に姿を現すことはなかった。村でも、その姿を見せることはなかった。

 そのことを話すと、乞食婆はこう話した。

 「わしも、人目につかずに話せる機会を窺っておったのよ。村長もそうじゃろうが、わしにお前様と話してもらっては都合の悪いものが多くいるのじゃよ。今宵は月も隠れ、一人お前様をつけておったものはいなくなった。足音で誰かはまるわかりじゃが、まあそれはよかろう。今はもう、辺りには誰も聞くものはおらぬ。お前様が知りたがっている比丘尼様の真実を、そして村のものたちの嘘を、奴らの秘密を、わしだけは知っておる」

 暗闇の中で向き合った乞食婆が、気配と声を頼りに私の顔をしっかりと見つめているのを感じた。盲目の目で確かに私を捉えて、乞食婆ははっきりとこう言い放った。

 「あのお方は、紛れもなく八百比丘尼様よ。八百年を越えて生き、世を流離ってこられた尊い尼僧様よ」

 私は問うた。しかし、そのようなことを言っておるのは、今ではお前さんだけなのであろう、と。対する乞食婆の答えは、私の興味を惹かずにはいられなかった。

 「ふふ、村の者たちの誰も信じておらぬ、そう申すか。それはな、村人達の嘘よ。村ぐるみで口裏を合わせて、嘘をついておるのよ。あの村長の言い付けでな。真実を言うてやろう。この村の者たちはな、みな知っておるのよ。あのお方が、本物の八百比丘尼様であったことを。知っていながら、皆、知らぬふりをしておる。そればかりではない。それぞれが嘘の噂を流し、あのお方を貶め、蔑み、忌み嫌っておる…」

 乞食婆の声は、堪えきれぬ笑みを含んでいる。

 ――それがなぜか、お知りになりたいであろう。

 私は暗闇の中で、声も出さずに、こくりと頷いた。それを見届けたかのように、乞食婆は何度も頷くと、こういって語り始めた。

 ならば話してお聞かせしよう。なぜこの村の者達が嘘を吐くのか、比丘尼様は何処にいってしまわれたのか…わしが教えてやろう。


 わしはの、知っておる。お前様がこれまで村の者たちの元を訪れ、誰からどのような話を聞いたかを、すべてな。村長がお前様に、わしのことをどのように話したかも、海女や、漁師の話も、翁が話したことも、わしはみんな知っておる。目が見えなくなってからというもの、どうにも耳が敏感になってな、遠くの耳打ち話まで、風に乗って我が耳には聞こえてくる。皆、わしには聞こえるわけがないと思って話している声が、しっかりとわしには届くのじゃよ。時には言葉にせぬ心の声や、彷徨う怨霊の声さえも聞こえてくるほどよ。嘘ではない、まさしく地獄耳とはわしの耳のことよ。

 海女はお前様に言うておったな。あのお方が八百比丘尼だと自ら名乗ったことはない、と。にも拘らず、その言動から八百比丘尼だという噂が立つようになった、と。そして村長は言うたであろう。そのような馬鹿げた噂を広めたのは、この乞食婆であろう、と。

 わしがそのような噂を広めるものか、確かにあのお方は、八百比丘尼様であった。それは間違いない。村でそう気付いたのも、わしが最初であろう。しかしそのような噂を広めたりはせぬ。逆じゃよ。むしろわしは、あのお方が八百比丘尼であることが村の者達にばれるのを恐れておった。そして願っておった。本物の八百比丘尼様であることに気付かれぬように、と。

 なぜ、か。ふむ、答える前に一つお聞きしよう。

 八百比丘尼様に纏わる伝説を集めているお前様は、知っておるのだろう。そもそも八百比丘尼様が不老不死となったのは、人魚の心臓を食らったからだ、という伝説を。ではこれは知っておるか。

 不老不死になった八百比丘尼さまの体は人魚の霊験を宿し、人魚と同じように様々な奇跡を起こす力があると言われているのを。その血は痛みを忘れさせ、肉は齢を若返らせ、その心臓は不老不死を与え、生胆はあらゆる怪我を癒すとされておるのを。そのような伝説を、聞いたことがあるだろう。

 であろう。わしは今は乞食などをやっておるが、学を修めたことがある。人魚についても調べたことがある。その五体は、肉や血だけでなく、骨、髪、爪、鱗、鰭などあらゆる部位に多様な霊験を秘めている。各部位に纏わる逸話が多く残され、土地によって少しずつ異なるが、各地で今も語り継がれておる。

 しかしこの村で、そのような話をしたものがおったか。おらぬであろう。知らぬからではないぞ。その言い伝えは、この村でも伝わっておる。誰もが聞いたことがあるはず。 

 知っておるのに話さぬ、話題にさえ出そうとせぬ。その話題に触れぬようにわざと避けて通る。それは都合が悪いからよ。己たちの犯した罪が、隠している秘密が、ばれてしまう可能性があるからよ。

 だからこそ、村のものたちは、あのお方のことを、八百比丘尼などではない、そう言い張っておるのよ。

 なぜ、あのお方が八百比丘尼であろうと思うか、であろう。

 それは、あのお方に直にお聞きしたのじゃよ。あのお方は、他の者達には素性を話さなかった。聞かれてもはっきりとは言わなかった。己こそ本物の八百比丘尼だ、とは。何を問われても、名とともに忘れてしまった、その一点張りであった。それはあのお方が、村の者達を信じておらなかったからよ。己の素性がばれることを恐れていたからよ。

 あのお方は、この村で虐げられるわしを慰めるために、はっきりと言うたのじゃよ。

 ――わしは、八百比丘尼じゃ、と。

 嘘ではない。噂でもない。わしは確かにあのお方の口からそう聞いた。あのお方は私だけには秘密を明かしてくださった。

 あのお方はの、こう言ったのじゃよ。

 ――私はこれまで、幾度も殺されてきた、傷つけられてきた。知っておるであろう。人魚の伝説を。人魚の心臓を食らった八百比丘尼の血肉は…いや、その五体のすべてが、霊験の宿る霊薬。骨も、内腑も、爪も、全てが伝説に彩られておる。私はこれまで世を流離いながら、血を狙うものたちに幾たびも傷つけられ、血を吸われ、肉を削がれてきた。それでもわしは死ねぬのよ。見て分かるように、この体には傷一つ無い。しかしわしは覚えておる。無数の痛みを、傷跡を、そしてそれを与えた者たちを。あるものは嘲笑しながら、あるものは泣いて謝りながら、あるものは念仏を唱えながら、あるものは欲望に駆られるままに、わしから血を奪い、肉を削ぎ落とし、内腑を抉り出していった。それらのものたちの表情を忘れることができぬ。今でも時折、悪夢のように思い出が襲ってくる。だからの、わしは八百比丘尼と名乗ることをやめたのじゃ。八百比丘尼であることを、ひた隠して生きてきたのじゃ。

 だから老婆よ。言わぬ出くれぬか。他の者達に。わしはこの洞で、海鳴りの音を聞きながら、洞の奥底から響いてくる咽び泣きのための祈り続けていたいだけ。子童と戯れながら美しい貝殻を拾い集め、過去の想い出の供養をしていたいだけ…。

 そう、あのお方は、お可哀想なお方であった。不憫なお方であった。


 だからわしは、あのお方こそ本物の八百比丘尼様だと知っておったが、誰にも明かさなんだ。だが少しずつ、あのお方の正体に気付く者達が出てきおった。この村でも、八百比丘尼の伝説は昔からよう知られた話。いや知られているというような生半可なものではない。信仰されておる、いや、伝説に呪われておる、といって方がいいであろうな。

 そうお前様は知らぬであろう。この村はの、八百比丘尼という伝説によって、呪われてしまっておるのよ。

 明かしてやろう。わしは確かにあのお方に関して噂を流した。しかしそれは八百比丘尼説ではない。

 わしが流したのは、噓八百比丘尼という噂じゃよ。

 あの女はとんだ詐欺師、言葉巧みに世を渡ってきた偽の比丘尼じゃ、とな。

 なぜそのような嘘を吐いたのか、か。

 それはの、あのお方をお守りするためよ。

 分からぬか、言うておることが。もしもあのお方が本物の八百比丘尼様だと村人達が知ってしまえば、この村の者達は間違いなく、あのお方を殺してしまうからよ。

 嘘ではない。嘘を言うておるのは、村の者達の方よ。わしの言うていることこそが、真実。村長はそれを知っていて、予めお前様に釘を刺したのじゃろうよ。わしの言うことは全てでたらめ。頭のおかしくなった女の嘘じゃ、信用するな、とな。

 村長は言うたのであろう。八百比丘尼だなどと信じておるのは、頭の狂った乞食婆だけじゃ、と。まずそれが大嘘よ。この村で、あのお方が八百比丘尼だと誰よりも信じ込んでおったのは、何を隠そうあの村長自身よ。

 ふふ、嘘ではないというに。

 では聞くが、あの男は、病の娘の話をお前様にしたか? せぬであろう。もう村に滞在して幾日も経つというに、娘を会わせたか? 会わせぬであろう。あの男にはの、娘がおるのよ。もう長く病の床についておるがな。それをあの男は、お前様に隠しておるのよ。真実がばれては困るからな。

 この村には定期的に訪れる一人の薬売りがおる。その薬売りは親子数代に渡ってこの村を贔屓にし、村の者達に薬を売ってきた旅の行商人であるが、一番の上得意は村長よ。村長から、不治の病で苦しむ娘のために、各地から新たな薬を集めるように頼まれておるのじゃよ。その薬売りは珍しい様々な薬を仕入れ、この村を訪れるたびに、村長に驚くほどの高値で売りつけておるのよ。そうでもなければ、この貧乏村に半年に一度も欠かさずに通うものか。

 村長の娘は病を経てより、どのような薬を与えても、病は治らなかった。医者はとうに匙を投げておった。そんなあるとき、あの薬売りが持ってきたある秘薬、それが娘に効いたのだ。一時的なものではあったが、痛みが消え去り、気分がよくなり、起き上がるはずのないあの子が、立ち上がって歩こうとさえしたのじゃよ。

 すぐに娘は再び床についてしまったが、村長は喜び、その薬をもっと売ってくれとせがんだ。しかし、薬売りはそれはできないことを告げた。その秘薬は、薬売りが扱ってきた中でもめったに手に入らない、とっておきの秘薬であった。その値も、他に比べて目が飛び出るほどに高かった。薬売りは言うた。わしも辛うじて一服分を手に入れることができたが、そうそう表には出ないものだ、と。原料も、精製法も明かされていないのだ、と。

 半狂乱になって問い詰める村長に困り果て、薬売りは仕方なく答えたのじゃ。

 これは八百比丘尼の秘薬じゃ、とな。

 真実かどうかは定かではないが、人魚の心臓を食らって不老不死となった比丘尼、その血が原料として混ざりこんでいるのだ、と。

 それからも、薬売りは半年に一度訪れたが、その秘薬は手に入らなかった。どうしても見つからん、そう申し訳なさそうに答えるばかりであった。かといって別の薬を処方しても、やはり効果は全くなかった。村長は必死であった。己の知る限りの伝手を頼って、他の薬売りや村を訪れる行商人に依頼をしておったのだからな。八百比丘尼の薬を探して欲しい、と。

 だがの、八百比丘尼の薬を持ってきたものはおらんかった。いや、たまに法外な値段で偽りの霊薬を売りつけようとするものがおったが、全く効果はなかった。村長はそれでも金の算段の付く限りは買い求めておった。

 村長の思いも分からないではない。奥方様の命と引き換えにして得た愛しい子じゃったからな。美しく、気立てのいい、誰からも好かれる自慢の娘であったからな。医者にも見放され、床で苦しみの呻き声をあげ続けるあの子を何とか救おうと、霊薬を一縷の望みとして縋っておったのじゃろう。

 そのようなところに、一人の不思議な尼僧様が現れたのじゃよ。そうあのお方じゃ。最初は胡散臭げに思っていたであろう。あのお方は自らを八百比丘尼などとは名乗らなかったのだから。

 しかし女たちの間で、噂が流れ始めたのじゃ。

 ――あの尼僧様は、伝説の八百比丘尼様ではないだろうか、と。

 そう、村長が探しても探しても見つからぬ霊薬、その源となる八百比丘尼その人だというのだ。

 その噂を耳にしたときの村長の胸中は、いかなるものであったろう。神仏に泣いて感謝したであろうか。

 あのお方が八百比丘尼ではないかという噂が広まってから、村長はあのお方の元を訪れ、床に伏せる娘に合わせた。そうして病を見てもらい、比丘尼様が調合された薬を与えた。その薬とは無論、ただの薬草ではない。あのお方の血が混ぜ合わされた秘薬よ。しかし比丘尼様はそうは言われなかった。とある霊峰の薬草が原料だと話された。その薬は最初に薬売りが秘薬として売ったもの同じように効いた。一時的なものであることは変わらなかったが、娘は痛みから解放され、呻き声をあげることなく安らかな眠りに就くことができたのじゃよ。

 しかしやはり効果はせいぜい二、三日。完治することはない。一時しのぎでしかなかった。なまじ、効果があったのがまずかった。効果が切れれば、娘は再び苦痛に喘ぎ、表情をゆがめて過ごさねばなくなる。安らかな寝顔と、そのような姿を交互に見るのが辛くなったじゃろう。あのお方は何度か霊薬を渡した後、持ち合わせが切れたゆえ、すぐには調合できぬ、そう話された。

 このときも、比丘尼様は己が八百比丘尼であるとは言わなかった。村長に問い正されたときには、そのようなものではない、ただの旅の尼僧じゃ、そう答えておった。また薬の原料に関しても、我らが比丘尼の一族に伝わる秘密じゃとして、決して明かそうとはしなかった。村長の目に宿る妖しい光に気付いておったのじゃろう。

 わしが噓八百比丘尼の噂を流したのは、もしもあのお方が八百比丘尼様だと信じられてしまえば、更なる血を求める村長によってやがて殺されてしまうと思うたからよ。

 よいか、八百比丘尼の霊薬は人魚の霊験を纏ったもの。しかしその効果には限度がある。村には幾つもの八百比丘尼伝説が伝わっておる。言ったであろう。お前様も、知っておるのだろう。人魚の体は、血、肉、生肝、心臓と効能が異なる。その霊験を、八百比丘尼様はその五体に受け継いでおる。血は、痛みを忘れさせる一時的なもの。では何を与えればいい? 娘の病を、海で負った大怪我を治癒させるためには、どうすればいい。それはの、生肝を与えればよいのよ。人魚の生き胆は、あらゆる病を、怪我を忽ちにして治癒するとされているからの。その霊験を同じくする八百比丘尼様の生き胆こそが、娘を病から救うための唯一の霊薬よ。

 そもそもは下らぬ迷信、この時世に信じているものなどそうはおらぬ。だがな、薬売りの秘薬が効いてより、村長は信じ込むようになっておった。

 わしの噂は瞬く間に広まった。だが、遅かった。

 この頃には、村長は殆ど狂うてしまっていたのであろう。

 村長はあのお方が伝説の八百比丘尼様だと信じ込むようになっておった。

 あの一時的に痛みを失わせる薬は、比丘尼の血が原料なのであろう、そう確信しておった。それが切れてしまったのは、幾度も血を抜かれてしまっては体が持たぬからであろう、そう決め付けておった。

 わしの恐れていたことが現実になるには、それほど時間はかからんかった。いや違うな…わしの恐れていた以上のおぞましいことが、あのお方に起こったのじゃよ。身の毛もよだつ恐ろしいことを、あの村長は村人達を巻き込んであのお方にやりおったのじゃ。

 愚かで不憫な村長よ。お可哀想な比丘尼様よ。

 あのお方はの、社に棲み、洞で祈りを捧げていたのではない。かつて牢獄として使われておったあの洞の奥で、足鎖をされて、閉じ込められておったのよ。どこにも逃げられぬようにな。

 何のためか、わかるか?

 毎日のように体を傷つけられ、秘薬のための血を抜かれておったのじゃよ。

 そしてその血は、村長の娘の痛みを紛らわすために使われておった。

 それだけではない。村長は、薬売りに多額の金を借りておった。薬売りの伝手で遠方から名医を呼び寄せたり、高価な薬を各地から取り寄せたためにな。それを返すために、村長は薬売りに乞われて血を横流ししておったのじゃよ。薬売りでさえめったに手に入らぬ八百比丘尼の霊薬、それを売り渡しておったのじゃ。血を元に秘薬を調合する方法は、薬売りが伝授したものであった。

 そうとも、村人たちも皆、知っておること。知っていながら、知らぬふりをしておる。なぜか? やつらもみな恩恵に与っておるからよ。八百比丘尼様の血のな。比丘尼様を洞に閉じ込め、血を抜いて高値で売りさばけば、幾らでも金が入ってくる。血を抜く役を務めたものに、その分け前を与えよう、そう持ちかけたのじゃ。そう大金じゃ。迷うたものはおらんかった。誰もが我先にその役をやりたがった。だから金に困った者達、金が欲しい者たちの間で順番を決め、洞窟を訪れて血を抜く役を務めるようになっておった。村長の思惑通り、村の者たちは共犯者となったのじゃよ。

 そう、誰もが嘘をついておる。他人にも、自分にも。都合の悪いことは一切触れずに隠し、話してもよいことだけを選んで語り、しかも都合のよいように嘘を紛れ込ませ、話を作り変えておるのよ。

 最初にあのお方を見つけた、お供え物を持っていっておった海女の話を聞いたのであろう。あの女は誰よりも金を欲しておった、そして我先に手を挙げて幾度もお役目を務めたがった。己も血を飲むことで足はよくなっておったが、潜り漁ができるまでにはならなかった。子も出来たことで、乏しい夫の稼ぎだけでは不安があった。それに、時折ぶり返す足の痛みや頭が割れるような頭痛に、八百比丘尼の血はよう効いた。

 漁獲量の乏しいこの村で、比丘尼様が洞窟に閉じ込められてからお供え物が絶やされることがなかったのはな、あのお方に滋養を取ってもらうため。訪れた海女が血を抜き、変わりに食べ物を与える役目を担っておった。あの海女はな、村長からお役目代を貰っておったのじゃよ。その上、比丘尼様がお布施として得ていた金品を少しずつ抜き取り、懐に入れておった。それだけではない。あの海女こそ、比丘尼様に夫を奪われたと嫉妬しておった張本人よ。

 あのお美しかった比丘尼様に、あの海女の夫は勝手に懸想しておった。夫は比丘尼様が洞に繋がれる前から金品を貢いでおったから、そのことでも憎んでおった。だから海女は、あのようなあらぬ噂を流したのじゃよ。

 嘘ではない。わしは知っておる。比丘尼様を穢れた遊女じゃと言いふらしておったのが、あの海女であることを。夫の恋心を断ち切るために、そのような噂を流したのじゃよ。もしも夫が比丘尼様への恋にのめり込んでしまえば、比丘尼様を洞に閉じ込めることに反対するかも知れぬし、逃げしてしまうかもしれぬ。だから比丘尼様を淫売の遊女じゃと密かに言い触らしておったのよ。あの海女の夫はの、昔から遊女を嫌っておった。汚らわしいと軽蔑しておった。なぜなら、自身の母親が淫蕩な遊女であり、苦しめられた過去があったからな。それを知っていて妻である海女が、夫を遠ざけるために噂を流したのじゃよ。

 お前様はあの漁師の話も聞いたであろう。そう、あの小男のことじゃよ。ああ、聞いておったとも。漁師頭との三人のやり取りもな。

 漁師頭の話も、小男の話も、どちらも嘘なのじゃよ。実はの、比丘尼様はあの男衆に襲われる前には、誰にも体を許してはおらなかったのじゃ。小男にもな。あのお方が男どもと閨ごとをしておったというのは、すべて男衆の猥談での作り話。卑しい男どもが、自分の遊女との体験を、まるで比丘尼様とのことのように言い換えて自慢しておっただけなのじゃよ。

 比丘尼様の言うことがころころ変わる、嘘つきじゃ、などと言うのは当然よ。男衆は己が知る遊女の寝物語や身の上話を、比丘尼様がそう話したと嘘を吐いておったのじゃからな。比丘尼さまの出身や来歴が異なるのはそのせいよ。

 そしてな、あの小男が比丘尼様に体を許され、寝物語として色々な女の話を聞いたと言っておったのは、比丘尼様を夜這う男衆の閨ごとの見張りをしておったからではない。猥談の場で男衆の話を聞いていたあの小男は、その話を聞いて興奮しておった。そして我が身のことに置き換えて、比丘尼様を犯す妄想をしておったのじゃよ。

 わしは聞いていたわい。あの大雨の夜の、比丘尼さまの悲鳴を。男達の猛り声を。比丘尼様は助けを呼ぼうとして、襲われながら男の名を呼んだ。それはな、あの小男の名であった。比丘尼様は他の漁師達が下卑た視線を己に向け、好きあらば口説こうというの感じる一方で、目さえ合わせず見返りを求めようともしないその小男を信頼しておったのじゃよ。しかしそのとき、小男はどうしておったと思う。あの男はの、暗闇の中で、自分の正体がばれぬことをいいことに、比丘尼様を犯しておったのじゃよ。誰よりも乱暴に、誰よりも積極的に、誰よりも多くな。

 あの夜以降、男衆が、そしてあの小男が比丘尼様に近づかなくなったのは、梅毒を恐れたからではない。比丘尼様が狂ってしまわれたからではない。

 比丘尼様が最後に発した呪詛が、男衆を怯えさせたからよ。

 ぼろぼろで大雨の中にうち捨てられた比丘尼様はの、去っていこうとする男衆に向かって、笑い出したのじゃ。それまでとは別人のような声で、聞いたこともない恐ろしい笑い声上げたのじゃ。今思い出しても背筋の凍えるような、恐ろしい笑い声であった。

 そして無数の男達の誰一人として顔が分からぬ中で、はっきりと小男の名を告げて言うたのじゃよ。

 ――どうして助けに来てくれぬのじゃ。こんなにも名を呼んでいるのに、聞いているのじゃろう。

 小男は、己の名を呼ばれた罪の意識で、二度と近づくことができなくなったのじゃよ。

 あの翁もそうよ。己の犯した罪に、今でも怯えておる。その罪とはな、まだあの翁がまだ若かった頃、古老に名を連ねる前の罪よ。

 そう、四十年ほども前の話よ。あの翁はの、かつて自らの子を孕んだ下賤の女を、生贄にみせかけて殺したのじゃよ。それだけではない。その罪を咎めて己を村長から引き摺り下ろそうとした古老達を、厄介払いのために毒殺した。その上で、不可解な古老たちの死を、洞窟の怨霊の呪いだとする噂を、意図的に広めたのじゃ。

 あの翁も、わしが知っておるとは思っておらんじゃろうな。もしわしが知っておると分かっておれば、当に殺されておる。わしはの、あの翁の奥方に聞いたのじゃよ。奥方が亡くなる前、わしはその身の回りの世話をしておった。呆けてしまっていた奥方様が、死ぬ直前に私に打ち明けてくださったのじゃ。

 翁はその罪に怯え、ある夜、比丘尼様の元を訪れたのじゃよ。

 そう、わしは確かに聞いたのじゃよ。あの男が、逃げるように洞窟から転がり出てくる足音を。恐怖で足はふらついておった。しかしその足音は、紛れもなくあの翁であった。何事かと思って洞窟に入ってみると、比丘尼様が荒い息を吐いておった。しばらく気を失っていたのだという。何がございましたかと聞けば、何と、翁に首を絞められて気を失い、気が付いたときには洞窟の奥に放り出されて倒れていた、と話された。また、殺されかけた――そう泣きながら笑っておられたな。

 あの翁は、気を失った比丘尼様を見て、殺してしまったと思い込んだのであろうな。そしてその体を洞窟の奥へと投げ捨てて逃げていったのであろう。幸いといっていいのか、足枷があったために気が付いた時には宙ぶらりになっておったそうじゃ。比丘尼様は気が付くと足枷の鎖を頼りに、洞窟を這い上がってこられたのだという。

 まだ息が荒く、朦朧としておった比丘尼様は、虚ろな声でこう言うた。

 「――いつだか分からぬが、遠い昔、このよう様なことがあった気がする。首を絞められながら、何かを思い出しそうになった。気を失っている間も、なにやら夢を見ていたような気がする。恐ろしい、思い出してはいけない夢を…」

 その夢がいかなるものかは分からぬ。幾たびも殺されては蘇ってきた比丘尼様は、数多の死の記憶を秘めておった。その一つが思い出されたのであろうよ。

 何? 比丘尼様の行方、か。

 そう、村のものたちはこう言うておったろう。何処にいってしまったのか分からぬ、と。洞窟で死んでしまったのか、海で溺れ死んだのか、誰も知らぬ場所で野垂れ死にしてしまっておるのか、或いは村を出て行ってどこぞをまた彷徨っているのか、と。

 ふん、いけしゃあしゃあと、よく言いよる。

 村のものたちはな、実は皆、知っておるのじゃよ。もう、この世に比丘尼様はおらぬことを。

 おかしなことを言うと思うておるか? 比丘尼様は不老不死の八百比丘尼だと申したのはお主ではないか、そんな顔をしておるのであろう。見ずともわかるわい。比丘尼様は真に八百比丘尼様であった。村人たちも皆、そのことを信じておった。だからこそ、八百比丘尼様はもうこの世にはおらぬのじゃよ。

 この世にはおらぬが、今でも生きつづけておるのじゃ。

 嘘ではない。わしは狂ってなどおりはせぬ。誰も言わぬのであるなら、わしが真実を教えてやろう。あやつらが隠しておることを、話してやろう。

 そう――この村には、比丘尼さまの墓がある。

 まことの事よ。人目にはつかぬところに隠されておるが、確かに比丘尼様の墓。恐らく殆どの村人達は、その墓の存在を知っておる。誰かそのことをお前様に話したか? 聞いておらぬであろう。それを言わぬというのは、おかしいであろう。知っているのに、なぜ口裏を皆で合わせたように頑なに隠しておるのか。例えそれを尋ねたとしても、知らぬふりを決め込むであろう。無論、それには理由がある。それはの、先に話したものたちと同じじゃよ。罪悪感、後ろめたさがあるからよ。

 誰が墓を立てたのか、それはわしにも分からん。だが、病で死んだのではない。ではなぜ死んだのか。決まっておる。お前様も分かっておるだろう。

 比丘尼様はな、殺されたのじゃよ。この村の、誰かに。

 ならば誰が殺したのか。誰に殺されてもおかしくはない。動機など幾らでも、誰にでもある。

 網元が娘の病を完治させるため、その生肝を奪うために殺したのかも知れぬ。さんざん血を売りさばいて借財を返し、さらに蓄財した後でな。血は痛みを消す秘薬、生肝はいかなる怪我も治す霊薬、心臓は不老不死の神薬だと言われておるからの。

 或いは薬売りが殺したやも知れぬ。借財を返した網元から、今度は逆に高額で血を売りつけられることに嫌気が差し、比丘尼様を殺してその血肉を奪い去ろうとしたとも考えられる。

 それとも海女の誰かが、比丘尼様がその美貌で夫を誑かしたと思い込み、夫を奪われた嫉妬に狂って殺したのか。

 はたまた博打の借金で苦しむ男が、比丘尼様の溜め込んでいるというお布施、金品に目が眩んで殺したのか。

 もしや比丘尼様を信じてお布施をしていた女が、遊女だの詐欺師だのという噂に踊らされ、裏切られたと思って殺したのか。

 さては一度は失敗した古老が、怨霊が再び蘇ったものと思い込んで、今度こそは葬ってやろうと縊り殺してしまったのか。

 このように、誰が殺しておってもおかしくはない。村人たちも、誰かが殺したことはわかっておるだろう。だが、互いに互いを疑いながら、お前が殺したのだろう、とは言うことができぬのじゃよ。

 旅のお方、実はな、先ほど明かした比丘尼様の墓には、何も埋まっておらぬのじゃよ。

 なぜ分かるか、か。それに、なぜそれが比丘尼様の墓だと言うのか、か。

 そうさな、お前様の疑問も当然のことよ。

 あの墓を初めて見つけたのは、比丘尼様が姿を消して、一月ほど過ぎた頃であった。この地獄耳によって墓の存在を聞きつけ、この鋭敏なる鼻にて、その場所を突き止めたわしは、その墓を密かに訪れた。噂の源は言うまい、わしもここまで落魄れても命が惜しいでな。

 墓は、既に暴かれておったのじゃよ。深く、無残に掘り返されておった。卒塔婆だけが、少し離れた場所に放り投げられておった。一体誰があの墓を掘り返したのか、屍骸は何処にいったのか。社にあったお布施や金品も、比丘尼様の持ち物も、一切がなくなっていた。それらは誰が持ち去ったのか。

 いや、そもそも誰が比丘尼様を殺し、墓を掘って亡骸を埋めたのか。

 そのときはまだわしには分からなかった。誰が殺してもおかしくないとだけ思っておった。実は墓は掘り返されたのではなく、不老不死の比丘尼様が、復活して土の中から蘇ったのではないか、そのような馬鹿げたことを考えもした。

 だがの、最近ようやく、わしは気付いたのじゃよ。

 あの墓には、もともと何も埋まっていなかったのではないか、とな。

 わしはこう思うようになったのじゃ。

 この村のものであれば、誰にでも比丘尼様を殺す理由はある。

 ならば、比丘尼様を殺したのは、一人ではないのかも知れぬ。

 その考えに至ったとき、おぞましい一つの答えにたどり着いたのじゃ。

 村人達は結託して、あのお方を殺したのだ、と。

 男衆が皆で比丘尼様を襲ったように、計画を練り、それぞれの目的を果たすために、寄ってたかって比丘尼様を八つ裂きにしたのだ、と。

 あの方の持つ血も、肝臓も、体も、心も、噂も、伝説も、金品も、全てをばらばらにして、殺したものたちで分かち合ったのだ、と。

 間違いあるまい。 

 比丘尼様は影で、村長や薬売り、海女たちや漁師たちなどそれぞれの理由で殺意を抱く結託した者達たちによって殺され、物品ともども、体もばらばらにされて奪われてしまったのであろう。

 だから、もう八百比丘尼様はこの世におらぬ。しかし、今も生き続けておる。

 意味が分かるか?

 肉も、血も、臓物も、骨も、ばらばらにされたその血肉は何処へいったのか。村長の娘に与えられ、薬売りに売りさばかれ、その残りはどうしたのか。それはな、村の者達に密かに饗されたのじゃよ。豊漁の宴で、あの村長は比丘尼さまの血肉を、村の者達に与えたのだ。比丘尼さまの肉だとは言わず、人魚の肉だというてな。

 何のためにそのようなことをしたのか、か。

 効果を見ようとしたのじゃよ。人魚の肉には毒のある部位あるという。呪いを受ける部位もあるという。呪いも毒も強烈で、人を別のものに造り替えてしまうなども伝説も多い。同じ霊験を宿した八百比丘尼様の体も、同じであろうと思われておる。

 だから薬売りと村長は共謀し、どの部位がどのような効果を発揮し、どんな毒をもち、どういった呪いを与えるのかを確かめようとしたのじゃ。そして効果があれば、瀕死の娘に与えようとしたのじゃろう。

 そうとも、心臓も、肝臓も、胃も、骨も、不老不死の八百比丘尼様の体は生き続ける。食らったものの一部となって、尋常ならざる事象を引き起こすであろう。呪いであれ、祝福であれ、災いであれ、奇跡であれ、村のものたちの体には、八百比丘尼さまの血肉が息づいておるのじゃよ。この村で、足音を聞き続けたわしには分かる。村のものたちの足音が、比丘尼様がいなくなってより、少しずつ変わっていたのが。以前は重たかった足取りが、少しずつ軽やかになっていったのじゃよ。かつては誰もが、疲れ果てた体を無理やり引きずるような歩みであった。しかしそれが、今では粋のいい魚がぴちぴちと跳ねるようになっておる。笑い声も増えた。ことに女衆の、そして男と女が笑いあう声がよう遠くから聞こえるようになった。

 やはり八百比丘尼様の御利益ではないじゃろうか。あの方はあのような目に遭っても、最後までこの村の行く末を心配し、呪いを解こうとしておった。

 村長の娘の病は治ったのか、か。

 そのような話は聞かぬ。治っておれば、当に屋敷に閉じこもることなく出歩いておるはず。そのことから考えると、間に合わなかったのではないか。

 そう、墓であったな。

 あの亡骸のない墓は、村人達がせめてもの供養のため、罪滅ぼしとして立てたのであろう。流石に村の墓地に立てるわけにもいかず、人目に付かぬ場所に隠してな。

 掘り返した後があったのは、山分けの恩恵に預かれなかった村人が、墓の存在を後から知り、恐らくは金品でも隠されているのではないかと思って掘り返したのだろう。村人たちは、あの墓のことを知らぬことになっている。知らぬ振りをしている、といってもいいだろう。殺したものたちは無論、あの墓のことを言うわけはない。後から気づいて掘り返したものたちも、自らが掘り返したことがばれてしまうため、言うわけにはいかぬ。

 恐らく多くの村人たちは、あの墓の存在を知りながら、後ろめたさゆえに、口をつぐんでおるのよ。見てみぬ振り、気付かぬ振りをし続けておるのよ。

 そもそもが卒塔婆と盛り土のされただけの簡素な墓よ。あの墓守の老爺が死ねば、やがては風に吹かれ、砂に埋もれてなくなるであろう。

 全く不憫なお方よ。

 わかっておる。信じられぬのであろう。わしの言うていることが。嘘だと、そう思うているのだろう。分かっておるわい。村の者達がわしのことを狂女だと言うていることも、嘘の噂話ばかり流す乞食婆だと蔑んでいることも。

 だがの、いっておくが、わしは噂話など流したことはない。嘘など、ついたことはない。ただの一度もな。

 本当のことよ。なぜわしがそのように言われておるかというと、この村では、わしはそのような役目だからよ。この村では、噂話は何よりの楽しみ。誰も彼もが好んで、あることないこと言いふらしよる。それらの噂話は、一通り村中を駆け回り、飽いた村人たちの下卑た好奇心を満足させると、やがて味気なくなってしまう。その頃になると、その噂話の出所が、わしじゃ、ということにされてしまうのじゃよ。ああ、もちろん濡れ衣よ。都合の悪い全ての噂話は、村人たちがひとしきり楽しんだあと、わしが広めたことになってしまう。そうすれば、何だ、またあの嘘つき乞食婆の言うたことか、そう言われて嘘になってしまうのじゃよ。それが本当のことであれ、嘘であれ、わしが言うたことにしてしまえば、全ては作り話にすることができる。

 村のものたちは、噂の出所を知られるとまずいであろう。信じられてしまうし、憎しみあうことになってしまう。だからこの乞食婆を嘘つきに貶め、わしが広めたことにしてしまうのじゃ。そうすれば、噂話は嘘になり、憎まれるのはこの乞食婆だけですむであろう。わしはいつからか、そのような役目を押し付けられるようになっておるのよ。

 ふん。私が嘘つきであるものか。あのお方が、嘘つきであろうものか。

 嘘をついているのは、この村のものたちよ。己の罪を、いや村の忌むべき罪を隠すため、村ぐるみで嘘をついておるのよ。わしは知っている。この村の秘された歴史も、あの洞窟が数多の無辜の命を飲み込んできたことも。

 おぬしは知らぬであろう。

 あの洞窟の奥底に捨て置かれた、無数の骸を。殺されたのはあのお方だけでない。数多の八百比丘尼様が、この村を訪れたのじゃよ。

 かつてこの村には何人もの八百比丘尼が訪れた。その女たちはみな、村人たちに殺されてしまった。あの洞窟の中で。全身を引き裂かれ、血を啜られ、生き胆を抉り出され、幾たびも殺されてきた。なぜ何人もの八百比丘尼様がこの村を訪れるのか、それは分からん。恐らく、この村の周辺で消息が途絶えてしまったという話が八百比丘尼を名乗る女たちに伝わっておるのだろう。

 八百比丘尼様はの、死んでも、死んでも、また生き返ってこの村を訪れるのじゃよ。どういうわけか。

 そしてこの村にたどり着いた八百比丘尼は、先人たちがあの洞窟の中に消えていったという話しを聞き、あの洞窟に入っていく。中に潜んで待ち構えておるのは、足枷を持った男たちよ。殺しはせぬ。洞窟の牢獄につなぎ、血を抜き続け、死ぬまで飼い殺しよ。

 嘘ではない。わしは見たのじゃよ。あの、洞窟の奥底で、使われなくなった牢獄で、無数の骸が転がっているのを。骸となってさえも、八百比丘尼様は死ぬことができず、泣き続けておる、叫び続けておるのよ。あの洞窟の奥底に棲み、怨嗟を声を響かせ続けている八百比丘尼とは、女たちの怨念そのもの。繰り返される輪廻の苦しみの中で、骸となっても死ぬことができず、呻き続けているのじゃよ。

 旅のお方よ。わしは嘘などついておらぬ。わしは誰も殺してなどおらぬ。

 誰が殺すものか、殺したのは、村長自身ではないか。にも拘らず、全ての罪をわしに押しつけおって。 

 それなのに、わしを呼ぶ声が聞えるのじゃ。

 盲目の暗黒の中で、明けることのない真っ暗闇の夜の中で、女どもの悲鳴が、叫び声が、むせび泣きが、わしを呼ぶのじゃ。恨めしそうに。いつまでもいつまでもな――


 乞食婆はそういうと、泣きながら、わしではない、わしは殺してはおらぬ、そう繰り返し呟き続けた。

 その様子はとても尋常なものではなく、まさしく狂女としか思えぬ取り乱しぶりであった。

 再度、墓の場所を尋ねる私に、乞食婆はこう答えを返した。

 「それを教えるわけにはいかぬ。口止めされておるでな。だが、墓を知っておるものを教えてやろう。あの老爺よ。比丘尼様がいなくなる少し前にともに暮らしておったという老爺が、あの方の墓を守っておる。童子たちと共にな。行けば、わしが言うたことが嘘ではないことが、少しは分かるであろう。

 だが、忠告しておくが、深入りするものではない。そなたの命も、危なくなるやもしれぬ。気をつけるのじゃな」


 話を聞いたその日、屋敷に帰ると村長が待ち構えるように立っていた

 「盲目の婆にあったのでしょう…あの、哀れな咎人に」

 そう尋ねると、村長は私を自室へと誘った。有無を言わさぬ雰囲気で、私に促したのだ。乞食婆からいったいどのような話を聞いたのか、を。

 私は村長に乞食婆の話したことを包み隠さずに話した。私自身も、乞食婆の言ったことの真偽を確かめたいと思ったからである。病の娘のこと、墓のこと、そして乞食婆が犯した咎のことを。

 私が話し終えると、村長は一つため息を吐き、辛そうな表情を浮かべた。

 ――哀れな…

 そうぽつりと呟くと、首を横に振った。そして村長は語り始めた。

 そのようなことを、あの乞食婆は話しましたか。まさとは思いますが、信じたりはしなかったでしょうな。話しておってお気づきになられたはず。あの婆は狂うておることに。あの婆は、咎人なのですよ。かつて村の掟を破り、久しく使われていなかったあの洞窟の牢獄に閉じ込められたことがある。暗闇の中で数日間、奥底から響いてくる無数の怨霊達の声を聞いていておかしくなってしまったのですよ。辻褄の合わぬ妄想、起こりえぬ幻夢を思い描き、真実だとわめき散らしておるのです。

 私に寝たきりの娘がいる、そう言うたのでしたな。

 確かに、私には長く臥せっていた娘がおりました。だが当に亡くなっております。

 宜しいでしょう。話して差し上げましょう。この話をするのは、わしにも辛いことなのですが。あの婆は、かつてはこの屋敷に仕えておったのです。我妻が嫁いできたときに付いてきた女中であった。といっても、妻を幼い頃から面倒を見ていた教育係のような立場であったのです。遠い土地に嫁ぐのが不安な妻を案じ、また妻に請われたこともあって、この屋敷にやってきたのです。しかし、妻は子を産むのと同時に亡くなってしまった。もともと体の強い女子ではなかった。あの婆にとって、我が娘は妻の生まれ変わりといってもいい存在でした。それに娘は、瓜二つといっていいほど妻に似ておりました。

 そんな娘ですが、七つの頃、不注意で波に攫われ、岩場に叩きつけられ、大怪我をしてしまった。体が弱くろくに泳ぐこともできぬというのに海に飛び込んだのですよ。それも、あの婆が溺れかけたのを、助けようとしたのです。娘はやさしい子であり、生前の母の話をしてくれる婆を慕っており、祖母のように思っていた。

 結局、婆は無傷で助かり、娘は大怪我を負ってしまった。腰骨を砕き、生涯、身動きが取れなくなったのです。それでも娘は、乞食婆には恨み言は言わなかった。だがまだ七つの娘、痛みと苦しみに耐え切れず呻き声をあげることがよくありました。酷いときなどは一晩中、屋敷にその声が響くのです。辛かったですな、そのときは、いっそ一思いに楽にしてやったほうがいいのではないか、父である私が、いや娘をいとしいと思う父だからこそ、そう思い詰めるほどに。医者が匙を投げたことに関しては、本当のこと。治療法などなく、いかなる薬を飲ましても、痛みを和らげることはできなかった。

 乞食婆は、責任を感じ、身の回りをしておりましたが、自分が原因で寝たきりになった娘の世話をするのは、当然とはいえ辛いことであったでしょう。

 半年ほど経った頃、旅の薬売りが、人魚の霊薬だという触れ込みで、法外な値段で薬を売りつけようとしたことがございました。眉唾だと思うて断ろうとしましたが、それを必死で引き止めたのが、あの婆でした。全ての給金はいらぬ、蓄財も出すゆえ、それを購って欲しい、とな。

 最初は拒んだのですが、泣いて縋るので、その薬を贖ったのです。

 それを与えたとき、確かに娘は言うたのです。大分楽になった。痛みが引いた、と。そして体を起こすことさえできなかったというのに、立ち上がって歩いて見せたのです。

 婆は泣いて喜んでおりましたな。ええ、私も同じです。理由は…違いますが。

 婆は文字通り薬売りの前で額を擦り付けて懇願しました。

 どうすればこの薬はもっと手に入る、この薬はそもそも何なのだ、と。

 薬売りはこう言うたのです。あの薬は人魚を食らい不老不死になった八百比丘尼様の血が練りこまれたもの。八百比丘尼様は人魚を食らった霊験をその体に宿し、その血肉は人魚のように霊薬としての効能を発揮する。霊薬であるため、そうそう手に入るものではない。

 それから婆は取り付かれたかのように、八百比丘尼に纏わる噂を、伝説を集め始めたのです。

 娘はしばらくは痛みが消えたと話しておりましたが、二、三日もすると薬効が切れたのか、また苦しむようになりました。それどころか、以前よりも酷くなったのです。恐らくは、婆も私と同じように内心では気付いていたでありましょう。

 娘が薬が効いたというたのは、財産を投げ打って購った婆の気持ちに応えるために吐いた、残酷な嘘であることが。その際に無理して立ち上がったたために、怪我が悪化したことが。

 そのようなときに、現れたのですよ。この村に、自ら八百比丘尼を名乗る尼僧が。その尼僧は村にたどり着いてすぐ、この屋敷を訪れた。自らが八百比丘尼であると名乗ると、宿を提供して欲しいと私に頼んだのです。まさか本当ではあるとは思いませぬ。だが、あの乞食は違った。

 もうお分かりでしょう。あの婆が犯した罪とは何か。あの婆は、その尼僧を手にかけたのですよ。あの洞窟で。

 血まみれになって現れた婆は、その手に生き胆を持っておりました。そう、八百比丘尼を騙った女のもの。それを娘に与えようとしたのですな。

 まさか、そのようなものなど娘に与えるわけにはいきませぬ。その場で女を捕え、肝臓は捨ててやりました。遺体はどこにあるのか聞けば、洞窟の奥に捨て置いたという。婆は、洞窟に尼僧をおびき出し、隙を見て鎖に繋ぎ、逃げられぬようにしたうえで、殺したのですな。

 使用人が尼僧を殺した、しかも我が娘のために、そのようなことが近隣の村々ばれては困ります。この村はほかの漁師村から漁場を借りてなんとか食いつないでいる寒村。村長を降ろされるやもしれぬし、漁場を借りられなくなってはそれこそ村ごと飢え死にしてしまうのです。そこで仕方なく、尼僧殺しを村の者たちに隠すことにしたのです。村人たちは尼僧の来訪に関しては知っておりましたが、八百比丘尼などとはまだ言うていなかった。異常な事件でしたが、尼僧殺しに気付いたのは、ほんの数人でした。私はその数人に金をやって口止めし、口裏を合わせ、尼僧が早朝出立したことにしたのです。

 罪を隠したからといって、婆を許すわけにもいきませぬ。しかし我が娘を思ってのこと、掟に従って殺すというのも不憫でございました。そこで、真実を知った数人の村人たちと協議の末、忘れられていた村の古式に則って裁くことにしたのです。

 あの洞窟に連れていき、中にある牢獄に三日間閉じ込めることにしたのですよ。大概は満潮時に死んでしまうが、三日後に生きていれば、それが海神様の御意思、ということ。

 十中八九死ぬと思っておりました。しかしあの婆はどうしたものか、生き残っておったのですな。満潮の際の水が低かったのか、ただ運が良かったのか、どうやったのかは分かりませぬが。

 だが、潮風と海水にやられて、目が見えなくなり、頭もおかしくなっていた。

 投獄した際、三日後に助けるとは言わなかったため、恐怖で狂ってしまったのでしょう。それに、あの洞窟の中は女の悲鳴と泣き声が反響し続ける場所。あの女が殺した尼僧の死体は鎖につないで傍らに置いておいたため、三日間、その死体と泣き声に晒されたのです。罪悪感に死の恐怖も相まって、心が耐えられなかったのでしょう。殺した尼僧に祟られるとでも思ったのかもしれませぬ。そもそも、投獄される前、尼僧を殺してその内臓を取り出したときから、いや、娘が大怪我をし、自分だけが無傷で生き残ってしまったことで、既に狂ってしまっていたのでしょう。

 そうして婆は、辛うじて生き残ったものの、屋敷を追い出され、盲目の乞食となりました。物貰いとして村を回りながら、僅かな慈悲と哀れみで命をつなぐ日々を送るようになったのです。村の者たちには、病で苦しむ娘を殺そうとしたため、そう説明を致しました。

 それからです、婆が、くだらぬ妄想を噂として流すようになったのは。あやつは乞食として村を回りながら、哀れみだけでなく、噂まで集めるようになったのですな。村中で盗み聞きをしておるのでありましょう。それを他の家を訪れたときに、食べ物を分けてもらうかわりとして、話すのですよ。他人の家の、隠しておきたいようなことを。村人たちの反応に手ごたえを感じたのか、噂には最初から尾ひれをつけるようになり、やがて勝手に妄想を膨らませ、真っ赤な嘘を言いふらすようになったのですな。

 そんな妄想の中に、娘のことがあるのです。あの女は、まだ娘が生きていると思っておるのです。娘は、婆が洞窟に閉じ込められている三日間の間に亡くなってしまった。幸いなことに、婆が自分のために尼僧を殺したことはばれずに済みましたが。だが娘の死を、あの婆は決して認めようとはせぬのです。

 妄想はそればかりではない。自分で尼僧を殺しておきながら、わしが殺したなどと戯けたことをいいよるようになったのです。罪悪感から逃れるためでありましょう。妄想は次第に悪化し、この村を訪れた数多の比丘尼が、八百比丘尼として村人たちによって殺された。八百比丘尼を村ぐるみで殺し、その血を、五体を薬売りに売りさばいている、などということを言うようになりました。恐らく、いつの間にか消え去ったあの嘘八百比丘尼が切っ掛けとなっているのでしょう。

 確かに、不老不死となった八百比丘尼の体には、病や怪我を治す霊験が宿っている――そのような伝説は伝わっております。しかし、この村でそのようなことを信じているものはおりません。そもそも、八百比丘尼などというものを信じていない。当たり前ではありませんか。

 信じているのは、あの乞食婆だけでしょう。

 娘の怪我を治すため、信じざるをえなかったのでしょう。

 あの女は、今もまだ洞窟の暗闇に閉じ込められ、八百比丘尼という妄想を抱いておるのですよ。

 あの旅の尼僧が八百比丘尼であるなどという噂を広めたのは、恐らくあの婆。海女達から、女の奇妙な言動を聴いて、妄想したのでしょう。いや、それだけではない。詐欺師だ、遊女だ、梅毒だなどの噂も、あの婆かも知れぬのです。あの婆はそうした女。矛盾する噂を広め、村人たちの関心を集め、混乱させるのを楽しんでおるのでしょう。

 無論、村の者たちはあの婆の言うことなど、誰も信用しませぬ。ですが、あの旅の比丘尼がそもそも、村の外から訪れた得体の知れない人間でした。そのため、八百比丘尼ではないかという説は、その出所が隠されたまま、口伝えに広まってしまったのでしょうな。

 はあ、婆が直接、あの比丘尼を名乗る女に話しを聞いた、と。それはありませんな。なぜなら乞食婆は、あの洞窟には近づけぬからです。投獄されて以来、あの洞窟の声を恐れて、あの浜には近寄らなくなっておったのですよ。どういうことかお分かりでしょうか。あの乞食婆は、比丘尼とはいっさい会っておらぬ、ということ。つまり、比丘尼と直接話をすることはできないのですよ。あの女が聞いておったのは、村の女たちの噂話だけ。その噂話を集めて、妄想を膨らませておっただけでございましょう。

 信じられぬと申しますか、学者様。

 それは、あなた様次第でございますよ。

 だが、これだけは言うておきましょう。

 あの、洞窟からの悲鳴…今では聞えなくなった女の咽び泣き。比丘尼を騙る女は、あの声がこの村に災いをもたらすものと言うておりました。無念のまま死んだ怨霊だ、と。さらに古くは、洞窟からの泣き声こそ、海神様の声、お告げだとされておりました。

 村の中には、あの音がやんだことを、比丘尼様の祈りが通じたのだ、などと信じているものがおるようです。全くくだらぬことですよ。わしはあの音の秘密を知っております。教えて差し上げましょう。声が聞えなくなったのは、洞窟で岩盤が崩れ、内部の構造が変化したからなのですよ。あの洞窟は、人も通れぬほどの細い空洞を通じて、外と繋がっておるらしいのです。その出口は何処かの断崖だとされております。そこから吹き入れる風の通り道が変わったことで、音が変化したのですな。その昔、巫女たちはその仕組みを知っておって、内部で石や木の板を動かすことで、洞窟からの聞えてくる声を操作しておったのです。そうして風音を七色に変化させ、それを海神様のお告げとして伝えておったのですよ。まったくとんだ海神様でありますな。

 なぜそれを私が知っておるのか、ですか。教えてもらったのですよ。村を訪れる旅の薬売りに。その男は、同じく薬売りであったその父の代より、この村と付き合いのある者。だからのこの村のことにも詳しいのです。その薬売りが、先代から聞いた話として、教えてくれたのです。

 つまり、怨霊も、怨念も、ただの迷信。理屈が分かってしまえば、なんと言うことはない。恐れることもない。

 なぜ岩盤が崩れたのか、それは分かりませぬ。気付かぬ小さな地震でも起こったのか、長い間波風に晒されたからか…どちらにしても、あの比丘尼を騙る女が関係してるとは思えぬこと。ただ祈っておっただけで、岩盤が崩れることなどないのですから。比丘尼がいなくなってから音が聞こえなくなり、変わってしまったのは、ただの偶然でしょう。

 学者様、下らぬ迷信や噂話に惑わされることのないようお気を付けください。それらは先人が残した忌まわしい呪いのようなもの。ただの嘘が、信じてしまえば、それは確かな呪いとなって降りかかる。信じるも信じぬもあなた様の自由ではあるが、このご時勢に呪われてしまわぬよう、気をつけるのですな。

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