第2話ミヨンへ

 街のにぎわいはそう変わらないように思えた。むしろ昼時より街角で世間話をする人々が多い。少し強い風が吹いて、小石が転がるようにぱらぱらと人々が温かい飲み物を売る露店に集まっていく。リュドミトも首を縮めほんの少し歩を早めた。

(もう狩月も終わりだもんね)

一年は十一ヶ月、耕作のある春以外は二十七日間。今は九番目の月、狩月の二十日を過ぎている。ツツポイはリュドミトが住んでいるソグのミヨンよりも少し北で、これまた少し標高が高い。この辺の人たちが寒がっているのであればリュドミトにはもっと寒い。露天商のテントにかけられたあたたかそうな襟巻きは初めて訪ねた日こそ早すぎるような気がしていたが、今ではまっとうな季節の読み具合だったとわかる。

 そんな衣料品を扱う広場の北側から東側にまわって、食糧品店が並ぶ一角でリュドミトは声をかけた。

「ヒュー」

ヒューと呼ばれた、はちきれんばかりを遠く通り越してすっかりはちきれた女がその体格と同じように大きく笑った。

「仕事はうまくいったかい、リュット」

「うん、おかげさまで」

「その髪じゃ寒いだろう?早速これ巻いちゃいな」

そう言ってリュドミラが好きな深い紺色をした襟巻きを渡してくれる。今朝、納品前の朝一番に街をふたりで探索して手に入れたものだった。ヒュー――リュドミラの母の妹にあたるヒュリデノが言う通り確かにいつになく首周りが寒い気がして、

(髪、長いときもあんまりおろしてなかったのにな)

変なの、と思いつつもその柔らかな襟巻きを巻いた。仕事の邪魔にならないようにくるりと襟周りを一重だけする丈のものを選んだが、編み方が工夫されているのかボリュームがあって十分暖かい。ツツポイで冬を越すならともかく、ミヨンにいる分にはこれで十分事足りるだろう。

「お金、宿に帰ってからでいいかな」

「もちろん。コヤナ貨でいいからね」

こちらから何も言わずともそう付け加えたおばに、

「……それ以外でもいい?仕事はうまくいったけど、支払いがちょっと変更になって」

リュドミトがそう申告すると、

「値切られたのかい!?」

すごい勢いでヒュリデノが食いついてくる。

「ううん、逆。ほら、不定三打が鳴ったから。家令補の人が気を利かせてくれて支払いがコヤナ貨にならなかったの」

そう言うと、納得したようにヒュリデノがうなずいた。

「こっちもびっくりしちまったよ。あのクンムー王が、ねえ。泥塵病にも手立てしてくれた立派な人だったのに」

ソグの民の間ではクンムー王といえば泥塵病だった。ソグでも南部の大河沿いから流行り始めたこの病は、ある日泥がはねたような灰色の痣が体に現れたかと思うと、体の先端から水分を失い塵のように砕けて死に至る恐ろしいものだった。またたくまにソグの全土、それから東と西のトゥグとオヌキュエにも広がっていったのは、忘れもしない三年前のこと。リュドミトの父と母もこの病が原因で命を落とした。農家を営む母方の家も多くの家人が死に至り、行商を担当しているヒュリデノは更に風評とも戦わねばならずてんてこ舞いだったという。そういった諸々に終止符を売ったのがクンムー王だった。目にも見えない細かくなったとある魚のフンが感染源となって人々や水場を汚染していったことを突き止め、同時にそれを浄化・防止する手立てを各国に流布した。

「客足はさっぱりなのに人は多い。みんな何があったか不安で外に出てこずにはいられないんだ」

そう広場を眺めるヒュデリノの目には憐れみが浮かんでいた。彼女もリュドミトも、仕事はすれど所詮この国の国民ではない。残名の王は各国に影響するとはいってもそれは泥塵病のような大きな問題が出たときの話で、実際リュドミトが危ぶんだようにはせいぜいコヤナ貨の価値が下がるのを気にかける程度だ。先行きの不安は余り感じていない。だが、ツツポイの人は別である。頼りにしていた自慢の王が殺されたとあっては不安になるのも無理はなかった。

「さっき対応してくれた家令補の人も跡継が決まってないって言ってた」

「ああ、そうだ。その家令補は信用できるんだろうね?どうもあの領主館にいるやつらは胡散臭くてねぇ」

これは仕事前にも散々言われていたことだった。

「大丈夫だってば。前は組合に依頼もなければ契約書も、下手すると報酬もなかったんでしょ?今回はちゃんとその家令補の人が組合に出した依頼を受けたんだし、契約書も締結してくれたし、ちゃんと応接間で対応してくれたもん」

そこまでくると逆に胡散臭いよ、とため息をつくヒュデリノをなだめながら、午前中一緒に買い込んだ一家へのお土産を整理し始めた。


 そして今。夜も更けようと言う頃、リュドミトは街道沿いで野営の準備を進めている。

(やっぱり王が殺されるって大事なんだな)

どうも商売になるような気配がしなかったから早めに宿へと引き上げた二人だったが、困り顔の主人が早々に謝ってきた。弑逆の輩を誅さんと、南部を巡検していた騎士隊や傭兵たちが王都へ向かう街道の一端であるツツポイに大挙して押し寄せてきているのだという。そういうとなるほど忠心の兵たちよ、と思えるのだが、主人いわくここいらの兵はそう上等な奴らじゃないらしく、今は早々に酒場に出払っているという。帰ってくれば年若いリュドミトの容姿や下げた剣に対して、何かしら突っかかってくるだろうとのことだった。すまないね、と謝る主人に、いいんだよ、あんたのせいじゃないんだから、と気風よく言ったヒュデリノはリュドミトの方を振り返ると、

「リュット、あんた今から一人で先に帰れるかい?」

と言い出した。

「不定三打が鳴ったから家でもある程度は把握してるとは思うけど、こんなに色々動きが早いのはどうもおかしい」

リュドミトにはよくわからなかったが、商いのことでおばが言うことに間違いはないだろう、という思いがあった。

「ヒューは?」

「あたしは荷物があるからね。掛け金の回収もできるかわからないけれど、やるだけやってみないと損を見るだけだし。予定通りここで一泊して、明日早めに引き上げることにするよ」


 クンムー王の前の残名の王はソグの囁吟王オワケートといった。残名位二年目の年末に泥塵病が発生した後はその対応に追われた。その恐ろしい問題に対して見事な手腕を見せたクンムー王に残名の位を譲った後もソグ国王としては在位したままだったが、半年もたたないうちに朝議の最中に倒れて亡くなった。クンムー王が泥塵病で名を上げたのであれば、囁吟王はその寿命を縮めたのだろうと言われている。そんな不意の死ではあったものの、すぐに後継として指名されていた王都の近くの某領主が新たな王として立った。冒険者として初めての仕事が葬礼用の花集めだったこと、ミヨンのような辺境の街でもそれなりの規模で静かに弔われたこと、それから昼間のツツポイの街のことを思い出し、リュドミトは一人身震いした。


 物思いに沈みながらも寝床の準備ができた。ツツポイとミヨンの間は村らしい村がない。農耕地の彼方に遠く小さく家か小屋の影が見えるものの、日も沈んだ時間にわざわざ訪ねるのもお互いちょっとした冒険になってしまう。ひとりの野営はもう何度かこなしているし、薄気味悪い森の中ならともかく今は狩月の末、収穫も終えて見通しの良い街道沿いである。不測の野営を助けるために植えられているという街道沿いの目印である大樹の陰にリュドミトは身体を寄せた。少し南に下ってきたこのあたりはヒュデリノが持たせてくれた大布があれば十分過ごすことができるし、今日は月と大星が両方出ているから十分明るい。虫もおらず、野営日和と言えるかも知れなかった。

 最初に身じろいだのは荷馬であった。ぴくりとその身を震わせ、その物音ですっかり熟睡していたリュドミトが少しずつ眠りの世界から戻ってくる。足音。獣、いや騎獣のもの。数は多くなくて、多分一頭。急いで走るわけでもなく、淡々とツツポイの方から聞こえてきている。

(うちと同じで早馬かな)

そう思いながら、大布に包まったままなんとか目を開けて木陰から足音の方向を覗く。

 それはなんともバランスが悪かった。騎獣がやや背が低い割に、乗っている人間がどうも大きいらしい。獣の背をまたいだ足がつくということは流石になさそうだが、多分あのスピードで進んでいる理由はそのバランスの悪さのように思える。騎獣はラバかな、と見当をつけつつ更に目を凝らした後、リュドミトは一気に目が覚めた。

「……こんばんは」

立ち上がって声をかけると騎乗の者がリュドミト殿、とつぶやいた。ツツポイ領主家令補、ヌールだった。


 ラバから降りて手際よくかまどを作ると火をおこし始めたヌールが語る。

「暇を告げて許された頃にはもう馬が接収された後でな」

領館に住んでいたから家もない。宿も満員。明るい夜道であるのはわかっていたから、残っていたラバを買ってやむなく少しずつ進んでいた。そんな話を聞いて、リュドミトは同情する。ここにも急な進軍の被害者がいた。

「このまま調べるにせよ、あるいは何か別の場所に向かうにせよ、当面コヤナの中ではまともな足を得られそうもない」

そこで発想を変え、ソグに抜けることにしたのだという。

「それに今のあのツツポイを見る限り、変に国内で嗅ぎ回るよりもミヨンあたりにいたほうがよほど安全に立ち回れそうだ」

「ツツポイは大丈夫でしょうか」

「わからん。数日はもつだろうが、あのできそこないどもが出立を遅らせれば遅らせるほどまずい状況になると思う」

であれば、ヒュデリノは大丈夫だ。だが、

「領主様はなんと?なにか手立てをお持ちではないのでしょうか?」

「残念ながら」

男が言葉少なに首を振る様子に、リュドミトはおばの言葉を思い出していた。

「リュドミト殿は?明日発つ予定を早めたのか?」

「はい、実は――」

行商のおばと行動を共にしていたこと、そのおばから早駆けしてミヨンの家人に伝えてほしいこと頼まれた旨を説明する。

「なるほど。叔母上は慧眼だな」

「明日発つとは言っていたものの心配だったのですが、伺った限りなんとか大丈夫そうでほっとしました」

心の底からそう言うと、ヌールがうなずいた。

「領地の管理がなっておらず、申し訳ない」

「もう退官なさったのですから、ヌール様がそのように謝られる理由もありませんよ」

「そうか」

月と大星が明るい分、他の綺羅星はあまり見えない。しかしそのような夜空に目を向けて、ヌールはなにか考え事をしているようだった。一定の勢いとなった焚き火の火が、その年月の陰影が刻まれた横顔をゆらゆらと照らす。

「……お尋ねしてもいいですか」

「うん?」

「クンムー王は、どんな方だったのでしょうか」

南端のツツポイ領はおさえが消えた途端に領地の雲行きが怪しくなっているが、逆に言えば治めている王がいた間はそれなりになんとかうまく回せていたということである。そして領民たちの不安げな様子。ただ泥塵病を根絶した残名王以外の顔を、国民がよく知る顔を、リュドミトは尋ねてみたくなった。

 ヌールはしばしの沈黙の後、

「我が王は――」

そこまで言って一旦言葉を切った。探し直してもう一度語り始める。

「我が王は、素晴らしい方だった。義に厚く情深く、人を取り立て育てるのも使うのもうまかった。王のために命を捨てるという者があれば、生きて世を、国を、人々を盛り立てよ、生き延びよ、と。穏やかに叱咤する方だった」

日中と変わらぬ声の調子で語られたが、どこか万感の詰まったその言葉にリュドミトはそっと頷いて口をつぐむ。静けさを取り戻した夜に、ぱちりと焚き火の音が響いた。

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