ファザエ国集説

num.

流輝王クンムー崩御

第1話 弔鐘

 昼下がりの街に鐘が鳴る。平時の、時を告げる鐘とは異なる低い音が重くあたりを支配した。


* * *


 その鐘をリュドミトはツツポイ領主の館の小さな応接間で聞いた。ここツツポイはコヤナ国、リュドミトが籍をおくソグの隣国である。しかし彼女はその鐘の意味を知っていた。彼女だけではなく、どこの国の民でもこの低い鐘の意味は知っている。打ち方は色々あるが、今回は三度。うち二回目が短く鳴らされた。しばらく置いて、また同じように三度。間違いなく伝わるよう、そして動揺した打ち手が誤っても訂正が効くよう、正しい打ち方で五度繰り返される取り決めだ。今頃、各国で同じ鐘が鳴らされているはずだった。

 でも、どうして。

 目の前に立つ家令補だという男の反応を見ると、老練で鋭い目が僅かに見張っているのがわかった。


 不規則な鐘は、全く同じ調子で五度鳴った。そうそうない鳴らし方をする鐘の音を、打ち手は見事ひとたびで打ち果たしたのだった。コヤナから出た残名の王、クンムーが死んだ――それも、不慮の死を遂げた、弑されたことを伝える鐘の音は、その重さをあたりに残しながら小さく消えていった。


「――失礼した」

 気を取り直したと思わしき家令補が口を開く。

「こちらに署名か血判を」

大柄な彼が領主同士の契約にも使われるというエビラの漉き紙を広げてリュドミトを促した。要は間違いなく依頼を完了しましたよ、というような事が書いてあり、先に領主家の名前が入れられている書面だ。既に依頼されたものの納品も終え、対価も受領した。コヤナの通貨で受け取ってしまったから、しばらく交換のレートが落ちるだろうことを思うとため息が出そうになる。

(でももうもらっちゃったしなあ)

ここは愛想を良くしておいて、また国が立ち直った頃に仕事をもられるよう期待するしかない。なんとか色んなものを飲み込むと、明るい窓辺の丸テーブルに用紙を広げて竹筆と墨筒を取り出す。中の墨がきちんと混ざるよう少し振ってから何事もなかったかのようにサインした。墨がにじんだり記載内容を汚してしまわないよう、乾くまでしばらく待ちだ。

 と。

「重ねて申し訳ないが、少し外してもよろしいか」

家令補が口を開いた。先程の動揺もせいぜい目をみはる程度であったし、落ち着いた調子ではある。とはいえ突然の、それも残名王となってわずか2年も経っていないうちの崩御の知らせだ。今後のことなど、とかく家内で打ち合わせることもあるだろう、とリュドミトは思った。

「おかまいなく。ただ、すり替えもご心配かと思いますのでお帰りはお待ちしてよろしいですか。帰路は明日ですので遅くなっても問題ありません。こちらに居座ることにはなってしまいますが」

「お気遣い感謝する。さほど時間は要さぬので、しばし待たれよ」

そう言って、男は音も立てずに扉の向こうに消えた。――ずいぶんと感じが良い。リュドミトのように小柄で、しかも若い女ともなるとどこか上から接されることも少なくない。しかしあの家令補――ヌールといったか、彼は決して愛想がいいとは言えないが誠実に接してくれている。まだまだ駆け出しの身、領主の館に関わる仕事など自領とここの他にはもう一領ぐらいしかしていない。本来の、上等な領主館の使用人というものはこういうものなのかもしれない、とリュドミトは一人納得した。

 ノックが三度鳴らされた。

「リュドミト殿」

本当にすぐに戻ってきた。名前を覚えられているのもありがたく思いながら、

「はい。どうぞ」

応えると、ヌールが入ってくる。壮年の男はその立派な体躯にぴしりと身だしなみを整えたまま、急いできた様子もない。そのままゆっくりと丸テーブルの方へ近寄ると、

「乾くまでもうしばらく掛かりそうですな」

そう言いながら唇に人差し指を当て目配せしてきた。

「……そうですね」

言えないことの気配にリュドミトは一瞬体を固くするが、すぐに剣を教えてくれた師の教えが頭に蘇る。

(『お前は硬さで勝つ人種じゃない』――)

反射的に思い出せるほどにそう言葉をかけてくれた師匠に感謝しつつ、意図して、しかしヌールに気取られない程度にゆっくりと息を吐いた。表情の読めない目に目を合わせて頷く。

「特製の墨なので、少し時間がかかるのです。申し訳ありません」

「偽造されるわけにもいかぬもの、当然のことであろう。それにこの色の美しさだ、多少の時間など些事に含まれる」

こういった依頼の署名をする際、偽造をされないように冒険者は墨に凝る。藍をうんと濃くしたものを下地にし、更に色々混ぜることにより少し金色がかったように見せかけたこの墨は、かつてリュドミトの母が好んで作ったものだった。裕福な農園の娘だった母は文字を習い本を読み、そして植物を愛した。結婚してからは前ほど裕福ではなくなったから、書きつける紙はやや粗悪になった。悪い紙でも心地良く書き、そして紙の悪さを気取らせない文にできるかは墨にかかっていたから仕方なかったのよ、と穏やかに笑う母は、そう言う割には随分調合を楽しんでいたようだった。甘い他にも香りがする墨や虹色がかる墨など、手近な植物で色んな配合を作っては人々に売っていたらしい。今使っている配合だけはとても気に入っていたのか墨自体をおいそれと人には見せず、父がさりげなくねだっても笑って首を横にふるばかりだった。この墨を褒められるのは、何かのごまかしついでとはわかっていてもとても嬉しい。


 ヌールの指が契約書の上を滑る。指ししめされたのは報酬の箇所だ。コヤナ銀貨1枚と銅貨5枚、既にリュドミトの懐に入った報酬は数えるまでもないものの先程二人で確かめたから、間違いがあるはずがない。どういう意味か、ヌールの顔を見上げると、彼は上着の裏から柔らかく鞣され飴色になった小ぶりの革袋をふたつ取り出した。一方より少しだけ大きめの袋から取り出されたものを見てリュドミトは声を上げかけた。くすんではいるが、銀だ。かつて父親が誰にも秘密だ、と言って、その大きな握りこぶし一つ分の塊を見せてくれたことがあった。それには及ばないが、小さいかけらがリュドミトの握りこぶし半分ぐらいの山になっている。一体どこからこんな物が出てくるのか。家令補、しかもヌールほどの年になれば普通は持っているものなのだろうか。驚き見上げるリュドミトをよそに、ヌールはもう一つの袋にも手をかけた。今度は金貨が出てきて、声が出かけた。おそらくどこか古い国の通貨だったのだろう、大きさは今の国々の通貨とそう変わりがないが、見たことのない図柄だった。それに、色もずっと黄色く鮮やかだ。今の通貨は少し混ぜものがしてあるというから、それよりももっと混ぜものが少ないのだろう。

 予期せぬ揃い踏みにリュドミトが言葉を失っていると、

「先程我が王が名を残された」

残名の王。諸国の中で功績のあった王を、王同士が王の中の王として選んだ王。国を超えた様々な取り組みを行った王の中の王が在任中最後に行うことは、年号として名を残すことである。今はクンムー2年。次代の残名の王が決まれば、その者から王号が贈られ王名とあわせて呼ばれることになる。

「……3回、鐘が鳴りましたね」

「あの鳴り方は、謀反か、暗殺か。いずれにせよここツツポイも幾ばくか混乱するだろう」

そう言ったヌールが銀をふたかけらと金貨を1枚、押してよこした。リュドミトは慌てて首を横にふる。こんな出どころが知れないものを持って帰るわけにはいかない。下手をすれば領主に訴えられて縄にかけられることすらあり得る。

「王は後継を指名されていない」

「それは――」

もちろん誰が継ぐかという問題はあるだろう。しかしそれをわざわざ、国の下に仕える領主家の、家令に継ぐ地位の男が口にした意味をリュドミトは考える。もしかすると、国自体が倒れるかもしれないということか。そんなことがありうるのか。残名の王が、それに選ばれたほどの名君が治めた国がたちまち滅ぶことなど。尋ねたいものの、不敬に過ぎて流石に言い出せずまごつく。

「だから、私は情報収集に当たらねばならない」

そんなリュドミトの態度を、ヌールは静かに打ち切った。

「この後職を辞するつもりだ」

「えっ」

「家令補の立場のままでは外に出ることは難しい」

ますますわからない。こんな大金を差し出して、ヌールは一体何をさせようというのか。相変わらずその表情からは何も読み取れない。剣士であるリュドミトは確かに小柄で獣に見つからぬよう足音をひそめることも得意、それなりに愛想もいい、と自負はしている。しかし割と顔に出る性質で、何かしらを探るような任には向いていないこともわかっている。というよりも、これも師に止められた。お前に腹芸は向いていない、と。

「故に申し訳ないが、当面リュドミト殿に報いる術がないのだ」

報酬もコヤナ貨で払ってしまい申し訳なかった、と言ったヌールの指が金貨をつまんでそっと先程の報酬の記載がある上に置いた。

「辞した後、一区切り付けば戻るつもりだがその時再びこのような任につけるかもわからぬ。ただ、貴殿はその若さに似合わず腕が良い。いつかまた何か依頼をしたいと考えている」

そういって銀の欠片を更に置いた。ここまでされれば流石にわかる。貨幣価値がなくなるかも知れないコヤナ貨の代わりに古金貨を1枚と今後の誼を求めて銀のかけらを更に積むということのようだ。この話の流れからするとヌールの一存で、もしかすると王国が危ういということに対する口止めも含んでいるかも知れない。リュドミトにはそのぐらいしか見当がつかなかった。あるいは褒め言葉が本当だとしても、ずいぶん高く買われすぎており居心地が悪い。

「……ありがとうございます」

しばし悩んで、リュドミトはヌールを信じることにした。腹芸などできない。いつも通り真っ直ぐにぶつかるのみだ。それに何かあれば、それこそ最悪師匠に助けを求めれば良いと開き直ることにした。

「コヤナ貨のことはお気になさらず。落ち着けばどのようにでもなりましょう」

そう言いながら懐から財布を少しのぞかせてやると、ヌールは首を横に振った。金貨と交換というわけでもなく、既に受け取った本来の報酬は返さなくていいらしい。

「またいつか、お役に立てる日が来ることを信じております」

「かたじけない」

乾いたか、と載せた金銀をリュドミトの方へ押しやり書類を掲げた男が目を眇めた。

「本当に美しいな。地の色の加減も、もう少しで明ける頃の微妙な色合いだ」

「星夜墨、と呼んでおります」

そうか、とうなずいたヌールが、初めて少し微笑んだ。

「貴殿の朝焼け色の髪にも似合っている。大事にされるといい」

確かにリュドミトの髪は赤とも金とも言えない色味をしているが、そんなことは考えたこともなかったしこの淡々とした男にそのような褒められ方をするとも思わなかった。驚いているうちに男はまたもとの表情に戻り、すっとしまわれないままの金貨たちに目線を落とす。リュドミトは少し考えて、

「よろしければ少しご覧になりますか」

墨筒と竹筆を差し出した。ヌールは自然な様子でそれを受け取り、先程リュドミトがしたのと同じように墨筒を振る。撹拌用に入れている小石がからからと音を立てた。そして少しだけ竹筆にとって色を眺めるふりをするヌールをよそに、手早く与えられた金貨と銀のかけらを墨筒に入れる。おそらく宿に帰るまでぐらいであれば墨が取れなくなることもないだろうし、取れないならばその部分を少しナイフで削ってそのまま星夜墨に溶かしてしまえばいい。

「……なかなか真似をするのは難しそうだ」

「そう簡単になされては私も困ります」

こうして、予想外ながら大きな報酬を得てリュドミトは領主館を後にした。

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