第11話 新しい街

 玉座にもたれかかる新王を、天井に描かれた二つの月が青白く照らしていた。マリはエリを、見ようともしない。

「満足でしょ」

 力なく、マリが言う。

「ちゃんと描いてあげたわよ、あんたの街」

「そうね、あたしたちの画ってほんとにそっくり」

「似せてるのよ、知ってるでしょ」

「知らなかったんだよ、マリ」

「そう、だからエリは馬鹿なのよ、本当に嫌なやつ」

 マリが鼻で笑う。エリは言い返すことはせずに王の間を見回した。

 壁や天井に画を描いているのは蒼黒い影たちだった。壁をよじのぼったり、にじりおりたりしながら色を足していく。新しい街の画はほぼ完成に近かった。マリが手を振ると、影たちが消える。

「何か言いなさいよ。言いたいこと、あるんでしょ」

 エリにはマリがひどく疲れているように見えた。もう玉座から立ち上がる力も出ないほど、マリはマリ自身を傷めつけていた。

 王の間に描かれた、青い『宝石の都市』を眺める。

 エリは青が好きだった。それはこの世界を包む、美しいベールに違いなかった。すべてを繋ぐ光、と表現してもいい。近くと遠くを繋ぐ色、あちらとこちらを混ぜる色。そういう感覚で、エリは青という色を筆にとってきた。

「この街は若いころのパパの情熱がつくった街。あたしたちのものじゃない」

 エリは玉座に進み、マリの髪を撫でた。クローバーとソルはふたりを見守っている。

「マリ、誰かの世界を、自分の物にするのはやめにしよう。マリは、マリの街をつくればいい」

 ぱしっと音を立てて、エリの手が払われる。

「エリにはわからない! いつも幸せそうなあんたには!」

 顔を上げたマリの表情は、暗い憎しみに満ちていた。

「幸せなのよ」

 エリは続ける。

「ほんとはみんな、幸せなのよ。気づかないだけ、望まないだけ。みんなに見えないところで、それはあたしたちを、そっと見守っているのに」

 風にそよぐシロツメクサは、どれだけの間、街を見つめていたのだろう。誰にも気づかれないまま、それはいつもそばにいた。いつも、今だってそばにいる。

「不幸なふりは楽だけど、それじゃほんとに失礼だわ。幸せはいつだってあたしたちを思ってくれている。あたしたち、立ち上がらなきゃ、努力しなきゃ! 素晴らしい世界を思い描いて、それを手にするのよ!」

「あんたっていつもそう! 能天気で、お気楽で! 自分のことしか考えてない!」

 マリは立ち上がり、両手でエリの首を掴んだ。

「なんで、なんで? どうしてみんな、あたしのすることを認めないの? あたしの画を認めないの!? どっちも似たようなもんじゃん! あたしたち、双子なんだもん!」

 マリが力を入れて首を絞めつけるので、エリは歯をかみしめて耐える。膝が震える。マリは気づかない。エリと同じ色の髪を逆立て、目を見開き、口を歪める。

「そうよ、なのに! なんでエリはオッケーであたしはノー!? 何がだめなの! 教えてよ! どうしたらいいの! どうすれば認められるの!

 だれかあたしを必要として! オッケーって言って! あたしの街はいつだってためいきだらけ! あんたたち、みんな消えちまえ!」

 マリに突き飛ばされてエリは尻もちをついた。冷たい大理石の上に、マリも崩れ落ちた。肩を震わせて泣いている。

 クローバーが側にやってきてエリの両肩に手をのせた。マリのそばには灰色の騎士が跪いている。

 ぼんやりとその様子を見つめる。エリの心は不思議に凪いでいた。マリが何を考えていたのか今なら少し、わかる気がする。

 天井を仰ぐ。

『嫌だ! 怖い!』 

 そう思っても、世界なんて、簡単に塗り替えられていくものだ。

 誰かに出会い、何かが起こり、新しい光に満ちれば、世界は変わっていく。

 『わたしのせかい』は、いつでも誰かと自身との間で輝き続けるものらしい。マリを知らない以上に、エリは自分自身を知らずにいたのだ。


 泣きじゃくるマリをソルの腕がそっと抱いた。何も言わずその小さな肩を温めている。マリが落ち着くのを待って、エリは立ち上がった。

「ふたりで、みんなの願いを形にしよう。きっと素敵な街になる」

 エリの心の中にはもう、古くて新しいこの街の姿が、はっきりと描かれていた。

「明るい宿屋、こどもがたくさんいる教室、煙突には煙が絶えなくて、広場では楽しい音楽会。やさしい風がクローバーを揺らし、空にはヒバリが飛んで、強い騎士が、みんなを守るの」

 エリの隣でクローバーが微笑んだ。

「あたしたちになら描けるわ。新しい街、新しい明日、素敵な未来、みんなハッピーエンド」

「馬鹿みたい」

 マリは涙を拭って、立ち上がる。

「そんなのアリ!? そんなの、ほんと馬鹿みたいに普通じゃない。なんにも特別なことなんてないじゃない。誰にだって思いつくことだよ」

 強がるマリに、エリが手を伸ばす。マリはその手をとり、エリの額に、自分の額をつけた。

 これは仲直りの儀式だった。小さなころ、母から教えられたおまじない。どんなに大きな声で喧嘩をしたあとでも、こうすれば、ふたりはまた、もとのふたりに戻れるのだと。

「ごめんね」

「謝んないでよ、悪いのはあたしじゃん」

「あたしも悪いの、マリが悪い子だって、知らなかったから」

 くすくすと、ふたりは笑い合った。目じりから同じだけの涙がそっとこぼれた。

「いっしょに描こうよ、ふたりでさ。ちっちゃなときにそうしたでしょ」

「同じ画用紙に、ふたりでね」

「へたくそでも、めちゃくちゃでも、ふたりとも全然違うものを描いてても、それでよかった」

「こどもだったね」

 エリはマリの頭をそっと撫でた。

「今、あたしにマリの世界は見えないの。どうすればマリが幸せかも、正直わかんない。だけどあのころ、幸せじゃなかった? あたしはきっと、幸せだった」

 ふたりの瞳が交わって、ふたりには今、同じ世界が見えていた。父の語った、あのころの街が。

「ふたりでお絵かき、楽しかったね」

「誰にも邪魔されないで」

「「あたしたちが描いた絵は、パパとママが褒めてくれたね」」


  ちょっとありえない色彩じゃない?

  いーのいーの!

  てゆうか無茶苦茶な構図じゃない?

  いーのいーの! つべこべ言わずに描こうよ!

  誰が文句言ったっていーじゃん!

  ためいきなんかつく間もないほどのハッピーを

  街中に描きまくるのだっ!


 ふたりはもう丸三日、画を描き続けていた。自らの手で、全身を絵の具まみれにして。

 エリとマリに描き出され、新しく街に現れた人々は、ふたりのために天井まで届く足場を作ってくれた。この街に、ずっと留まっていた人々と共に。

 街には水や火や緑があって、ふたりは時々、実った果実をもいで人々と食べた。王宮の中庭では、何重もの音楽が奏でられている。中心にいるのはスドルフスキだ。

 騎士は城の中を忙しく行き来し、オリビエは洗濯に炊事に大忙し。コルツはもちろん煙突掃除にぬかりがなく、ウォルシュタインは長机の前に座り、友人と共に、先生の話をきいている。

 クローバーはずっとエリのそばにいた。新しい街が描かれるのを、彼は一秒たりとも見逃さなかった。

 二人が天井に最後の雲を描いたとき、窓から一羽のヒバリが入ってきてエリの肩にとまり、またすぐに飛び立って、音楽の聞こえる中庭に去って行った。

「おわったね」

 マリが息をつく。

「まだだよ、マリ」

 エリがマリの耳元に何事かをささやくと、マリはしたり顔で笑ってみせた。

「いいね、それ。最高じゃない?」

 二人はソルを呼んで、街の人々を城に集めるように言った。人が集まってくるのを待つ間、ふたりは王の間に画を描き足していった。玉座の上に色を重ねて塗りつぶし、新しい椅子をふたつ描いた。

 やがて城の外で多くの人の声が響いた。ふたりは、新しい玉座の片側に灰色の瞳を持つ立派な王を、その隣には美しいお妃さまを描き足したのだ。

「ばんざーい!」

 外から歓声が響いてくる。

「新王、ばんざーい!」

 ファンファーレが鳴り響き、拍手は鳴りやまない。

 エリとマリは中庭へ出た。王冠をかぶって立ち尽くすソルのそばに、美しい女性が微笑んでいる。

「まさか、そんなことが?」

 ソルが半ば茫然としてつぶやいた。

「さぁ王様、みんなが待ってるわ」

 エリが言うとソルはその手をとり、甲に口づけ、勢いよく抱きしめた。

「開拓者に、祝福を!」

「ちょっと、そんなのあり!? エリだけなの?」

 腰に手を当てたマリが口を尖らせる。

「ふたりの開拓者に、祝福を!」

 ソルはマリの手に口づけ、双子をいっぺんに抱きしめた。その様子を見た王妃は、口に扇を当てて上品に笑った。

 ふたりは王と王妃に付き添われ、橋へと向かった。開拓者と王と王妃の後ろには音楽家たちが、その後ろには街の人々が続く。

 音楽も高らかに、行列が大通りを進んでいく。紙吹雪が舞い、祝福の歌声がうねりをあげる。喜びに満ちて行進する人々の中に、ためいきなど入り込む隙はなかった。


 クローバーは塔の前で待っていた。

 王と王妃に、それから街の人々に別れを告げた後、エリはクローバーのそばに行き、ふたりは抱き合った。

「ありがとう、ほんとうに、ありがとう」

「ありがとう、クローバー。あたしこそ感謝してる」

 ずっとこうしていたいな、エリは思った。多分、クローバーもそう思っているだろう、とも。

「もう、行かなくちゃ」

 エリが言うと、クローバーは腕を離した。

「さようなら」

 緑色の瞳がうるむ。

「さようなら」

 また、会おうね。

 その言葉を飲み込んで、エリは少年に口づけた。ぱっと離れるとクローバーの顔も見ずに駆けだす。

「待ってよ!」

 マリがエリを追う。ふたりの少女は塔の向こう、橋を渡った世界に風のように消えてゆき、残された少年の口からは、甘いためいきがこぼれた。

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