Ⅱ 半熟探偵には禁制の魔導書を

 一方その頃、サント・ミゲルの市街地にある、うらぶれた路地裏では……。


「――こいつは『シグザンド写本』と言ってな。お望みの悪魔祓いには適した魔導書グリモワーじゃ。太古の昔に失われた異教の経典を写しとったものらしい」


 薄暗く、埃っぽい空気の満ちる店内のカウンターで、ひしゃげた顔の老店主が客の若い男に一冊の黒い革表紙の本を差し出していた。


「普通、悪魔を召喚して用いるのが魔導書じゃが、こいつにはそれを応用して魔物を追い払う術が書かれておる。ま、そんな内容なんで客に人気はないがな。それでも試しに置いてみろと魔術師船長マゴ・カピタンが一冊持ってきたんじゃ」


 老店主はひしゃげた顔をさらに歪め、声をひそめてそう説明をする。


 この世界において、体制を揺るがしかねない力を持つ魔導書は、宗教的権威であるプロフェシア教会と各国の王権により、その自由な所持・利用が厳しく禁止されている……にもかかわらず、そんな禁書が平然とここにあるのは、この本屋が裏で非合法な魔導書の売買をしているからである。


 いくら御禁制の代物とはいえ、万物に宿る悪魔(※精霊)を意のままに操るその技術は、農業、工業などの産業~日々の暮らしにいたるまで、あらゆる人の営みの中でなくてはならないものとなっている……故に違法と知りながらも、密かにそれを求める者は後を絶たないのだ。


 そのため、この新天地には魔術師船長マゴ・カピタン率いる〝禁書の秘鍵団〟なる海賊の一味がおり、帝国の船を襲っては積荷の魔導書を奪い、それを複写してこのような違法書店に流していたりもするのである。


「なるほどな。この魔法円を描いて魔物を退けるわけか……」


 差し出された本を手にした若者は、目深にかぶった灰色の三角帽トリコーンの下から開いたページに視線を落とし、納得したというように低い声で呟く。


 丈の短い灰色のジュストコール(※ジャケット)にやはり灰色のオー・ド・ショース(※ハーフパンツ)、首には赤いチェックのスカーフを巻くという独特のファッションセンスであるが、碧い瞳に茶の巻き毛ながらもその顔は原住民のように浅黒く、どこか不思議な印象を与える風貌である。


「おまえさん、文字が読めるのか?」


 パラパラと普通に魔導書を斜め読みするその青年に、少し驚いたように老店主が尋ねた。


「ああ。この顔見てもわかる通り、俺の母親は原住民だが、親父は新天地に夢を抱いて渡って来たフランクル人の商人だったからな。小せえ頃から読み・書き・銭勘定についちゃあ、みっちり仕込まれたぜ」


 その問いに、青年は本から顔を上げると自らの顔を指さし、店主に見せつけるようにしてそう答えた。


「そうか。ならば、そんないかがわしい仕事などやめて、カタギの商売をした方がいいと思うがの」


「フン。新天地に来てみたところで、ここはエルドラニアの領土だ。親父もそうだったが、エルドラニア人以外はろくな商売もできはしねえ。残るは奴隷のように低賃金でこき使われるか、さもなきゃ海賊になるくれえのもんだぜ」


 見かけによらず青年が読み書きできることを知り、素直な感想を諭すように言う店主だったが、彼は鼻でせせら笑うとそんな言葉を老人に返す。


「で、俺の思いついたのが〝探偵デテクチヴ〟っつう、最近出てきた新しい商売だ」


探偵デテクチヴ?」


 訊き慣れぬその単語に黄ばんだ瞳で青年を睨みつけながら、訝しげに老店主は聞き返す。


「エルドラニア語なら探偵デテクティヴェだな。ま、人探しや内密の調べもの、表の稼業じゃできねえようなことをする商いさ。が、そんな裏稼業も海賊やマフィアが幅利かせてるこの新天地じゃ後発で食い込むのは難しい……そこで、さらに俺が考え出したのが魔物や幽霊なんかの怪現象を専門に扱う探偵っていうわけよ」


 店主の問いに答える内に、話題は魔導書を求めてこの店へと来るに至った本題へと戻る。


「そんならまだ誰もやってねえ分野だし、需要もそれなりにありそうだからな。てことで、まずはそれに必要不可欠な魔導書を手に入れて怪奇探偵を開業しようってなわけだ。どうだ? ハードボイルドな俺様にはピッタリの商売だろ?」


「なんだか知らんが、ま、ハーフ・・・ボイルドにならぬよう気をつけることだな。ちなみに同系統と思われる『サアアマアア典儀』も複写の際に巻末につけといたと魔術師船長マゴ・カピタンが言うとった。強力な相手にはそいつも組み合わせて使うとよいらしい」


 灰色の三角帽を片手でかぶり直し、不似合いなハードボイルドを気取って自慢げに嘯くそんな青年に、店主はシラけた眼を向けながら、言い忘れていた補足説明を付け加える。


「そいつはお得だな……よし、言い値で買うぜ。ただし、あんまし持ち合わせちゃいねえんで、できるだけまけてくれ」


「まったく、大したハードボイルドじゃのう。仕方ない。開業祝に大まけしてやる。ついでにサービスでこの擬装用カバーもプレゼントじゃ。中身は禁書の魔導書でも、こいつをかぶせておけばほれ、今流行りの『ドン・ファン』の本に見える」


 合本と聞いてますます気に入り、即答で購入を決める青年だったが、ケチ臭くも値切る彼に老主人は少々呆れながら、やむなく諦めておまけのカバーまでつけてくれる。


「おお、そいつはメルシーボクーだぜ。初仕事がうまくいったら礼に一杯おごってやらあ」


 そのサービスに青年は悦ぶと、弾んだ声で分不相応に大きなことを言ってみせた――。

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