Ⅲ 身分違いの二人には偶然の出会いを

「――さて、白墨は買ったし、蝋燭とパンも買ったと……だが、これですっかり無一文だ。こりゃ、初仕事がうまくいかなきゃマジで飢え死にだな……」


 路地裏の闇本屋を出た後、大通りに並ぶ店であれこれ必要なものを買い込んだ探偵デテクチヴ青年は、強引に総督府からとってきた仕事を片付けるため、さっそく山の手にある建築中のホテルへ向かおうとする。


 そのホテルに出ると噂の魔物を退治するのが、怪奇探偵としての初仕事というわけだ。


「うーむ…〝シグザンド〟のは簡単だが、こっちの〝サアアマアア〟だかの方は複雑で憶えられねえな……」


 しかし、偽装カバーがあるので安心したのか? 人通りの多い道の真ん中で、公然と魔導書を歩き読みしていた時のことだった。


「キャっ!」


「うおっ!」


 大通りに面した島内一大きな書店から、同じく本を歩き読みながら出て来た少女と思いっきりぶつかってしまったのである。


「てめえ、どこ目つけてんだっ! ……い、いや、大丈夫ですか? マドモワゼル」


 咄嗟に悪態を吐いてしまうお育ちの悪い青年だったが、ぶつかった拍子に倒れ込んだ相手を見れば、鮮やかな黄色いシルクのドレスを着た、何やら良家のお嬢さまと思しき可憐な少女である。


 もしも彼女がエルドラニアの役人の娘などだったらだ。騒ぎに立ち止まる周りの通行人達の目もこちらへ集中しているし、これ以上騒ぎになると少々マズイので、青年は慌てて言葉使いを改めると少女に向けて手を差し伸べる。


「あ、ありがとうございます。申し訳ありません。歩き読みなどしていたわたしが悪いんですわ」


「よっこらせっと……ハッ! 魔ど…じゃなかった、俺のドン・ファン!」


 だが、素直に謝るお育ちの良い少女を引き起こした青年は、その手に大切な魔導書のないことに気づき、血相を変えて周囲の地面を見回す。


「ハァ……良かったあ~……あ、どうやら怪我はないようですね。それじゃ、俺は急ぎますんでこれで」


 すると、近くに落ちていた茶表紙の〝ドン・ファン〟の本を見つけ、それを拾い上げながら体面的な言葉を早口に告げると、そそくさとその場を後にしてゆく。


「あら、あの方もドン・ファンを読んでらしたのね。さすがは大ベストセラーですわ……あ! わたくしのは……ああ、ありましたわ!」


 そんな青年をしばし呆然と見送る少女――イサベリーナだったが、自身も今しがた買ったばかりの『ドン・ファン』を持っていないことを知り、首を忙しなく左右に振ると、もう一冊、地面に落ちていた茶色い革表紙の本を目にしてそれを拾った。


「さて、わたくしも長居はできませんし、早く例のホテルを見に行かなければなりませんわね」


 そして、こっそりお屋敷を抜け出してきていることを思い出すと、自らも早足で次の目的地へと向けて歩き出した――。

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