Le Detective de Grimoire ~魔導書の探偵~

平中なごん

Ⅰ お暇なご令嬢には刺激的な書物を

 聖暦1580年代末……。


 世界最大の版図を誇るエルドラニア帝国が、はるか海の彼方に発見した新たな大陸――〝新天地〟。


 エルドラニアはこの地に多くの植民都市を作り、旧大陸にある他の国々からも多くの者達がそれぞれの夢を抱いてやって来ていた。


 そんな新天地の海域に浮かぶエルドラーニャ島の、エルドラニアが最初に造った植民都市サント・ミゲルでのこと……。


「――ハァ……おひまですわぁ」


 窓辺に置かれた文机にだらしなく両肘を突き、熱帯性植物の茂る庭をぼんやりと眺めながら、最近、口癖になっている台詞をイサベリーナ・デ・オバンデスはまたも呟いた。


 大帝国エルドラニアの貴族であり、サント・ミゲル総督となった父クルロスについて〝新天地〟へ赴いたイサベリーナであるが、彼女は現在、〝暇〟というたいへん厄介な大問題に悩まされている。


 それまで暮らしていた本国とはまるで違う風土や文化……最初の内は見るものすべてが物珍しく、感動に溢れる毎日をイサベリーナは送っていた。


 だが、月日が経つにつれてそれらにも慣れてくると、周囲に遊べるような同世代の友人もおらず、総督令嬢として勝手気ままに出歩くこともできないこの生活環境に、自然と暇を持て余すようになってきたのである。


 それに、彼女は新天地へ渡る航海の途中、乗っていた船の積み荷を狙った海賊の襲撃に出くわしており、その時の刺激的な体験との対比がまた、この平穏な日常をよりいっそう退屈なものに感じさせている。


「ハァ……何かおもしろいことはないものかしら?」


 もう一度、異口同音の台詞を口にするイサベリーナだったが、その時ふと、ある妙案が彼女の脳裏を過る。


「〝ドン・ファン〟! そうですわ。今日はあの本を買いに行きましょう!」


 イセベリーナが不意に思い出したのは、最近、ベストセラーになっている一冊の本のことであった。


 題名を『ドン・ファン――セビーリャの色事師と石の招客まろうど』といい、聞くところによると、女たらしで素行の悪い主人公の放蕩人生を描いた物語であるらしい。


 そうした内容のため、「不道徳である!」という理由で父親のクルロスからは読むことを禁じられているのだが、男漁り・・・が趣味という困った侍女達がしきりとおしゃべりの話題にしていたので、きっと刺激的でおもしろいお話であるにちがいない。


 そこで、イサベリーナはこっそり屋敷を抜け出し、その本を買いに行く企てを思いついたのである。


「そうと決まれば善は急げですわ!」

 

 本日の予定が決定すると、さっそくイサベリーナは足音を忍ばせて部屋から歩み出す。


「抜き足、差し足、忍び足ですわ……」


 そのまま誰かと出くわさないよう周囲に細心の注意を払いながら、熱帯に適した開放的な邸内を静かに玄関へと向かう。


「――ああ、そうそう。例の魔物が出るホテルの件ですが……」


 ところが、玄関近くにある父親の執務室の前を通りかかったその時、そんな父の部下と思われる男の声が瀟洒なドアの向こう側から漏れ聞こえてきたのだった。


 魔物の出るホテル!? なんですの? そのとってもおもしろそうで仕方のないお話は!


 なんとも魅力的なその言葉に、イサベリーナは思わず足を止めてドアに近づくと気づかれぬようそっと耳をそばだてる。


「ああ、あの山の手に建てている新しいホテルか。だが、魔物が出るんで建設途中で放置されたままだとか……神父さまに悪魔祓いを頼んだと聞いたが、その後、どうなった?」


「それが、神父さまでも歯が立たず、ほうほうのていで逃げ帰ってきたらしく……やはり〝魔物の住処〟と原住民が畏れていた場所に建てたのがそもそも間違いだったようで……」


 すると、そんな父親と部下の交わす会話が、くぐもった声ながらも聞き取ることができた。


「誰か高名な魔法修士(※魔術を専門に学ぶ修道士)にでも頼むしかないか……だが、駐留艦隊付きのブレンディーノ殿は海賊討伐で忙しいし、護送船団のコラーオ殿も本国へ帰られてしまったしな……他に誰か適当な者はおらんのか?」


「今のところ、島内にめぼしい者は……先日、探偵デテクティヴェと名乗る若造が魔物を退治してやるから金をくれと言って来たのですが、果たして期待できるかどうか……うまくいけば拾い物と一応、依頼してはおきましたが……」


 ぴたりとドアに耳をつけ、二人の会話を盗み聞く内に、イサベリーナの円らな瞳はみるみる輝きを増してゆく。


 そのホテルの場所ならわかりますわ。これは本を買いに行くついでにちょっと拝見しに行かなくてはいけませんわね……。


 本日の予定にそんな訪問先を付け加え、独り密かに不敵な笑みをその口元に浮かべると、足音の出ないよう軽くスキツプを踏みながら、イザベリーナは豪邸の玄関へと向かった――。

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