人生旅日記・活弁に酔いしれた日々
大谷羊太郎
活弁に酔いしれた日々 ~緊迫のその場面、若侍が意外極まるものを、懐から取り出した~
足の向くまま あてどもなしに
流れ流れて 白髪に変わり
たどり着いたぜ このシリーズに
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前回に引き続いて、映画の話をいたします。今度は、うんと古い時代の映画を扱います。当時映画という言葉はなくて、日常の会話では、「かつどう」と呼んでました。活動写真、を縮めてそう言っていたのですね。
技術が進歩して、写真が動くようになった。驚きをこめて、そんな新語が生まれたわけです。もちろん、画面はカラーはおろか、音もありません。そこで、活弁すなわち活動弁士の方々が、大活躍。その頃の映画館は、いったいどんな雰囲気だったのか。これから、説明いたします。
今の映画は、一話で完結しますが、昔は短編を連続物にしてありました。テレビのドラマシリーズと同じです。一本映画を見ると、続きが見たくなるから、また同じ映画館に足を運ぶ。客に再来してもらうために、活劇物の最後のシーンでは、必ず善人がピンチに立たされます。悪人どもに断崖絶壁の端にまで追い込まれ、絶体絶命となる。
ここで弁士の名調子が冴えるのです。
「もはや彼女には、逃げ場はない。果たしてこの先、いかがあいなりますや。神の救いの手が伸びるのか。それとも彼女の命運は、ここで尽きるのか」
と、いった具合です。
画面から音は出ませんが、バンドが待機していて、弁士の語りに合わせて、随時音楽を演奏します。四、五人の編成です。アコーディオン、バイオリン、ギター、それに三味線など。和洋折衷の楽隊、と呼ばれていました。
時代劇の乱闘場面になると、三味線の早引きが大活躍で、わくわく感を盛り上げる。しんみりしたシーンには、むせび泣くようなバイオリンが、観客の情感にムードを添えます。
弁士の席は、ステージ下手隅にあって、拡げた台本を照らす明りが、観客の目の邪魔にならないよう、うまくカバーしてあります。しかし淡い光で、弁士の姿は見てとれる。懸命な熱弁に合わせてのジェスチャーがいっそう観客の興奮を盛り立てます。
外国映画もこの時代、上映されていましたが、面倒なのは人名です。なにしろ観客たちは、外国の人に出会う機会もない頃です。聞き慣れない人名を耳にしても、混乱するばかり。そこで弁士は、どの映画も、ヒイローはジョン、ヒロインはメリーで通したとか。
そう言えば、明治初期、外国から入ってきた長編小説を翻訳するとき、一部の本では読者が読み易いよう、登場人物の名を日本名に変えていました。私など、そのような作品を今、読んでも、違和感を少しも感じません。
弁士は会話場面も、すべて一人でやってのける。女性、老人、善人、悪人、子供、などなど、声色の技術も必要です。全身全霊で、ストーリーの世界を表現する弁士の姿に、観客は畏敬の念さえ覚えるでしょう。ですから名人と呼ばれる人が、少なからず輩出して、世にその名を轟かせておりました。徳川夢声という人の名は、とりわけ有名でした。
では、映画自体はどのようなものだったのか。時代劇の一つをご紹介しましょう。
最初の画面は、広々とした野原です。そんな場所なのに、中央にブランコが一台、セットしてある。公園などに置いてあるパイプを組み立てたような、私たちが見慣れているブランコです。それに乗り、前後に体を揺らしている一人の若侍。
なかなかのハンサムです。穏やかな人柄に見える。なぜかニコニコして、実に楽しそうな表情。なんの屈託もなく、ブランコを楽しんでいます。
まさに、平和そのものの雰囲気です。
が、突然、場面は緊迫感に包まれます。女の悲鳴が聞こえたのです。
無声映画なので、声は聞こえない。映画の画面から風景は消え、黒い背景に、縦書きの白文字が現れます。
「あれえ、助けてー」
すかさず、弁士が女の声で、真に迫った悲鳴を何度も繰り返します。
「あれえ、助けてー。誰か来てえ-。助けてーえ」
見回しても、外には人の姿のない開けた場所です。いったい、ここはどこで、なにが起こったのか。
その声を聞くなり、若侍はブランコの動きを止めます。その顔からは笑いが消え、緊張が漲っています。
画面が変わりました。若くてきれいな女性が、悪者たちに追われているのです。女性は、右から左へと、助けを求めて、必死で逃げている。その後を追う屈強な男たち。こちらは、髭面、悪相。へらへら笑いながら、女性を追っている。
追い詰めたか、と思った瞬間、女性がくるりときびすを返し、男たちの合間をうまくすり抜けて、今来た方向に全力で引返す。悪党たちも、全員がくるりと体の向きを変え、女性を追う。彼らが笑っているのは、もうとても女は俺たちから逃げられない、捕まえたも同然だ、その余裕を意味するのでしょう。
想像するまでもなく、弁士が巧みに声を上げます。
「助けて。誰か来てえー」
これは恐怖に震えている女性の声。
「もう諦めて、おとなしくするんだ」
せせら笑いをまじえた憎々しいだみ声は、見るからに悪相の男の声。
さて、ここまでお読みになった皆さんは、女性の危難を知った若侍は、まずどんな行動をしたと思いますか。
ブランコから急いで飛び降り、現場に向って、全速力で走り出す。
そう思われるでしょう。ところが若侍、ブランコからすぐには降りず、懐に右手を入れて、なにか小さな平べったいものを取り出しました。そしてそれを、てのひらに乗せ、じっと見つめます。その動きは、現代の人たちが、服のポケットから、スマホを取り出す動きと、まったく同じです。
動きばかりではありません。取り出したそれは、表面が鏡のように滑らかで、そこにはなんと、彼女が追われている現場の情景が、リアルタイムで映し出されているのです。つまりこれは、スマホと同じものと、言い切っていいでしょう。
無声映画の時代に、スマホが登場していた。それだけではない。こちらのスマホは、現代のものよりも、すぐれた機能を有しています。なぜなら、現場には現場の情景を写すカメラも発信機もないのですから。
あの映画を思い出して、私は当時の製作者の想像力の豊かさに、心から敬服しています。遠く離れた場所にいながら、情景や声や音を、鮮明に確かめられる。そんな便利な道具なのに、懐に入るほど小さくて軽い。技術が進んでゆき、いつの日か、夢のような機械が生まれるだろう。そう考えて、あの場面を映画で使ったのでしょう。
ここでちょっと、わき道にそれ、明治初期の小説の話をします。
江戸から明治になり、東京の様子は見違えるように変わりました。その小説の中で、二人の紳士が東京の発展ぶりを、話題にしている場面があります。この勢いで発展してゆくと、将来、東京の街はどんな風に変わるだろうかと、二人は熱を入れて話し合います。
小説には挿絵がついていて、二人の話をもとにした東京の未来の想像画が、細かい筆致で描かれています。どこまでもぎっしりと、大小の家が埋めつくしています。ビルといった背の高い建物はありません。
しかし、奇異に思える点が一つありました。東京の空いっぱいに、網が覆い被さっているのです。家々の屋根の上から、それほど高くはない位置にです。網の目は細かく、たるみなくピンと張られています。
(なんだ、これは?)
絵を見たときには、見当もつきませんでした。しかし、小説を読み進めるうち、わかってきました。これは電線なのです。今はまだ、電話を引いている家はほとんどない。しかし年々東京の発展とともに、どの家も電話を取りつけてゆくだろう。
だから未来は、東京中、電話線が張り巡らされるはず。そうなると、道路の端に立てた電柱だけでは、とても処理できない。その結果、空いっぱいに、電線を網のように張ることになる。
この想像は、見事にはずれました。電話線は地下に埋められるし、また電波というものも開発されましたからね。東京は網をかぶらなくても、済んだわけです。
それに比べて、無声映画のほうはすごい。令和の今日、人々が身につけている通信機、そして侍が持っていた通信機。ともに同じ動きで懐から取り出し、同じポーズでそれを使い、同じ動きで懐に戻す。
無声映画の先見性に、私は脱帽します。
話を映画館にもどしましょう。連続ものの一巻一巻に情熱をこめて語り続けて回を重ねるうち、最終巻となり、それもラストシーンとなると、弁士はいっそう力をこめて、場の空気を盛り上げてくれます。
「かくしてこの二人、波乱万丈、いくつもの危難を乗り越えて、晴れて結ばれる日を迎えたのであります。ああ、男女の愛とは、かくも力強く、崇高なものなのか。では皆様、これをもちまして」
弁士は声を改めて、高らかに宣言します。「全巻の終りーー」
この「全巻の終り」という言葉は、当時、日常生活でもよく使われました。なにか手のかかることを済ましたときなど、やっと終わったぞ、という気持ちをこめて、この言葉を口にしました。
さて、館内の様子など、いろいろ書きましたが、本で調べたものではなく、すべて私が自分の目で見たままの描写なのです。
この頃から、映画に音が入るようになります。はじめは一部分だけ。次第に音入れの範囲が広がってゆき、最後には、映画の広告に、オールトーキーという大きな添え書きが加わるようになりました。皆さんおなじみの、発声映画の時代の到来です。
しかしこうなると困るのは、弁士の皆さん。職業的に不況、という程度ではなく、自分の職業そのものが、この世から消えるのですから。
一人前の弁士になるのに、相当の修行を重ねて来たのです。そのすべてが水の泡となる。かれらの不安、哀しみはいかほどだったでしょうか。私自身、バンドマン時代に同じような境遇に苦しんだことがあります。今思えば、時代の波はときに冷酷に、しかし新しい夜明けを運んでくるものだなと感じます。
トーキーの出現によって、弁士たちは職を奪われました。徳川夢声などは、その弁舌の巧みさを生かして、活路を開いていました。私も、徳川氏を加えたお話の会に行ったことがあり、楽しい時間を過ごしました。ほかの弁士たちの消息までは、幼い時代の出来事だったので、まったく知りませんが、きっとそれぞれ新しい分野でご活躍されたことと思います。
ところで私が映画館の様子を細かく書けたのは、当時、私は映画マニアで、ひんぱんに映画館通いをしていたからです。しかし当時の私は、まだ学齢前。今、考えても、よくまああの幼さでと、われながら感心? いえ、呆れてしまいます。
当時の我が家は、都内の目黒にありました。幼い私が、無声映画にのめり込んだきっかけは、当初、母が私を何度も映画館に連れていったためです。
母親と一緒に行くときは、幼児ということで、ただで入れます。しかし私一人となると、さすがに無料入場とはゆかず、入口で券を買わねばならない。子供料金は、五銭だったような気がします。十銭玉を母親からもらい、映画館に向います。途中、駄菓子屋に寄り、五銭使って、観覧中に頬張るせんべいなどを買う。
映画館入口の出札場で、残り半分の銭を出します。ここは小さな窓口になっている。私はかかとをあげて背伸びし、さらに銭を握った右手をまっすぐ頭の上に伸ばします。そうしないと、出札口の台まで、小さな私には、手が届かないからです。
映画館の前にいると、券を買って館内に入る客たちの姿が、目に入ります。そのとき、よく思いました。男女の二人連れで、ともに自分の両親ぐらいの年齢の人が来たら、そっと接近し、二人の後ろにぴたりとついて、一緒に入ってみようか、と。
入口にいる切符のもぎり係の人は、ボクをその夫婦の子供だと思うだろうな。そうなると、ボクはただで、映画を見られるんだけど。
こんな考えにとりつかれたことが、何度かあります。もちろんそこまでで、さすがに実行はできませんでした。しかしこのトリックは、数十年後、推理作家になってから、どこかの作品で使った気がします。
幼い日、夢中で通った映画館。サイレント映画を彩った弁士たちの姿は今はもうほとんど見られないけれど、あの興奮、話にぐいぐい引き込んでゆく魔術のようなあの語りは、物語というものに私を目覚めさせた、きっかけのひとつだと思うのです。(おわり)
人生旅日記・活弁に酔いしれた日々 大谷羊太郎 @otaniyotaro
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