第10話

 呼び鈴がなって玄関を開けると、若い女性が立っている。初めて見る顔だ。


「初めまして、みきもとといいます」


 ぺこりと頭を下げた。ワケも分からず「はぁ」とこちらも頭を下げた。


しょうきょう大学の学生です」


 士蔵が教授をしていた大学だ。士蔵のことで何か知ってるのだろうか。


「光岡のことについてですか?」


 はい、と幹本さんは頷いた。線の細い、綺麗な顔立ちをしている。


 さて困った、客人をこんな玄関先でずっと立たせているのはどうかと思うが、老いたとはいえ一人暮らしの男の家に若い女性を入れるのは問題だ。近くのファミレスにでも連れていくべきかと考えていると


「すいません、あつかましいお願いなのですが、中に入れて頂いてもよろしいでしょうか。話は長くなるので」


 彼女から提案してきた。


 ※ ※ ※


「光岡教授はすでに大学を退任されていますが、週に一度、大学の民芸同好会に顔を出していたのです」


「そうなんですか」


 そんなこと士蔵からは聞いた覚えはなかった。


「教授は私たち学生に民棋を教えてくださって、よくみんなと一緒にやっていました。これは日本の歴史の中でしき儀式だったが、それでも知っておく必要がある、と言って」


「悪し儀式・・・」


「はい、教授から聞いていませんでしたか?」


「士蔵からは聞いてませんが、その伝説は知っています」


 つい最近聞いたことだ。二日前に来た若い警察官の顔を思い出す。


「そうですか」


 幹本さんはニッコリ笑った。まだ少女なんだな、と思えるあどけない笑顔だ。


「それでお願いなのですが、私と民棋を打って頂けないでしょうか」


「私と?」


 自分の顔を指さして訊くとハイ、と幹本さんは頷いた。


「教授は田畑さんの話をよくしていました。民棋がとてもお強いって」


 そう言いながら彼女はカバンからサイコロを出した。一から六まである普通のサイコロだ。


「私は別に構わないが・・・」


「良かった!では、よろしくお願いします!四、五、六は一、二、三とします!」


 ※ ※ ※


 彼女の民棋の打ち方は士蔵のそれとよく似ていた。それとなく訊いてみると


「教授に教わりましたから」とのことだった。


 結果は幹本さんの勝ちだった。


「・・・まぁ、サイコロの出目が良かっただけですね」


 それでは帰ります、と彼女は立ち上がった。


「田畑さん、また民棋を打ちにきてもいいですか?」


「それは構いませんけど、大学の民芸同好会、でしたっけ、そこでも出来るんじゃないですか」


 いえ、と幹本さんは首を横に振った。


「出来ません。その同好会はわたし一人だけなので」


 ※ ※ ※


 それから幹本小百合は毎日うちに来て民棋を打った。


 一日に一局だけ打ち、終わったら帰る。その繰り返しだ。


 彼女曰く「大学がもう暇なので」とのことだった。


 勝敗は勝ったり負けたりを繰り返している。もちろん民棋を打ってる時も楽しいが、いつからか彼女との会話も楽しみになっていた。


 彼女は士蔵の話をたくさん聞かせてくれた。


「光岡教授は田畑さんの話をよくしてましたよ」


「どうせ悪口しか言ってないでしょう」


 ふふふ、と幹本さんは含み笑いをした。


「そんなことないですよ。田畑さんのおかげで毎日が楽しいと言ってました」


「本当ですか?」


「ええ、お孫さんまで連れてきてくれて、自分に孫が出来たようだって喜んでいました」


「そうですか」


 正人を連れて行くことを内心迷惑に思っているのではないかと心配していたが、喜んでくれているのならよかった。


「孫も士蔵の家に行くのを本当に楽しみにしていました。士蔵と茶太のおかげで、性格もだいぶ明るくなりましたし」


「正人くん、まだ学校には行けてないんですね」


「はい、・・・え?孫の名前言いましたっけ、私?」


 あまりに自然に正人の名前が出たので一瞬聞き流しそうになった。しかし幹本さんはなんでもないことのように答えた。


「教授が名前で呼んでいたので」


「そうだったんですか、正人はまだ不登校のままです」


「そうなんですね・・・、今日はいらっしゃらないのですか?」


 彼女の質問に一瞬悩んだが、正直に言うことにした。


「ええ、正人の母親に無断で士蔵の家に連れて行ってたことを今回の事件で知られてしまいまして、うちに預けてはくれなくなったのです」


「そうだったんですか・・・」


 私にどう声をかけるべきか、困ったような表情を見せた。


 ※ ※ ※


 彼女が来始めて三週間になろうとした時だった。いつも通り一局打っている最中、幹本さんは碁盤を見つめながらさりげない口調で訊いてきた。


「田畑さん、教授のサイコロをお持ちではないですか?」


 一瞬意味が分からなずに「え?」と聞き返すと彼女も顔を上げたので目が合った。思わず息を呑んだ。今までと雰囲気がまるで違う。どう猛な肉食動物に睨まれた気がした。


「教授が使っていたサイコロ、私が譲り受ける約束をしていたのです」


「私は持ってないよ」


「じゃあ、どこにあるんですか?」


 自分より五十も下の小娘に問い詰められて、思わず目をそらした。


「士蔵の家にあるんじゃないのか?」


 彼女は首を横に振った。


「教授の家にはどこにもありませんでした」


 士蔵の家に探しに行ったのか!?確かに立ち入り禁止はそろそろ解除されている頃だが、まだ解決していないのだから女性一人で行く場所ではない。


「本当に私は持ってない。士蔵の家にないなら警察が回収したんじゃないか?」


 言った後に、刑事もサイコロを探していたことを思い出した。警察も回収していないということなのか。


「・・・分かりました。失礼な態度を取ってしまい、すみませんでした」


 碁盤に額がつきそうなほど頭を下げてから、彼女はゆっくり立ち上がった。


 そのまま何も言わずに玄関に向かっていったので私も慌てて後を追った。幹本さんは玄関を靴を履いてから私に顔を向けた。


「田畑さん、念のために言っておきますが」


 声質も違う。彼女の声に違いないのだが、温度がまったく感じられない。


「万が一、あのサイコロを持っていた場合」


 いったいなんなのか。足がすくんでいる。私は彼女に対して恐怖を感じている。


「近々あなたは死にます」


 そう言い切ると彼女は静かに出ていった。いつの間にか全身から汗が噴き出していた。

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