第9話
それは士蔵がいなくなってから五日目の出来事だった。
スーツ姿の若い男が訪ねてきて、胸元から警察手帳を出した。
「藤沢警察署の松木と言います。光岡士蔵さんのことで訊きたいことがあります」
すぐに居間に通した。事件に進展があったのだろうか。
「いまお茶を入れますので」
そう言いながら台所にいこうとすると松木刑事は手で制した。
「結構です。お座りください」
私が松木刑事の前に座ると、彼は部屋の中を見回した。
「今日はお孫さんはいないのですか?」
「は?」
「確か、こちらは日中お孫さんを預かってると聞いていたのですが」
どこから聞いたのだろうか。それを訊いても素直に教えてはくれないだろうが。
「今はもう預かっていません」
「ああ、そうでしたか。失礼」
軽く咳払いをしてから、松木刑事は本題に入った。
「民棋というものをご存じですか?」
「え、はい、士蔵・・・光岡とよくやっていました」
民棋が事件と何か関係あるのだろうか?松木刑事の表情からは何も読み取れない。
「そうですか。それでは民棋の起こりはご存じですか」
「オコリ?」
一瞬なにを言ってるのか分からなかったが、どうやら起源のことだと判断した。
「確か、昔どこかの村で、囲碁の実力の差に関係なく楽しめるように考えられたとか」
「違います」
松木刑事は両断するように首を横に振った。
「民棋は魔物に捧げる生け贄を選定するための儀式だったのです」
こいつは真顔で何を言ってるんだ。
「いやいや、それは嘘でしょ」
笑って顔の前で手を振ったが松木刑事の表情は変わらず、鋭い顔つきのままだ。
「いえ、これは紛れもない事実です。その村を統べる
なんとも気分の悪い話だ。長は人の命をつかって遊んでいるだけではないか。
「そんな伝説があったのですか。それと今回の士蔵の件は関係はあるんですか?」
関係などあるわけないと思いつつも、この警官がなぜこんな話を持って来たのかが分からなかった。
「この話には続きがあります。民棋を使っての儀式が定着して数年後、村に一人の旅の修行僧が来たそうです。村の人々は修行僧を手厚くもてなした。そこで儀式の話を聞いた修行僧が懐から木の欠片を取り出すとそれを削り始め、あっという間に民棋のサイコロを作り上げた。
そして満月の夜になると、修行僧自ら魔物の住む森に行き、サイコロに魔物を封印したそうです。そのサイコロはその村の神社に隠されたのです。余談まで言うと、村の長はその数日後に突然発狂して自分でのど元に脇差しを突き刺して死んだそうです」
これで話しは終わったようで、松木刑事は深く息を吐いた。対して私はかなり苛ついていた。
「だから、それが今回の話とどう繋がりがあるんでしょうか?」
「どうやら光岡士蔵さんが持っていたサイコロが、魔物を封印していたものらしいのです」
「はぁ?」思わず
「どのような経緯を辿ったのかは分かりませんが、サイコロが光岡士蔵さんの手元に流れ着いた。そして何かの拍子に封印されていた魔物が解放されてしまい、襲われたようなのです」
よくもまぁ、こんな話を真顔で出来るものだ。逆に感心してしまう。
「それは、警察が正式に調べて出た結論なんですか?」
いいえ、と目の前の若い刑事は首を横に振った。
「私が個人的に調べて、出した結果です」
「それじゃ、これは正式な警察官としての任務ではないということなんですね?」
私の詰問口調に対して松木刑事は動揺する素振りも見せずに「はい」と頷いた。
「警察では今回の事件の真実には辿りつけません。光岡士蔵を殺したのは魔物なのですから」
こいつは正気なのか?こちらの頭がおかしくなりそうだ。
「それで、なぜそれを私に報告しに来たのですか?」
「サイコロがないのです」
「は?」
「光岡士蔵が民棋に使っていた、魔物が封印されたサイコロです」
「士蔵の家の、どこにもないのか?」
はい、と松木刑事は頷く。
「彼が最期に会ったのはあなたです。サイコロを渡されたりはしませんでしたか?」
「受け取ってません」
断言した。しばらく無言のにらみ合いが続いた。先に折れたの松木刑事だった。
「分かりました。ありがとうございました」
そういって私に頭を下げた。
「これは、私をからかっているわけではないんですよね」
「もちろんです。私はこの事件を必ず終わらせます」
彼の目の奥に、燃えさかる炎が見えた気がした。
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