第6話

 

 正人と一緒に士蔵の家に行くようになって一年以上経過した。三人と一匹は変わらず元気だ。


「正人は理解が早いし、もう一学年上の勉強をやらせてもいいんじゃないか?」


 宿題を教え終わって民棋をしている最中に士蔵がそんなことを言った。正人は庭で茶太と遊んでいる。


「そうなのか?勉強ができなくて苛められたのが不登校になった原因かと思っていたんだが」


「まぁ、初めは理解する力が弱いように感じたが、教え方を変えたらすぐに良くなったよ」


「なんだ、それじゃあいつの学校の先生の教え方が悪かったのか」


 そういうことじゃない、と士蔵が顔をしかめる。


「先生は一度に数十人の生徒に勉強を教えなきゃいけないんだ。マニュアル通りの無難な教え方にならざるをえないだろう。一人一人の個別指導なんか出来ないからな」


「お前、学校側の肩を持つんだな」


「これでも元大学教授だからな」そうい言って士蔵はサイコロを振った。


 民棋も勝敗が決したところで休憩となり、庭に目を向ける。茶太が木の枝に登り、正人も登ろうとしている。その様子を眺めながら、士蔵が口を開いた。


「正人は不登校になってからどれくら経つんだ?」


「そうだな・・・もう一年半くらいになるんじゃないか?」


「そろそろ復帰させないとなぁ」


「その話は前にもしただろう。それはあいつの母親が決めることなんだ。俺が口出しすることじゃないんだ」


「しかしお前の娘は正人をお前に丸投げしたじゃねえか。どうしていいか分からなくなって逃げたんだろ?」


 今日の士蔵はやたら喰ってかかる。


「お前、一体どうしたんだ。今日はなんか変だぞ」

  

 少し強めの口調で言うと士蔵は黙った。反省して口をつぐんだのではなく、何かを考えているようだ。何かを、言うべき否か。


「士蔵、何かあったのか?」


 士蔵は庭に顔を向けた。相変わらず正人は茶太に夢中でこちらを気にする様子はない。


「善一、俺が民棋のサイコロを見つけた時の話を覚えているか?」


「いや、よく覚えていないんだが・・・」


 二年も前のちょっとした話など覚えているわけない。日頃の物忘れをなんとかしたいと思っているのだから。


「生前整理をしてる時に見つけた、と言ったんだ」


 言われてみればそんなことを言っていた気がする。


「それがなんだ?」


「あの日、お前を呼び出した時、俺は医者に余命二ヶ月を宣告されていたんだ」


 こいつは何を言ってるのか。しかし冗談を言ってる風でもない。


「それ、二年前の話だよな?お前、生きてるじゃないか」


「まぁ、最期まで聞いてくれ。二年前、肝臓に癌が見つかって、すでにあちこちに転移している状態だった。まぁ手遅れってやつだ」


 私は黙って士蔵の話に耳を向ける。


「なっちまったもんは仕方ない。せめて動けるうちにと思って家の中を片付けていたらこいつが出てきたんだ」


 そう言って士蔵は碁盤の上にあったサイコロを拾い、手のひらの上で転がした。


「初めは、ああ懐かしいな、と思って終わりだった。しかしその日の夜、庭の方からうめき声が聞こえた。外に出て見てみると、ボロ雑巾のようになった死にかけの猫が転がっていた」


 言わずもがな茶太のことだろう。


「このまま庭で死なれても気分が悪いし、とりあえず家に入れて毛布をかけてやって、猫が食えそうなモノを近くに置いといたんだ。これで翌朝死んでいたら仕方ない、庭に埋めてやろうと思いながら布団に入った」


 ここで士蔵が一息つくようにお茶に手を伸ばした。私もお茶に口をつける。すっかり冷めていたがかえって飲みやすい。さて、と士蔵が話を再開する。


「善一、お前は夢を見るか?眠った時に見るアレだ」


 急に話が脱線した。


「夢?そりゃあ見ると思うが・・・」


「そうだよな、夢なんて見た認識はあっても、朝起きたら大抵の内容は忘れちまってるもんだ。しかし俺は野良猫を家に入れた日に見た夢の内容を、完全に覚えていたんだ。今でも覚えている」


「どんな夢だったんだ」


 私は先を促した。この話の着地点がいまだに分からない。


「この部屋でお前と碁盤を挟んでサイコロを振ったり石を動かしたりしながら、庭を見ると子供と猫が楽しそうに遊んでいる、という夢だ」


「・・・お前、それって」


「そうだ、まさに今、この風景を夢で見たんだ。二年前に」 


 冗談を言ってるようでもない、ボケが始まってる様子もない。どんな言葉を返そう、と考えていたら先に士蔵が口を開いた。


「なにを言ってるんだこいつ、て顔をしてるな。もう少しで終わりだから聞いてくれ。そんな夢を見たせいでお前と会いたくなった。子供はよく分からなかったが、お前さえうちに来てくれれば実現できる夢だったからな」


「それであの日、俺に電話をしたのか」


「ああ。お前と久しぶりに会って、何十年ぶりに民棋を打って、死ぬ前に楽しい思いが出来た、と満足したよ」


「それで、病気はどうなったんだ?」


 一番気になっていることだ。


「それがな、それ以来、癌の進行が止まったんだ。あの日以来ずっとだ。医者も目を丸くしていて、どこかのでかい病院に検査に行くように言われたが断った」


 士蔵はふーっと大きく息を吐いた。話はこれで終わりのようだ。


「夢に出て来た子供というのは・・・」


 私の質問に士蔵が頷く。


「正人だった。間違いない」


「一体なんだったんだ、その夢は」


 さぁ、分からねぇけど、と言いながら士蔵は笑った。


「その景色が、俺が最期に見る一番幸せな瞬間だったんじゃねぇかと思うんだ」


「・・・バカ野郎、縁起でもないことを言うんじゃない」


「もともと俺は二年前に死んでるハズなんだ。悔いはねえ。ただ、正人の不登校のことだけが気がかりなんだ」


「正人が心配なら死ぬとか言ってんじゃねえよ。あいつが立ち直るまで面倒を見ろよ」


 そんな話をしながらも庭に目を向けると茶太は木の上に登っていて、下から正人がいくら呼んでも降りる気配はない。木の上から、私達をじっと見つめていた。

 

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