第4話

 それから正人は毎日のように「今日は士蔵さん来ないのかな」と訊いてくるようになった。


 お前の目当ては士蔵じゃないだろ。士蔵は私の家に来るときは必ず茶太を連れてくるようになった。


 そして私が士蔵の家に行くときも正人はついてきたがるようになった。初めのうちはダメだと言ったが、士蔵からも「正人くんに留守番させてたらお前の家にいる意味ないだろ。連れて来いよ」と言われたので仕方なく条件付きで連れて行くことにした。


 条件とは、ゲーム機を持っていかないこと、その日の分の勉強は必ず終わらせること。そして母親には内緒にすること。この三つだった。


 正人は当然と言わんばかりに条件を受け入れて、翌日に士蔵の家に一緒に行った。


 北鎌倉駅を降りて、しんどい山道を登っていると、私よりも先に正人が音をあげた。まだ道半分といったところだ。今の子供はこんなに体力がないのか。


「正人、少し休むか」


 私が提案したところで、少し離れた場所からニャアと鳴き声がした。


「チャタ!?チャタだよね、今の!」


 私より先に正人が反応した。聞こえた方を見ると予想通り茶太が私たちを見つめている。


 チャタ~!とさっきまでへばっていた正人が私を追い抜いて抱きかかえようとしたが、その手をすり抜けて茶太は先を進んでいく。


 ふらつきながらも猫を追っていく孫の後ろ姿を見てると初めて茶太と会った時のことを思い出した。つくづく不思議な猫だ。


 私が士蔵の家に着いた時には正人は縁側に座って麦茶を飲んでいた。茶太の姿はない。


「正人、茶太はどこいった?」


 私の質問に孫は不満げに首を横に振った。


「分かんない、どこか行っちゃった」


 部屋の奥から士蔵がのっそりと出て来た。


「どうやら茶太は女が出来たらしい」


「女!?恋人ってことか?」


「おじいちゃん、恋人じゃなくて恋猫でしょ?」


 孫に訂正された。


「二、三週間くらい前からどこかのメス猫と一緒にいるところを何度か見たんだ」


「まぁ、チャタはイケメンだし、もてるだろうね」


 そう言いながらも正人はつまらなそうだ。目当てがいないんだから仕方ないか。


「正人くん、やることないなら仕事を手伝ってくれ」


「はい、何をやるんですか?」


「豆腐をつくる。つくったことあるか?」


「いえ、ありません」


 そんなこと話しながら正人は士蔵と一緒に台所に向かった。


 少ししたら茶太が帰って来て、私を見ると縁台に上がって横で寝そべった。


「茶太、お前は女が出来たんだって?」


 茶太の横に座ってアゴの下をくすぐると、気持ちよさそうに目を細めた。

 

 ※ ※ ※


「え、美味しい!」


 正人が豆腐を食べて目を見開いた。先ほど士蔵と一緒につくっていたものだ。


 正確に言うと作ったのはゴマ豆腐で、正人はゴマをすり鉢でひたすら砕く作業をしていた。


「正人くんがていねいにゴマをすりつぶしてくれたおかげだよ」


 褒められてまんざらでもない様子の士蔵は、私にも小皿に入れたゴマ豆腐を差し出した。


「お前も喰えよ。孫の手作りだ」


 遠慮せずに受け取って一口食べる。うん、ゴマの香りが口の中から鼻孔を心地良く通り抜けていく。


「確かにうまいな」


「今度おじいちゃんちでもこれをつくろうよ!」


 嬉しそうに正人が言った。私も「うん、そうしよう」と頷く。


「士蔵さん、他にも何か手伝うことない?」


 そうだな―・・・と言いながら士蔵は腕組みして周囲を見回した。先ほどまで縁側で寝ていた白猫はまたどこかに遊びにいっている。


「それじゃ、茶太の捜索をしてきてくれ。おそらく近くにいるから」


 はぁい!と元気に返事をして縁台から庭に出ていった。この家の庭は山と隣接している。


「士蔵、ありがとな」


 正人が林の中に完全に姿を消してから礼を言った。ちゃんと言うのは初めてだ。


「なに、俺も楽しんでるさ。正人くんはまだ学校に行けないのか?だいぶ明るくなったように見えるが」


 不登校のことは最初に正人と士蔵が会った日の夜に電話で伝えている。


「まだ駄目らしい。その辺の細かいことはあいつの母親が一任してるからな。俺は口出しできないんだ」


「あいつの母親て、お前の娘てことだろう。口出しすればいいじゃねえか」


 士蔵の言うことはもっともだ。私も少し前に正人について話してみたことはある。しかし娘の反応は強烈だった。


「お父さんは何も分かってないんだから口出ししないで!私たち大人が下手なことをしたら、傷付くのは正人なんだから。お父さんはただ正人が学校に行けるようになるまで預かってくれてればいいから」


 あまりの迫力に言い返すことも出来なかったのだ。そんなことを士蔵に話したら笑われるに決まっている。私が黙っていたら士蔵はある程度のことは察したようだ。


「まぁ、俺としては孫が出来たみたいで楽しいよ。いつでも連れきていいからな」


 私は旧友の顔をマジマジと見つめた。士蔵は数年前まで大学の教授をしていて、民俗学の世界ではそこそこ名の知れた存在だったらしい。


 そのわりには一度も結婚をしなかったので、家族を持つということに興味がないのだと思っていた。


「なんだお前。今頃家庭が恋しくなったか。今なら熟年お見合いみたいのがあるだろ」


「バカ言ってんじゃねえよ。今さらそんなこと出来るかよ」


 士蔵が鼻で笑った、その直後だった。


「ぎゃあああああああ!」


 正人の悲鳴だ。林の奥からだ。私と士蔵がほぼ同時に縁台から飛び降りた。


「正人、どうしたぁ!」


 林の中から正人が飛び出してきた。茶太を両腕で抱えている。


「チャタが、チャタが・・・・」


「茶太がどうした?」


 見たところなんともなさそうだが・・・


「クモを食べてる!」


 茶太の口元を見ると確かにクッチャクッチャと何かを租借していた。


「そいつは元々野良だから昔の血が騒いだんだろ。気にすることじゃないよ」


 士蔵が笑いながら説明した。ついさっきまで顔面蒼白だったくせに。


「そうなんですか?それならいいけど・・・。とにかくチャタ!気持ち悪いから吐き出して!」


 正人が茶太の口に手を入れて吐き出させた。クモはもう、その形を保っていなかった。

 

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