第1話


 私が民棋と再会したのは二年前のことだった。


 同郷の友、みつおかぞうからの電話が始まりだった。


「おう善一か。暇なら俺んちに来れねえか、おもしれえモノが出てきたんだ」


「いったいなんだよ。よっぽどおもしろくないとあんな山奥まで行きたくねえぞ」


「おめぇんちだってクソ山ん中じゃねえか、お茶くらい出してやるからとっとと来い」 


 士蔵の家は北鎌倉で、私は藤沢市のかたじろやまに住んでいる。


 モノレールと電車と徒歩で一時間ほどの距離だ。


 私は電話での憎まれ口に反してそそくさと出かける準備を始めた。


 女房に五年前に先立たれ、子供もとっくに独立している。よわい七十三、暇に決まっている。


 北鎌倉駅で降りるとハイキングコースがある山に向かった。


 士蔵の家は山の上だ。


 平日の昼間にも関わらず、周囲にはたくさんの観光客が歩いている。

 

 しばらく上り坂を進んで行くと、近くでニャアと鳴き声がした。


 顔を上げると、目の前に一匹の白猫がおり、私を凝視している。首輪はしていないがその毛並みはとにかく美しく、野良には見えない。あと数歩でつま先が触れるというところで猫は先を進み、十メートルほどいったところで止まって私に目を向けた。


「なんだ、案内してくれるてるのか?」

 

 冗談交じりで訊いてみたが猫は鳴きもせずに私のことをじっと見つめて、距離が近くなるとまた先を進んだ。


 猫は私のどこが気に入ったのか、延々とそれを繰り返した。それにしても見れば見るほど綺麗な猫だ。背中の毛が太陽に反射してキラキラと輝いている。


 気づくと士蔵の家の前に辿たどりついていた。


 士蔵んちの庭に入っていく猫を見ながら呼び鈴を押すと、間もなく士蔵が顔を出した。


「おう、よく来たな。入れ」


 玄関で手土産のお菓子を渡しつつ居間に通されると、部屋の中央に碁盤が置かれていて両端に座布団が置かれている。庭に面した窓が開けられていて心地良い風が頬を凪いだ。


「なんだ、おもしろいもんというのは、囲碁か」


 囲碁は得意だったが、少しがっかりした。


「まぁ、とにかく座れよ」


 士蔵は言いながら下座の座布団に腰を降ろした。普段はまったく気をつかわない関係だが、私が奴より一歳上なのを忘れずにこういった礼儀はきちんとする。


 私が上座に座ったのを確認してから立ち上がって台所に向かい、お茶を入れて戻ってきた。


「まぁ、俺も独り身だし、生前整理とかいうのをしてみたんだ。そしたらこれが出てきた」


 湯飲みが乗った盆を畳の上に置きながらポケットから出したのは、小さなサイコロだった。


「サイコロ?これがどうしたんだ」


「やっぱり覚えていないか。サイコロの目をよく見てみろ」


 言われたとおり手に取って見てみると、奇妙なことに気づいた。


 目が一から三までしかないのだ。正方形だから六面あるのにどうしてかよく見てみると、それぞれの目が二面ずつ配置されていたのだ。その時に頭の中で電気が走った。


「ああ!みんのサイコロか!」


「そうだ、懐かしいだろう。せっかくだからお前とやろうと思ってな。ルールは覚えてるか?」


「覚えてるなにも、打つ前ににサイコロ振るだけだろ。けど俺はそのサイコロは持ってないぞ」


「そんなもん、普通のサイコロを使えばいいんだよ。四五六の目を一二三にすればいいんだ」


 いざ始めると思いの他熱中した。


 囲碁の実力だけで言えば私の方が上だが、サイコロの目に寄って劣勢に立たされたり盛り返したり、もはや運なのか実力なのかよく分からない。最終的に士蔵が勝利した。


「一局打っただけなのに、けっこう疲れたな」


 同感だ。しかし、やはり負けたのは気に入らない。楽しかった分、なおさらだ。


「俺はまだ全然疲れていない。もう一局打つぞ」


「少し休ませてくれ。お茶を入れ直してくる」


 そう言って立ち上がろうとした士蔵の膝に、縁側から入ってきた白猫が飛び乗った。先ほどの猫だ。


 士蔵は白猫を抱きかかえて畳に降ろした。白猫が不満げにニャアと鳴いた。


「その猫は士蔵の飼い猫か?」


「ああ、三日前に庭で行き倒れていたから、飯を喰わしてやったんだ。そしたら懐いた」


 白猫は士蔵が立ち上がった後の空いた座布団の上で丸くなった。たった三日でこんなに懐くものなのか。もともとどこかの飼い猫だったのだろう。


「しかし綺麗な猫だな。名前つけたのか?」


「ああ、茶色い太いと書いて茶太だ」


「チャタ?」名前を聞いてもう一度猫を見る。やはり毛並みは白だ。


「なぜ白い猫に茶太と名付けたんだ。バカなのか?」


「誰がバカだ。こいつはな、日の光を浴びると金色に輝くんだ」


「それなら金太だろう」


「金太だとキンタマみたいじゃないか。それで茶太にしたんだ」


 金と茶ではまるで違うだろと思ったけどそれ以上は言わないことにした。


「しかしなんでこいつの毛は光るんだ?他の白猫ではこうはならんぞ」


「善一、そいつの毛を近くでよく見てみろ」


 碁盤の横を通って茶太の横に両膝をついて手を伸ばした。茶太は私をチラリと一瞥しただけですんなり触らせてくれた。その毛は予想以上にサラサラで柔らかかった。その感想をそのまま士蔵に伝えた。


「そういうことじゃねえ。顔を近づけて、毛の色をよく見てみろ」


 なにを言ってるのだ。近くで見ようが白は白だろうと思いつつ言われたとおりにすると、すぐに士蔵の言ったことの意味が分かった。


「これ、白じゃなくて透明なのか?」


 茶太の毛はナイロン製の糸のようだった。


「そうなんだ。それで光とか反射しやすいのかと思うんだけどな。まぁどうでもいいな」


 飼い主が話をまとめて猫の話は終わりとなった。


 けっきょく民棋はそのあと二局打って、最終的な勝敗は私の一勝二敗だった。


 帰りの電車の中で、今日は良い日になったな、と思った。 

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