透明猫と三面のサイコロ

みかくに

プロローグ

 

 江戸中期のふじさわ宿やど辺りの農民の間で、民棋みんぎと呼ばれる遊戯が行われていたそうだ。


 ルールは囲碁とほとんど同じなのだが、決定的に違うのは自分が打つ時にまずサイコロを振り、出た目の数だけ碁石を動かせるというものだった。


 さすがに四、五、六の目があると差が開き過ぎてしまうので、サイコロの目は一、二、三が二面ずつにされていた。


 そのルールによって、実力が上の相手に対してもサイコロの出目によって勝機があり、その逆もしかりだった。


 私がそれに出会ったのは、今から六十五年前の十歳の時だった。


 あの頃は戦後復興期から高度経済成長期に差し掛かった時で、とにかく大人達が忙しそうにしていた。


 私たち子供は学校が終わった後は広場に集まって何かしら遊んでいた。


 いつからかは覚えていないが、私たちの広場に紙芝居のおっちゃんが来るようになった。


 おっちゃんは自転車でやって来るとまずひょうを鳴らして私たちを呼びよせて、始めに水あめやソース煎餅、酢昆布などを販売した。


 みんなが少ないお小遣いを出し合ってそれらを購入すると、そこでようやく紙芝居が始まった。


 その内容はあまり覚えていないが、手書きの絵で描かれたおとぎ話のようなもので、レパートリーは五つぐらいだったと思う。


 後に出稼ぎで他県に行った時に、よその紙芝居は「黄金バット」のようなヒーローものや時代劇、怪談など幅広い演目があったと聞かされて驚いた。


 おっちゃんの紙芝居は新作が入ることもなく五つの話を繰り返し上演した。


 同じ話を三度も見せられればさすがに飽きる。


「おっちゃん、その話は飽きたよ。別の話が見たいよ」


 子供からの文句におっちゃんは「新しい話なんてねえよ」と悪びれた様子も見せず、「かわりにおめえらに民棋を教えてやる」と言った。


「ミンギてなに?」


 お互い顔を見合わせたが誰も知らない。おっちゃんは紙芝居の台の後ろから丸めた紙を出してきた。


 広場の土の上にそれを広げると紙面にはたてよこに直線が描かれていて、それらは直角に交わってこうじょうになっていた。


 おっちゃんは紙の横に木箱を二つ置いた。その中には白と黒の石がそれぞれにたくさん入っていて、大きさは親指の爪くらいだ。


「なんだよ、ただの囲碁じゃん」


 私の隣の家に住んでいる二歳上の明夫兄ちゃんが不満の声をあげた。


 彼はいろんな事を知っていて勉強もよくできた。彼の苦情に対しておっちゃんはポケットに手を入れて何かを取り出した。覗き込むとそれは木でできたサイコロだった。


「さぁさぁ、このサイコロが民旗の一番の特徴だ。必ず一人一個持ってないといけない決まりだ。四の五の言わずに買った買った。囲碁よりもよっぽど面白いぞ」

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