その後の話






「今更ですけれど、よくもまあ都合よくお医者さまが捕まりましたね」


 八年間、一切の成長をしていなかった私の身体。

 突然動き出した時間について行けないのは心だけでなく身体も同じようで、重く鈍く痛む下腹部に私はしばらく庭でうずくまるしかなかった。


 そこに、メイド達によって呼び戻されたルドルフ様の主治医がやって来るまで。


「ああ。今日は無理を言って往診に来て貰っていたからな」

「そういえば、ゾフィーさんが心配していましたよ。昔から医者嫌いのくせに、最近頻繁にお医者様を呼んでは部屋に籠るって」

「……私にも、あるんだ」

「何がです?」

「色々と」


 珍しく歯切れの悪い言葉を並べ、ルドルフ様は黙り込む。

 淡く染まった目尻はなんだかすっかりただの青年という風貌で、気づけば私は「ああ、なるほど」と息を漏らすように呟いていた。


「若いお方でも色々あるって言いますものね。殿方相手でないと話しにくいことでしたら庭師のウィリアムに、」

「ジゼル、お前は誤解をしている」

「ルドルフ様、私、これでも十八ですので。大丈夫ですよ」

「私が大丈夫じゃない」


 そう、ルドルフ様は私の肩を掴んで言い聞かせる。

 榛色の瞳がこんなにも真剣に、情熱的に、何かを見つめるのを見たことがあっただろうか。悔しい話だけれど、なかった気がする。


「ジゼル」


 触れた手の大きさと熱さに逆上せそうになる私の意識を、そんな声が呼び戻した。


「私は、貴族という生き物があまり好きじゃない」

「存じ上げているつもりです」

「浪費に勤しみ、何かを生み出すこともなく、奇妙な趣向ばかり追い求める。私がこんな体たらくでもなんとか生きて来られたのは、そこだけは彼らから逸脱していたからであって、」

「今日は随分と饒舌ですこと」

「私はペドフィリアじゃないはずなんだ」


 強く響いた声。私とルドルフ様の間を木霊したのではないかと思うほど、その声は、ベッドで身体を起こす私と、椅子に腰掛ける男の空間に残った。

 私は、ペドフィリアじゃないはずなんだ。確かに貴族の間ではお稚児趣味が流行っていると聞いたような気がするし、ここへ来たばかりの頃はそう思っていた。


「……それでお医者さまにかかってたんですか?」

「ああ。彼から会話療法と催眠療法を」

「ルドルフ様、もしかしなくても、結構お馬鹿さんですか?」

「だって、おかしいだろう。君はてんで子供の姿なのに、私は、」

「なにか、やましいことでも?」


 肩に触れたままだった手に、自らの手を重ねる。

 そうして、じっと、その榛色の瞳を見上げた。ゆらゆら揺れる、男の瞳。鉄を溶かす熱を隠し持つそれに、微笑んでみせた。


「もう少しだけ、待っていてください」


 すぐに追いついてみせますから。

 そう笑った私に、ご主人様は一瞬眉を下げ、薄くはにかむ。不器用なそれが可愛く見えて、胸の内側にあたたかい春の風が吹くのを感じた。


 私の中に、もう、冬は居ない。


「今度は私が、あなたを追い掛けますよ」









end.



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鉄と氷の融解点 よもぎパン @notlook4279

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