第32話 魂を縛る真名

「そうよねえ〜。ホントにイライラしちゃった。だからね。二曲目が終わった後にアタシ舞台そでに引っ込んだじゃない?そこにいたスタッフに『もう歌いたくありません』って言ったの。そしたらアイツら顔が真っ青になっちゃってね。何回も土下座するもんだからあんまり可愛くって。それで渋々出てあげたの」


 お袋は全く悪びれずにそう言った。


「酷いね。相変わらず」


「だってえ〜ん。そういうの好きなの知ってるでしょ?」


 良い性格してらっしゃる。


「そう言えば、アマルの姿が見えないけど。アイツもしかして来てないの?」


「え?ああ。そう……だね。なんか今回は用事があってこれないってさ」


 お袋の顔が憤怒で紅潮していく。


 ヤバいな。アマル叔父さんのこと、かばえそうにない。まあ、最初からかばう気もあんまりないけど。


「あのガキあんだけ言うとったのに。またしつけけてやらねえとな」


 だんだんと空気が張り詰めてゆく。


「おいおい。まあ落ち着けって。顔!顔ヤバいって!」


 あたしが注意するとお袋はハッと我に返り、笑って誤魔化した。


「あらやだ。うふふ。もうアタシったら」


 顔を赤面させて髪をクルクルいじっていた。その姿はさながらティーンエイジャーの女の子で、とても数千年生きる化け物とは思えない。


「アマル叔父さんもクラブの仕事が忙しそうだったし。仕方ないとまでは言わないけど、少しくらい手加減してあげれば?」


 あたしもつくづく甘い。自分を見捨てて逃げた叔父さんをフォローするなんてね。


「そうね。アナタがそこまで言うなら。片腕くらいにしとこうかしら」


 穏やかだね随分と。


「ところでさっきからそこに突っ立っている殿方はどなた?アマルの代わりの護衛?」


 おっといけない。そもそもの目的を忘れてた。


 しかし気が進まないね。契約主相手に自分のお袋をあてがうなんて、冗談でも笑えない。


「あーこちらは…」


 そう言いかけた時、クソダサいポーズをキメてタケルが割って入ってきた。


「初めまして。私は一ノ瀬タケルと言って、メフィストさんの友人です。どうぞ私の事はタケェルとお呼び下さい」


「タケェル?」


 友人?それって片一方がそう言ってるだけでも成立する関係だったけか。


「アマル叔父さんが行けないと知って、代わりを買って出てくれたんだ。なんて言うかまあ、クッソ暇な人なんだよ」


「え?」


「え?」


「ああ、いや。とっても良い人だよ」


「まあそうなんですの。ありがとうございます。アラ、アナタ人間じゃない?しかもよく見たらいい男♡」


 お袋って結局のところアダムの遺伝子が入ってる男なら誰でもオッケーなんだよね。よく考えたらそれって尻が軽いとかのレベルじゃなくて最早、母なる大地ガイアそのものだよな。万物を受け入れる、的な。


「タケェルさんね。ヨロシク♡」


 ガイアは完全にタケルを取り込もうとしている。


 だがタケルもなかなかどうして。侮れない。


 タケルは突然お袋の手を取り握りしめ、そのキラキラした眼差しで胸糞悪い台詞を吐き出した。


「リリスさん、いやさ、リリスタン!そう呼ばせてください!あの素晴らしいライブを目の前で見せていただいて、私は心の底から音楽の素晴らしさを感じました!貴女は最高の芸術家だ!アーティストだ!貴女の歌には哀愁がある!」


 目の前で自分の契約主がくだらないお世辞を並べてお袋を口説いている。


 しかし回りくどいね。お袋なんて「どう?やらない?」って言えばすぐに股を開くのにさ。まあその結果がどうなっても責任持たないけど。


 慣れないタイプの男がきたもんだからお袋は少しやりにくそうにしていたが、それでもやっぱりお気に召したようだ。


「あの曲に込めた感情を汲み取ってくださるなんて。さぞかし芸術に造詣の深い方なんですのね」


 まるで三文芝居を見せられてる気分だ。


「ねえ一ノ瀬さま」


「タケェルと、そう呼んで下さい」


「タケェルさま。今夜にぴったりなワインがありますの。二人で芸術についてふかぁく語りませんこと?」


 それを聞いたタケルは大袈裟にお辞儀をしてみせる。


「喜び、至上」


 全くやんなっちゃうね。これだもの。


「少々お待ちになって」


 そう言うとお袋はあたしのとこまで駆け寄ってきて、ドスの利いた小声で話してきた。


「まさかとは思うけど、お前あの人にアタシのこと、母親だなんて言ってねえよなあ?」


「もちろんですよ。お母様」


途端にお袋の表情はパッと明るくなる。


「い、や〜ん。ベイビちゃんたら出来る子!んーまっ♡」


 あたしは頬についた唾液を拭う。


「だけどお袋。いいのかよ。ウェジーとアンコールライブ出るんじゃねえの?」


「えーなにそれ。面倒くさ。パス、パス。一人で出てもらうわ」


 ウェジーはそれを聞いて顔色を変えた。


「リリス様!そりゃないですよ!ずっと楽しみにしてきたんだ。アナタに仕えて百二十年、この日をどれほど待ちわびていたか」


「大袈裟よアンタ。別にアンタが一人で出たって大丈夫よ。才能あるんだから。勝手にやんなさい」


「そんな……あんまりですよ!曲だって用意してるし、せめて……せめてステージに出て紹介くらいしてください!」


 ウェジーが焦った勢いでついお袋の袖を掴んだもんだから、年増の歌姫は途端に機嫌損ねちまった。


「真名をもって命ずる。その手を離せ『』」


 ウェジーは何か見えない力に圧迫され、手を離した後もしばらく地面に押さえつけられていた。


「調子に乗るなよ小僧。お前の心臓は私が握っていることを忘れるな」


「……ゴメンなさいゴメンなさい。許してください、リリス様」


 ウェジーが泣きながら謝るのを見て、あたしの胸は少しだけ締め付けられるような痛みを思い出した。


 もう何度も見てきたはずなのに。胸糞の悪さは変わらない。何度見ても嫌な光景だ。


 ウェジーは、目実ともにお袋の奴隷だった。


続く

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新約 メフィストフェレス「改訂版」 三文士 @mibumi

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