社会人あるあるー!超短編

夜野 桜

社会人あるあるー!

カチカチカチカチ


冬の荒々しい風が鎧戸をガタガタと大きな音を立てて揺する中、今日も古いアパートの一室を利用した事務所で、男はひたすらにキーボードの上で指を動かし、青白く光る画面にその真剣な眼差しを向ける。


男の相貌は若々しく、おおよそ20代前半と言ったところで、まだ青年といっても差し支えはないだろう。

そんな青年の他にもこの事務所には、3人ほどの男性がいるが、その相貌は30代後半から40代中場と言ったところで、この中では青年が一番下っ端であることは間違い無いだろう。


カチカチカチカチ—


どれほどの時間が立っただろうか、ふとこれまで止まることなく動き続けた青年の指が止まる。


青年は手をさすりながら自身の口元へと手を運び、はぁーと吐息を吹きかける。

指が悴んできたのだ。寒さが一層厳しさを増す中でもこの事務所ではまだ暖房の使用許可が会社からおりてこないのだ。


壁掛けのエアコンを視界の端でチラリと恨めしそうに見ながら青年は冷え切った自身の手を暖め続ける。そうしてある程度暖まるとまた、キーボードの上でカチカチと指を動かしていく。

この事務所で受けている仕事の一区切りの期限が近いのだ。

青年も他の男性も今日という時間を無駄にしないようにただひたすらに与えられた仕事をこなす。


そうしてまた幾ばくか時間が立った頃、最も年齢が上であろう相貌の男性から青年へと声がかかる。


「佐藤。今どこまで終わった?」


彼はこの事務所の所長で会社では課長の地位についている上司であり、部下の仕事の進捗を確認するのも歴とした彼の仕事である。


「あ、はい。えーっと、〇〇報告書の方は予定通り明日にはご確認いただけると思います。〇〇報告書も今週の末には見ていただける内容には仕上がります。」


静寂な空間で前ぶれなく唐突に始まった進捗確認に一瞬、青年はしどろもどろになりながらも、順調であることを告げる。


「そうか。なら明日〇〇報告書が終わったら声をかけてくれ、確認するから。

それと、悪いんだけどさ〇〇報告書の方も纏めてくれないか。あれも再来週には提出しないとまずいからな。」


急な仕事の増加に青年は一瞬、えっと思うことを避けられなかった。

言葉だけを見れば断れそうにも見えるがその実これは業務命令だ。

役職にもついていない青年が断れるわけもないし、実際その報告書を完成させるにはそろそろ取りかからないといけないのも事実である。


「あーそうですね、それもやらないとまずいですもんね。

分かりました。そっちの方にも取り掛かります。」


もちろん本音を言えば青年も断りたい気持ちでいっぱいである。

が、青年には与えられる仕事を上手く断る方法など思いつかないので素直に頷く。肯いてしまう。


「悪いな。じゃあ今日もまた残業して行ってくれないか。」


言葉では悪いと言っているものの、全く悪いと思ってる表情ではない、いつものことである。


「はい。了解です。」


満面の笑みで残業を頼む課長に勿論青年も満面の笑みで返す。

嫌な顔などできるわけもない、この社会で必要な最も基本の処世術である。


そう言って再び仕事に戻り、青白い光を放つ画面に顔を向ける青年だが、そこでふと課長の言葉の中にあった単語に疑問を感じて、視線を左斜め上へとあげる。


青年が視界に映したのは、壁掛けの時計である。そしてその時刻を確認した青年はもう一度課長の言葉を思い返すのだ。


(…今日も残業をして行ってくれないか?だって?)


そうして青年は壁掛けの時計から青白い光を放つ画面の右端に視線を移動させる。そこにはデジタル表記の時刻が記載されているのだ。そうして、壁掛けの時計と画面の時刻に一切のズレがないことを確認した青年は思うのだ。


(…うちの会社の定時って何時だったけ?)


課長は言った「残業して行ってくれないか」青年の耳には確かにそう聞こえた。

その言いようではまるでこれから残業時間が始まるかのようではないか。



青年が確認したその時刻は、21時を回ったところである。





ちなみに、青年の会社の規定された定時は17時である。



そうしてしばらく、仕事終え、帰路についた青年は片手に持つこれまた青白い画面に示された時刻を見ながら静かに思うのだ。


—24時10分—


(…転職しよ)




これはおそらく多くの社会人が感じている疑問である。

定時ってなんだっけ?



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