The Ambitious Emperor

積雲

とある手記

その国の偉大な皇帝が崩御したのは年の暮れのことだった。彼は治世のうちに国内外で平和を確立し、商工業を推奨し、貧者の救済を行った。民衆はそんな皇帝を深く敬愛していた。厳かに葬儀が営まれると、たちまち、「喪に服す」ため派手なお祭りや目立つ格好は皆自粛という雰囲気になった。普段はにぎわう首都の目抜き通りも、あの時ばかりは風音と枯葉を残すのみだった。

しかし時は残酷とはいったもので次第に民衆の悲しみは薄れていき、目抜き通りも段々活気を取り戻しつつあった。そして今や民衆は若き皇帝に新たな時代の到来を感じ始めていた。さらに新皇帝もその期待に答えるように演説を行う運びとなった。


目抜き通りは皇帝を一目見ようと押し掛けた民衆でごった返している。もはやひと月前の静けさはどこにもない。

「まだ来ないんだか?」

「うーん、まだ見えねえだ」

民衆は柵からはち切れんばかりに身を乗り出している。しばしば警笛が鳴り響き、警官が飛び出た民衆を押し戻している。

その直後だった。新皇帝が馬に乗って表れたのは。すかさず誰かが叫ぶ。

「皇帝陛下のお出ましだァ!」

その一声でもみくちゃになっていた民衆は一斉に同じ方向を見る。ある人は脚立の上から双眼鏡を覗き、ある人はその場で小刻みに飛び跳ねてなんとか謁見しようと苦悶している。

「おい!あれが噂の新皇帝陛下かェ」?」

「ああ、白馬に跨ってたいそうご立派でいらっしゃるべ・・・・」

ある人らはこのように呟きあい、ある人は我慢できずに

「こ、皇帝陛下万歳!ばんざーい!」

などと万歳三唱を始めだす。ほかの民衆も熱気に呑まれて万歳を繰り返す。さらに手旗を天に突き上げてはためかせている。もはや感涙してもぬぐうことを知らぬ狂乱の民衆である。

一方馬上の皇帝はで常に荘厳な表情を崩さず、左右交互に民衆へ顔を向ける。見れば独特の口髭が見え、これは祖父(前皇帝)にならってそうしているのだと一目でわかった。


皇帝は厚い歓迎を受けながらついに演説台に立つ。すると目抜き通りは一瞬でひと月前のような静けさを取り戻す。私は演説の内容を書き取るためにメモとペンを取り出した。周りを見れば一人として皇帝を見ないものは居ない。民衆は固唾を飲んで演説台を眺める。皇帝はその沈黙をしばし味わってから、重い声で話し始めた。

「まず何よりも、かつてその存亡も崖のふちにあったわが国を立て直し、内外の安定化に努め、わが国に繁栄と平和をもたらした我が祖父に感謝と冥福をお祈りいたします。


この30年の間、われわれは多くの試練を共に乗り越えて来ました。まず最初に、われわれは独立を勝ち取りました。これは臣民の不断の努力の賜であり、それゆえわれわれは今まで他国の干渉を排して民族自決を貫くことができたのです。そして次に、われわれは世界の地域紛争の解決に力を注ぎました。いま世界はわれわれの同胞が流した血を吸った大地の上に平和を築きあげています。われわれはこのことを決して忘れてはいけないのであります。


いまや世界は一つになろうとしています。万人が持つ友愛と協調の精神が正しく励起される限り、われわれはどんな国家、宗教、民族であろうと同盟し共に幸福を追求することができるはずです。来るべきこのような時代を推し進めるために、我が国は海軍力、労働力、投資など、持てるあらゆる方法で協力していくべきです。そこで私はここに三大都市縦断鉄道、南方大陸および極東における海外植民地の拡大を宣言します。我が国と世界に平和のあらんことを!」

皇帝の演説が終わると、民衆の喉まで出かけていたであろう声が一気に解放され、私は耳をつんざくような黄色い歓声に押しつぶされそうになる。私はかろうじて書き留めたメモを守りつつ、民衆からちぎれるように路地裏に入る。


気付けば私は無邪気に叫ぶ民衆の熱気から取り残されていた。私は熱狂する民衆では居られなかった。なぜなら私はこの演説がおそらく単なる国威発揚にとどまらなくなることがわかっていたからだ。もし仮に今植民地開発を進めようものなら、すでに進出している他国の反発を受けることは避けられない。また大陸に縦断鉄道を引くなど他人の庭の芝を勝手に刈るようなものであり国際緊張を高めることに繋がりかねない。つまり、私はこの演説でこの国がやがて大きな戦争の火種になるのではと予期したのである。そんなことを考えつつ私は興奮冷めやらぬ目抜き通りを足早に立ち去った。


申し遅れたが私は英国の新聞記者である。独逸の新皇帝の即位演説を取材するためにわざわざ伯林まで来たのだ。

 翌日の朝刊には「The Ambitious Emperor」という見出しが付けられた。        (1888年 ベルリンにて)

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The Ambitious Emperor 積雲 @sekiun_creation

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