第63話
美乃里は言いながら写真集のページを繰った。そこには色々な人の日常風景が切り取られていた。石畳を駆け抜ける自転車の男性、両脇に酒瓶を抱え誇らしげに胸を張る少年、お祭りでそろいの衣装を着けて一斉に飛んだ瞬間の大勢の少女たち、広場で大きく高く炎を口から吹き上げる大道芸人・・・・・・何の変哲もない、でもどこか心に残る写真がページ毎に写されていた。何十年も前の出来事のはずなのにさっき起こったことのように思えることが不思議だった。
「これ、スゴイですね」
思わず美乃里の口から洩れる。
「やろ? どうしたら平凡な日常をこんなに光らせることが出来るんかが不思議やろ? 本とか読むとなかなり緻密に計算して構図を決めてたみたいなんやけどな、観る者にそうは感じさせへんところも凄いわ。五○ミリレンズが特有の臨場感を生んでるんやな」
「ええ。ここに写ってる人はとっくの昔に居なくなってるんですよね? なのに息遣いとか笑い声とか喧噪とかが聴こえて来そう」
「そうなんや。それが写真のおもろいとこなんや。被写体が動いていようが停まっていようが一瞬は一瞬。それを切り取って記録することの面白さが分かって来たか? そこに自分の意図を投影させることが出来たらオモロイと思うやろ」
「分かります。あたし、もっと上手くなりたいです!」
美乃里は口ではどうとも説明できないような興奮を覚えた。
カシャカシャッ!
「あー! もぅっ! 油断ならん。はじめの頃は小西先輩の緊張感が伝わって来たから撮られるのが分かって身構えられてたのに最近は風景に溶け込んでるっていうかいつの間にか撮られてるから困るんだよなぁ、ぷんっ」
チアで別名『地獄のストレッチ』と呼ばれるかなりハードな準備運動が終わって気を抜いたところの姿を写された二年の唐津愛が頬を膨らせて抗議する。
カシャカシャカシャッ!
すかさず美乃里は愛に向けてさらにシャッターを切る。
「あ、また! 小西先輩、勘弁してくださいよぉ・・・・・・」
「唐津、サンキュ! あんたは一番撮りやすい。学祭は期待してな」
「え? ウソッ! 学祭に出すのぉ。マジ勘弁!」
「大丈夫だって。あんたのことはカワイさが滲み出るように撮ってるから安心しなって」
「あ! 何だか引っ掛かる言い方だなぁ・・・・・・」
「おい! 小西! 女子ばっかじゃなくて俺の雄姿も撮れってんだろうがよ」
「だから主将はダメだって。スキを突いたつもりで狙っても絶対に気付かれてカメラ目線しか撮れないんだもん、ヤダ」
美乃里は応援部主将の矢鹿紺太に向かって腕で大きくバツを作る。
「タリメーだろうがよ。男子たるもの一瞬たりとも気を抜くわけにはいかねーんだよ。突然、寝首掻かれでもしたらいかんだろーが」
「なぁに? 寝首掻かれるようなことしてんの? 極悪人なわけね」
「ちげーよ。男は外に七人の敵がいるって聞いたことねぇのかよ」
「はいはい、分かった分かった」
「はい! おふざけはそこまで。やらなきゃならないことが山積みなんだから一分一秒も無駄に出来ないのは君たちも分かってることよね。主将とチーフマネージャーと二年リーダーがそんなことじゃ示しがつかないでしょ。ちゃんとやってもらえるかしら」
応援部副将でチア・キャプテンの京野せいらから檄が飛ぶ。
カシャカシャカシャカシャッ!
「せいら、いただき!」
「あ! くそっ! 美乃里、やられた!」
夏休みも特に八月に入ってからの美乃里は今までになく充実していた。去年まではとにかく目が回るほどの忙しさを無理繰りこなす毎日を過ごしていただけのような記憶がある。その日のメニューを消化しスケジュールの調整もして遠征の手配もして・・・・・・。
怒濤のような一日が終わると家に帰って泥のように眠る。
授業がない分、一日のほとんどが丸々部活漬けだった。
なおかつ遠征に随行した時は部員のケアにまで気を配る。それこそ何かがあってはいけないので神経がかなり磨り減るようなこともあった。中心メンバーだった去年は今考えても八面六臂の立ち回りをしていたと思う。
だからと言って、それを苦痛に感じていたわけではないのだが、今年は何かが違っていた。
当然、三年になって二年に権限を移譲してサポートに回ることが多いので気が楽になった部分もあるにはある。
でも、それだけではなかった。去年には感じる暇さえもなかった楽しさを感じるのだ。いや、感じるというよりは楽しくて仕方ない=体の中から染み出てくるようなうれしさがある。
去年と違うもの、自分の経験値が上がったというのも確かにあるが美乃里には分かっていた。カメラのせいだ。カメラを持ち込んだだけなのに今までの修羅場が楽しくさえも思えるのだ。
相手をつねに被写体として意識することで物事をより客観的に見られるようになったからか、とも思う。
迎える前は胃がキリキリする程に重圧を感じていたのに、ピークを過ぎる頃には名残惜しさすら感じるようになっていた夏休みも、いよいよ終わりに近づいた頃、主将から渡されて撮り終った一○本のサブロクを現像しに部室に向かう。文字通りひと月ぶりの写真部だった。
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