第62話

「あ、まず見ていいですか」


美乃里は丸の付いたコマをベタ焼きとネガの両方で確認する。


「絵葉書的っていうのはどういうことですか?」

「まとまりはあるんやけど面白味がない構図っちゅうことやな。誰もが同じように撮る定番的な構図なんやけど、逆に個性のない写真ゆう意味や。俺らの場合は普通は意識的に外すことが多いな」

「なるほどですね。自分らしさが出せてないってことか。自分なりの写真を常に考えて撮るってことが大事だってことですね」

「そういうこっちゃ。俺が選んだコマはどこがええんやと思う?」


 美乃里はルーペでベタ焼きをひとコマひとコマ確認する。

「えー、まずひとコマ目は、んー、あ、向こう側にもう一つの蕾が入ってくることで奥行きが出たってことなのかな? 撮ってる時には全然気が付かなかったけどうまくバランスが取れてアクセントもついてるように思います。その次のコマは形の面白さなのかな? 少し上からの構図で真横から見るよりは蕾のふっくらとした丸みが際立ってます。光の当たり方で花弁それぞれにうっすら影がついたようにも見えて他の同じようなコマよりも立体感があるからですかね。あとはこれか。花って下から覗き見ることなんてあんまりないんで面白いかなって思ったんですよね。でも、下側から撮って空が入ると蕾の淡い桃色が空と同化しちゃってつまんないから苦労したんですよ。良かった、蕾の形が強調されて結構思った通りに撮れたと思います。で、最後のコマは良いんですかね。だって池に落ちる寸前で蕾が少しブレちゃってるんですけど。これが良いんですか?」


「少しブレとるけどピントはちゃんと来とるし静かな蓮の花に動きが出てオモロいと思うわ。なんや自分の写真やのに他人事みたいなコメントでおかしな感じに言いよったけど他の写真に対しての自己分析もなかなかやな。ほぼ俺の言いたいことが出て来たからホンマにもう大丈夫やと思う。ただし、撮っとる時には気が付かんかったちゅうのはNGやで。撮りおる時には構図の隅々にまで気を配ってからシャッターを切るようにせなあかんわ。偶然の産物がないワケやないんやけどな、それはやっぱり動いとる被写体の時やな。静物の場合はファインダーの四隅まで意識しおることが肝心や。」


「あっ、はいそうですね。もっと気を付けて撮るようにします」


 康岳のコメントが今までと違い具体的なアドバイスなのが何より美乃里はうれしかった。今までのことを思うとどうしても頬が緩んでしまうのが自分でも可笑しかった。


「せや小西さん、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真て、観たことあるか?」

 少しして思い出したように康岳が切り出す。


「前に主将が作品のほとんどを五○ミリレンズで撮り続けた写真家って言ってた人ですね。いえ、まだないです」

「それやったら参考になるやろから観てみたらいいわ」

 康岳が部室の本棚から写真集を取り出し美乃里の前に置いた。

「部活が忙しなるて言うてたやんか。今までみたいに撮りに行ってられへんやろ。アンリ・カルティエ=ブレッソンは写真で『決定的瞬間』を初めて撮影した人物なんや。チアリーディングもそうやと思うけど、運動部の応援言うたら、それこそ決定的瞬間の宝庫やないか。もしかしたら傑作が撮れるんやないかな?」

「え? そうなんですか」


 康岳が写真集のページを繰って何かを探している。

「あぁあったこれやこれ。これがブレッソンの中でも多分一番有名な写真『サン=ラザール駅裏』なんやけどな」


 康岳の見せた写真はいかにも駅の裏口といった感の寂しげな場所での一場面を写し留めたものだった。大雨のあとなのだろうか? 画面一面=おおよそ五メートルぐらいの水たまりがあってちょうど真ん中辺りの位置に梯子が画面左端から横に渡してある。そこまで梯子を渡って来たと思われる帽子を被った男性が梯子が終わってもなお続く水たまりの上を飛び越えようと跳んだ足の踵が水面に着くかどうかのすれすれの瞬間が写されていた。水面に写る男性自身の影とのシンメトリーなバランスも絶妙で、まさに決定的瞬間を計算し尽くされて撮影されたような作品だった。


「言うたら日常の何気ない風景なんやけどな、瞬間を切り取ることが出来る写真の可能性を正に見せつけるような写真やろ。それこそ今でならデジカメで簡単に撮れてしまうかもしれん。そやけどこれは一九三二年に撮られたんやで。どんだけ緻密な計算があったんやと思うやろ? めっちゃスゴイやろ」


 興奮して写真を語る康岳に対し、実は美乃里はそれほどの感動は抱けなかった。でも「あ、これを作品にしていいんだ」と思った。気負うものではなく日常の風景を切り取ることにも価値があるのだ、と安心感にも似たようなものをこの写真を観て感じた。


「初の写真集のタイトルは英語で『The Decisive Moment』つまり『決定的瞬間』ちゅうんやけどな、ブレッソンの母国語であるフランス語では『Image a la sauvette』言うねん。つまり『逃げ去るイメージ』とでも訳したらええやろか、そんな言葉なんや。どっちかっちゅと俺はこっちのタイトルの方が好きなんやけどな」


「逃げ去るイメージ・・・・・・」

 美乃里が言葉を繰り返す。


「そうや。次の瞬間にはさっきの瞬間はあれへんねや。ま、当然やねんけどな。『決定的瞬間』と言うよりは瞬間と瞬間の連なってる感じや儚さが表現されてる言い方やとは思わへんか」

 康岳の熱い思いが続く。


「俺の原点はこの写真なんや。ホンマにこんなにちっさい子どもの頃にこれ観てサブいぼが立ちおったんや。『写真てオモロイなぁ』てめっちゃ思てな」

 康岳が自分の腰高ぐらいのところで手の平を下にして振った。

「サブいぼ?」


「あぁ悪い。こっちで言うたら鳥肌やな」

「鳥肌・・・・・・」


美乃里は康岳の写真を初めて目にした時の感覚を思い出す。なんとなく康岳に共感できるような気がした、やっと。


「ブレッソンが大切にしてたんは『構図』と『シャッターチャンス』なんや。構図が大事なんは小西さんも分かったと思うんで、今度はタイミングを計る練習したらええわ」

「なるほど・・・・・・」

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