第60話
「コップに一杯の水を入れるときに蛇口をひねって水を一気に出せばすぐに水が溜まりますし、少ししか出さなければ水が溜まるのには時間がかかりますよね?」
「うん、そうだね」
「明るすぎず暗すぎないちょうどよい明るさ、いわゆる適正露出の写真をコップ一杯の水に例えると、シャッターが開いている時間、いわゆるシャッター速度と絞りの関係って、この蛇口から出て来る水に置き換えて考えることが出来るとは思われませんか」
「え? え? え? どういうこと?」
「水の出て来る量を決める蛇口がカメラでいうところの『絞り』で、水の溜まる時間が同じく『シャッター速度』だと考えていただけるといいかと思うのですが」
「うーん、よく分かんないんだけど・・・・・・」
「つまり『絞り』を開けて光をたくさん取り込もうとした場合、光の通る時間を短くしなければ明る過ぎる、いわゆる白飛びしたような写真が撮れてしまいますし、逆に『絞り』を開けなかったとすると今度は光の通る時間を長くしなければ明るさの足りないどんよりした写真になってしまうことが想像できると思います」
「え? 光が沢山入って来る時は時間を短く、光が少ない時は時間を長く? うん。それは、なんとなく理解出来る。あぁ! そうかそうか、コップ一杯の水の意味がやっと分かった」
「レンズが長いと光の量が少なくなって速いシャッター速度で写真が撮れなくなってしまうということですからカワセミのような動きが速いものをシッカリ写し止めるために明るいレンズが必要となるんです。なのでスポーツの写真をお撮りになられている加農先輩も確か三○○ミリの二・八をお持ちになられていたと思います」
「え! そうなの? じゃあ、今度見せて貰えるかなぁ」
「あと先程、美乃里さんがおっしゃっていたシャッターが切れなくなってしまうというのは、わたくしなりに考えまして最短撮影距離が関係しているのではないかと思います」
「最短撮影距離? なにそれ?」
「はい、それぞれのレンズが持っている被写体まで近づける距離のことです。シャッターが切れなくなったのは被写体に近付いた時ではなかったですか?」
「あ! そういえば確かに、そうだったかも知れない」
「美乃里さんのレンズの最短撮影距離は、えーっと、あ、ここですね。手動でピントを合わせるときに回すこのリングをピントリングというのですが、これをずっと回すと・・・・・・」
「えっと一番端っこに○・四五って書いてあるね」
「これはレンズの設計、つまりは特有の構造に由来するものですので法則性や規則性があるわけでもないですから何ミリのレンズだとどこまで近寄れるということはいえないのです。つまりはレンズ毎の固有のものです。ということで美乃里さんのレンズは四五センチまで近寄ることが出来るレンズ、言い換えると四五センチまでしか近寄れないレンズなんです」
「でもさ、花の雄しべなんかがクローズアップされてる写真とかを見た記憶があるんだけど、ああいうのはどうやって撮ってるの」
「はい、撮影方法はいくつかあるのですが、ひとつは近接撮影専用のレンズ、これは一般的にマクロレンズというのですが、で撮るという方法や、レンズの前側にクローズアップレンズと呼ばれている、いわばカメラレンズ用の虫メガネのようなアタッチメントを付けて撮る方法が代表的ですね」
「へぇえ。奥が深いねぇ。知れば知るほどさらなる深みにはまっていく感じが何とも言えないなぁ」
「多分わたくしが思いますには、五○ミリのレンズで撮影することでその見える範囲を感覚的に理解することがとても大切だと主将は思われているのだと思います。そう考えるとズームレンズを使っているわたくしは少し恥ずかしく思えてきます」
「えー別に恥ずかしがることないんじゃない。でもそういえば師匠はどんなレンズ使ってるの」
「はい、二四ミリから一○五ミリ、F値が固定で4のレンズです」
「二四ミリってことは広角だね。えーと、そこから一○五ミリ? ということは広角から望遠までが一本で撮れるってことになるんだね。どうしてこれを使ってるの?」
「どう撮るかを吟味しながら撮りやすいからですね。わたくし的には一番使いやすいレンズです」
「へー、あたしは自分にどんなレンズが合ってるのかなんて分からないから、なんだかそう言えることが羨ましいな。あ、そういえば最短撮影距離は?」
「はい、美乃里さんと同じ四五センチです」
「おんなじなんだ、へぇ。あと固定の4てどういうこと?」
「レンズ全長が長くなると、それにつれて明るさも暗くなるというのが一般的なのですが、それを変わらないようにしているレンズだということです。暗くならない方が使いやすいことがあります」
「へー。やっぱり使いやすいとかっていうのが実感が湧かないなぁ。ちょっと覗かせてもらっていい?」
「あ、はい、どうぞ」理々子が自分のカメラを美乃里に手渡す。
「うおぉっ! でかくて重い! こんなの使ってるの。重くないの、師匠? てかこれが普通なの?」
「美乃里さんのカメラは、たぶん特別軽いのではないかと思います。わたくしのカメラはキヤノンのEOS7sと言うのですが、どちらかと言うとキヤノンの中では比較的小型のカメラだと聞いています。わたくしの生まれる前のことなので父から訊いた話ではと言うことなのですが・・・・・・」
「へー、そうなんだ。でもこのグリップだっけ? 持つ部分が丸くて大きいから持ちやすいね。ふーん。おぉレンズもでかいな。で、これを覗いて・・・・・・。ズームってどうやるの?」
「レンズの根元に近い部分が回転するようになっています。ちなみにこの部分をヘリコイドと言うのですが、時計回りに回すと広角、反対方向に回すと望遠になります」
「え? こっちに回すとおー広い広い、広角ってのはこういうことなのか。望遠って言うのは想像が出来るけど、これは想像できないわ。こんなに近いのに師匠の上半身は全部視界に入ってるし店の中もスッゴク広く見えるんだね。うわ~こりゃ面白いなぁ。で反対側に回すと・・・・・・おー、望遠だ。あたしも早くこんなレンズを使えるようになりたいなぁ。ガンバロっ。ありがとね」
美乃里は理々子にカメラを返す。ズームレンズは魅力的だったが今の自分では便利さに負けて精進を怠けてしまいそうな気がした。まずは五○ミリのレンズを使いこなせるようになろうと思った。
ここからなら歩いて帰れるという理々子と駅前で別れて、美乃里は一人で電車に乗る。ドア脇に立ち、流れていく景色を眺めていたら暗くなりかけた車窓に頬を緩めた自分の顔が映っているのに気が付いて思わず笑ってしまう。自分なりの写真に一歩近づけたことや理々子に教わったことで知恵熱が出そうだったが、より一層写真を撮りたいという想いが強くなる。また今夜も眠れそうになかった。
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