第59話

「話しと言うのは他でもないのよ。安原さんはもちろん怖い人じゃないしスッゴク良い人なのも分かったんだけど、恥ずかしくて訊けなかったことがあったの。だから、まだ覚えてる内に復習しておきたいって思って。ちょっと教えて欲しい」


「あ、はい。わたくしで分かることでしたら、なんなりと」

「でね、うーんと単刀直入に訊いちゃうね。サンニッパってなに? 

今までは訊いても分からないと思ってたし、取り敢えず今のレンズを分かろうと思って使ってたけど、安原さんのレンズを見てすごく興味が湧いたし、あたしのとの根本的な違いを知りたいと思った。それにたまにシャッターがどうやっても切れなくなっちゃうことがあって、それもどうしてなのか理由があるのかないのか単にあたしの扱い方が悪いからなのかも分からなくて、結構イラッとしてるってのがあたしの今の状況なんだけど・・・・・・」

 席に着くなり美乃里が一気に思いの丈を吐き出す。


「なるほど。では、まずレンズの違いに関してご説明いたします。よろしいですか?」

 理々子が美乃里のカメラに手を伸ばしてきたので、美乃里は自分の使っているカメラを差し出した。


「五○ミリレンズは人間の視野に近い、と主将がおっしゃっておられたと思うのですが、では具体的に五○ミリとはどこの寸法のことを指しているのかということが理解への近道です。美乃里さんは、どこの寸法だと思われましたか?」

「あ。いや、五○ミリって言うのはそういうものなんだって思ってたから、どこの寸法かなんて考えもしなかった。確かに何ミリって言うからには寸法なんだよね。どっからどこまでの寸法なんだろう。レンズの直径? 違うか・・・・・・んー分かんないや」


 全然想像もつかないといった風に美乃里は首をかしげる。

「ちなみに安原さんのレンズは三○○ミリでしたよね、美乃里さんのレンズと安原さんのレンズはどこが違うと思われますか」

「え? どこがっていうか単純に大きさが違うけど、そういうことじゃなくて?」

「いえ、正解です。そう言うことです。では、五○ミリとか三○○ミリとかって、どこの寸法を言ってるんだと思われますか」


「え? ウソみたいだけどレンズの長さ、とか?」

「はい、半分正解です。実はレンズの何ミリと言うのはレンズそのものの長さではなくてレンズの中心にあたる部分からカメラ本体内のフイルム面までの寸法を表しています」

「え? そんなにストレートな表現なの? もっとややこしいのかと思った」

「はい、そんなにストレートなんです。というわけで美乃里さんのレンズはレンズの中心からフイルムまでが五センチで、安原さんのレンズは三○センチってことなんです」

「五センチ? あぁそうか五○ミリってそういうことだったのかぁ。言われてみれば当り前のことなのに目からウロコだなぁ。あ、でもさぁ、それがなんなわけ?」

「はい、ではこれをレンズの中心だと思ってください」

 理々子が突然店の紙ナプキンを破り始めたと思ったら美乃里の目の前に広げて見せた。ちょうど真ん中あたりにいびつな円形の穴が開いている。


「え? なに? レンズの中心? どういうこと?」

「はい、これをこうするとどうでしょう?」

 理々子は美乃里の質問に構わず今度は美乃里の目の前にちょうど穴が来るように紙ナプキンを近づけてきた。

「え? なになになに?」

「ここでは美乃里さんの眼をフイルムだと考えてください。美乃里さんの眼と紙ナプキンの間の距離がレンズとフイルムの関係と同じだと仮定していただくとすると、美乃里さんがこうして紙ナプキンの穴に近付くとどうですか?」

「え? どういうこと? 分かんないよ、師匠」

 美乃里は要領を得ない理々子の話にちょっとイラっとする。


「穴に眼を近づけると穴のこっち側が広く見えて来ませんか? 逆に穴を遠ざけると見える範囲がどんどん狭くなってきて穴の大きさ分しかこっち側が見えなくなりませんか?」

「あ、そういうこと? うん、まぁ確かにそうだね」

「人間の視野と同じ範囲が見える五○ミリを基準として考えると、それより近づくと広角といって広い角度が見えるようになるということで、遠ざかるとどんどん視野が狭くなるいうことです。視野が狭くなるというのは言い方を替えれば一部分をクローズアップして見ているというのと同じです。五○ミリを境に広角と望遠の領域が別れる訳ですが、一般的には二八ミリよりも近づいたレンズのことを広角と呼び、一○○ミリよりも遠ざかったレンズのことを望遠と呼んでいます。さらに三○○ミリ以上のレンズを超望遠と呼ぶこともあります」

「おー、なるほど。ひとつストンと落ちた」


「望遠レンズは遠くのものを撮るために寸法が長い必要があるわけなのですが、そうするとフイルムまでの光の到達距離が長くなるので暗くなってしまうという難点が出てきてしまうんです。レンズが暗いと動きの速いものを撮れなくなってしまうので動きの速いものを的確に写し止めることが出来る明るいレンズが必要になります。それが安原さんがお使いになっておられる三○○ミリで、レンズの明るさが二・八と明るいレンズ、通称サンニッパなんです」

「でも、あたしの五○ミリは一・四じゃない? 確か主将が数字が小さければ小さいほど明るいって言ってたと思うんだけど、なんで一・四じゃないワケ? それとも三○○ミリ一・四っていうレンズも存在するの?」

「いいえ、それはないです。明るいレンズを作ることは高い技術が必要になると聞きます。ですので、現在では三○○ミリでなおかつ明るいレンズは二・八が一番明るいレンズなんです。たくさんの光を取り込む必要がありますので仮に一・四のレンズを造るとするとレンズの直径が五○センチぐらいになってしまうという話も聞いたことがあります。技術が長足に進歩したとしても造られる可能性は極めて低いのではないでしょうか」


「なるほどねぇ。でもさ、ひとつ訊くと新しい疑問がどんどん増えてくんだけど、なんで暗いと動きの速いものが撮れないの」

「それは写真をちょうどよい明るさにするための仕組みのせいです。カメラは光を取り込む量を決める『絞り』というものと、光を取り込む時間を決める『シャッター』という仕組みによって明るすぎず暗すぎない写真が撮れるように造られています。また例え話になりますが、今度はこのコップを使ってご説明をします」


 理々子は傍らにあった冷水用のコップを自分の前に置いた。

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