第56話
安原が足の下で手を組み合わせて持ち上げてくれたので、美乃里はそのままの勢いで池端に上がることが出来た。理々子が腰に手を添えてくれたのもずいぶんと助けになった。
「大丈夫ですか? 美乃里さん」
そのまま池端の小径に倒れ込んでしまった美乃里を理々子が心配そうに覗き込む。
「うん、あたしはいいから、安原さんが上がるのを手伝ってあげて」
「あ、はい。お手をどうぞ、安原さん」
「いいよいいよ。俺の手は泥だらけだから。それより、そこんとこを空けてくれねえか」
「あ! 申し訳ありません。はい、どうぞ」
「お、ありがとよ。んーと、どっこらしょ、よっこいしょ。ふー、いい運動したぜ」
「ほんっとうにありがとうございます。それと、ごめんなさい」
美乃里はゆっくりと立ち上がると片足が泥だらけの脚を揃え深く頭を下げた。
「そんなことより、お前ェさんは大丈夫なのかい? 何だか分からねえが、彼女の話だと腰が悪ィんだってんだろ」
「あ、はい。ん・・・・・・と、大丈夫だと思います」
「ならいいけどな。ひとまずそこんところに公園に備え付けの便所があるから、そこでお互いの泥を落とそうや。でな、俺のカカぁに電話して車出させっから、とりあえず俺んちに来い」
「え? そんな」
「え? そんな、じゃねえんだよ。乗り掛かった舟でぃ、それこそお前ェらをこのまんまで帰せるかってんだよ。いいから、俺んちに来いって!」
「あ、じゃあお言葉に甘えまして、お世話になります」
「そうと決まりゃあ話が早ェぜ。とりあえずそこの便所いくぞ!」
「はい!」
美乃里は理々子と顔を見合わせ頷いてから、ずんずんと先に歩いていく安原を追いかけることにした。
「そしたらよ、そっちはそっちでやってやるんだぞ。俺は俺で足の泥を落として来っから」
トイレ前で待っていた安原が美乃里の世話を理々子に託す。
「はい! かしこまりました」
「いや、かしこまらなくってもいいんだけどな。どうもなんだな、こっちの彼女は物言いが調子っ外れだな。ま、いいか。頼んだぞ」
そう言われてしまうと理々子は何も言えなくなってしまい、ただ頷くだけだった。
「師匠、お願い!」
美乃里から声を掛けられ、少し落ち込んでいた理々子は我に返る。
「申し訳ありません。わたくしは何をお手伝いしたらいいですか」
「洗面台に足を上げて洗うのはちょっと無理っぽいから脱いだ靴下に水を浸して脚を拭こうと思うんだけど、今は大事を取って無理な姿勢はしたくないんだよね。だから、肩貸して」
「お任せください。でもわたくしタオルも持っておりますのでぜひこちらをお使いください」
「ううん、どうせ汚れてるんだから靴下でいいよ。きれいなタオルを汚すことないって。ありがとう」
「美乃里さん?」
美乃里が足を拭いた靴下を洗面台で揉み洗いするのを支えながら理々子が呼びかける。
「もしかするといい写真撮れたんですか」
「うーん、どうなんだろう。いい写真かどうかは分からないけど、かなり手応えはあったかなぁ。でも、どうしてそんなこと訊くの?」
「いえ、美乃里さんが我を忘れて撮影に入り込まれるというのは、わたくしが存じ上げております限りではよろしいことの兆しなのではないかと思いましたので」
「お、そうか? またやっちゃったのか? あたしってもしかするとバカなのかなぁ」
「いえ、決してそのようなことは・・・・・・。申し訳ありませんでした、わたくしの言い方が悪かったです」
「ううん、いいよ。だって本当のことだもん。でもね、あたし今日で分かったような気がするんだ。今まで主将の評価を気にしすぎて何を撮りたいのかを完全に見失っちゃってたんだなぁって。次からは濡れなくても自分なりの写真が撮れそうな気がするよ」
美乃里が笑顔で話すので理々子までうれしくなった。
「おーい! まだかかりそうかぁ?」
安原が外から声を掛ける。
「あ、はーい。今出ま~す」
「こっちだこっちだ」
安原が手招きする先にはトラックのような大きなSUVが道端に停まっていて運転席には苦笑いを浮かべた初老の女性が座っていた。
「乗れ乗れ! 濡れたまんまでいいから」
後部座席のドアを開ける安原に急かされる。
「あ、すみません」
美乃里、理々子の順で乗り込むと今度は助手席に乗り込んで来た安原が運転席の女性に向かって「出せ出せ!」と怒鳴る。
「まったく何なのかしらねぇ。いきなり電話掛けて来て『いいから早く来い!』なんて言われて、来てみたらお嬢ちゃん二人を乗せろだなんてワケわかんないわ。あなたたちは何? まさか、このエロ爺ィに騙されてんじゃないでしょうね」
「何ィ言ってやがんでぃ。つべこべ言わずに早く車出せってんだよ」
「はいはい、分かりましたよ。で、何? ウチに連れてくってのね」
「おう! だからそうだってんだろ。後でちゃんと話すからよ、今は取り敢えず早く車を出しゃいいんだよ」
喧嘩にしか見えない二人のやり取りに圧倒されて美乃里と理々子は下を向いて黙っているしかなかった。
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