第54話

 安原がそんなには怖くないことが分かってホッとした美乃里は、先程から疑問に思っていたことを思い切って訊いてみることにした。


「あの、もうひとつよろしいですか。安原さんのお使いになられているレンズ? ですかあれ。あれってどんなレンズなんでしょうか?」

 安原のカメラには白くて巨大なレンズが装着されていて、美乃里は初めて目にするものだった。


「おおい、なんだい。写真部だってのに、そんなことも知らねえのかい? どおしたもんかねぇ。最近はそんなもん、なのかい?」

「いえ。あたしは元々が体育会系でついこないだから写真を始めたばかりなんで、よく分かってないんです。ごめんなさい」


「ああ、そういうことかい。まだ始めたばかりだってんなら、いきなりこんな大向こうを知っとけって言っても無理なハナシか。まぁ、一眼レフってなレンズを交換できるってのが特徴だからな、自分の撮りてぇ写真をとことん突き詰めることが出来るのよ。しかしだな、どういう成り行きで運動やってた小西さんが写真を始めたのか知らねェけど、嫌いで始めたんじゃねぇんだろ。そうだよな。そうしたら、やっぱ必要最低限のことは下調べしといた方がいいと俺は思う」


「あ、おっしゃる通り、だと思います。恥ずかしいです」

「そうだな、恥ずかしいことだって思ってもらっといた方がいいな。でもまぁ、カメラは結構込み入ってるからなぁ。自分で調べて理解するってのも限界があるものでもあるか。ま、そういうことにしとこうか。てぇと小西さんが俺に訊ねたってのも、自分から調べようとしたってことにしときゃいいのか、うんそうだな」

 安原一式は腕を組んで頷いて自分自身を納得させたようだった。


「よし、説明しよう。このレンズはな、三〇〇ミリレンズだ。通称サンニッパってな、開放F値がニハチの明るいレンズって訳だ」

「へー、そうなんですね。でも、蓮じゃないとすると、この池で何を撮ってたんですか」

 分からない単語だらけだったが、これ以上のことを安原に訊ねるのはさすがに憚られた。


「なぁに、知りてぇか。よし、見してやろうか。俺が凝ってるのはこれよ。最近はこれっきりだな」

 安原が三脚の足許に置いてあったカメラバッグからタブレットを出して来てスイッチを入れた。


「あっ!」浮かび上がった画像を見て美乃里は口に手を当てた。

「これって、もしかするとカワセミ? ですか?」

「お、知ってるかい? そうよカワセミよ。どうでぃ綺麗だろう。可愛いだろぅ。ここんところはなぁ、俺はこいつら一筋なのよ」

「カワイイです! でも、こんな住宅街にいるものなんですか?」

「いるものなのかって、現にこうして撮ってるじゃねえか」


「いえ、そうなんですけど。なんとなくカワセミってもっと山奥の、例えば渓流みたいなところいるんだと思ってました。だから住宅街のまん真ん中にいるものなのかなぁと思って」

「分かる分かる。そんなイメージあるよなぁ。でもよ、こいつらは木があってエサになる小魚がいそうな水辺なら結構どこだっていいみたいでな。俺も散歩の時に初めて見たときゃたまげたね。でもよ、それからこっちはずっとこいつらばっかり撮ってんのよ。今どきで言うマイブームってやつだな」

 安原がタブレットの中の写真を探している。


「ほら、よぉく見てみろ。こいつの仕草なんか可愛いもんだろう。でな、こっちのこいつらはつがいなんだよ。くちばしの色が違うだろ。ここで見分けるんだよ。それからこっちはなぁ・・・・・・」

 二人に画面を見せながら説明する安原は本当にカワセミのことが好きで仕方がないようだった。美乃里は「マイブーム」なんて最近は言わないなぁと思いながら身振り手振りでカワセミのことを説明する安原のことをとても羨ましく思った。


「安原さん、恥のかきついでにお訊きするんですけど、このカメラでカワセミは撮れますか」

 美乃里は安原に自分が借りているカメラを差し出す。

「お、なんだフイルムカメラじゃねぇか。なんだか懐かしいなぁ、おい。へぇ、まだこんなもん使ってるんだなぁ、うれしくなっちまうね。それに引き換え俺はダメだな。便利さに負けちまってるな。おい、もうちょっとよく見してくれ」


 安原は美乃里の手からカメラをもぎ取った。

「おぉ! MZ-3じゃねえか。こりゃいいカメラだったなぁ。他のメーカーみたいにオートに走らず小っちゃくてなぁ。へぇ、良いなぁ。俺ももう一度フイルムやってみっかなぁ。まだこうして現役で頑張ってるヤツもいるんだなぁ。ほぉう」

 安原はためつすがめつ撫でまわしていたかと思うとファインダーを覗いてあちらこちらにレンズを向けていた。美乃里はシャッターを切られてしまうのではないかと気が気でなかった。


「いいねぇ、このメカメカしさがたまんねぇなぁ。お、ありがとよ。そんなに心配そうな顔しなくたってもシャッターは切ってねぇよ。フイルム入ってんのに、そんな考えなしの無作法者じゃねえからな」

 安原がいささか憮然とした顔でカメラを返したので、美乃里は見透かされていたことに赤くなる。


「でだ、そのレンズじゃカワセミは撮れねえよ、諦めな。でもカワセミは撮れねぇけど良いレンズだぜ。最初はそれ使えって言われたのか? 部長にか? おぅ、良いこと言うじゃねえか。そのレンズの使い方覚えたら写真上手くなるぜ。なかなか骨のある部長じゃねぇか。その部長の言うこと聞いときゃ間違ェはねえんじゃねえか」

「あ、ありがとうございます!」


 美乃里は康岳を褒められたことが自分が褒めらたようにうれしくもあり、康岳の言うことに間違いはないのだと改めて確信出来た。


 安原に深々と頭を下げ理々子と二人してその場を離れた。

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