第53話

「あのっ!」


 予定以上の大声が出たらしく理々子は口を慌てて押さえた。が、それ以上に驚いたのは声を掛けられた男性だった。


「うわっ! なんだなんだよ。いきなりでっかい声出すんじゃねえよ。ビックリして心臓が止まったじゃねえか!」

 やばいっと思った美乃里は慌てて駆け付けフォローに入る。


「ごめんなさい。この子、人付き合いに慣れてなくて。人様への声の掛け方とかを練習中なんです。許してやってください」

「おっ、なんだなんだぁ、また違うお嬢ちゃんが出て来やがったか。なんだってんだ」

「いきなりごめんなさい。あたしたち高校の写真部なんですけど、ここに写真撮りに来てちょっと伺いたいことがあってお声をお掛けしようとしてたんです。突然大きな声で申し訳ありませんでした」

「何? 高校の写真部ぅ? なんでぃ、どこの高校だってんだ?」

「はい、松雲学園高校と言います。そこの写真部です」

「松雲学園? おぉ、けっこう有名どこじゃねえか。で、その写真部がなんだってこんなとこまで来てんだい、遠いだろ。近所に他に題材ねぇのかぃ」

「はい、タブロイドでここの蓮の花が咲き始めたって記事を読んで来たんですけど、まだ蕾しかないみたいなんで、何かご存じかなと思って・・・・・・」


「はっはっはっは! こりゃあいい! こりゃおもしれえ」


 いきなり男性が大声で笑い始めたので、美乃里と理々子は面食らってしまった。

「失礼ですが、わたくしたちがそんなに嘲りを受けてしまう謂れが理解出来ません。何故わたくしたちの疑問を受けてそのような態度でお返しになられるのですか。わたくしの敬愛する先輩が社会通念から逸脱した疑問を呈したのでしたらもちろんお詫びしますけれど、わたくしにはそうとも思えませんし、むしろわたくしも同じ疑問を感じていたのですから、あなたのなさりようの方に非があるように思えてなりません。わたくしの申し上げましたことが間違っているようでしたら、ご指摘いただき同時にご指南いただいてもよろしいでしょうか」


 いつもの癖でカッとなって口を開きかけた美乃里よりもはるかに早く理々子が猛烈な抗議をした。しかも理々子の口調はいつも以上に穏やかだったので、余計に凄みがあった。

「こりゃぁまいった、驚いた。おぅ、お嬢ちゃんの言う通りだな。悪かった。ついついな、あんまりにも蓮のことォ知らな過ぎるんでおかしくってなぁ。笑っちまって悪かったな」

 男性は頭を掻いて済まなそうな顔をした。


「ウチの娘にも怒られんのよ。『とうさんはがさつで物言いが乱暴だ』ってな。ま、娘って言ってもよ、お嬢ちゃんなんかよりゃウンと年上なんだけどな。お、いけねぇいけねぇ、そんなこと言ったら、また怒られっちまうなぁ」

「違います! どうしてわたくしたちをお笑いになったのか、その理由を教えていただきたいと申し上げているのです」

 理々子はなおも真剣な眼差しで食い下がる。


「おおっと、そうかい。そうだな、蓮ってなぁ、朝咲くのよ。でな、もう午後には閉じちまうって花なんだよ。だから、お嬢ちゃんたちが蓮の花を撮ろうと思ってんなら、学校に来る前ぐらいじゃねえと撮れねえってこった。思い通りの写真を撮ろうと思ったら被写体のことをよく知らなきゃいけねえよ。その場その時になってみなけりゃ分かんねえこともいっぱいあるんだから、あらかじめ調べられることはなるべく調べとかなきゃな。それこそ写真部だってんなら、そりゃ当り前のことだろう。行き当たりばったりでいい写真は撮れねえよ。調べられることあらかた調べて、そんでもって最後に下見をしてから段取りを詰めて、いざ撮影じゃねえかな。違うかい?」


 理路整然とした説明をされたばかりではなく自分たちの未熟さも指摘されてしまったので二人はぐうの音も出なかった。


「申し訳ありませんでした。自分の未熟さを棚に上げてあなた様を責めるばかりのことを言ってしまいました。お詫びします」

 美乃里としては理々子の言葉に合わせてひたすら頭を下げるしか出来なかった。


「良いってことよ。俺もお嬢ちゃんたちを笑っちまって悪かったしな。それよりもあなたとかあなた様ってなぁ止めようぜ。なんだか背中がむず痒くなっちまわぁ」

「分かりました。それではと言ってはなんですが、わたくしたちのこともお嬢ちゃんってお呼びになるのを止めていただいてよろしいでしょうか」

「おぉ。分かった。そりゃ筋が通ってるってもんだな」

「そうしましたら改めまして、ご紹介が遅くなりまして申し訳ありませんでした。こちらがわたくしの敬愛する先輩、小西美乃里さんです」

「ちょっと、敬愛するって止めてってば。あ、小西です、よろしくお願いします」

 美乃里は理々子を肘で小突きながら借りてきた猫のようにペコリと頭を下げた。

「わたくしは松雲高校写真部の1年生、朝比奈理々子と申します。よろしくお願いいたします」

 カラダの前に手を揃えて理々子は深々と頭を下げた。


「こりゃご丁寧なこって。じゃあ、こっちもちゃんとしなきゃいけねえな。ええっと、俺は安原一式だ。安全の原っぱに漢数字の一に卒業式の式だ、それで安原一式。どうだ、これでいいか? 俺はな、東京で金属加工の工場をやってた、いや今もやってんだけどもな、仕事で大怪我した時にな、もう歳も歳だってんで、長男坊に工場を譲ってな、長女が嫁に行って住んでるこっちに引っ越したんだよ。同居はしてねえんだよ。あれだな、スープの冷めねぇ距離ってやつだ。楽隠居ってやつだな。それからこっちは元々好きだった写真を趣味にのんびりやってるってわけだ」

「なるほどですね。それで、いかほどになるのですか」

「ん、何だぃ、いかほどってのは? あ、こっちに来てからってか。んーそうだな、かれこれ一〇年になるのかねぇ」

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