第52話
「え? 理、師匠、そんなことずっと考えてくれてたの?」
「いえ、ずっと考えていたというほどではないのですが、今朝何気なく見ていたらこの記事を見つけたので、美乃里さんにどうかなぁって。場所を調べてみたら、美乃里さんのおウチの方に近いのではないかしら、とも思ったもので・・・・・・」
「ありがとー。ホントにさすがに師匠だわ。感激しちゃう」
「あ、いえ。とんでもないです、恐縮です。でも、いかがですか。行ってみませんか」
「行く行く。でもあたしは定期券あるけど師匠は自腹じゃないの」
「そうですけど、それは構いません。思えば蓮の花なんて自分の目で実物を見たことなかったですから」
「ホント? じゃあ行こうか。今度こそいい写真が撮れたらいいな」
「違います。撮れたらいいな、ではなくて、撮ろう、です。絶対にいい写真を撮って帰る、というお気持ちが大切です。たとえ結果的には良い成果が残せなかったとしても、です」
「なるほど、そうだね。最初から負けるかもしれないと思ってたら、勝てるわけないよね。そこからして違ってたんだね。ありがとう、やっぱり師匠だわ」
「恐れ入ります。そう言っていただけると嬉しいです」
二人は高校の最寄り駅から六駅ほど電車に乗った。とはいっても駅間がとても近いのでほんの一五分程の電車旅だ。
「わたくし、家がお商売をしているもので家族でお出掛けした記憶があまりないんです。それにお出掛けするとしても大抵は店の車に乗って移動することがほとんどで、実は電車ってわたくしの今までの人生の中でも数えるほどなんです。ですから深く敬愛する美乃里さんと電車でご一緒できるなんて夢のようです」
「ちょっと、こんなほかの人もいる場所で敬愛するだなんて言われたらチョー恥ずかしい」
「え! おイヤでしたか? 申し訳ありません」
「いや、だから謝らなくていいんだけどさ。師匠にそう言ってもらうってことはうれしいことではあるんだけどね、あたしは人に敬愛なんてされたことがないわけで、そんなこと言われちゃうとどんな顔していいか分からないっていうか・・・・・・」
「わたくし、美乃里さんにお会いできて本当に良かったと思っています。出来ることならもっともっと早くお会いしたかったです」
「このあたしのどこがどうしちゃってそんなに思ってもらえちゃうんだろうねぇ。でもアリガトね。そこまで思ってもらえて少し誇らしいよ」
「わたくしこそうれしいです。あ、もしかすると、次の駅ですか?」
「待って・・・・・・あ、うん。そうだね」
美乃里は切り抜きを確認して頷いた。
「でも池の場所、分かるかな?」
「大丈夫です、わたくし地図を持って参りましたから」
といって理々子は学校指定のグレイのカバンから分厚い地図帳を取り出す。
「え! ちょっと理々子! いや師匠、それ持ってきたの?」
理々子の手には一万分の一の県全域の道路地図帳があった。
「ウチには地図といったらこれしかないのですが、何か変ですか?」
「いや、悪くはないんだけど。それ、しかないなら仕方ない、か」
理々子は何がおかしいのか理解できずにキョトンとしている。
「あ! ほら、美乃里さん。一三〇ページです。すぐ探せるように付箋を貼って来たんですよ、ね?」
「あ、ホントだ。載ってるもんなんだね、へー」
理々子の指差す先にはちゃんと目指す池が名前付きで記載されていた。
小さな駅の改札を出た二人は地図帳を覗き込みながら歩く。
「ここの角を曲がったら、あとはまっすぐですぐだね」
言いながら曲がると少しカーブになった広めの道に出た。
「あ、そこ! あそこみたいですよ、美乃里さん」
先を行く理々子の背を目で追いかけながら「案外と来れるんだね」と美乃里は笑みをこぼした。記事には咲き始めたと書いてある程度だったのに池のほとりにはすでに三脚を立ててカメラを覗き込む人がいた。
「他にも人がいらっしゃるんですね。わたくしたちだけかと思ってました」
理々子が美乃里の気持ちも代弁するように呟く。
「あれ? でもあんまり花とか咲いてなくない?」
美乃里が一面がほぼ蓮の葉で覆われている池を見渡す。
「本当ですね。花かと思ったら蕾ですね。まだ時期が早すぎたのでしょうか」
「じゃあ、あの人は蕾を撮ってるってこと? まぁ蕾もきれいではあるけどねぇ」
「わたくし、あの方にちょっとうかがってまいります」
理々子は池の端で三脚に大型レンズを据え付けている男性のもとへ駆けていった。
美乃里も行こうと思ったものの理々子が「コミュニケーション術の鍛錬」と言っていたのを思い出し、彼女に任せてみることにした。
カメラを覗くでもなく操作するでもなく池を見まわしている男性の背後に回り声を掛けるのかと思われたが理々子はそこで固まった。深呼吸をしているようだ。大きく肩が上下に三回ほど揺れる。口を開きかけては首を小刻みに横に振って溜息をつく理々子を見ていると美乃里まで肩に力が入って疲れてしまいそうだ。見かねて助け舟を出そうとしたとき理々子の右手が男性の右肩に大きく伸びた。
「ぁのぉ~」
多分、面と向かって言われたとしても聞こえないと思われるような小声で理々子が声を掛けるが、案の定男性は振り向くどころか気付いた様子すら見せなかった。
理々子は肩を落としたが、すぐに目をつぶって深呼吸した。
しばらくそのまま動かなかった理々子は突然目をカッと見開いたかと思うと大きく息を吸い込んだ。
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