第44話

「はい」


理々子が手を挙げる。


「野球は? お怪我はそのうち治るのでしょうし、野球はそのあとどうされたんですか」


「写真が面白くなるのとは逆に俺の中では野球に対する情熱みたいなものが萎えちまったんだ。今から思うとお山の大将でいられなくなった野球からなんか理由をつけて逃げ出しかったんだな。でも『逃げ』を自分で認めたくもないんで『写真』っていうもっと興味があるものが出てきたんだからしょうがない、みたいな。どう考えても写真に対しては無礼なほど不純だよな。で、一番は試合の相手チームにチアガールの詳しいことを訊きに行ったんだよ。でもさぁ、知らねぇって言われちまっってね。だからとにかくいろんな試合を幻のチアガールの姿を求めて探し回ったのさ。そうしたらそのうちに本当に写真にのめり込んじまったって訳なんだよ」


「知らない、というのはどうことなのでしょうか。自チームのチアガールではないのでしょうか?」

「まぁそうだよなぁ。そう思うよなぁ、普通は。でも、違ったんだよ。試合の何日か前に応援させてくれって来たって言われたのさ」

「そう、なのですか」


「俺もそん時にゃよく知らなかったんだけど、小学生でチアガールなんて珍しいんだと。クラブチームのジュニア部門が、実地練習のために公式戦の応援をさせてもらえるように自分たちで直談判していろんなところを回ってるらしいって言ってな。たまたま俺の相手チームの応援をしてたってことらしい。だから、分かったのは同じ六年生らしいってことだけで、どうやって探したらいいのかも皆目見当つかなくてな。とにかくいろんな試合を回ることにしたんだ」

「でも、美乃里さんに巡り合われることはなかったんですか」


「俺もその時に初めて知ったんだけどな、まったくの部外者が無断で写真なんか撮っちゃいけないんだよ。相手が子どもなんで少しは緩いんだけどな、身分を明かして事前に申請をして許可を得なきゃいけないのさ。だから最初のうちは実績作りだな。試合撮影の許可をもらったら、当然チームにしっかりとあいさつに行って、撮影したらプリントしてそれを撮影させてもらったお礼にチームに進呈しに行くんだ。そうすると喜んでもらえてだんだん信頼もしてもらえるようになってくる。そのうち違う学校とかチームとかを紹介してもらえるようになって来るんだよ」

 樫雄はそう理々子に説明してみせた。


「そうやって地道にコネクションを広げていくことから始めなきゃならなかったから、小西を探すどこじゃなかったって言うのが理由の一つだな。そんなことしながら巡り合うなんてのは、それこそ万にひとつの確率だったんだよ。やってみて分かったぜ」

「はぁ・・・・・・ご苦労されたんですね」

理々子がしみじみと呟く。


「苦労なんかじゃないさ。とにかく幻のチアガールにもう一度逢うためなんだから。目標には少しづつでも近付けてるっていう根拠のない実感があってすっげー充実はしてたんだぜ。それに出逢えた時に最高の一枚を撮れるようにシミュレーションしながら色んなアングルで撮る練習もたくさん出来たしな。でも撮り続けてるてるうちに各々選手の成長が分かるようになって来たんだよ。技術面や体力面はもちろんだけどな、長く続けることが出来る選手は表情がだんだんと良くなって来るんだ。そのうち選手の表情を追いかけることがすごく面白くなって来てね。被写体の精神状態が手に取るように分かるからベストコンディションのベストなアングルを撮影出来るようになると本当に楽しいんだぜ。そのおかげで他の学校やクラブチームなんかから俺に指名が掛かることも増えてきてね。けっこう俺のことを専属にしてくれる選手もいるんだ。なんていうのかな、手段が目的に化けちまったってことかな。選手の気持ちを理解するのにリトルリーグの時の経験がかなり役立ってるから人生何があるか分かんねえよな」


 「人生だなんて大袈裟な」と思いながらも、美乃里はチアガールが撮りたい一心で写真を始めた樫雄の腕がかなり評価されるまでになっていることに正直ちょっと驚いた。

「だから、中学・高校のほぼ六年間で結局出逢うことが出来なくて半ば諦めてた初恋の人が目の前にいきなり現れたら、そりゃ驚くのも当然だろう。『知り合いに似てる』なんて間の抜けた言い訳しか出来ないくらいにビックリして、あの後はずっと心臓の鼓動が早くなっちまったまま収まらなくて大変だったんだぜ」

 樫雄が自分の左胸を両手で押さえながら今度はよろけて見せる。


 でもさ、と樫雄が目を伏せてずっと話を聞いていた美乃里の方に向き直る。

「なんで小西は今はチアやってねえんだよ。俺が松雲に入ったのは、チアリーディングがあるからでもあるんだぜ。小学校からチアやるぐらいなんだから絶対にチアの強豪校に入るだろうって読んでたんだよ。だから、いの一番に行ったのに小西いなかったろ?」

「なに言ってんの? あたしはチアだよ」

 美乃里が少し俯き加減のまま小声で答える。


「そりゃそーかもしれねぇけどさ。マネージャーじゃ俺には分かんねえよ!」

「チアには入ってるし、それを加農クンに知らせる意味がどうしてあるのよ。そっちの方が分かんないわ」

「い、いや俺に分かるようにじゃなくて・・・・・・その、どうしてチアを辞めちまったんだってことだよ!」

「だ・か・ら! あたしはチアだっていってるでしょ」


 はぐらかすような答えを続ける美乃里とこのまま問答を続けても埒が明かないような気がして樫雄は言葉を出しあぐねた。

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