第43話
「俺が顔を向ける角度を変える度にその視線の先にいる人間がパッと目を伏せるんだぜ。最初は気のせいかとも思ったけど、おんなじことされたんで面白がってワザといろんなところ見てやったりしてな。そしたらそのうちそんな俺にまったく無関心の奴がいることに気がついたのさ。みんな俺の方を見てるのに、いや表面上は見ちゃいねえんだけどな、我関せずって奴が一人いたんだよ」
「それが美乃里ってことなの?」
「ま、さか」
樫雄が驚いた顔をして否定する。
「スタンドの最前列に陣取って俺に背中を向けて試合を注視してる奴がいやがったんだよ。見たこともねぇでけえレンズつけたカメラを覗きやがってさ。正確には試合の写真を撮ってたってことなんだけどな。まぁ当然だよな、試合撮ってんだから俺なんかに気を取られてる場合なんかじゃねぇ。でも、俺は無性に腹が立ってきてな、注視されるのも気に入らねぇが無視されるのも我慢ならねぇ、そう思えてさ。覗いてる横から押しのけてそいつのカメラを奪ったんだ」
樫雄は思い出して鼻筋に皺を寄せた。
「今から考えるとトンでもねぇけことだけどな『何を見てやがったんでぇ』って、そのレンズを覗いて驚いたね、小指ぐらいの選手が画面にドーンとどアップで見えたんだからな。面白くて面白くっていろんな選手を覗いたさ、でも途中で野球をドロップアウトさせられてることを思い出して選手を見てるのがバカらしくなってきたんで相手方の観客席を見だしたんだよ。そしたらそこで見つけたんだよ。汗びっしょりになって相手を一生懸命に応援するチアガールを。試合は俺らのチームが圧倒的に強かったんだけどな。それでも声を張り上げて小柄なカラダを精一杯動かしてさ、もう完全に胸を撃ち抜かれちまったんだよ。これが一目惚れってやつか、ってね」
うつむき加減で樫雄の言葉を聞いていた美乃里の目がほんの少しだけ大きくなったような気がした。
「なぁ、小西。そこにいたの、お前だよな」
「そんな昔のことなんか、覚えてない!」
「その試合のことは思い出せなくてもいいさ。ただ、写ってるのは小西だよな」
樫雄はどうしても答えが欲しくて執拗に訊き返す。
藤香が思い出したように素朴な疑問で割って入る。
「どうして樫雄は美乃里が写真部に来た時に気が付かなかったのよ」
「まさか小西が写真部を訪ねて来るなんて思わねぇし、そもそもが同じ高校だなんて思ってなかったしな。それより写真部を潰さねぇようにするのが精一杯でそんなこと夢にも思わなかったんだよ」
「じゃ、そこで見たチアガールが美乃里だってどこで気付いたの?」
腕を組んだ藤香が口先を尖らせて続ける。
「加農先輩。もしかすると入部式の日、写真を撮りに行って美乃里さんにシャワーを浴びていただいて部室に帰って来た、あの日ではありませんか?」
元気良く右手を上げた理々子が問いかける。少しだけ笑顔だ。
「そうさ。髪を後ろにまとめた小西を見た時は心臓が止まったぜ」
樫雄が心臓を抑えるような仕草をする。
「あぁ、シャワー事件の日か」
麗佳が独り言を言った。
「事件じゃねえし・・・・・・」
プイッと横を向いた美乃里がボソッと呟いた。
「あの話は盛り上がったわよねぇ。ほーんとウケたよ」
でも、と藤香がそのうち何かに気が付いたような顔になった。
「ちょっと待ってよ。なんで樫雄がそのネガを持ってるの? そもそも樫雄のカメラじゃないじゃない。もしかしてカメラまで奪っちゃったの? それって極悪人じゃない」
「ま、待てよ。俺もそこまでは堕ちてないぜ。とにかくだ、その時の小西に心奪われた俺はそのカメラの持ち主に写真の撮り方を訊いたんだ。『これはそのまま写真が撮れるのか、どうしたら撮れるのか』ってな。そうしたらそいつが丁寧に教えてくれてな。思い出すと散々あっちこっちに向けてピント合わせてるのに写真が撮れるのかもないもんだと思うけどな。俺が覗き始めてからのそのフイルムは最後まで俺が小西を撮り切ったんだ」
「え!」思わず誰かの言葉が洩れる。あるいはそこにいた女子全員の言葉だったかも知れない。
「カメラが甲高い音を立て始めた時にカメラの持ち主が『もういいかな?』って訊いてきてな。そこで初めて自分が小西を撮り切ったことに気が付いたんだけどな」
クスッ。
誰からともなく、笑いが洩れる。
「誰かさんと一緒じゃないですか」第一声は麗佳。
「ホントね、そっくり」藤香も相槌を打つ。
「放っといて!」美乃里が言い放つ。
「・・・・・・」理々子が声もなく嗤う。
「でも、傍若無人な振る舞いに対してずいぶんと寛容な人ね。いきなり自分のカメラを横から奪われて、奪った相手に対して怒らないまでかカメラの使い方まで説明するなんて。余程の人格者か、それともよっぽど樫雄が怖かったのかしら・・・・・・」
藤香はとても不思議に思った。
「主将だよ」
「え?」と藤香。
「松雲学園高校・写真部現主将だよ」
「ええぇっ!」
女子四人、ほぼ同時だった。
「スピード感の表現法を練習してた小学六年生の二本松康岳、その人さ。知ってるか? 主将はすべてを極めないと気が済まない性格なんだよ。自分に苦手な被写体が存在することが我慢ならないんだって言うんだ。だから、たまたま俺のチームの試合を撮ってたってだけで試合の結果は大きな問題じゃなかったのさ。それとカメラに興味を持った人間がいるのを放置出来ないんだ。もっと好きになってもらおうと自分の撮影も忘れてカメラの使い方を教え出しちまうんだ。俺は試合が終わってから小西のことを探し出そうと思ってたんだけど俺の撮った小西の写真とネガをくれるっていうんで主将について主将んちに行くことにしたんだよ」
樫雄が美乃里の写真に目を落した。
「で、ネガと写真も貰ってカメラの使い方の基本からすっげー丁寧に教えてくれて帰る頃にはカメラのことが面白くってしょうがなくなってたんだ。最初の頃は主将がカメラを貸してくれて、それこそ毎日のように写真を撮りにいろんなとこに行ってたな」
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