第40話

「おっと、こっちはなんだぁ・・・・・・マフィンはフォークでザクザクと開いた方がゼッタイおいしー。玉子は水から茹でてブクブクしてから十三分、お尻に包丁の角でちょこんとキズを入れておくとあとで剥きやすい。へー、そうなのか。ええっと、おい藤香! 見えねぇよ、もう少し横にズレてくれよ。なんだか、旨そうじゃねえかよ。おい!」


「これは美乃里がおいしーって言ってくれた『マヨたまごマフィン』のレシピを書いてあるの。それにぃ・・・・・・あぁ! もういいんだってばぁ。女子には一見何の関係もないような無駄話もとっても大切なの! 樫雄には一生かかったって分かりっこないことなんだから、放っといてよ!」


「う~ん、確かにそれは分からねぇわ。逆に分かっちまってもどうかと思うけどな」

「ぷっ!」

 美乃里は樫雄が女子に交じって違和感なくお喋りしているところを想像してしまった。


「お、ウケたね。笑ったね。良かった良かった。さっきから視線がすっげー鋭かったからさ、そのうち俺のどっかから血とかでも出るんじゃねぇかとドキドキしてたんだよね。これで少しは安心したぜ」

「そりゃぁしょうがないわよ。だって美乃里ったら樫雄のこと大っ嫌いなんだもん」

 藤香が口を尖らせながら両手を腰に当てて勝ち誇ったように言い放つ。


「え? ホントなのかよ。ショックだなぁ」

「やだ! バカ、なに言ってんのよ藤香。そんなのひと言も言ってないじゃない」

 美乃里は慌てて止めようと藤香の口に手を伸ばした。藤香はそれを気にする風でもなく言葉を続ける。


「でも、元はと言えば樫雄自身が悪いんだからね、自業自得でしょ」

「え? 何だよ、それ? なんでそーなっちまうわけ? 俺のどこが悪いってんだよ」

「なに言っちゃってるの? 樫雄の心無い言動にどれだけ美乃里の心が痛めつけられたか分かってないんだね、やっぱり。自分の胸に手を当ててゆっくり思い出してみなさいよ」

「胸、ねぇ」しばらくの間、樫雄は胸に手を当てて俯き加減で何かを考えていた。しばらくして顔を上げると「やっぱワカンネぇよ」と首をかしげた。


「俺もさぁ、小西の視線がちょとばかしトゲトゲしてんなぁ、とは思ってたさ。でも、あからさまにそんなに嫌われるようなことした記憶もねぇしさ、俺の自意識過剰かなぁなんて思ってたんだよね。そうか、本当に嫌われてたんか? 俺。はぁ、落ち込むなぁ」

 思えば自分の勝手な思い込みの部分もあったので、美乃里はそこまで樫雄を落ち込ませてしまったことを、少し気の毒に思った。

「なに一人で勝手に落ち込んでんのよ。美乃里の気持ちはもっと傷ついちゃってるんだからね」

 藤香はどんどん美乃里の気持ちを代弁していく。でもそれは当然のことながら美乃里の本意ではなかった。


「ね、藤香。もういいよ。そんなに嫌いってわけでもないんだから」

 自分で言いながら「変なフォローだな」と美乃里は思った。

「ううん、ちっとも良くないよ、美乃里。どんだけ嫌な思いしたか言ってやりな。樫雄に分からせないとダメだよ」

 なおも藤香の口調は荒く厳しかった。


「なぁ、小西。本当に本当か? だとしたら面目ない。分からずに小西を傷つけてたんだとしたら俺、超マヌケな大バカ野郎じゃん。悪かった、このとーり」

 樫雄が美乃里に手を合わせながら深く腰を折り曲げる。


「なんだかワザとらしいなぁ、その態度。誠意が全然感じられない。ねぇ美乃里?」

「え? いや」美乃里が発することが出来たのはこれだけだった。

「一体ぜんたい美乃里のことどう思ってるわけ。本当に悪かったと思ってるの。頭を適当に下げときゃいいだろう、なんて思ってる訳じゃないでしょうね!」

 もはや糾弾に近くなってきた感じの藤香の代弁はなおも続く。

「ああっ! もう」

 藤香の言葉をほぼ頭頂部で受けていた樫雄が跳ね除けるように身を乗り出す。


「だから小西に訊いてるんだって! 藤香はちょっと黙っててくれよ。俺が敢えて小西を傷つけるようなコトする訳ねぇんだよ!」

「なによ! 美乃里は今まで言えなくて悩んできたからここで私が言ってあげてるんじゃない! それに敢えて美乃里を傷つけることする訳ないって。それってどういうことよ? どうしてそんなことが言えるの! 現に傷ついてるのに!」


 再び樫雄は下を向いた。ギュッと握りしめられた拳がブルブルと小刻みに震え赤くなったようにも見えた。

 

「初恋の人に俺がそんなことする訳ないだろう!」

 思いつめたように発した怒号は文化部棟全体に響き渡った。


 かたや写真部部室の中は、時間が完全に止まってしまったのかと思えるほど静かだった。

「・・・・・・何?」

 美乃里は言葉の意味がまったく理解出来なかった。自分のことをまっすぐに見つめている樫雄の真意もよく分からなくて、ようやく少しばかりの言葉を絞り出せただけだった。


「なに、あなたたち知り合いだったの? 知らないわよ訊いてないわよ美乃里」

 息を吹き返した藤香が美乃里に詰問する。

「知らないわよ! あたしだって。ちょっと加濃クン。いくら苦し紛れの言葉とはいえ言うに事欠いて変なこと言わないでくれる」

「誓って言うけど、苦し紛れの言い逃れなんかじゃねえよ。小西は紛れもなく俺の初恋の人で、もっと言うと俺がこうして写真の道に入るきっかけになった人なんだ」

「それじゃあ3年も前からってこと? 知ってたのに知らないふりしてたってこと。ダマしてたの、ズルイよそんなの」

 藤香は完全に美乃里を責め立てる口調になって追及する。


「イヤだイヤだイヤだイヤだ。美乃里さん、絶対ヤだぁ」

 麗佳は美乃里の右腕にしがみついて叫びながら泣いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る