第38話
何か考えていた理々子が突然声を発する。
「円陣組みませんか? 美乃里さん、麗佳さん。いかがですか? 高千穂先輩」
「円陣? なんでまたそんなことを理々子は思いついたの」
「はい。子どもの頃からテレビで競技会の中継などを観ていて憧れていたんです。格好いいなぁって。やってみたいなぁって。でも、わたくしの今までの人生には全く縁がなくて半ば諦めていたんです。そうしたら美乃里さんが応援部だっておっしゃっておられたんで、もしかするといつかさせていただけはしないかもしれないけれども見せてはいただけるかもしれないって思っていたんです。ですから、思ったんです。今なら出来るかもしれないって。いかがですか? 円陣組みませんか」
「あのね、理々子」
「あ、ダメですよね。申し訳ありませんでした」
「ううん、そうじゃなくてね」
「え、じゃあよろしいのですか、ありがとうございます」
「だ・か・ら! そうじゃなくてね」
「はい? 何でしょうか」
「ひとつ間違いがあるのね」
「え? わたくし、何か誤ったことを申し上げたでしょうか」
「うん。応援部はね、円陣は組まないんだ」
「え? ウソです! わたくしこの二つの目で何度も何度も何度も円陣が組まれるのを観てまいりました。いくら敬愛する美乃里さんのお言葉とは言え、それだけは決して譲ることは出来ません」
「円陣を組むのはね、選手。分かる、理々子? 応援部は、応援はするけど競技場で円陣は組まないよ」
「あ! あわわわわ」
「ぷっ! 『あわわわわ』なんてマンガでもしないような表現! さすが理々子らしい」
「申し訳ありません、申し訳ありません。わたくしはとんでもない思い違いをしておりました。なんとお詫びを申し上げたらよいやら」
「なに言ってんの、謝る必要なんてないよ。ちょっと勘違いしてただけでしょ。で、理々子はなんにせよ円陣が組みたいのね」
「いえ、もうこれ以上失礼なことなど望めません」
「ちっとも失礼なんかじゃないって。円陣が組みたいんでしょ」
「は・・・・・・い」
理々子は伏し目で蚊の羽音よりも小さな声で口ごもった。
「なに! 聞こえない。円陣組みたいんでしょ?」
「はい! 組みたいです!」
「てことなんだけど、どうする?」
美乃里は麗佳と藤香に向き直る。
「うん、私もやってみたい」
「いいっすねぇ、円陣で元気注入しちゃいましょう」
藤香も麗佳も思った以上に乗り気だった。
「じゃあ、この上にみんなの手を重ねて」
四人で向き合った真ん中に美乃里が甲を上にして右手を差し出した。残りの三人は手を出す順番が分からず戸惑っているようだった。
「んーそうね。じゃあ、理々子がまずこの上に同じように差し出して、次に麗佳、それから藤香ね」
察した美乃里が説明して三人がたどたどしく右手を差し出すと、なんとなく形になった。
「そしたらあたしが『松雲写真部ファイト!』っていうからあなたたちは続いて『オー』って言ってくれる?」
言葉もなく三人が頷く。これ以上ない緊張が伝わってきて美乃里は笑いそうになったがみんなの真剣なまなざしを見て堪えた。
「じゃあ、いい?」
三人の少し荒くなった鼻息だけが聞こえる。
「しょううん写真部うぅ、ファイットォ」「ぉー」
「なによそれ! ダメダメぇ、そんなんじゃ。声が小っちゃすぎる。腹から声出して!」
「ハイ!」
「も一回行くよぉ」
「ハイ!」
「松雲写真部うぅ、ファイットォ」「オーッ!」「ファイットォ」「オーッ!」「ファイットォ」「オォーッ!」
「オー、いいじゃんいいじゃん。どう? やってみて?」
「気持ちいい~っ。この高揚感は何とも言えないわ」
頬を少し赤くしながら藤香が言うと、麗佳も満面の笑みで頷いた。
「私も初めてだったんですけど、この爽快感は病みつきになりそうです」
「そう? 良かった。そこまで感じてもらえたんならやった甲斐があるわ。理々子はどうだった? 理々子?」
「・・・・・・」
「どうだった、理々子? 円陣組んでみて」
「はぁ~感激して鳥肌が立ちました、そして少し粗相をしてしまいました」
言葉の主は恥じるでもなく恍惚の表情を浮かべていた。
「え? そ? なに?」
思わず美乃里は訊き返す。
「粗相? 理々子ったら、お漏らししちゃったの?」
「ええ。でも、ほんの少しです。大丈夫です、ご心配なく。はぁ、想像以上でした。やらせていただいて心から感謝します」
理々子は頬を紅潮させて満足そうにパイプ椅子に背中を持たせかけた。
「ねぇ、美乃里ぃ」
鼻にかかった声で藤香が美乃里の肩に手をかけた。
「ん? なぁに」
「お願いがあるんだけど・・・・・・」
「お願い?」
「もう一度、やってほしいんだけど、ダメ?」
「もう一度? 円陣組むってこと?」
「うん、やりたい。ねぇ麗佳」
「はい、私も出来ることならあと二回ぐらいやりたいです」
「に、二回ぃ?」
「あ、それ賛成。ねぇ理々子もやりたいわよねぇ」
「ふぁい、やりたひでふぅ」
完全にどこからか空気が漏れている理々子が応える。
結局、土曜の夕方の文化部棟には不似合いな乙女の雄叫びが長く響き渡ることになった。
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