第31話
ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、ピンポ~ん!
けたたましくドア横のチャイムが鳴る。
「何してるんですかぁ? もう三時間になろうとしてますけどぉ」
麗佳が訴える。
「ちょっとやめましょうよぉ」という理々子の声も後ろに聞こえる。
「あの子は、もう!」
「あ、ホントだ、三時間も経っちゃってるのね。じゃあ、いったん出て休憩しようか」
時計を見た藤香が暗室の出口に向かったので美乃里もそれに続く。
「わ! まぶし!」
部室の窓からちょうど西日が差し込むぐらいの時間になっていた。
「あっ! 出てきた! もう、二人で何やっちゃってるんですか?」
急な明るさに馴染めずにあたふたしているところへすかさず麗佳の抗議が刺さる。
「な、何って、あ、暗室作業にき、決まってるじゃない。や、やっとベタが焼けたのよ」
まるでよしもと新喜劇の定番ギャグみたいに焦った美乃里は噛み噛みで言い訳をする。
「あ! 何ですか美乃里さん、さらに涙目になってるじゃないですか! あやしー」
「え?」
仕上がりを見て自然と涙が出てきてしまっていたのを忘れていた。
「な、何、い、言ってるの! な、何でもないってば」
うわずった物言いで慌てて白衣の袖口で眼元を拭う。
どうしてこんなに焦ってしまうのか自分でもよく分からなかったが思い通りの言葉が出てこなくて美乃里はもどかしかった。
「怪しい。二人で何してたんですか? 二時間て言ってたのに一時間もオーバーしてるし」
麗佳の抗議を黙って聞いていた藤香が美乃里の前に半歩踏み出す。
「美乃里に説明しながら作業してもらってたからどうしても時間が掛かっちゃったのよ。あなたたちには悪いとは思うけど作業なんてそういうものだし美乃里が理解出来なければ意味がないんだから、どうしても美乃里が主体になるのは当然でしょう? さっきだって私が戻って来なさいって言ったわけじゃないでしょ。『どうするの』って訊いた時に戻って来るって言ったのはあなたたちの意思なんだから、その言い方は筋違いだとは思わない?」
少し強い口調で藤香が諭すように言った。
何かを言いたそうだった麗佳は何も言えなくなったきり俯き加減で押し黙り、理々子はホッとしたような顔になった。
「ゴ・メン・ナ・サイ」
真っ赤な顔で絞り出すようにやっとそれだけ言うと下唇をキュッと出して麗佳はまた押し黙った。
「うん、分かればいいの。ゴメンね、少しきつい言い方しちゃって。待っててくれたのよね? ありがとう」
先ほどまでの険しい顔とは打って変わって柔らかい笑顔で麗佳の髪に優しく触れた。
あのぅ、と理々子が小さいもののはっきりとした口調で訊ねる。
「美乃里さんの写真仕上がってるんですよね」
「う、ん。出来上がったのよ。まだベタまでだけど、観る?」
美乃里は思い出したように応えた。
「はい! 観せていただけるのならぜひ観たいです!」
「分かった、ちょっと待ってて」
美乃里が暗室に戻ってベタ焼きの仕上がりを持って出てくる。
「観てみて。感想を訊かせて」
「では失礼します。へー・・・・・・美乃里さん。あ、の、美乃里さん」
「ん? なぁに」
「これって」
「うん、フグ」
「ですよね」
「え? どれどれ。ワッ!」
いつの間にか復活した麗佳が理々子の横から覗き込んでのけぞる。
「何ですか、これ」
「だから、フグだって」
「しかも・・・・・・端から端までというか始めからお終いまでフグだけ、ですね」
「そうよ」
「何匹のフグ撮ったんですか、こんなにホントに、フグ、ばっかり」
「何匹じゃないって、ただの一匹」
「これ全部一匹ですか。すごいです、美乃里さん。文字通り全方向という感じですね」
「美乃里さん。向こう側に波打ち際が見えるですけど、ってことは、ここの五枚ぐらいは海の中から撮ってるとしか思えないんですけど」
「え? どれ? あ、ホントだ」
「そんな美乃里さん、まるで他人事のような言い方しちゃってますけど。自分の写真じゃないんですか?」
「あ、麗佳さん。こっちの二枚も海側から撮影なさっているような」
「本当だ、これもだ。美乃里さん、どんだけ海に入ってるんですか」
「ああ、ホントだねぇ。海の中側から撮ってるみたいだ」
「と言われましても美乃里さん、ご自身のことではないのですか?」
「う~ん、あたしってひとつのことに没入しちゃうと周りのこととか見えなくなっちゃうことがあるんだよねぇ」
「だよねぇ。主将の一枚の写真、二時間も観続けちゃうヒトだもんねぇ、美乃里は」
藤香が思い出しながら笑った。
「一枚の写真を観続ける? なんのことですか、高千穂先輩」
麗佳は理々子の目がまん丸になって泳いだのも見逃さなかった。
「あれ? なんだか理々子の態度もちょっとおかしくない? なんだなんだ?」
「訊いてないの? 美乃里が写真部に入るきっかけ」
「え? 知らないですよ。訊いてないですよ、何か知ってる? 理々子」
麗佳の問いかけに理々子が固まって無反応になった。
「え? 何? 理々子は知ってるの? ていうか美乃里さんが写真部に入ったのっていきさつが違うの私たちと。もしかして」
「途中までは一緒なのかな。でも、美乃里はギャラリーで目が離せなくなっちゃった主将の写真がどうしても欲しくなって部室に貰いに来たとこを主将にスカウトされたのよ、ね」
「え!」
麗佳が絶句したまま動かなくなった。
「一枚の写真から目が離せなくなって二時間も観続けてたんだけど、閉館時間が来て守衛のおじさんに追い出されなければもっと見てたのかもしれないのよ」
それは、あくまでも藤香の想像だったが美乃里はその時のことを思い出して「確かにその通りかも知れない」と思った。
「まぁ主将の写真が素晴らしいってことではあるんだけど、ね」
藤香の遅すぎるしかも美乃里のフォローにまったくなっていないフォローが入る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます