第30話

「次は停止液。現像液が停止液に入らないように気を付けてね」

「う、うん」

「停止は一○秒。一○秒経ったらすぐに出して」

「う、うん」

「はい、一○秒」

「あ。う、うん」

「定着液に移すのは定着液用のピンセットを使って。そうすることで停止液が定着液に混ざるのを防げるから」

「う、うん」

 

 美乃里は言われるままに作業を淡々とこなす。


「定着液の中で3回ぐらいしゃぶしゃぶして。一○分間ぐらいね」

「分かった」

「じゃあ、この後また水洗ね」

「今度の時間はどれぐらい?」

「気温によって違うけど今の時期なら普通は四○分。だけど今日は水洗促進剤を使うから約半分で二○分で終わらせるわね」

「え? こっちでは使っていいの」

「印画紙には使うこともあるのよ。フイルムと違って特に差し障りがある訳じゃないからね。使わない理由は『コスト』のためなんだけど、今日は時間短縮のために使うから」

「え? ホントに? いいの?」

「うん。まず最初に一分間水洗します」

「はい。これも流水?」

「うん。印画紙の場合はこれね」


 藤香が指で差し示したのは片側の端にゴムホースが作りつけられているバットだった。


「これが蛇口に繋がってるの。水はほんの少しだけ強め、かな」

「へー。いろんな道具があるんだねぇ」

「うん、特に松雲高は設備に関してはスゴク贅沢ね。こんなに機材がそろってるところも高校の写真部レベルではないと思う」

「そうなの?」

「もはやフイルムにこだわってる高校の写真部は皆無に等しいから比ぶべくもないけどね」

「それは藤香も言ってたOBの力?」

「それは大きいと思う。あと今までいろんなコンテストで上位入賞を果たしてるから生徒会予算も文化部系では多かったみたいだし」

「そんな写真部が廃部の危機だなんて・・・・・・」

「あ、一分。そうしたらこっちの促進剤を入れたバットの中に二分」


「了解。こっちもしゃぶしゃぶした方がいいの?」

「ううん、沈めて浸すだけよ。でも分裂で部員はほとんど向こうに移っちゃったしね」

「分裂以外には道がなかったってことなのかな」

「さっきも言ったけど主将も樫雄もその件に関してはしゃべりたがらないし、当事者以外に詳しい事情を知ってる人がいないから本当のところが私には分からないのよ」

「フイルムもデジタルも同じ写真なんだから一緒にできそうな気がするんだけど、ね」

「断片的な話を総合すると、運営方針でどうしても相容れない部分があってデジタルをやりたい人たちが元副将を中心に同好会を立ち上げたんだってことらしいんだけど。樫雄の態度を見てるとどうにもそれだけじゃないような気がして。あ、二分」

「あ、うん。この次はどうするんだっけ?」

「流水で水洗。二○分だけどペーパーのぬめりを取るだけだから手で触りながらヌルつきを確認するのよ」


 しばらく二人で想像を巡らせながら水洗の様子をぼーっと眺める。


「そろそろかな、確認するね・・・・・・うん、いいかな。おつかれさまでした」

「ううん。藤香こそ、ありがとう。これはこれで本当に終わり?」

「まだよ。あとは乾燥させなきゃ」

「あぁ、そうか。どうやるの」

「うん。普通は自然乾燥。でも、松雲にはヘロタイプ乾燥機ってのがあるから、これで」

 と言いながら藤香が半月型に反った形の大きな機械に水洗が終わった四つ切の印画紙を挟み込んだ。


「え? こんな機械で乾かすんだ」

「ここに挟むの。壊れちゃったらもう修理が利かないって話だけど」

「これは、何分?」

「これは上のこの布がついたフレームを下げてここのランプが消えたらおしまい」

「早!」

「はい、出来上がりよ。どう、美乃里」

「・・・・・・」

「美乃里? 美乃里? どうしたの、泣いてるの」

「え? ホント? やだ、勝手に涙が出てきちゃってる」

「感激した?」

「分かんない。感激してないわけじゃないけど、そんなにカンタンにふた文字で言い表せるような気がしないの。確かに言えるのは今までのスマホや家のデジカメで撮った写真とはまったく全然ちがうってことだけ。自分で撮った写真がすごく愛おしい」

「そんな風に言われたら、私もフイルムの世界に引き入れて今まで説明した甲斐があるわ。良かった、美乃里が本当にフイルム写真の世界を気に入ってくれたみたいで」

「うん、すごくすっごく気に入った。ありがとう、藤香には心から感謝するわ」

「ホント? そんなに喜んでもらえて私こそうれしい!」


 そう言ってギュッと力いっぱいに抱きしめて来た藤香はとっても柔らかで美乃里はしばらくそのままでいてもいいと思った。

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