第27話

藤香が暗室時計を見て慌てたように言う。


「あら、話してたらずいぶん時間食っちゃった。やらなきゃね」

「うん、そうね。でもおかげでいいハナシが訊けたよ。加農クンのこと少しだけ見直した」

「ホントに? ああ、よかった。ずっと気になってたから」

「まだ『いいヤツ』だって思えてるわけじゃないけどね」

「いいのよいいのよ。それは美乃里の気持ちだから。誤解されてるなーって思ってたんだけど、樫雄は自分の評価が悪いって分かってたとしても自分から弁明するヤツじゃないんで、どうにか美乃里の誤解だけは解きたいと思ってたのよ。誤解がない状態でも美乃里が樫雄のことをやっぱり嫌いだなって思うんなら、それはそれでそういうものなのよ。人と人との相性だもん」

「ゴメンね、藤香に気を遣わせちゃって」

「ううん、全然気にしないで。って違う! こんなことしてたら、どんどん仕上りが遅くなっちゃう」


「そっか、なにすればいいんだっけ」

「じゃあ、ここでまた問題ね。昨日はどこまでやってたでしょう?」

「待って、思い出すから。ダークバッグ、現像タンク、ここまではやったと」

「うんうん」

「で、えっとぉ。あ、クリップをつけて、ロッカーに吊るした」

「はい! 大正解。開けて」 


「いたいた。待たせちゃったねぇ、今日こそ思いを遂げようねぇ」

「今回はほぼ一日吊るしてたから問題はないんだけど、一応手の甲でフイルムを触って」

「え? 触るの? しかも、手の甲? で?」

「そう、吊るしてた時間によるんだけど、ちゃんと乾燥してるかを念のために確認するの。サラッとした手触りだったら問題ないわ。万が一くっ付くような感覚だったらNGよ。乾燥が足らないわね」

「なんで、手の甲なの?」

「手の脂がついて写真を台無しにしないため。で、どう?」

「サラサラ」

「じゃあハサミを使って六コマごとに切ってこのネガシートに収納していって」

 藤香がちょうどフイルム六コマ分を一段に入れられる七段綴りになったシートをどこからか出してきた。


「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、チョッキンってこと?」

「パーフェクト!」

「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、チョッキン。いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、チョッキン。いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、チョッキン。あれ? いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、チョッキン。いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく? おや。藤香、ねえ?」

「なに、余った?」

「その通り。ろくろくさんじゅうろく、だから六ピースのはずなのに、あと三コマ分あるよ。なにこれ?」

「三十六枚撮りフイルムは実質三十九枚は撮れるように設計されてるんだって主将が言ってた」

「へー、そうなんだ。で、最後のピースってどこで切るの?」

「最後のコマの直後で切るか、コマが終わった後の最後のスプールと繋いでた紙のトコまで残すかってこと?」

「そうそう。これってどうするのが正解?」

「私は切らない。プリントする時にある程度の長さがないと引伸機に掛けにくいから。紙の部分だけ切り落とすといいよ」

「じゃあ、とりあえずあたしもそうしておこうっと」

 美乃里は切った六コマごとのネガをシートに順番に差し込んだ。


「私は、出し入れするたびにネガの角っこがシートに引っかかってイラッとするから四隅をちょこっと切ってるわ。おススメよ。あとはここに日付と時間と、何を撮ったものかを書いておくとあとから整理する時に便利よ」

 ネガシートは畳むとネガ一段分の幅になるように出来ていてそれをボール紙のケースでクルリと包みこんで収納できるようになっていた。ボール紙には撮影データを書き込めるようにメモ欄があって藤香はそこを指でトントンと叩いた。


「ふんふんふんと、はい書いた」

「え? なにこのフグって」

「ん? フグと言えばフグだけど」

「ちょっと、このライトボックスの上にネガシート広げてみて」

 藤香はそう言うと、白くて四角い箱のようなものを作業台の上に出してきた。横についているスイッチをパチンと入れるとアクリル製の天面が白く光る。

「おお! 何だこれ?」

 美乃里は少し驚く。

「いいから、ネガを広げてこの上に置いてみて」

 美乃里は、折りたたんだネガシートを再びパタパタパタっと広げて白いライトボックスの上に置いて見せた。


「はい」

「見せてね。いい?」

「うん。見て見て」

 藤香は美乃里の許しを得るとフイルム用のルーペをネガシートの上に軽くポンッと乗せて覗き込んだ。

「はぁ、これは確かにフグだわ。しかも端から端までフグばっかり」

 藤香はネガシートの上のルーペを動かしながら覗き続ける。

「うん。で、気がついたらフイルムが終わってたのよねー」

「美乃里も見てみる?」

「え? いいの?」

「だって美乃里のじゃない」

「あ、そか。じゃあ見る」


 美乃里がルーペを覗き込む。

「あぁ、反転してるのか。てっきりそのまま見えるんだと思ってた」

「慣れてくると、ネガの状態でもある程度の仕上がりの様子が想像つくようになるんだけど、やっぱり反転してると分からないわよね」

「うん、反転してない状態で早く見たい」

「じゃあ、ベタを焼こうか」

「いよいよ真相が明かされるってわけね。それでベタって何?」

「ま、カンタンに言っちゃうと印画紙っていう写真用の用紙の上にネガをベタっと置いて上から光を当ててプリントするからベタ焼きって言うのよ」

「なるほど。なんだかベタなネーミング」

「うん、そのものズバリだね」

「ぴったりくっつけるからコンタクトプリントとも言うんだけどね」

「ああ、あるほど。コンタクトレンズのコンタクトか」

「そう、接触させるってことね」

「で、どうするの」

「いよいよ暗室なの。まずはこのセーフティライトを点けて」

 と言いながら藤香は壁につけられている投光器のような形をしたもののコードの途中についているスイッチを触った。


 パチン

「え、赤いの?」

「この波長は現像前のフイルムや印画紙に悪影響を与えにくいのよ」

「へー、ふーん」


 美乃里にとって暗室の中はことさら未知なことばかりで、まるで異次元のようだ。

「作業の時は、セーフティライトを点けてから上の明かりを消した方がいいから覚えておいてね」

「それはどうして」

「だっていきなり消したら何にも見えなくなっちゃうじゃない」

「あ。そりゃ当然よね」

「そうしたら、明かりを消すわね」

「うん」

 藤香が天井の蛍光灯のスイッチを切ると赤暗い光の灯る文字通りの暗室になった。


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