第24話

 美乃里は慌てて、でもゆっくりと扉を開けて暗室を出た。


「じゃあ、主将。目途立ったんで帰ります」

「お疲れさん。もう九時過ぎとるけど大丈夫か、気ィつけるんやで」

「はい! ありがとうございま~す。お先失礼しま~す」


 美乃里は母親の怒った顔を思い浮かべながら暗い家路をひたすら急いだ。


「藤香って、お父さんにはミランダって呼ばれてるんだね」

 今までとは違う藤香を見ることが出来て少し得した気分になった。


 その夜は初めて康岳の写真を見た時ほどでないにせよ全身が微熱を帯びていた。明日は自分で撮ったものを写真にするのだと思うといよいよ寝付けなかった。


 案の定、翌日の授業は四限とも上の空だった。


こんなことではいけないと頭では分かっていても、写真がどう撮れているのかをやっと実感できるのかと思うと気が逸ってしまって授業どころではなくなっていた。

ところが四限目の終わり近くになって教師に声を掛けられて来週までの課題プリントを職員室まで取りに行かされるハメになった。最初から持って来てくれればいいと思うのに出掛けに教頭先生に声を掛けられて忘れてしまったらしい。

しかも上の空で授業を受けてたことがしっかりバレていたらしくウダウダとお小言もくらった。


美乃里は「いつもこうだ」と思う。すごく心待ちにしていることがあると大抵が何かに阻まれる。

 子どものころからこういうことがすんなり進んだ試しがない。    

最後に食べようと取っといたお子さまランチのプリンも口に入れる寸前でボトン! とテーブルの上に落ちるし、家族でお出かけの日の朝に限ってお気に入りのスカートが部屋のどこを探しても出てこなかったりした。


「それにしても・・・・・・」と記憶が幼すぎることに少し笑ってしまう。


廊下を教師に注意されない絶妙の速度で走り抜けて、職員室までの階段を二段抜かしで駆け下りて、教室までの帰り道を三段抜かしで駆け上がる。それでも教室の扉を開けたのは終業チャイムの五秒後だった。

教師がプリントを配るのを素早く手助けし、配り終えると同時に教室を出て渡り廊下を駆け抜けて部室棟へ急ぐ。背中で教師が呼ぶ声がしたような気がしたが聞こえないふりをした。

 

ガラガラっ! と部室の引き戸を勢いよく開けた。


「遅い!」

「麗佳? あんた何でいるの? あれ理々子も。どうしたの?」

「どうしたのじゃないですよ美乃里さん。高千穂先輩がみんなでランチしようって誘ってくれたんですから」

「なぁに? 誘ったの? 藤香」

「うん、ごはん食べるなら大勢の方が絶対楽しいじゃない」

「あぁなるほどぉ、ってランチが目的じゃないし」

「どっちにしても楽しい方がいいに決まってるじゃない?」

 藤香の言葉には抗えない不思議な力があると美乃里はいつも思う。

「美乃里さんすごいですね。昨日三十六枚撮り撮り切っちゃったんですって?」

「そうそう。撮り切っちゃったのよサブロク」

「それで理々子と一緒にシャワー浴びたんですって?」

「おいおい、どうしてそんな話になる?」

「あれ、違ってたんでしたっけ」

「違うわ!」

「もったいないなぁ。美乃里さんの引き締まったナイスなバディを拝めるいいチャンスだったのに、どうして私も呼んでくれないかな」

「おいおい、見たことあんのか」

麗佳の頭に軽く空手チョップを食らわせながら、理々子に昨日の礼を言った。

「ゴメンね。いろいろ面倒ばかりかけちゃったね、ありがとう」

「いえ、お役に立ててよかったです」

「うん、すごく助かった、ありがとう」

「それより美乃里、食べよ。お湯も沸いたけど何飲む? コーヒーはハワイ・コナにモカ・マタリ、紅茶はウバにキームンがあるよ」

「なに? ここは喫茶店? しかもかなり偏ったチョイスね」

「完全に買ってきた人間の趣味ね。コーヒーは主将、紅茶は私」

「うーん。よく分かんないからお任せで」

「分かった。じゃあみんなウバのミルクティーにするね」

「あ、わたくしやります」

「ううん、いいよ。理々子は座ってて」

「え、よろしいのですか」

「うん、私がとびっきりの紅茶を淹れるから」

「はい。ありがとうございます」

「じゃあ、みんなお弁当広げてぇ。楽しいぞぅ」

「はい、いただきます」

「いっただきま~す」


「それでそれでぇ、いったい何があったんですか? 美乃里さん」

 麗佳が登校前にコンビニに寄って買ってきたシャキシャキレタスのハムサンドイッチをパクつきながら口火を切った。

「理々子に訊いても『わたくしの口からは申し上げられません』って頑なに拒むからさ、逆にすごく気になるじゃない」

 藤香が自作のツナきゅうりマフィンをかじりながらそれに続く。

「どうして写真撮りに行ったのにシャワーなんか浴びて帰って来るの? 昨日は主将の前だったし時間も遅くなっちゃってたから訊かなかったけど、なんでって思うわよねぇ」

「ねぇえ。なにしてたんですかぁ」

顔を見合わせる藤香と麗佳の関心はもっぱらそのことらしかった。


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