第16話
最寄りの駅が海岸線沿いにあるぐらいなので高校の正門から海岸までも五分ほどでたどり着ける。季節的にはまだ肌寒かったが天気が良いので砂浜には観光客らしい人影もちらほら見えた。
「もうずいぶんと温かくなってきてるね」
「海がこれだけ身近な存在だと被写体には事欠きませんね」
「そうだねぇ。じゃあ写真が似かよっても面白くないから少し別々に行動しようか」
「そうですか。それでいいですか」
理々子がちょっとびっくりした表情で訊き返した。
「ゴメン、あたしから一緒に連れてってくれってお願いしといて。でも、最初は自分なりに撮ってみてから分からないことを理々子に訊きたい。じゃないと何が分からないのか分からなくて何を訊いたらいいのかすら分からない。何が分からないのかを分かりたい」
「あ、なんとなく分かります」
「え、分かってくれる? ありがとう」
「なんだか、もどかしくて『あ~っ!』て叫びたくなっちゃうような感じですか」
「そう! まさにそれよ。ありがとう、よかった理々子がいて」
「そうですか、よかったです。では、わたくしもその辺りで撮影をしておりますので美乃里さんの都合でお声をお掛けください」
「ありがとう! 恩に着るよ。やっぱり師匠って呼んでいい?」
「それはダメです!」
「なんだケチんぼ」
「いえいえ、そうじゃないでしょう。止めましょうよ、師匠は」
「分かった、じゃあ心の中で呼ぶことにするわ」
「ココロって」
「いいじゃん。心の中なら。ねっ」
「わ、分かりました。じゃあ、心の中だけですよ」
「ありがと! お師匠様」
「美乃里さん~」
「じゃあ写真、写真。理々子、あたしはこっちに行くよ」
「は、はい! ではわたくしはとりあえず反対側へ」
「そうだなぁ三○分後にそこのコンビニでってので、どう?」
「承知しました。では三○分後にまた参ります」
二人は海岸線を走る国道の上を東と西に分かれて道に沿って歩き始める。
美乃里は砂浜に下りる階段を下って波打ち際まで行ってみることにした。ローファーの中に砂が入ってきたが後で逆さにして払えばいいと思い放っておいた。
いざ浜に降りてみると思ったほど被写体になりそうなものがなく周りのありとあらゆるもの、それこそ森羅万象に向けてシャッターボタンを押してみた。しばらく行くと大きく波が引いた跡に何かが転がっているのに気が付いた。
近づいてみると、それは小さなフグだった。この辺りでは浜釣りをしている人がフグが掛かると浜辺に捨てることがよくある。毒があるので持って帰って料理する訳にもいかず目的の獲物でもないので腹立ちまぎれに海に向かって投げればいいのものを浜に向かって投げるのだ。
美乃里も父親の釣りのお伴で何度かそうした場面に出くわした。
小学生の美乃里は素手で触る勇気もなく拾った枝で突いていた。
それを思い出しクスッと笑った、と同時に高校生の感覚でとても物悲しさを感じた。
直感的に「これだ!」と思った。
シャッターボタンを押す指に初めて力を込めた。
カシャリ、と機械的な音がした。スマートホンのような合成音ではなくホンモノの音だった。美乃里は生まれて初めてシャッターを切ったことを誇らしく思うと同時にフフッと笑ってしまった。
それは機械を操作したぞ、という小さな小さな達成感と照れかもしれなかった。
ところが切ってから違和感があった。なんか忘れているような、何かしなければならないことをしてないようなとても気持ちの悪い感覚だった。
何だろうと思いかけて、ほどなく理解した。
画面がないから撮ったものを確認できないのだ。どう撮れているのかが分からない、というよりも撮れているのかも分からない。
麗佳の言っていた「不安」が実感できた。
迷う。もう一度撮った方がいいのか、次の被写体を探しに移動した方がいいのかすら。
美乃里はチアのコーチがよく「迷うなら進め」と言っていたのを思い出してもう一度シャッターを切った。さっきは「シャッターを切る」ことで精一杯だったので今度は前に出たり後ろに下がったりして構図を変えてみることにした。
自分なりに納得した構図になったところで、もう一度指先に力を込めた。今度は音以外に、すごく小さな振動を感じた。中で機械が動いている実感が手に伝わった。
しばらくファインダーを覗いたままフグを見ていたら、大きな波が来てフグが引き潮に持っていかれそうになった。
アッと思った。ローファーにもたくさんの水が入って来たがフグがさらわれて行ってしまうのが気になってしまい、それどころではなかった。
波に引っ張られてコロコロと濡れた砂の上を転がっていたフグは腹が下になった時に勢いの弱くなった引き潮に打ち勝ってその場に踏ん張って残った。
いつしか心の中で「頑張れ頑張れ」と叫んでいた美乃里は小さくガッツポーズした。
そして波に濡れたフグは暮れかかる陽光を受けてテラテラと光り始めた。
その光景を見た瞬間、美乃里はシャッターボタンを無意識のうちに押し続けていた。そして、気がついたら美乃里は三十六枚撮りのフイルムを撮り切ってしまっていた。
というかいつの間にかカメラがウィーンという唸りをあげていてシャッターが切れなくなっていたのだった。
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