第4話

ガラガラっ! と部室の引き戸が勢いよく開いた。


「やっと営繕の斉場さんが捕まったで。何とか頼みこんで今日中には直してくれることになったわ」

 学ランを肩にかけた男子が息を切らせて入ってきた。


「お疲れっす。写真部だから慣れちゃいますけど、さすがに今回はきつかったっすよ」


 写真部というだけでヒョロッとした軟弱君を勝手に想像していた美乃里の期待を大きく裏切って二本松康岳はかなりイケていた。


「主将。お客様よ」

 藤香が意味深な微笑みを浮かべながら美乃里の腕を掴んで康岳の前に差し出すようにして押した。

 いきなり動かされたんで脚がもつれて前のめりになり、おでこが康岳の顎に当たった。   


「あらやだ。ゴメンなさい」

 藤香のまったく心のこもってない謝罪が耳に届いた。うーむ、何をやっても厭味のない人間というのは存在するもんなのだなぁと、美乃里はまったく他人事のようにぼんやりと思う。


「美乃里! ほら、あこがれの二本松康岳よ、美乃里!」


 少しどこかへと行きかけていた美乃里の意識は、藤香の物言いで一気に現実世界に引き戻された。

「えっ、やっ、ちっ」

 あまりに慌てて、日本語どころか言語にすらならなかった。

「なんやて! なに言うてんねんな?」


藤香の予想通り真っ赤になっている康岳の前で、美乃里はさらに赤くなった。

「ね、ほら。言った通りでしょう。主将って、意外とシャイなんだから」

 藤香が屈託のない笑顔で、腕組みをして大きくうなずいている。

「アホ言うとったらいかんで。いきなりそんなん言われたら誰かて面喰らうやろぅ。キミかてそうやんなぁ、ゴメンな」


 康岳が藤香に向かって抗議しながら美乃里に手を合わせた。

「いいえ、いいんです。写真展を観て二本松さんにお会いしたくてここに来たのは本当なんですから」

「ホンマに? 観てくれたんや、ありがとう。どうやったか感想を訊かせてくれたらもっとうれしいんやけど」


 感想と言われて、美乃里はカーッと耳まで熱くなった。なにしろ感想を言おうにも一枚しか観ていないのだから。

「え、いえ。あの、えと。観て、観てないんです」

「え? せやけど今、写真展観て来たって言うたやんか」

「いえ、一枚の写真に吸い寄せられるように近付いて行って、閉店まで二時間ぐらい見つめてましたから、ずっと。だから、ごめんなさい! 他の作品、観てないんです」

 

 五秒ぐらいの沈黙。

 美乃里は文字通り穴があったら入りたかった。 


「いやぁ、メッチャうれしいなあ」


 康岳の言葉は、ファサッと心地よい毛布のようだった。

 美乃里は身構えていた身体が一気に弛緩して行くのを感じた。堰止められていた血流が五臓六腑を凄い勢いでもって駆け巡っていく。立ったまま立ち眩みを起こしそうだ。

「そんなん言われたらものごっつぅうれしいわ。ホンマありがとう」

「え?」

 なぜそんなことを言われるのかが分からずに美乃里はきっとからかわれているんだと思った。

「本当にごめんなさい! あたし一枚の写真から目が離せなくなっちゃって、他の作品、観てないんです」

 伝わってないのかと、もう一度、同じ言葉を繰り返す。

「うん。せやからうれしいって言うてるやんか」

 いや伝わってはいるようだ。康岳は確かに「一枚しか観ていない」という美乃里の告白に反応しているらしかった。

「ど、うして、です、か」

「え、ナニがや」

 康岳は不思議そうに美乃里を見返す。

「だって、一枚しか観てないのに・・・・・・。自分の作品なら、すべてを観て欲しいって思うのが普通じゃないんですか」

「そうやなぁ、普通やったらそう思うかもしれへんな。でもな俺は『作品展よかったです』っていう百の言葉よりも、キミの『一枚の作品から目が離せんかった』っちゅう言葉の方が何倍もうれしいわ」

「そう? なんですか」

「そらそやろう。俺の撮った一枚の写真が時間を忘れさせるぐらいにキミを感動させた、ってことなんやろ。それこそ俺の本望や」


 ああ、そういうことになるのか、と美乃里はやっと納得した。

「こいつらの言葉はな、どうしてもお義理に聞こえてしまうんや。キミのその素直な感想を聞けただけで、今までのことがすべて報われた。ホンマにありがとう」

 康岳は樫雄と藤香のいる方向を親指で差しながら笑って見せた。


「そやキミ名前なんて言うたっけ? キミにぜひとも松雲写真部に入って欲しいんやけど、あかんやろか?」

 康岳の提案は和みかけていた美乃里を再凍結させた。すぐには何を言われたのか理解が出来なかった。


 美乃里は頭の中で康岳の言葉を反芻する。

「そ、そ、んな、無理っ」

「え、なんでやねんな」

「あたしは感性なんてないし、カメラなんて触ったこと、ないし」

 康岳が美乃里の真正面に向き直る。

「触ったことがないんやったら触ればいいし、俺の写真を二時間も観てくれた人に感性がないなんて信じへんで。ないんやなくて人と比べて大きいか小さいかぐらいの違いやろ。ほんで小さいってことはこの先の伸びシロが大きいっていうことやないか。で、名前は?」

「小西、美乃里、です、けど」

「そう小西さん。俺の写真に感動してくれたジブンの感性は信じてえぇと思う。それに入部希望やなかったら、なんで来たんかな」

「入部希望じゃないんなら、来ちゃいけないんですか」

「そうは言うてないけど。逆に入部希望でもない人間が来るようなとこちゃうやんか」

「そ! それは。ええと、うーん。写真展を観て一枚の写真から目が離せなくなって閉店までいて、守衛のおじさんに追い出される時に『そんなに気になるんなら、高校おんなじなんだから頼んで貰えばいい』って言われて、それもそうかって思って、図々しいかとも思ったんだけど写真部に来たらダメもとで写真が貰えるかと思って」


 エイッとばかり美乃里は開き直って一気に打ち明けた。

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