第10話 私には苦手な人が一人いる
その後、朱莉はテニスサークルの副部長を辞退して、優菜を推薦しなおした。そして、気がかりだった優菜のメイクに対しても、思い切って本人に注意をして、ナチュラルメイクに変えさせることに成功した。
媚びを売るような濃いメイクから解放され、素のかわいさが覗いた優菜は、今では男女から好感を持たれる存在に変わり、水谷と急接近中だ。
全てが上手くいっているようで、朱莉にはまだ苦手な人物が一人いた。
今まで自分の感情を出さないようにしていた癖が出て、始めはなかなか素直に甲斐に甘えられなかった朱莉だが、今は優菜にも負けないくらい、一人の男性に夢中になって、その一挙手一投足を追っていると自分でも思う。
テニスの試合を朱莉の横で応援する長身の甲斐は、会場中見回したって、朱莉の視界に入る男性の中ではダントツにかっこいい。
ゼミで仕事を割り当てる際にも、甲斐はリーダーシップを発揮して、あっという間にみんなを従わせてしまう。そんな甲斐を見ていると、自分が彼女では役不足なのではないかと心配になり、朱莉は周囲の反応を窺ってしまうほど甲斐に夢中なのだ。
ある日、甲斐の運転する車で、ロボット展を見に行った帰り、まだロボットが、完全に人の情緒に対して反応しきれないことを知った朱莉は、あることを提案してみた。
AIの話の方向を誘導する人間とロボットでペアを組ませ、掛け合い漫才のような会話で、介護などの仕事をさせたら病人は楽しいんじゃないかと朱莉が言うと、人件費を節約するためのロボットだから、ペアだと意味がなくるだろうけれど、実現できたら面白うそうだと甲斐は愉快そうに笑った。
近い未来に実現できるように、ロボットの相手に優菜ちゃんをスカウトしておこうと甲斐が言うので、優菜の予期せぬ行動に対応しようとするロボットが、余計に混乱する様子を想像して、朱莉は大声で笑ってしまった。
きっと、それは微笑ましい光景に違いない。
ひとしきり笑った後で、甲斐は車を誰もいない公園の駐車場に止めた。
うちの派遣会社のために考えてくれてありがとうと、甲斐は手を伸ばして朱莉の頬に触れ、慈しむように撫でた。
車内は暗いけれど、頬が赤いことは、手のひらに伝わる熱で分かってしまっているだろう。
甲斐に抱き寄せられ唇が触れる時には、いつも魂まで吸われるように溶けてしまう。朱莉の知らない甘さを引き出すために、あちらこちらに散策する甲斐の手は、少しずつ大胆になっていくようだ。
それなのに、朱莉はラストまで行けないでいる。
二人のつきあいの始まりが、お互いに誤解だらけだったせいで、今はちゃんと理解できているだろうかとか、また変な誤解をさせたり、していないだろうかと慎重になる自分がいる。
こんな素敵な男性が自分をいつまで好きでいてくれるだろうかと不安になり、これ以上深みにはまって甲斐を失うことになったら、きっと耐えられないだろうと、自己防衛の気持ちが働くこともある。
こんなに好きなのに、勇気でないと優菜に話したら、鼻の頭を弾かれた。
「バカね。恋愛に不安はつきものなのよ。全部甲斐さんのものになっちゃえば、不安は甲斐さんが追い出してくれるんじゃない?」
優菜の言う通りかもしれないが、強気な自分はどこへ隠れたのか威力を発揮してくれない。
それどころか大事な時に限って、臆病風が吹き荒れて、なかなか朱莉の中の【小心者】は大きな心に成長しない。
私の中には、まだ克服できない苦手な人が一人いる。
了
心模様はambivalence マスカレード @Masquerade
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