第3話 夜の昼の噂

百羽兎ひゃくわうさぎという24時間営業のレストランは、仙台駅の東口側から少し離れた位置に店を構えている。商業地域として栄えている西口に比べると賑やかさも建物の密度も寂しさを感じざるを得ないが、ここ最近ではチェーンストアやコンパクトで小綺麗なアパートが建ち始め、道路も整備されてきている。それでも、所々に中途半端な空き地が残っているそこに、ポツリと孤立して建っているのが、そのレストランだった。

 暁の家からレストランまで行くのに、日頃はJRを使うのだけれど、今は深夜。当然ながら、終電を迎えている時間である。そのため、レストランまで行くにはタクシーを使う。勿論、料金はアルバイトで溜めた貯金から切り崩したものを使っている。

 スマートフォンでタクシー会社に連絡をして、マンション前まで来るように注文した後、暁は冷奈と並んで、マンション脇の小さな公園のベンチに座っていた。


「暁。はい、アーン」


 羽虫が纏わりつく公園の外灯。夏の夜には不気味さを示す白い傘が、ロマンチックを演出しようと、冷奈の横顔を照らしていた。

カロリーメイトを片手に、全くの無表情で顔を近づけてくる恋人に、暁は間の抜けた表情を向けていた。


「……何してんだ? お前」

「恋人になったらしてみたいランキング上位の行動を実践しているんだけど」

「誰のランキングなんだ? それ」

「私のクラスの同級生たちが言ってた」

「アホに見えるぞ、お前」

「流石学年主席。言うことが違うね」


 悲しそうにも嬉しそうにも無い無表情で呟くと、冷奈は手に持ったカロリーメイトを自分で食べ始めた。ポリポリと口に含みながら「これのどこが美味しいのか、分からないなあ」と独り言を零しては、夜空の満月を見上げている。


(いや、お前が食うなよ)


 冷奈がカロリーメイト買ってきたのは、単にニワカ恋人ごっこがしたいだけだったようだ。食わせる気など、ハナから無かったかもしれない。正確な考えは、恋人の暁にも分からなかった。

その横顔はどこをどう見ても、やはり感情の一縷も表現していなかった。冷奈はそういう子だった。小学校からの知り合いだが、学校でもそれ以外でも、笑ったり怒ったり泣いたりしている場面を見たことがない。中学の頃に告白してきた時でさえも、観葉植物を眺めるような顔で「好きだから付き合って」と言ってのけたほど。その割には、ショートの髪の艶は綺麗な黒の光沢で、前髪を分ける髪留めの色はピンクである。

 見た目には女子らしさはあっても、感情表現が苦手。それが、高松冷奈への評価だった。


「ちゃんと寝てるの?」モゴモゴとカロリーメイトを食べながら彼女は呟いた。「バイトに行くな、とかさ。兄さんの協力費用を使え、とかはもう言わないからさ。寝る時は寝なよ。寝不足で死ぬ人も世の中にはいるんだから」

「死ぬか。俺は鈴の結婚式の日に死ぬって決めてんだ」

「最悪な死に方じゃない」

「馬鹿。妹の至福の時に死ねるんだぞ?」


 さながら世界の秩序でも語っているかのように堂々と顎を上げる暁に、冷奈は鼻から溜息を零すしかなかった。


「あまり無茶はしないでよ。鈴ちゃんが心配するし、前みたいに倒れたりすると私の心臓ももたないから」


 冷奈が言っているのは、二ヶ月前の事だろう。

 下校途中で目眩に襲われ、吐瀉物を撒き散らしながら倒れたのだという。過労が原因なのだと、目を覚ました病院のベッドで医者から聞かされたが、実感は無かった。ただ、一緒に下校していた筈の冷奈が横で静かに手を握ってくれながらも、無表情に「治療代は私が持つ」と言ったのは印象的だった。


「あん時は悪かった。マジでゴメン。次からは自分の治療代は俺が出す」

「分かってないじゃない」

「だから、また倒れたら頼む」

「……そうね。そういう危ない時は、私に連絡して。空を飛んで駆けつけてあげる」


 夜空を見上げると、寝静まっている町のはずなのに、満月も浮かんでやいやしないというのに、分厚い雲の白い腹が見えた。星は見えない。にもかかわらず、吸い込まれそうな不思議な奥行きがあった。

 鈴は、そんな夜が嫌いだと言っていた事がある。


『ゆ、幽霊とか、怖いわけじゃないよ? 私だって、もう立派なレディなんだから! ほら見てよ! このレート! 私、世界ランク1500位なんだから! このネトゲの上位10%以内に入ってるんだから! そんな私が、幽霊とか、お化けとか、プレデターとか貞子とか、信じないのは当たり前なの! ただ私はね、えっと、そう! 静か過ぎると小さな音とかも大きく聞こえるみたいな、そういうのがね────』


 などと、よく分からない言い訳をしたものである。

 暁にとって、夜は馴染み深いものだった。

 昼間はあまりにも五月蝿すぎる。県内トップの高校でありながらも休み時間は喧騒に包まれ、登下校はJRの人混みの五月蝿さが。どれもこれもが頭を痛くする。寝不足には最低最悪の時間帯だ。

 対して夜は静かだ。静かで、そして昼間よりかは涼しい気温の中を、勉強の休憩に散歩するだけで眠気が吹っ飛んでいく。

 どうして世の中、夜を中心に回ってくれないのか。

 コーヒーを口に含んで、苦い香りに鼻腔を遊ばせていると「そういえば」と、冷奈は呟いた。


「知ってる?」


 カロリーメイトを食べ終えた冷奈は、指に着いた粉を舐め取っていた。


「何を?」

「最近、吸血鬼事件っていうのが起きてるんだって」

「は?」


 カフェインを摂取しているとは言え、寝不足の暁には言葉の意味を理解するのに時間が掛かってしまった。


「だから、吸血鬼事件」

「……おう。そうか」


 疲れ切った脳が出した答えは、いい加減な反応をする、という効率的なストレス回避だった。

 淡白な暁の反応に、冷奈はしかし「そうなの」とそれ以上に淡白に頷いた。


「あ、言っておくけど殺人事件だから。人がね、急に行方不明になって。ふっとある日に道端で転がってるんだって」心無しか、冷奈の声が低くなっているような気がした。「血を吸われたみたいに体全身から血を抜かれて。子供とか大人とか、色んな人が十何人も。ニュースにもなってる。本当に知らないの?」

「お前の作り話だろ?」

「嘘のような本当の話」

「世にも奇妙な話だな」

「冗談は止めて。私は真剣に話しているの。人が、死んでるの。この街で、何人も」


 冷奈の黒い瞳が、眼鏡に触れる程にまで近づいてきた。

 ああ、またか? と暁は呆れて息を零してしまいそうになる。

 無表情の彼女の顔は、言葉以上に何も語ることはなく、淡々と言った。


「今日は、暁が死ぬかもしれないよ?」


 寝不足だから、なのか。

 鈴の叫ぶ姿を見てしまった夜だから、なのか。

 カフェインが未だ行き届かない脳が出した結論は、シンプルだった。


「俺は、今から、バ・イ・ト、なんだ。分かるか? 金を稼がなきゃいけないんだ。休んでられるか」


 自分たちには、まともな身寄りがいない。ましてや、まともな人間でもない。鈴に至っては、奇病の後遺症で、身体機能の殆どが失われている。

 下半身は動かず、味覚と嗅覚も機能していない。視力も、ずっと悪い。

 いつどこで発作が起きるかも分からない。

 そんな状態で、どうやって妹は生きていかなければいけないのだろう。

 答えは、そう、やはりシンプルなのだ。


「端金の為に働くなんて、馬鹿みたい。1時間で千円稼ぐよりも、偏差値を1上げる方が市場レートは高いのに」

「何度も言うけどよ」暁は立ち上がりながら呟いた。「黒曜さんからの協力費用は、俺が名門大学に入学できず一流企業に入社できないで大した金が稼げなくなった時の保険として手を付けていないだけだ。その為にはだ、協力費用を減らさないようにしなきゃいけねえんだよ。そして俺は、バイトしながらでも偏差値を上げる事が出来る」

「安心して。貴方がろくでなしになっても、私のヒモになれば万事解決よ」


 くだらない冗談を冷奈が言うのと、タクシーが到着したのは、ほぼ、同じタイミングだった。

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