6-4.拷問



「ぎゃああああああっ!!」


「あーもう叫ぶなし。つっても無理だろうけどー」


 中指の爪まで飛ばされ、さらなる痛みに悶絶する。目の前の女は無責任にも耳を塞ぎ、僕の苦悶に満ちた悲鳴を聞かないようにしていた。聞きたくないから最初から剥がすなって話だ。


「落ち着いたら話せよー。いちお、消毒しといてやっから」


「いでででで! 痛い痛い!」


 僕の手に乱暴に消毒用アルコールがかけられる。優しくしたいのか拷問したいのかどっちなんだこの人は。でも染みるからこれすらも拷問にしか感じない。


「はぁ、はぁ……僕の話も、少しは聞いてくれないかな?」


「いいよー。聞いてやる。嘘つかないんならね」


「なんでそんなに僕を信じられないの?」


 まずは会話だ。暮奈さんの犯罪者対策の一つ、「逃げられないならとにかく会話で時間を稼げ」だ。その際なるべく相手を刺激しないようにしないといけないって言うのも教わっている。

 しかし僕の意図とは裏腹に、その言葉は彼女にとって地雷だったようだ。憎しみを込めた表情でこちらを睨みつけ、呪いの言葉を吐く。


「なんでもなんもねーだろ! 親も友達も私を裏切った! 信じてたのに、肝心なところで全部ひっくり返した! どんなに仲良くてもそうなんだ、初めて会った相手の事なんか――信じられっか!」


 再び爪剥ぎ器具に拳が振り下ろされる。今度は薬指。三度降り注いだ痛みに絶叫する僕に対して、尚も憎しみを込めて睨みつけてくる。


「あーもううっせーな! ちっと黙れや!」


 苛立ちを隠そうともせず僕の腹部に蹴りを入れてきた。でも爪を剥がれる痛みに比べれば全く痛くない。ただ鬱憤を晴らしたかっただけなのだろう。


「はぁ……少し外すわ。その間、自分の身の振り方を考えときな」


 蹴りを入れたことで少し冷静になったのか、それともまだ頭に血が上っていて、冷静になるために外の空気を吸いに行ったのか。僕をそのまま放置して、その女は部屋の外に出て行った。

 一人になったところで考える。脱出手段なんて最初から無い。僕が暮奈さんから教えられていたのは捕まらないための方法だし、指先一つ動かせない状況で取れる手段なんて何もない。


 ならやっぱり交渉しかないんだろう。彼女にとって、何が地雷なのかはよく分かった。彼女は何らかの理由で、親や友達に裏切られたんだ。だから人が信用できない。

 それでも僕の事を信用してくれ、なんて白々しいセリフが自分に似合わないことはよく分かっている。あのリュックを見られたならノコギリとかバールとか、果ては暮奈さんの警棒も見つかってるはずだし。


 そんなに武器を運んでおいて信用しろなんてとても言えない。じゃあ、一体何をすればいいのか。何を話せばいいのか。煙に巻くだけじゃだめだ。彼女にとって建設的な――その上でもう少し時間を稼げる話を。

 思考がまとまったところで丁度ドアが開き、彼女が戻ってきた。


「戻ったわー。少しは話す気になった?」

 

 もしかしたら暮奈さんが助けに来てくれたかも、なんて一瞬だけ考えたが流石にそんなに都合のいい事は無かった。暮奈さんを足止めしてるヤツは相当優秀な人間らしい。

 一縷の望みを諦めて、僕は最初に言うと決めていた言葉を言う。


「うん、話すよ……」


「お、ラッキー。やってみるもんだね拷問って」


 おそらく今の言葉すら全く信用されていないだろう。このまま関係無い話を始めようものなら小指の爪まで飛ばされてしまうに違いない。

 だから僕は、彼女にとって建設的な話をする。


「僕たちは三人でここに来た。さっき言ってた、叫びながら走ってた女っていうのが暮奈さん。そしてもう一人折人ってヤツがいる」


「ふんふん、それで?」


「そいつは機械に強くてね……変な機械とかごちゃごちゃ持っているから、暮奈さんの次に危ないのはアイツだよ」


「はい嘘ね」


 ダン、ともう一度激しい音が響く。僕の小指にセットされていたそれは、四本目の爪を僕から奪い去った。


「ああああああっ!」


「あーあ、小指の爪は柔らかいから剥ぎにくいってマジだったんね。半分しか飛んでないじゃん」


 目の前の女が、そんな呑気な事を言う。

 そんな事より、こんな痛みより、大事なことがある。

 ――なんで、今の話が嘘だと思われたんだろう。

 仮に彼女に嘘が分かるような技術があったとしても、僕は今事実しか語っていない。多少大げさに聞こえるように言ったかもしれないが、変な機械を持っているのは本当だし、暮奈さんの次に警戒するならアイツだ。


「三人なんて居ないって。私はワケアリでこの街の幽霊みたいな人と話が出来んの。アンタとその女以外、どこにも見つかってないよ?」


「……え?」


 二重の意味で、僕は驚いた。確かに僕に襲ってきた幽霊は確実に意思をもって僕を襲ってきていた。だからそれをけしかけたのが彼女だというのは合点がいく。

 でも、それなら尚更――なんで折人が見つかってないんだろう。あれだけ街中に人が居たのに、偶然アイツだけ見つかってないなんてそんな事ありえない。


「はい、次嘘ついたら左手から爪が無くなるよー」


 彼女は、そう言いながら最後の親指に器具をセットしようとする。親指は他の指と角度が違うので、上手くセット出来ずに苦戦していた。


「あー、いいや。次右手ね」


 だけど諦めは早かった。相当短気な性格らしい。宣言通り右手の人差し指に改めて爪剥ぎ器具がセットされた。

 でもさっきの話で少しだけ希望が見えた。僅かな可能性だけど、掛けてみる価値はあるかもしれない。


「ごめん、消毒してくれないかな……」


「あー、薬指と小指がまだだっけ? ホイ」


「いででででででっ!」


 また雑にアルコールがかけられる。本当に悶絶する痛みだけど、これでも少しは時間を稼げる。時間さえ稼げば、まだ救いの道があるはずだ。

 なるべく長く痛がるフリをして、話せない自分をアピールする。少しでも時間を稼ごうって算段だ。本当に自分が出来る事なんて何もないな、と改めて実感し始めたその時。 

 ――外から突然大きな音が響いた。何かの警報のように単調で冗長な音が続いた後、同じ音量で機械的な声が響く。


『警報、警報。富士山の噴火が観測されました。この警報は避難区域に該当する街に流されます。手荷物など持たずに、直ちに非難をしてください。繰り返します。富士山の噴火が――』


「はぁ!? 噴火!?」


 テレビの映像で見た昔の防災無線のような――そんな無機質な避難命令が突然響いてきた。

 この世界で噴火なんて観測されるはずがない。自動的に観測するシステムだとしても、電源が生きていない世界でそれが正常に作動している筈がない。

 ただし、「富士山の噴火」という単語はこのあたりに住む人間には特に敏感に反応してしまう内容だったらしい。日常的にその山を見上げて過ごしている人たちは、それが噴火したらどれほど恐ろしいかも理解している。

 そんな事実を告げられて、冷静な思考なんて出来るはずもない。彼女は取り乱した様子で何も持たずにすぐに駆け出した。


「わりーな、アンタを開放してる暇なんてねーわ!」


 そう言って彼女は部屋の出口まで全力疾走し、バタバタと急いで出口のドアを開けた。その時――


「ハイ、スーパーアイドルORITO様の登場だゼ」


 ――ドアの向こうに、自称スーパーアイドルの男が立っていた。居るはずのない人間の姿を見た衝撃と緊急時の焦りで、彼女の動きが一瞬停止する。その一瞬だけあれば、は相手を無力化するには十分すぎる効力を発揮する。


「ごめんナ」


 そう一言謝った後、折人は彼女の首筋に当てたスタンガンのスイッチを入れた。



 ……



「うっわ、ひどい目に逢ったナ。遅くなって悪かった」


「いいよそんなの……結果的に助かったから。ありがとう」


 その後すぐに、折人が僕を縛っている縄を外してくれた。ついでにその縄で女子高生を縛っていく。女子高生を縛るって言うとすごくいけない表現に聞こえるけど、それ以上の表現のしようがない。


「それで、折人。答え合わせが欲しいんだけど」


「なんの事カナ?」


「しらばっくれないでよ……あ、ごめん先にそこの救急箱取って」


「あいよ~」


 人を縛ったことなど無いのだろう。折人はどう縛ればいいのか少し手こずっていた様子だった。それなら自分の手当てくらい自分でしようと思い、救急箱を取ってもらう。


「悪い。本当なら手当ても俺がしてやりたいけど、先にコイツ縛らなきゃ」


「うん、消毒は済んでるし包帯はなんとか自分で巻けるよ」


「消毒は済んでる? どゆ事?」


「なんか、消毒だけしてくれたんだよ。嫌がらせなのか優しさなのか分からないけど」


「変なヤツだナ……」


 そこは僕も同感だった。いい人なのか悪い人なのか判断がつかない。

 手こずりながらも何とか折人が女を縛り上げている間に、僕も何とか自分の指に包帯を巻き終わった。


「いててて……これ治るのかな……」


「時間はかかるが治るらしいゼ。なんかの本で読んだ」


「なんの本読んでるんだよ……」


 左手の痛みが消えたわけじゃないのでツッコミにも力が入らない。だけどそんな事よりも、大切なことが他にある。


「で、どうやったのさ? この人は『幽霊が折人を見てない』って言ってたけど?」


「幽霊って、あの見えない人の事だよな? この女、あいつらと意思疎通出来るのかヨ……警戒しといてよかったゼ」


「警戒?」


「ああ、俺は慎重だからナ。念のため、幽霊の視界に入らない位置を計算して動いてたんだ。あの幽霊たちはどう見ても一般人だったし、軍人みたいに警戒するのに慣れてるわけじゃないだろ。その点は割と簡単だったぜ。そして、万が一アキラが捕まった時の為に真っ直ぐ役所に向かった。後は分かると思うけど、防災用のシステムにハッキングして、俺の方でボタン一つで鳴らせるように仕組んどいたんだ」


「ハッキングとか簡単に言うね……」


 役所のシステムなんて簡単に侵入できるものじゃないと思うけど。そんな離れ業をやってのけるのが茶倉折人という男なのだろう。やっぱり暮奈さんの次に敵に回しちゃいけない人間はこいつだ。


「ま、そう難しくもねぇんだヨ。お役所仕事って言うだけあって、外側からの侵入には厳重だけど中のパソコンさえ弄ってしまえば案外簡単なことも多いゼ」


「そんなもんなんだ」


 いやそんなもんじゃないと思うけど。そこに口を出しても仕方ないので、その先を聞く事にする。


「それで、どうやってこの場所が分かったの?」


「ああ、それがすげぇんだヨ。見てくれこれ」


 折人は懐から、手の平くらいの大きさの機械を取り出した。傍目からは何の機械なのかは全く分からない。画面の中には緑色の点がいくつか点滅している。ド〇ゴンレーダーかな?


「この機械は、ざっくり言うと磁場の変化に反応するようになってる。この点がそうなんだけど、確認したら丁度あの幽霊達がに磁場が大きく歪んでるって事が分かったんだ。つまりあいつらの足跡みたいなもんだナ」


「へぇ、そんな事が……」


「んで、その足跡を辿ってたらこの場所にだけ何人も通った後があったんだ。そりゃもう異常な人数だったゼ。後はバレないように屋内に侵入したところで、アキラの悲鳴を聞いた」


 なるほど。そうやってここまでたどり着いてきてくれたのか。改めて、頼もしい仲間に恵まれたな。頭を使うのは折人、体を使うのを暮奈さんが担当すれば、このメンバーは割と何でも出来る気がする。


「あ、後はあかりちゃん迎えに行こうぜ。コイツ起こせばどこに居るかも分かるんダロ?」


「うん、そうだね。起きるかな?」


「起こすんだヨ。スタンガンの電圧調整して……っと」


「え、うそ」


 折人は躊躇なくスタンガンを女の顔面に押し当て、スイッチを入れた。電圧を調整したって言っても痛いのには変わらないと思うんだけど。


「ぎゃあ!」


「お、起きたナ。おらあかりちゃんのトコに案内しろや」


 無理やり起こした上に蹴りまで入れた。そこまでしなくても。何の恨みがあるって言うんだ。


「あるゼ。アキラをこんな目に逢わせたんだ。これでも足りないくらいだヨ」


 あ、そういう理由なのか。思ったよりも僕の事を考えてくれているらしい。そんな風に言われるとちょっと照れ臭いな。

 一方無理やり起こされた女は、折人を見た途端に文字通り飛び上がって驚いた。そしてそのまま後ろに倒れて尻もちをつく。


「え、あの……ええ!?」


「なんだヨ。俺の顔になんか付いてる?」


「お……ORITO様? 本物、なんですか?」


 女の態度が急にしおらしくなった。敬語まで使っちゃってまぁ。

 僕はそこで折人がアイドルだったという事をようやく思い出した。そうか、やっぱりアレ嘘じゃなかったのか。

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