6-3.攻防



 僕が意識を失うよりも少しだけ時間は遡る。

 僕ら二人と別れた暮奈さんは、警察署やスーパーなど比較的大きい建物があるエリアを捜索していた。機動力が一番ある人が大きい建物を探した方が良いという判断だ。


「うっし。ここには誰もいねーな……っつっても幽霊みてーなのを除いて、だが」


 彼女は自分の発言に自分で違和感を感じていた。幽霊の人たちを人間としてカウントしないのは彼女にとってはどうしても不自然だったのだ。

 この人たちは、生気を失った顔はしてはいても普通に動くことも歩くことも出来る。おそらくは聞こえないだけで喋る事も出来るのだろう。それはもはや、自分達と何の違いもない人間というわけで――


「あほらし。ヤメだヤメ。今は余計なことを考えている場合じゃねー」


 浮かんでいた暗い考えを追い払い、自分の中で無かった事にする。冷たいのではなく、あくまで優先事項の問題だ。自分たちだけでも生き抜くのに必死なのに、他の人間に構っている余裕は今は全く無い。探索の為に住居侵入を黙認しているのも、余裕が無いからだ。


「さて、と。ちょっと飛ばすか」


 そう言ってから、彼女は走り出す。なるべく音を立てないように気を使ってはいるが、そんな繊細な動きが出来るとは彼女自身思っていない。

 だから多少の物音を気にも留めずに、手際のみを重視して建物の中を捜索していく。机を飛び越え、ドアを蹴破り、乱暴に駆け抜けて行く。その探し方は決して最適とは言えなかったが、間違いなく最速ではあった。


 そうして火事場泥棒とも見紛う乱暴な捜索は続き、次に彼女が目を付けたのはスポーツジムらしき建物だった。

 看板を一目見ただけで特に関心は示さずに中に入る。一先ず近いところから捜索しようと、トレーニングルームに入ったところで分かりやすい異変を発見した。


「……また厄介なモンが居やがる」


 彼女が目にしたのは部屋の一角に吊るされているサンドバッグだった。正確に言えばその少し手前で、あろう事かサンドバッグを幽霊の姿だった。


「ゴーグルを外すと見えないっつー事は……他と同じだよな」


 肉眼で見えない所は他の幽霊と同じだった。しかしその幽霊は、サンドバッグを何度もその拳で殴打している。殴った時の激しい音も響いているし、何よりサンドバッグ自体がその殴打に合わせてゆらゆらと揺れ動いているのだ。


「物を殴れる幽霊、か。意味わからん。こりゃ撤退だな――って、うおっ!」


 彼女は、それが自分に解決できる問題ではないと即座に判断した。その判断は正しかったが、少しだけ決断を下すのが遅かった。

 サンドバッグを殴っていた筈の幽霊はいつの間にか近くまで来ており、突如その拳を振り上げて殴りかかってきたのだ。


「あぶねーじゃねーか! やんのかコラ!」


 恫喝するも、相手は意に介していない。それどころか、嬉しそうな笑顔を浮かべている。まるで、暮奈さんが不意打ちにも近い攻撃を回避したことに喜びを感じているようだ。


「やる気満々って事か――上等!」


 暮奈さんも即座に戦闘態勢に入る。すぐに相手も二撃目を放ってくるが、これを危なげなく回避して反撃に出た。


「食らえやオラァ!」


 彼女の拳は相手の顔面を捉える。しかし、当然の話だがそこに感触は無い。ただ顔のある位置を通り抜け、ひやりとした感覚が拳に伝わってくるだけだった。


「チッ! やっぱ効かねーかこんなん……ぐッ!」


 だがそれは暮奈さんも理解はしていた。その上で確認のために殴ったのだろう。しかし相手の幽霊もそれは理解していたようだ。拳が空振りして空いた彼女の右わき腹に向けて、すかさずフックを打ち込んできた。

 防御が間に合わずよろける暮奈さんに、更に追い打ちがかけられる。幽霊はそのまま彼女の顔面に右ストレートをお見舞いし、彼女の体は後方に飛ばされた。


「が、はッ! ……くそっ!」


 一瞬地面に倒れこんでしまったが、回転しながらすぐに立ち上がる。そしてダメージによって噴き出した鼻血を強引に拭い、すぐに体勢を立て直した。


「あーあー、こりゃまた骨のある相手だな……」


 目の前に対峙した相手を見る。暮奈さんも女性にしては長身ではあるが、相手は彼女よりも更に一回り分大きい。その上、鍛え上げられた筋肉は人を殴ることに適した成長の仕方をしていた。


「服装もそうだし、グローブなんて付けてやがるし……どう見てもてめー、ボクサーだな。いいのかよ、プロが素人を殴って?」


 その問いかけに、幽霊は何も答えない。ただただ笑顔でこちらを見続けている。その表情は、完全にこの状況を楽しんでいるように見えた。


「話が通じるとも思ってねぇけど、多分お前とは生前も話が通じなかっただろうな。いいぜ、とことんやってやろうじゃねぇか!」


 言いながら幽霊に向かって突撃する。当然、彼女も何も考えていないわけではない。一度やられた経験から、攻撃が通じないことなど理解している。

 それでも自分から突っ込んでいったのは、相手の攻撃を誘導するためだ。

 突っ込んできた人間を迎え撃つのに余計な技術は必要ない。ただ相手の居る位置に拳を合わせるのみ。その上、幽霊には自分に攻撃が当たらないという自負があった。それなら防御なんて必要ない。ただ真っ直ぐに、愚直に――力いっぱい拳を振るうだけでいい。

 そんな事は分かっている。分かっているならば、そこを狙えばいい。


「お、らぁ!」


 全霊の力を込めて暮奈さんの拳が振るわれる。その狙いは相手の顔や胴体ではなく――拳。


「――っ!」


「っしゃあ! 当たった!」


 幽霊が初めて驚いた顔をした。何か言っているようにも見えたが、その声は当然聞こえない。対照的に暮奈さんは、自分の作戦が上手くいった事に喜びの声を上げた。


「そりゃそうだよな。こっちを殴れるって事は、その瞬間お前は間違いなくアタシに。それは当然一方的なものじゃねー。まー元からオカルトだから一方的な可能性もあったが、そうじゃないみたいで安心したぜ!」


 拳を抑えながら驚いた顔でこちらを見る幽霊に対して、自分の作戦を明かす。しかし、彼女にも最初から確信があったわけじゃない。彼女にとっては上手くいこうがいくまいがどちらでも良かったのだ。いつもの彼女の、いつもの作戦。すなわち――ぶっつけ本番のガバガバ戦法だ。


「ボクシングなんてよく知らねーけど、2ラウンド目はアタシの勝ちってとこか? こっからが本番だ。どっちの拳が先に潰れるかの根気比べ、行くぜ幽霊ヤロー。3ラウンド目、開始だ!」


 彼女の慟哭が、静かなスポーツジムの中に響き渡った。



 ……



 一方、少し時間が進んで現在。

 意識を失った僕が再び目を覚ました時には、広い部屋の中で椅子に縛り付けられていた。


「……椅子に縛られるのは二度目だな」


 二度目ともなると、なんとなく冷静になれた。前回と体勢も違うし、椅子も手すり付きの物だったけど、この状況がどうしようもない事だけはすぐに理解が及んだ。


「お目覚めー? ちょっと待っちー。今アンタの荷物確認してっから」


 暗くて見えにくいけど、奥の方に誰かが居るのが分かる。声からすると若い女性の様で、なんとなくだけどギャルっぽい話し方だから女子高生なのかもしれない。その女が僕のリュックを探っているのが何となく分かった。


「うぇ、アンタなんでこんなモンもってんの? 気持ちわりーヤツ」


 何のことを言っているのか分からない。人から見れば変な物なんて大量に入っているし、ここからじゃ角度が悪くて何を持っているかもよく見えない。


「あーもう、めんどくさ。こんなくそ重たいリュック運ぶなんてアンタ頭おかしんじゃね? ヤメヤメ、直接聞いたほーが早いっしょ」


 僕のリュックの調査を文字通り放り投げて、その女は僕の元に歩いてくる。ようやく見えたその全貌は、やはり僕と同じくらいの年齢だった。どこかの高校の制服を着ており、長い金髪を左右で二つに縛っている。完全に個人的な感想だけど、全然似合っていない。

 その女が、僕を見下ろしながら詰問してきた。


「で? アンタらの目的は何なん?」


「目的って……生き残りを探すことだけど」


「探して何? 殺して回るの?」


「え、ころ……え?」


 殺すって、何を言ってるんだ。こいつの方が僕を殺そうとしてるんじゃないのか。というか、今にも殺されそうな剣幕なんだけど。


「しらばっくれんな! さっきアンタの仲間の女が、すげー形相で叫びながら走ってきたじゃんか! あれで敵意が無いって方が無理あるっしょ!」


 あー、なるほど。そういう事か。今ので解った。

 どうやらこの人は元から悪い奴ではないらしい。だけど突然雄たけびを上げて暮奈さんが走ってきたから、それに驚いてしまったという事だろう。

 それで、どうやったのかは分からないけど幽霊を操り、僕の意識を奪って拉致したと。そういう事なんだろう。


「あのさ、僕らに敵意は無いよ? あの人は悪い人じゃ……無いかどうかは微妙だけど、実は優しい人だし――」


「言い訳すんな!」


 僕の言葉を遮り、女が吠える。完全に聞く耳を持ってくれないようだ。どうしよう、こういう交渉みたいなのは得意じゃないんだけどな。

 僕が悩んでいると、その女は懐から何かの金具を取り出した。その器具は先端が小さな鳥の嘴のようになっていて、持ち手に向かってハサミのように開いた形状になっている。先端の形状以外は大きい爪切りのようにも見えた。


「それ、どうするの?」


「アンタの爪を剥いでやる」


「……爪? え?」


 僕が混乱している間に、女はその器具を僕の左手の前にセットする。よく見れば僕の手は指先までしっかりと固定されていて、少しも動かせる気配がない。

 さながら、抵抗無く爪を剥げるように固定されているような――


「……嘘だよね?」


「嘘でも冗談でもないよー。アンタと違って私嘘つかないし。早く吐かないと、一つずつ爪を失う事になるから早めに吐くのがオススメって感じ」


 この女子高生は人の爪を剥いだ事でもあるのだろうか。僕の目の前であまりにも手際よく準備が進められている事に恐怖すら感じる。


「じゃ、さっさと吐こう。ね?」


「いや、だからそんなこと言われても――」


 ――嘘なんかついていない。そう言おうとした瞬間だった。

 ダン、という大きい音が聞こえた。

 見ると、女が器具の上に拳を置いていた。置いてあるという事は、振り下ろしたという事。

 左手の爪を見る。

 ――人差し指の爪が剥がれて飛んで、ピンクと赤が混じった肉が露出していた。


「ぎゃあああああああああああああ!」


「おー、思ったより綺麗に飛ぶねこれ。マネキンで散々練習した甲斐があったわー」


 叫ぶ僕と、対照的に冷静な女子高生。

 なんでこんな事が平気でできるのだろうか。ただの女子高生じゃない。まさかこいつも、何かしらの犯罪者だったのだろうか。


「失礼な目で見てんねー。私、これでも実際にやるのは初めてなんよ? ただこういうのに興味があって、調べまくって、調べまくって、人形とかで試しまくって試しまくって……そんで何となくやり方分かってるってだけ。器具は裏サイトの通販で手に入れただけだし」


 犯罪者ではないけど、犯罪者予備軍って所か。でもそれにしては淡々としすぎじゃないだろうか。そんなに興味があったなら初めての実践にもっと高揚してても良いと思うのだけど。


「いやー、思ったより楽しいもんでも無いねこれ。悲鳴とか聞いてても良い気しないしさ。もうやりたくないから早く本当の事言ってくんね?」


 なるほど、そういうパターンもあるのか。ただ行為のみに興味があって、実践すると冷めてしまうというパターン。さっき考えたことは撤回しよう。

 だけどそれなら交渉の余地もあるんじゃないだろうか。痛みに堪えながら、なんとか言葉を絞り出す。


「やりたく、ないなら……やめてくれないかな……」


「いやそうはいかないっしょ。こっちだって危ない橋渡ってんの。あの人があの女を食い止めてる間になんとかしないといけないんだから。だから時間もねーのよ」


 あの女っていうのは暮奈さんの事だろう。つまり暮奈さんも僕と同じように捕まっているわけじゃないって事か。それなら、僕に出来る事は暮奈さんを待つ事だけ。自らヒントを与えてくれるなんて何を考えてるんだろう。


「考えてること分かるよ。耐えればいいって思ったっしょ? そうはいかないって言ってんで――しょっ!」


 ダン、と激しい音が響いて、僕の二本目の爪が飛んだ。

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