4-1.愛深き女


 ――ハロー、ワールド。今日はちょっと雨模様。こんな雨の日にはあの日事を思い出す。暮奈さんと出会ってから最初に会った生き残りの話。誰よりも愛が深くて、誰よりも愛に飢えていた女の人の物語。あの人の愛を満たす事は、きっと誰にもできはしないだろう。そういう意味では、これも失敗の物語。僕にはどうにもできなかった愛の物語のはじまり、はじまり――



 …………



「三……」


 僕は今、とても大切な局面に立ち向かっている。


「二ぃ……」


 ある意味僕の生きる意味をかけた、とても大切な勝負。


「いち…………」


 この勝負、負けるわけにはいかない!


「ゴーッ!!」


「ふんっ! ――あ痛っ!」


「よーぅし、またアタシの勝ちだな!」


 ガッツポーズをとる暮奈さん。その様子を僕は恨みを込めて睨みつけた。


「強っ! 明らかに前より強いよ暮奈さん! さては前回手加減した!?」


「知らねぇな。お前が弱くなったんじゃね?」


「そんなわけないでしょ! 毎日筋トレしてるんだから!」


 ――全くこの人は。どこまで行っても底が見えない(筋力的に)。

 さて、僕らがしていた事。

 もう何となく分かったかもしれないけど、ずばり腕相撲である。

 僕がしっかり動けるようになり、筋力に回復の兆しが見えてから、定期的に開催されるこの腕相撲勝負。

 冷静に考えると相手は大人だし、ただでさえ運動していなかった僕に勝ち目なんかあるわけがない。

 だから勝負と言われても、普段の僕なら最初から勝つ事を諦めて望んだだろう。

 でも、僕が勝負に熱くなるように毎回この人は言葉巧みに僕を煽ってくる。

 毎回それに乗せられる僕も僕だけど、どうやら負けた事で僕に屈辱を与えたいらしい。

 それだけ聞くとすこぶる性格が悪い奴だけど、ちゃんと筋トレのモチベーションを上げる事に繋がっているから文句は言えない。


「いーや絶対サボってるね。回数を誤魔化したりしてるね。アタシには分かる。数えてねーからわかんねーけど」


「適当じゃん! 言いがかりじゃん!」


「負けてる内は何も言えねーぞ? アタシに勝てない限りは永久にサボリ魔の称号を与えてやる。やーいサボリ魔ー。人類最悪のサボリ魔ー」


「そりゃ僕らの他に人類が全然いないからでしょ!? ああもう、くそっ!」


 悔し紛れに腕立てを始めた。目の前でやればさすがに認めざるを得ないだろう。


「ん、せいぜいテキトーに頑張ってくれ。アタシはその辺ブラついてるから」


「敗者には興味なし!?」


 酷過ぎる。っていうかこれもう趣味でからかってないかこの人?

 興味を無くしてどこかに歩いて行ってしまった暮奈さん。

 対照的に、意地になって腕立てを続ける僕。

 そんな僕らが今居るのは、あの人形遣いの家では無い。

 あの家があった町から見て、二つ程県境を跨いでいる。

 そして今は、僕がきちんと動けるようになり、暮奈さんと一緒に旅をする事になってから三週間が経過している。

 最初は大変だった。

 やはり価値観の違いというのは大きいもので、僕らは色々な問題に直面する事になる。


 最初にぶつかった問題は、寝床の問題だった。

 誰も居ないとはいっても、「所有者が居る住宅に入るのは住居不法侵入だ」と暮奈さんが納得してくれなかった。

 なので、近場のスポーツ品店で簡易テントを入手。もちろんお代は置いていき、そのテントで寝泊まりすることになった。食料の調達でも代金を置いていくことを考えると、すぐに財布が空になりそうな気もするけど。

 ちなみに持ち運びは僕の担当。これも筋トレだとかいう理由で、ただでさえパンパンのリュックに無理やり簡易テントを括り付けられた。


 次にぶつかったのは食べ物の問題。ただでさえ飽きてきた保存食ばかりの食事に、暮奈さんが口を出してきた。


「お前こんなもんばっか食ってたのか。そりゃそんなナヨナヨにもなるわ」


 ナヨナヨなのは食事内容とは関係ない――と反論しようとしたけど、その後すぐに調理器具を買いに行った暮奈さんを見て言うのはやめておいた。

 なんと暮奈さんは、意外な事に料理ができるらしい。


「簡単なモンだけだけどな。つーか意外ってなんだ。お前を看病してる間、喉に良い物とか栄養ある物とか、わざわざ作って飲ませてたんだぞ?」


「そうだったんだ……すぐに喋れるようになったのもそのお陰なのかな?」


「さあ? それは分からん。本見ながらテキトーにやっただけだし」


「自信満々に言っといて分かんないの!?」


 そんな会話もしながら、有り合わせのもので料理を作ってくれた。野草図鑑を見ながら食べられる野草を採ってくる程の凝りようだった。

 そして、余った野草やら図鑑やら調理器具類も僕のリュックに詰め込まれた。


 最後に、体力の問題。

 暮奈さんは体力までも化物で、足場の悪い中をスイスイ歩いていくわ木に登って周りを確認しに行くわでまるでついて行けなかった。

 そこで、暮奈さんと僕は基本的に別行動を取ることにした。

 僕が直進で進んでいる間、同じ方向に暮奈さんがジグザグに進んでいく。たまに合流しながら、お互いの見つけたものを報告する。

 そうする事で、探索範囲が劇的に広がった。ただし、暮奈さんが行動しやすいように荷物類はほぼ預けられた。

 

 色々あったけど、なんとかここまで二人旅を続けている。

 二人しか居ないんだから、余計な事で喧嘩はしたくない。そこだけはお互いの共通意見だったからだ。

 それと、二人旅になった以外にもう一つ変わった事がある。

 それは、筋トレが僕の日課になった事。

 半分は暮奈さんにやらされてるところもあるけど、何も最初から無理やりやらされているわけじゃない。


 これは僕が生き残るために、自分で決めた事だ。

 そもそも最初から考えが甘かったんだ。

 生き残りを探す、という目的はまだ良かったけど、圧倒的に想像が足りてなかった。

 この世界で生き残っている人間は、ほぼ間違いなく「人間の死」を本気で願ったような人達だ。

 そんな事考える様な人間に、悪人が居ない筈が無いじゃないか。


 最初に出会った少女も、シスターの白亜さんも、浮浪者の丑屋さんも――たまたま良い人に出会っていたに過ぎない。

 そう考えれば、自衛の手段はいくらあっても足りないくらいだ。

 だから、せめて筋力はつけておこうと考えて、暮奈さんにも特別に筋トレのメニューを組んでもらって今まで続けている。


「九十九……百ッ! はぁ、はぁ……ちょっと休憩……」


 今日のノルマを終え、木の根の上に座り込んで休憩する。

 腕立てなんて最初は十回も出来なかった。

 あんな物、筋肉自慢がやる運動だと思ってたくらいだ。それを考慮すれば百回でバテているのは決して大袈裟じゃないと言えるだろう。むしろ進歩している。


 そんな事を考えながら息を整えていると、唐突に僕の目の前に――金属が見えた。

 比喩でも何でもない。いきなり目の前に金属の板が現れたのだ。

 それがナイフだと頭で理解する前に、僕は横向きに体を倒してそのまま地面を転がった。

 一度変質者に捕まった事によって、異常な事態には敏感になっているみたいだ。

 それに暮奈さんにも色々護身術を叩き込まれていた事で、なんとか回避が間に合った。

 多分、もう一度同じ動きをしろと言われても二度と出来ないだろう。


「――あらぁ、いい動きをするのねぇ」


 ナイフの持ち主が口を開く。

 腰まで伸びた長い黒髪で顔は半分くらい隠れているが、ニタリと笑ったその顔はどう見ても正常な人間じゃない。更に全身を黒で統一した服装が変質者度を加速させている。


 ――どうやらまたしても変な生き残りに出会ってしまったみたいだ。

 こういう相手に出会った時の僕の行動は、最初から決まっている。

 逃げる、その一点のみを考えながら、時間稼ぎのために声をかけてみた。


「バランスを崩して転んだだけだよ。その手に持っているのはナイフだよね? 出来ればしまって欲しいんだけど」


 こういう相手には、まずは油断させるのが大事だと暮奈さんには言われていた。

 でもそれは最初の時点で失敗している。初撃を回避した時点で、不意打ちにも対応出来るやつだと思われてしまっているだろう。

 なら何とか隙を作るしかない。それを期待して会話に持ち込もうとしたわけだ。


「バランスを崩したにしては見事な受け身だったわよぉ? あとナイフはダメよ。ちゃんと持ってないとあなたを愛せないじゃなぁい」


 話し方がどことなく妖艶だが、それも僕には不気味にしか映らなかった。


「……愛す? 殺すの間違いじゃないの?」


 なんとか平静を装って話を続ける。

 今は僕を手練れだと勘違いしているから襲って来ないだけだ。隙を見せたら殺される。


「あら、ごめんなさぁい。私にとってその二つは同義なのよぉ。相手の命を奪うという事は、その相手は私に全てを奪われたという事。身も、心も、心臓もぉ」


 何を言っているのか分からない。分かりたくもない。

 会話を続けながら、気づかれない様にポケットに手を伸ばす。

 これがあれば、なんとか――逃げれるはず。


「そんな一方的なものが本当に愛なのかな? もっとお互いをよく知ってから――」


「もういいわぁ」


 僕の話を遮って、女はナイフを構える。

 時間稼ぎは終わり、か。こうなればもう一か八かだ。


「私は全てを愛したいの。男も女も子供も老人も愛しくて愛しくて堪らないのよぉ。世界中が愛に満ちた世界が私の理想で、夢。その為には一秒も時間が惜しいのよぉ」


 女の目の色が変わる。前髪の隙間からうっすら見えたその目は恍惚としており、まるで愛しい者に出会った乙女の様だ。


「それじゃあアナタも――『あいして』あげる」


 その言葉と同時に、女は低い姿勢で地面を蹴る。

 僕が今まで見てきたどの人間よりも、その女は速かった。

 でも僕のやる事はただ一つで、その行動に相手の速さはあまり関係が無い。


「くらっえぇぇ!」


 僕はポケットから取り出したをしっかりと握りしめ、その女の顔面に向かって投げつける。

 女はすぐに反応し、ナイフを握っていない左手でそれを払った。――が、それではいけない。


「――えっ?」


 ばさぁ、という音と共に赤い粉が宙に舞った。

 女はその粉の正体が掴めず、対処が遅れてしまう。

 そんなんじゃ、ダメだ。目を開けたままでいると、

 そして、次の瞬間――


「いゃああああぁぁぁ!」


 悲鳴と共に、女は地面にのた打ち回った。ナイフを持ったまま器用に目元を抑えながら地面の上に転がった。


「今だっ!」


 目をまともに開けていられない様子の女を置いて、僕は全速力でその場を逃げ出す。

 置きっぱなしのリュックを一応拾ってから、一目散にその場を離れた。

 さっき僕が投げたのはただの薄い布袋だ。ただし、その中には大量の一味唐辛子が入っている。

 そんな物を手で払ったら、当然中の粉が吹き出して目に入ってしまう。

 それが僕が護身のために用意した武器、名付けて「唐辛子粉レッドパウダー」である。

 付け焼刃の筋トレや護身術で何とかなるなんて、最初から思っていない。だからこそ、あれから護身に使えそうな物を複数用意して常に全身に仕込んでいるのだ。


「まぁ、そのどれもが逃げる隙を作るための物でしか無いなんだけどね……」


 とにかく、狙い通り目に入ってくれてよかった。

 ただし今ので完全に怒らせただろう。ただでさえ危険な人物なのに、次に出会ったら即刻殺されるに違いない。

 そのまま迷わず僕は走り出した。

 とにかくまずは、暮奈さんを探さなきゃ。暮奈さんが何処かに行ってしまってから そんなに時間は経っていないから、まだ近くに居るはずだ。

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